選出作品

作品 - 20100512_739_4392p

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追憶の冬の日暮れの物語死にたる猫と川を旅せり

  右肩

 僕に四歳以前の記憶はない。だから、三歳の僕が夕焼けに呑み込まれて真っ赤になった町に立っていたというのも、本当かどうかはわからない。ただ、眼窩から大きく目玉が飛び出し、ひしゃげた胴体の下腹辺りから内臓をはみ出させたびっこの三毛猫に対する愛情は、彼の実在が本当であるか否かにかかわらず本物だ。彼は頭蓋の割れ目から鼻まで滴る脳漿をしきりに舐めながら楽しそうに歌を歌っていた。
「ねこねここねこ、こねこねこ。いぬいぬこいぬ、いぬきつね、ねんねねんねこ、ねこまんま。」
すり寄せてくる体の毛並みが心地よく暖かい。傷口から覗く白い骨。泥濘から伸びる茎の先の、白蓮に似た匂いがする。
 猫と僕は手を繋いで、真っ赤な町の真っ赤な商店街のアーケードを通り抜けた。商店街に人気はなく、どの店でも神仏への供物が売られている。道の突き当たりの堤防まで来て、猫の手を借りて引き上げてもらった。ひときわ赤い川が流れ、ざざざ、ざざざと枯れ薄が波うつ。それから僕らは河原を歩いた。無数の烏が舞い上がり、飛礫のように小さくなって、また降りてくる。川の上流は氷の国で、そこでは夕日も氷の森に閉じこめられ千年間虚しく赤いのだろう、と、僕らはそんな話もしたかしれない。この地方でも、その冬の寒さは格別であったからだ。やがてさらさらと雪も降り始めることとなる。脂の乗った暖かい焼き魚が食べたい。猫と僕は無邪気にそんな話もした。寒風に身体が痺れてくると、何もかも楽しいからだ。 
 その後の、三歳の僕と猫の行方は知らない。それはこの物語が不断に進行し続けているためなのだろう。僕は時々そう考える。