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この原稿を書いているのは、秋だ。直下される問いこそ「失ったものは何だったのか?」であり、正確にしたためれば「失ったもの、何?」だったように思う。つまり、女言葉なのだけど、いまとなっては、声を記憶していたテープがない。したがって、ブツという形は失われ、曖昧な活字の様式で、劣化した皮一枚を剥いだムツゴロウのつるつる。そして、阿多多羅山のつるつる。潤んでいるのは、テポドンだ。美辞麗句された声が劣化していくけど、“もののあわれ”であろうか?
「失ったものは、何?」まるっきりオレオレ詐欺の図々しさで、受話器から声が漏れている。この声は、野太いので、多分、中年の男性。換金したぬくもりは、消毒液の匂いしかしない。それを潔癖だと認識している前頭葉はゆがんだ柔軟運動。えいさえいさ、ほっさほっさ、あれは、時代劇か、ビリーザブートキャンプだったか。元気に勢いよく放出された子供時代、「やすらぎが薄らいでいく前夜に残されたメッセージを、酔いどれの鐘にしてはいけませんよ」と、おかあさま。秋ネクストイコール冬だから、子供時代は冬なのである。
声は、重なり合い、ぬくもり、教会での合唱、エコール・ド・パリ、鉄の冷たさで、戦車は出来ている。ドイツ兵の子供を孕んだ為、髪が剃られ、裸に剥かれて行進しちゃうシャンソン人形、ひらひらと紙幣がバラまかれた黄金に輝く町並みで、行進する者達と、それを取り巻く者達と、乞食と、おかあさまと私は、鈍器を手にしていた。重複する声、重複する合唱、抱擁するたび火花になって、紙幣が燃え、やがて町並みは火の洪水。鈍器が太陽で、私たちは一人一人、太陽を所有していた。火の洪水、太陽を放り捨て、逃げまどう牛とにわとりの足並み。どがどが、ぎゃーてー、ふぁでらっく、さわがしいはずなのに、ツーんとした耳鳴りがして、涼しげだ。
(おならってくさいね)ひとのにぎわいは、皮一枚剥いたムツゴロウの光沢で、受話器を動物に渡してはならない、エンド・スロー・テポドン、お金に換えられた肉は、消毒液の匂いが漂う、それを清潔だとイメージしている草原で、直下していく。
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皮一枚剥いだシャンソン人形から生まれた赤子が娘になり、水槽を抱えていた。その中には、皮一枚剥かれたまま泳ぐムツゴロウと沈んだシャンソン人形、少女は水槽の硝子細工の青さから蒼穹をイメージする。虚言癖と自傷癖と拒食症を煩い、拒絶こそゲーゲー吐き散らかす新しい父親の粒子はステンレス、保温が約束されたようなものだ。許容する排他イコール自己完結の暖は持続し、水槽を抱き、濡れたムツゴロウも飛び出す。ふるえながら貫いてイク父親の息子に、「期待外れだよ!」とアバズレぶる気品はまだなかったから、抱き寄せられた肌の冷たさに戦慄、射精されてゲーゲー吐き散らかす沈んだシャンソン人形の構造がプリズム、一度ならば二度でも三度でも同じこと。【射精するものは、排除するもの?】のちにどんな男性でもヤラセるサセコになり、父親のキン玉をヨーヨーに仕立てて、悪人を退治する秘密結社の一員になった娘の保温を約束した射精イコール性交の関係性は持続し、底でムツゴロウが跳ねていた。父親が突っ込んでいない方の穴から排泄、昨日食べたとうもろこしのつやつやに、シャンソン人形をめり込ませながら。
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再生されることのない過去に意味はない。だから、振り返った私は取っ替えッコで、いつでも声は首筋の後ろではなく、胸襟の前側でもなく、交点か底辺から聞こえてくる。水槽の硝子細工を蒼穹に見立てていた少女、いつしか水槽は割れ、破片もまた青い。まだ少女ではなかった私を突き抜けていくイメージの蒼穹が、漏れている中年男性によって粉砕、刈り取られたシャンソン人形の赤い髪がドーナッツ状に、そして、ベッドを支えている五名の巨人たちの関係性で私は創造した。エンド・スロー・テポドン、受話器から声が湿り、換金するぬくもりは消毒液の匂いしかしないから、「やすらぎが薄らいでいく前夜に残されたメッセージを、酔いどれの鐘にしてはいけませんよ」、ゲロとうんちと精液まみれの幼い娘をきれいだと思う人間がいるのなら、およそどんな人間にもきれいになれるチャンスが一度は訪れた。言葉が飲み込みにくいのは飲み込みたくない、どのような事実であろうとも再生してはならない声があるからで、少女の選択肢は書き手という設定の作中人物の私からすれば、二通りしかなかった。スカトロおとうさんだけの天使になるか、どんな男性が相手でもヤラセる天使になるか。集約とか帰結じゃないね、点在かつ混在でしかない。
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ところで、この散文のタイトルは、『新月の下』なのだけど、いっこうに登場する気配がない。なんで『新月の下』なのか、作者はもう忘れていて、忘れたものを取り戻す術がない以上、代用品を使って、模造していくしかなかったデタラメさを、読者に謝罪しなければなりません。
整合性を組み直して、どういう主題かを陳述していきます。「あっ、新月だ」って言うおかあさん似の女性がいて、そう言う女性との関係性を失った主人公の私は、新月を見るたびに、はかなげな記憶をイメージしてしまうわけではない。この散文は、「あっ、新月だ」という女性の影を追い求め、水槽の蒼穹に憧れる少女と重ねるさえない主人公のさびしさとはまったく関係ないのであり、性行為のように声が流れてきて、(戸惑いとはどのような工合なのだ?)とついつい考えてしまう〈あなた〉の舌の青さを描写することに、モチーフがある。赤かった空がいつのまにか青くなっていて、その青さは星の光をあぶり出し、ほんのりと影をのばす。
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口元がミルキーウェイ。まさしくテポドンの軌道だね。阿多多羅山のつるつる、お客さん、私はもう生きていますよ、風をゆらしているのが、私なのです。
あの月は、隠されていない。ただ、見えないだけ。黒く、ドーナッツ状の髪、耳をすませば、心のどこかで飼っている“可哀相な少女として体現される不幸”が、別の化身になって見えたであろう。姿を変えても、指し示す方角は同じ。なぜなら、羅針盤こそ〈あなた〉だからだ。
「気持ちの重みに沈んでいきながら、言葉の軽さで浮かんでいく、まるっきり天使の冗談だね。しかし、私はけっして天使になりたくないので、ステンレスの底に沈んでいる。本当は誰も天使になりたくなかったよ」
選出作品
作品 - 20071224_313_2514p
- [佳] 新月の下 - 仲 (2007-12)
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新月の下
仲