祖母が仏壇に向かうとき、和室に入ってはいけない疎外感を味わう。
三十秒ほど念入りに手を合わせると、丸い腰でいそいそと掃除を始めるのだが、私の知らない宗教を、祖母は日常としていた。
この部屋で、ボールを投げて遊んだことがあった。
もの静かな祖母は、祖父に対しても無口であり、野球中継の間も独りで皿を洗っていた。
青いゴムのボールはよく跳ねた。
弟に向かって投げたボールが仏壇にぶつかると、祖母の怒号が響く。
仏壇の黒は、触れてはならなかった。
仏壇に死んだものが居ることは知っていた。しかしそこに誰が居るのか知らなかった。
私が存在するより昔、母の祖父母が暮らしていたという。
それは黒い板切れでしかなく、名前すら難しい。
祖母は何に向かっているのか。正座した足の罅が赤い。まぶたの向こう、底知れない黒が染み渡る。
先輩が流産を経験している、と入社半年の昼に聞いた。
それを伝えると母は「おばあちゃんも私の前にひとり」といつものように話した。
祖母の子宮は墓だった。淡い臍の緒は、二人の娘の前に一度断ち切られていた。
母が私を流産しかけたことを知っている。
臨月に白目で倒れた母を診た医者が、腹の子は無理かもしれないと父に告げたという。
「それがこんなに大きくなっちゃって」と笑い話のついでに語られた私は、母の腹が墓でありえたことを考える。
脂肪が付いた母の腹は、外から触れてもあたたかく、ころころと音が鳴る。
仏壇の前に座る。ポテトチップスの箱が置かれ、向こうに仏が佇んでいる。
子宮を思う。そこはいつも子を生す恐怖を携えている。
まぶたを閉じると、丸い光りがうねっている。
外をこどもが通る。はしゃいだ声を見送ると、祖母のように手を合わせる。触れることのない、なんとも黒い、母たりえるこの墓に。
選出作品
作品 - 20100412_006_4308p
- [佳] 仏壇 - リリィ (2010-04)
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