選出作品

作品 - 20080201_993_2585p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ヒューストン、テキサス、2008年

  コントラ



5年前に、この町の、植え込みがある曇り空の、小さな赤い花々が揺れる路地を、傾いて停止しているフォルクスワーゲンをファインダーの端にとらえながら、僕は、歩いていた。そこは雲につつまれた、ほんのひととき安息ができるような場所で、大都市の一角の、静かな街路樹の隙間にひらけた、小さな木造の家。僕はヘッドフォンで、コロンビア人のポップ歌手が歌う、甘いバラードを聴いていた。「この大陸には、草が生えていて、それは尽きることなく、大地を湿らせている」。ファインダーの隅っこの、道幅の広い植え込みの先のほうで、黒人の男がよれたシャツを着たまま角を曲がって消える。そして、スペイン人が、先住民が、アングロサクソンが、それに続く。僕は夢中になって路地の先を見つめている。街のあちこちの、道路わきの溝にはタールのような黒い液体がゆっくりと流れている。

ヒューストン。街の一角にあるエリート大学の図書館前は、ゴミひとつ落ちていない。この大学の人類学部には、名の知れた教授がおり、彼の本は何冊が僕のバックパックに入っていたが、彼の文章は鉄屑でも噛んでいるかのように読みにくく、いつも頭を痛くさせた。僕はその教授に会うのをあきらめて裏門から外に出た。裏門の石柱には蔦が絡まっており、それは湿り気を含んでいた。曇り空の、傾いたファインダーの端を、スケートボードに乗った少年が白いシャツをはためかせながら横切る。思い当たることがあった。彼の書いた本はいつもカバーがピカピカ光るオレンジや青で、それは新手の商売を予感させた。それらの本はこの大陸のあらゆる街の、大学の図書館に配布され、サンパウロでも、カラカスでも、ベリーズシティでも、きっと本棚を埋めていくに違いない。そのとき、誰かが気づくだろう。僕らはどこでも椅子に座らされ、本を読まされ、そしていつまでたっても読まされるだけなのだ、ということを。

湿気をふくんだ曇り空が僕は好きだった。それはこの街の半円の空をいつも満たしており、僕は傾きながら歩いていた。傾いていたのは、右手にたくさんの本を抱えていたこともあるけれど、かなり弱ってもいた。僕はしばらくのあいだ、逃避していた。理論などはどうでも良かった。しかし挨拶をするとなると問題だった。教授たちは部屋に閉じこもり、決して出てこようとはしなかった。かれらは4ヶ月に一度真ん中のホールに出てきて、僕らの研究発表を酒のつまみを品評するかのように聞いたあと、何気なく後ろから、「なかなか面白いね」などと突然声をかけて僕を驚かせた。僕は、ほんとうは、あなたたちと酒が飲みたかった。酒を飲んで、殴り合いをしたかった。だがそうは行かない。僕らはいつも行儀よく座らされ、本を読まされる。そしてその本は、世界中に分配されている、あの表紙がピカピカした本だった。5年前に、僕はヒューストンで、エリート大学のキャンパスを足が痛くなるまで歩き続けていたが、意外なことにそれらの本はすべてこの街を出払っているらしく、どこにも見つけることができなかった。

ヒューストン、2008年。街路樹の覆いかぶさった旧家では、酒を飲んだ男たちが階下のホールで、大声で怒鳴り合っている。入り口の公衆電話には国際電話用の、色とりどりの国旗のシールが貼ってあるが、もう長く使われていない。僕は5年前にこの公衆電話から、午前3時、ずいぶん会っていなかった友達に電話したことを思い出す。夜半、僕は外に出て、寝静まった3車線の住宅街を散歩する。オレンジのランプがどこまでも点しつづけ、僕はずっと前からこんな道ばかり歩きつづけていた気がしていたけれど、実はもうずいぶん前に、汗にまみれた住宅街で、視界の片隅に貼りついて消えない、黒い鉄の塊におびえていたのだということも知っていた。その鉄塊はいま溶けて液状化して、ヒューストンの町の、あちこちの排水溝をゆっくり流れていた。それはこの街に住む黒人たちの身体に繋がっているようにも見えたし、ショッピングセンターのきらびやかなネオンサインにも、目を凝らしてみると、そんな黒い灰塵の一粒一粒が、うっすらと含まれているような気もしていた。

* 発起人・選考委員による投稿 (選考対象外)