足下から小石が落ちていきました。岩を跳ねながら雑草や松の枝に当たって、途中まではそれとわかったのですが、直ぐに見失われ、激しく打ち寄せる紺碧の波に呑まれて延々と続く怒濤の音に紛れてしまいます。この道を伝って、武田の軍が今川の支城の一つを攻めたことがあったそうですが、その時にも十人近い鎧武者が転落して死んだということです。両手を広げ崖にしがみつくようにして、なるべく下を見ないで済まそうと思うと、つい脆いところへ足を下ろして道のへりを崩します。僕はもうこの先の、平坦な当たり前の地面に立てることはないのかも知れない。そう思うと余計膝に力が入らなくなって、仰向けにのけぞりながら転げ落ちてしまいそうな気持ちになるのです。
「頑張りましょう!」
と前を伝う木島さんが少し掠れた声を張り上げるのですが、こういうときには逆効果です。手の使い方だとか、足の運び方だとか、もっと冷静で具体的なアドバイスが欲しいところです。そう思っていると、「あっ」という短い悲鳴が聞こえ、がらがらと岩の崩れる音とばきばき木の枝の折れる音が続きました。どぶん、という水音も激しい波音の間に聞こえたような気がします。
「今村さん、今村さんが落ちたっ」
と木島さんがわめきました。僕は怖くて自分の後ろについていたはずの今村さんを振り返って見ることができません。もう何の掛け声でも構わない、安心感が欲しくてすがるように木島さんを見ると、大きな顔に汗の粒をいっぱい張り付かせ、僕の後ろへと目を大きく見開かせています。その目と目線を合わせようとして、「木島さん」と声を出し始めた瞬間、下へ引っ張られるように木島さんの体が姿を消してしまいました。
選出作品
作品 - 20091123_617_3963p
- [佳] 岨道 - 右肩 (2009-11)
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岨道
右肩