選出作品

作品 - 20080204_109_2591p

  • [佳]   - ベイトマン  (2008-02)

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  ベイトマン

鼻につく屎尿の匂い、ひび割れた打ちっぱなしのコンクリート、落書き痕が滲む黒ずんだ古い壁、薄汚れたトイレの個室で僕はマスをかきつづけた。
ここは僕にとって思い出の場所だった。初めて香と出会った思い出の場所──いつまでも変わらぬこの匂いに懐かしさがこみ上げる。
荒くなる鼻息──淡く黄色がかった象牙色に染まる傲慢な陶磁器のように突き出た香の尻朶が僕の脳裏に浮かんでは消えた。
まるで波打ち際の泡のように、脳裏に浮かんでは儚く消えた。アヌスから漂う香の臭気──あらゆる体臭を濃縮した馥郁たる芳香。
小便で黄ばんだ便器に向かって黄色く濁った精液をぶっ掛けた。便器の縁側にこびりついたどす黒い糞滓に見事命中した。
射精しても僕はオーガズムなど感じやしない。虚しさだけが頭を垂れる。濃厚な重低音を効かせた激しいビートの幻聴──脳髄がビブラートした。
左腕を黄疸色のチューブで縛りつける。親指を握りこみ、僕は指腹で何度も皮膚を表面をこすった。垢と混じってくすんだ汗の匂いがした。
香と過ごしたあの日々が極彩色に輝き、僕の瞳が溶け出してしまいそうなほどやけに眩しく映る。浮かび上がった蒼白い血管に僕は接吻した。
ポケットから取り出したスプーンを不恰好に砕かれた白い結晶を乗せる。チューブを巻いた腕の指間にスプーンのヘラを強く押し込んだ。
親指でジッポーライターのヤスリをこすった。痛い。桃色だった指が白くなる。
所々黒黴が覆う蛇口の水道水をスプーンの上に数滴ほど垂らし、僕は緩やかに息を吐いた。スプーンの背をジッポーの火で軽く炙る
焦げた黒砂糖と樟脳の甘ったるい香りが鼻腔に触れた。適度に不純物の混ざったガンコロ──メタンフェタミンの匂いだ。
僕はこの匂いもたまらなく好きだった。無意識に股間の一物がいきり立つ。水面が沸騰した。ゆるやかに泡立つ。薄い蒸気が揺らめいた。
注射器の針を溶液に浸し、一滴残らず吸い取る。二の腕辺りに盛り上がった静脈がのた打ち回って激しく脈打つ。
香の肛門に突き刺す寸前の僕のペニスのように微かな音を立てて激しく脈打つ。僕はニードルを突き刺した。
ローションで濡れ光る針の先端──抵抗なくスムーズに血管の中へと突き進んだ。軽くピストンを引いた。血液がポンプ内で小さな渦を巻いて逆流する。
赤い水中花が咲いてはシャブと同化していく。焦らすようにゆっくりと僕は血管に向かってアンナカ入りの溶液を流し込んだ。
背筋にドライアイスを押し付けられたような冷たい感触──背筋がざわめく。冷たい。身体の芯まで凍りつきそうな感覚が神経を襲う。
冷たかった。ただ、冷たかった。溶液が染み渡る。身体中の毛細血管がシャーベットになる。
凍てつく快感が後頭部でシャッフルした。毛穴が開く。僕は熱を失ったスプーンを口に含むとわざと下品にしゃぶって見せる。
こうしてペニスを愛撫されるのが香、君は好きだったよね。香と僕は互いの糞尿を啜りあい、互いの肛門を犯しあった。
僕達の性癖は異常だっただろうさ。だから君は僕を置いて自殺してしまったんだ。ああ、だけど心配しないで欲しいんだ。
僕も今からそっちにいくから。カルシウムの錠剤を口入れて溶かす。白い唾液をスプーンにこぼして注射器でスポイルする。
もう一度血管にニードルを刺した。僕の心臓が停止するまであと三秒だ。