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作品 - 20100120_003_4099p

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マルタおばさんは言った

  岩尾忍

マルタおばさんは言った
絶望ってどういうものか
見せてあげようか

そしておばさんは大きな黒檀の箪笥の
一段目のひきだしをあけて
真赤な布を出した
その布を出すと 下には
薄青い水玉の散った
紫の布があった
おばさんはその布も出した すると下には
オレンジの幾何学模様の
黄色い布があった それも出すと
その下には 黒い縞の入った
白い布 その下には
ピンクのはなびらの模様の
緑の布があった 

そうやっておばさんは 一枚 また一枚
取り出して広げてみせた
縫い目もしみもない
裁たれたそのままの布を

これは絹 これはキャラコ これは麻
これはびろうど これはジョーゼット
一日に一枚 一年で三百六十五枚
十年で三千六百五十二枚
三十年で
一万と九百五十七枚
それでもこのたった一つの箪笥が まだ
いっぱいになりそうにないの

(目をあけてぼくは見ていた じっと
 見ている目の中に
 色がゆれ もようがあふれ
 ぼうっと ぼうっとして なんだか
 ゆめみているみたいになった
 ゆめみたいにきれいな
 きれいな
 きれいな布のかさなり)

お嫁に来てからというもの あたしは
お金には困らなかった
だから朝御飯の片付けがすむと 毎日
この町に一軒だけの
服地屋に出かけていった
そして
流行の 新柄の 店主のご自慢の
とびきり上等の布地を 売子がすすめるままに
一着分 買って帰った 

お金には困らなかった
けれどもその店には なぜか
針と糸がなかった
よそまで買いに行こうにも なぜか
この町には外がなかった
それにたとえ 針と糸が買えても
無駄だった
あたしは
縫い方を知らなかったから

マルタおばさんは言った
緑の布をたたみ 白い布をたたみ
黄色い布をたたみ 紫の布をたたみ
真赤な布をたたんで
黒檀の箪笥の ひきだしに重ねて入れて
それから最後にそのひきだしを
ぴったりと閉めながら

マルタおばさんは言った 笑って

わかったかい 坊や
絶望ってこういうものさ

文学極道

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