Kは鬼ごっこをしているが、妙なことに、およそ鬼と呼べるような人間がどこにも見当たらないのである。そういって悪ければ、Kはすっかり鬼の顔を忘れてしまったのであった。
ベンチの裏に丸くなって隠れてはいるが、はたして鬼がだれかも分からない状況で、どうしてこれが隠れているといえるのか。実際、向こうのジャングルジムの近くで煙草をくわえている長身の男から、Kの姿は筒抜けであるし、いうまでもなく、このベンチに座っている男の子と老人には、とうに気づかれているはずである。それに、あの女、砂場でしゃがみこんで猫と遊んではいるが、さっきからこちらのほうを横目を流してうかがっているようなのだ。それから、その女の大きく開かれたスカートの垂直線上には、雨合羽を羽織った若い男が立っている。そいつはうつけたように、真っくらな両の目を女の股間のほうへ向けていた。
いってみれば、どいつもこいつも鬼であるかのようであった。Kにしてみたら、いつのまにかこのゲームに巻き込まれていたのだから、いつそれをやめてしまってもかまわないような気もした。おそらくそれができなかったのは、この遊びをやめたところで、はたして自分は他に何かやることがあるのか、まったく見当もつかなかったからであろう。ともかくKは、しばらくして、このいっかな動きそうもない状況を打開するため、さりげなく公園内を歩きはじめたのであった。鬼を誘って、探り当てようという魂胆である。
だが、意外にも、だれひとり何の反応も見せないという結果であった。Kなどまるで見えていないかのようなのである。ただし、疑ぐり深いKは、これを鬼の策略であるとまんまと見抜いていたからだろうか、あらゆる人から十分逃げ切れる距離をとって、なおもじっくりと公園中の人々の観察を続けている。
いやに大人の多い公園である。三つあるブランコは、恰幅の良い中年たちが占領しており、なにやらもっともらしい顔つきで前後に揺れている。公園中央にある広場では、黒いスーツを着たグループと、灰色のスーツを着たグループとが、ボールを投げ合って何かを競っている。それから、公園周りの歩道を、二三十人はいるだろうか、手を繋ぎ列になった初老の男女らが、オモチャのようにぎこちなく歩いている。これを要するに、Kにしてみればだれもが不自然で疑わしいのだった。だが、やはり気になるのは、例の砂場の女である。
Kは、しゃがむ女が開いたスカートのなかに、奇妙に光るものを見つけたのだ。じりじりと近寄ってそれを確認しようとはするが、いかんせんそこは女の股間である、まんじりと見つめていては怪しまれるのが世の道理であろう。ところが、しばらく躊躇してふらふらした挙句、なんとKは大胆にもその女性のほうへ歩み寄った。いやこれはむしろ、何かKの制御できない力によって引き寄せられた、というのが本当かもしれない。
Kは、もはや完全に警戒心を失って女に迫っている。しかし、もう少しで何か見えそうというところであった、突然、女の股間が猛烈な光にあふれ、Kの視覚をはげしく貫いたのだ! 閃光に目をくらませながら、Kはその光へと倒れこんだ。
―――実は、女の股のあいだには、一枚の鏡がしっとりと収まっていた。そこに太陽が映り込んでいたのだ。Kはあまり眩しすぎて、その鏡に映る、照りかえった自分の顔と、背後に迫る雨合羽の男の姿を確認することができなかった。どうしてすっかり晴れた日に、彼が雨合羽など着ているのか、そんな単純なことに気がつかなかったというところ、明らかにそこにKの落ち度があったといえよう。ジャングルジムでは長身の男が煙草をくわえながら、その入り組んだ鉄の棒にからだをねじり込んでいる。ベンチに座っていた少年と老人が、Kのほうを指差して何かを訴えているようだが、女の悲鳴がそれをかき消してしまい、Kにはまったく聞き取れない。
Kは鬼ごっこをしていることもとうに忘れて、女を黙らせようと必死に言い繕っている。
鉄棒に現われたリクルートスーツの女子が、プロペラのようにくるくると回りはじめた。つまり、ゲームが新たな展開を迎えようとしている前触れである。
選出作品
作品 - 20101225_833_4918p
- [優] 日常的な公園 - リンネ (2010-12)
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日常的な公園
リンネ