(一)
水の国は風のない海にあります。
風のない海に波は立たず、鏡のような沈黙が青空と雲を映しています。地上はいつの間にか海につながり、またいつの間にか海と離れます。歩いていく僕の足も、気がつくと踝まで水に浸かっており、気がつくとまた干上がった白い珊瑚礁の上に立っています。
空には空だけの風があります。流れる雲の影が地表を過ぎていく度に、どこかひやりとした記憶が呼び覚まされ、そしてまたたちまち消えるのです。だからある時の僕には逃れがたい過去があり、ある時の僕には生まれたてのように何もありません。
遠くには回らない巨大な風車があります。羽根の先端に光がとまると、それは海の何処かで病んでいる人魚にとって、抗い難い誘惑となるでしょう。声を失っても何かを得たい、と彼女は思うはずです。それが何かはわからないまま。
僕は考えます。希望というものがもしもあるなら、それは淡い緑色をした稚魚のようなものだろう、と。そしてそれは水の国の何処にもいないものなのだ、と。不在が帯びる無色の恐怖も、ここではまだ甘い氷砂糖を含むような感触でしかないのですけれど。
(二)
駝鳥の卵を買わなければいけなくなって、籐で編んだ篭の底に紫のビロードを敷いて出かけた。三時頃家を出たが、木靴の先に割れ目が入りかかっているのが気になり、いつもより遅れがちに歩いた。
紫水晶が所々で剥き出しになった岩山へ登り、峠を下りたところで、夏の風が心持ち冷たさを帯び始めた。日暮れに入ったのだ。日輪は沈んで見あたらない。例の迸るような夕焼けもないのに、空は明るく暮れ残っていた。一群の雲が行く。北氷洋では大きな鯨が今、流れる氷塊を水底から見上げている。僕は純銀でできた雲の連なりの遙か下方に沈み、右手に篭を提げて突っ立っている。雲と僕の間を、すうっと鳥が滑空する。今までに見ない、白色の、暗い光を帯びた鳥影だった。まだ生まれていない駝鳥の子の魂が一散に卵を目指しているのに違いない。と、僕は思った。
僕は不安だった。これから街の雑踏へ入り、喧噪の中で買い物をし、再びこの場所を通って山道を登る。その時にはもう夜はたっぷりと厚みののった闇をまとい、僕の小さなランタンが、悲鳴を上げて逃げまどう小鬼のように揺れるだろう。
どんなに想像を巡らしてもだめだ。それはまだ始まってすらいない出来事なのだ。確実にやってくるにも関わらず限りなく遠いことなのである。
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選出作品
作品 - 20081231_353_3232p
- [優] 「姥捨山日記」抄 - 右肩良久 (2008-12)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
「姥捨山日記」抄
右肩良久