昔から方向音痴だった。『なんとか通り』に面している建物です
だなんて言われても、道の名前なんて覚えていないし、自分が何通
りを歩いているのか分からなくて、いつまでも目的地にはたどり着
けなかった/ずっと前から探し続けている思い出も、『なんとか通
り』に落として来てしまったらしいのだけど、見つからなくって新
宿の伊勢丹まで買いに行った。似たようなものを見つけてもメイド
イン外国だったり、妙に高級感があったりでぼくが探しているやつ
とはなんかが違っていた/国産で庶民っぽくて値段もリーズナブル
だったという記憶だけはあるのだけれども、形だとか色だとかは全
く思い出せなかった。
満員電車にゆられてクタクタになって家に帰った。渇いてしまっ
た口の中を潤すために、冷蔵庫を開け閉めしたり、食器棚からコッ
プを取り出したり、そんな日常的な動作のひとつひとつがなんだか
妙に可笑しく感じられてひとりで小さく笑った。これがちいさな幸
せなのだとしたら、いつまでも続いて欲しいなと切実に思った/テ
レビの上に飾られた写真をずっと眺めていたら、写真の中の人々が
動き始めたように感じた。それからはじめて、ぼくたち家族四人が
写っているのだと分かった。いつの写真なのかは思い出せなかった
けれど、なんとなくこの写真に写っている場所が『なんとか通り』
な気がした。今日の夜ご飯はクリームシチューだというので、ぼく
も野菜を切る作業を手伝おうと思った。おいしくなあれ、おいしく
なあれと、小躍りしながら、時間は止まらずに流れ続けている。
選出作品
作品 - 20100528_015_4426p
- [佳] ちいさく ちいさい ちいさくて - 葛西佑也 (2010-05)
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ちいさく ちいさい ちいさくて
葛西佑也