く、うるしい? ふーあー。く、うるしい?
ふーあー。メール見たかい? ちゃんと返事してくれなくっちゃ困る、ふーあー。おじさんがベトナム土産をくれたんだよ。アオザイ姿のお人形、三体。アオザイって、長い着物って意味。歩きにくそう? でも、スリットがあるからそうでもないらしい。ほら、人形にもちゃんと、ふーあー。人形だってこんなに楽そうにしているのに。ぼくらって馬鹿みたい。く、うるしい? ちゃんと返事くれなくっちゃ。」
セックスが一通り終って、減速的なキスをする。遠慮がちに浸入させた舌にきみが応える。「ぼく、きみのすべてが欲しいんだ」
「全部あなたのもの、なっちゃったら、わたしってものがなくなっちゃうじゃないの」
触れたシーツはまだ湿っていて、あんなに激しかったのにと思いながら、最後にもう一度だけきみの水分を奪いはじめる。ふたりとも何もまとっていないということで、ぼくはぼくをまとい、きみはきみをまとっている。(コンドーム一枚で世界を変えることのできる夜もあるかもしれないね?)
ベトナムって遠いの? 東南アジアだよね?
ホーチミンって街があるでしょう。覚えてるよね、一緒に見にいったじゃん。ミス・サイゴンってミュージカル。そう、あの時、飽きちゃって隣で寝ていたのきみでしょう? 感動的なお話だったのに。あんなに大きな口あけてさ、ふーあー。く、うるしい?/ミュージカルは何言ってるのか、聞き取り難いから、キライ!/なら、先に断ってくれたらよかったのに。ふーあー、ぼくも歌っているみたいな喋り方するから、嫌われちゃったかしらん?」
きみが吸い出したマイルドセブンの副流煙はすべてをさらっていった。ぼくも、まきこまれて、ふくりゅうえ、/きみの中はもうあたたかくはない、あたたかくは。美しいものだけで取り繕われたこの世界は、そこに住まう人々でも感じ取れるくらいに躍動的な伸縮を繰り返しいる。伸縮リズムは不規則で、忘れていたはずの名前を刻んでいる/ん、にまきこまれてぼくは、もう、きみとは永遠の別れなのだと思っている。
「昨日抱いた女の名前だって覚えてないくせに!」
深夜のラジオが不意につぶやいた。きみと出会う前は、毎晩ひとりラジオを聞いていたのかも知れなかった。
「セーフセックス、セーフセックス、コンドームはしっかり着けよう。コンドームはしっかり着けよう。コンドーム、コンドーム、今度産む?む?」
ラジオは独り言をやめなかった。ぼくをうんざりさせるのがラジオの目的だったから。それは、今思うと、きみが吸っているマイルドセブンの副流煙と同じようなものなのだろう。
ふーあー、アオザイを着てみないかい? きっときみなら似合うと思うんだけど。民族衣装をまとってみたら、きっと世界が変るよ。まだ、く、うるしい? ぼくはぼくを脱ぎ捨てるから、きみもきみを脱ぎ捨ててしまうといいよ。アオザイはスリット入りだから、動きやすいし。ふーあー。アオザイは男性用もあるらしいから、ちょうどよかったよね。もちろん、コンドームはまとったまんま。それは、当然。/ラジオがうるさかったからね。なんも変ったりしない?/にしても、よかった。実は、ぼくも、く、うるしかったんだ、ずっと。これでなんか、すっきりしたよ。ところで、ふーあー。ぼくは現状把握が苦手なんだけど/世界の伸縮なんて無意味さ/、ふーあー、ふーあーゆー?」
選出作品
作品 - 20091114_446_3946p
- [優] クリティカル - 葛西佑也 (2009-11)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
クリティカル
葛西佑也