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人に会うのが目的だった。
その日、湧きたつような照り返しのなか、渋谷周辺のデパートの外壁に、オフ
ィーリアのポスターを見かけた。暗い緑を背景にして、よどみに浮かぶ水死人
の似姿。服飾ブランドの意匠らしく、引き伸ばされた絵画のふちに、凝った幾
何学模様のロゴが配置され、このようなものが何の宣伝になるのか、ふいの日
陰へ迷い込むような感覚がした。
数日のち、四ツ谷を経由して銀座へいそぐ。
位置が定かでない交叉点をわたるとき、地下へと沈むコンコースの壁いちめん
に、寸分たがわぬ同じデザインか、或いは何かの展示会であったのか、あの死
美人のモチーフを目にした。
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以前のこと、オフィーリアの図像を探したことがある。
ジョン・エヴァレット・ミレィ、ポール・ドラロージュ、アレキサンドル・カ
ヴァネルなど…。
十九世紀の後半に、偏って幻視されたこれらハムレットの作中人物は、どれも
原作からの逸脱がすくなく、今では時代がかった印象だ。
// オフィーリアは、周りのきんぽうげ、いら草、ひな菊、シランなどを集め
て花環をつくり、その花の冠をしだれた枝にかけようとして、枝は運わるく折
れ、花環もろとも流れの上に。すそが拡がり、まるで人魚のように川面の上を
ただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいた。//(福田恒存・訳)
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空港に着いたとき、いつものように携帯電話が鳴り、受け取ったメモに誘引さ
れるままリンクをたどる。発信者は知人。メモを送り返すと、アポイントメン
トについての話題は次第になおざりとなり、閲覧したテートギャラリーのサイ
トから、仄白いオフィーリアの消息、回路を越えてなお止むことのない、デー
タを呼びだし反芻していた。
広場でラジオが鳴っている。何かの演説のような、お笑いタレントのがなり声
が聞こえる。
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霧のような雨がふり始め、いき過ぎる自動車は粒だった水滴に、精確に濡らさ
れている。昼間なのに、ヘッドライトが灯され、細かい連続のすじが、蚊柱の
ようにうごくのが分かる。
世界は、雨だ。
水のような粒子の乱れだ。
成田から虎の門、霞が関周辺、神田からまた恵比寿へ。
とある駅前の広場には、ラジオではなく、巨大な吊り上げテレビジョンがある。
埃っぽい広告画面に、ニュー・リリースの音楽映像がさし込まれ、楽曲は扇情
的であったり、予定調和的であったりして、プロモーションビデオは人びとの
群れの真うえで炎上し、あまたの信号を増幅してよこす。何かがはしる。記憶
は圧し返されていく。白濁した光の揺れ戻しのようなものが挿入され、画面の
枠を、撹拌し続けるひび割れしたサ行の爆音は、べつの意匠へと置き換えられ
ている。雨は小ぶりになる。いずれそれらは止む。
眠りや待望は、縁どりされた吐しゃ物のようなもので、この街も、いま見えて
いる火祭りに似た人びとの行列、都市計画も考えぬかれた商業広告も、オフィ
ーリア、お前のむごさには敵わない。
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待ち人がきて、またも話題をなわ抜けしていく。ティー・カップがうち鳴らさ
れ、ロゴスではなくもっと直接的なものを、掘削機のようなものをと議論をか
さねた。ウェイターは歩きさり、違法建築めいた明るい陽光を通して、電飾の
消えた東京タワーの立像が見えてくる。
それでは明日は、歴史の一回性について。
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倦怠といっては違う。
たぶん、それは異化され過ぎている。凡例をくみ替え、配列された用語たちが
ふいに、想定していなかったそれぞれの怨嗟や、声の不在を突きつけてくるこ
と。
// 暗く
淵になった川の表
半ば
くちを閉ざし
いろ味のない唇は前後の緑を映すようで
半ば
うわ向いた瞳から
出てくるはずのない言葉をとどめ
水死体は流れていく//
オフィーリア、意味を聞かせてほしい。
斜面の上手には、勿忘草が咲き、下手のくぼ地には、野薔薇やミソハギの群生。
きみが嬰児さながら手くびをひらく、闇のような日陰には、すみれ、芥子、バ
ンジー、撫子などが、かつて花環だった余韻を残し、柔らかく、ときに気がか
りな生々しさで、水を吸いつつ裏むけられていく。
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韻律になったその希薄さ、親密で疾しげなふる舞い。時代がかった濃紺のドレ
スと、未知の職人のパッチワーク。終わりなき腐敗…。
私の揺らぎ、オフィーリアよ。
選出作品
作品 - 20081229_337_3231p
- [優] オフィーリア - 黒沢 (2008-12)
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オフィーリア
黒沢