僕はこれから僕の持っている砂金一袋の重量を量りに、あの寂れた京洛へ赴くのだ。「ズワイガニ号」と名付けられた、甲殻を纏う列車が海底のトンネルを抜け、もうすぐこの、晴れ上がった木星の小駅までやって来る。
春爛漫である。
プラットホームには、文字も絵もない、色もはっきりしない幟旗が九本、ばらばらな間隔で鉄柵に結わえ付けられている。また黒々とした巨大な牛が二頭、大きなふぐりを揺すりながら待っている。その後ろにはマッチ棒のような少女が三人黙って立っている。
彼女らはあまりに黙っているから、所在なくてときどき牛の股間に手を差し入れ、こっそりとその陰嚢を撫でたり揉んだりしている。牛は鳴きもしない。沈黙を埋めるようにして波音が聞こえてくる。ただし、それはよく聞いてみると破砕された歌声の微細な屑から成り立っている。波音によく似たノイズというべきものであった。
ひょっとしたらそれは、入学式が終わった小学校の講堂で、天井から垂れ下がった四匹のユウレイグモが、番いながらそれぞれの八つの目を合わせて唄った『海行かば』だったのかもしれない。焼けただれた密林に隠匿された髑髏が、割れた後頭部から水を飲むようにして一途に聞いていた歌だ。二つの眼窩。それも今は粉々になっている。
金の値段は激しく乱高下している。
先日行った床屋の亭主が、僕の髪を切りながらぼやいていた。彼の足繁く通っているストリップの金粉ショーでは、昔は開いた女陰の奥まで金粉が塗ってあったという。ところが、先日舞台へ上がって大陰唇、小陰唇と指で開いていったところ、粘液に濡れた生々しい鮮紅色を目にしてしまったというのだ。ダンサーの太腿の間に上半身を突っ込んだまま、困惑のあまり彼は暫く硬直して動けなかったらしい。
「これも金の価格が不安定でうかつに買い置きができないからですよ」
と彼は言った。
「女陰の中には膣口に細かな歯を揃えていて、男性を食い千切るものもあるのですが、以前はそこにも総て金が被せてありました。」
経済は、生殖行為として転倒している。
システムが肌を合わせて激しく交わる。ところが、射出されるものは疎外される。エンドルフィンの波が脳の皮質を洗う時、無定形の資本は世界中ところもかまわず撒き散らされてしまう。
乾いた地表に乾いた粒子が噴きこぼれ、どこもかしこもただただ輝くばかりで何が産まれることもない。さらさらと風に巻き上げられ消えていくだけだ。爬虫類系の大型生物があちらこちらに突っ伏して死んでいる河。その腐臭と山脈からの寒風とに耐えながら、僕はひと冬をかけて一袋ぶんの砂金を掬い取った。それも経済という原理によってたやすく巷間に紛れ、消えてしまう。僕の金、僕だけの金が。
京洛では今も古い高層ビルが林立し、その下で掻き混ぜられたコーンスープのように、ぼやけた哀しみがゆったりと渦を巻いている。
白さを残して流される夜の雲たち。
乾かない傷を持つ猫たちが、互いの性器を指さしてくくくと笑い合っている。ここで、本当の意味で光っているものは自分たちの眼だけだということを知っているからだ。
この街に今日は誰もいない。昨日も誰もいなかった。明日も誰もいない。首から上がない、人ではないものがちらほらと通りを行く。売春窟のベッドには浅いへこみが残る。シーツに波打つ美しい皺。サイドテーブルに錆びた硬貨が七枚、やや不安定に積み上げられて埃にまみれている。
打ち棄てられたものはみな、それが最初からそこにあり、未来永劫そこにあるようだ。
夥しい数の通信回線。アクセスしても聞こえるのはアメフラシの唄う艶のない沈黙だった。
イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト。衛星が僕を間近に見ている。
列車が迫る音に目を瞑る。明るく血が巡る瞼の裏へちらちら桜が散る。花びらの数が次第次第に増えて行き、そこにざっと風がかぶると昼間の星の全量が落ちてきた。花が光り、星が光り、降りゆくものは時に螺旋を描いて吹き上げられ、それも光る。また光る。
渦巻く銀河の虚ろな中心点に欲情し、僕の小さなペニスは痛いほどに勃起していた。
選出作品
作品 - 20090429_211_3483p
- [佳] 木星の春 - 右肩 (2009-04)
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木星の春
右肩