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作品 - 20100807_572_4607p

  • [佳]  週末 - ゼッケン  (2010-08)

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週末

  ゼッケン

おれはおれを誘拐し、身代金要求の電話をかける
部屋の電話が鳴り、左手で受話器を取った もしもし? 
おれは右手に持った携帯電話に向かって言う
黙れ、おれの可愛いおれはいま、
おれのところにいるよ、おれの命が惜しければ

ケーサツには言うな

経済学者も人間が合理的に行動しないことを支持している
誘拐犯にケーサツに言うなと言われれば
言われた人間はケーサツに言うべきかどうかをいちどは考えさせられてしまう
完全な情報を持たない者が考えること自体が合理的ではない
変数の個数より式の数が少ない連立方程式を解こうとする不注意さだ
合理的であれば人間の脳が考えようと考えまいとすべては必然だ
ケーサツに言うのか言わないのか、おれが考えたとする
おれにはおれの主観確率を客観的に予測する方法はない
おれの行動はおれには予想がつかない

おれはケーサツに言うなという台詞を本当に言ってみるにはどうしたらいいのか
を考えた
言われたのがおれだとしたら
それでもおれがケーサツに言わない保証はない、おれは
おれが不利になることをしたことがある、あるいは
おれが有利になることをしなかったことがある
経験はおれをクロだと判定している

しかし、その誰かの言葉をケーサツが信用しないとしたら
たとえばおれが誘拐されましたとおれが言ったとして
その言葉はケーサツが出動するためのなんらの根拠も与えない
自己言及の矛盾があるためだ
誘拐犯であるおれの裏切りを不可避とおれが判断し
ケーサツに通報したとしても
ケーサツはこの誘拐を真とも偽とも区別できず、矛盾は放置するしかない
そうであれば(ケーサツが動かないのであれば)
なんのためにおれは税金を納めていたのか
おれの嵌めこまれているパブリックは
保険会社が運営しているとのことらしい
保険社会主義国家のお客さま方へ
カネとは不安だ
おれがカネを盗むのは、しかし、不安の量をカネ化するためではない
おれはカネ持ちになりたい、カネは嫌いだがカネ持ちは好きだ
盗むというのはつまり
なりたい、ということだ
おれはおれの言葉を待っていた
おれの身代金はいったいいくらだとおれが言うのか
羨望と不安の目隠しを切り開いておれになったおれがおれのまえに姿を現す、存在の興奮、が訪れる
3万円、とおれは言った
納得したおれは受話器を戻し、携帯を閉じた
ATMで3万円を下ろすのは月曜まで待つことにする
そうすれば手数料がかからない