断想 十二
こどもの頃棄てたはずの手が
壁の中で指をならしている
むかし山の小川に浮かべた舟が
朝のトイレの水面をはしっている
出会った人も別れた日々を憶えずにはいられない日々
雀たちの六月が、アルコオルと骸骨の中でざわめくと
眠っていたことに
雨音で気がつく
*
黒猫が何かを狙う夜の仕草が
籠のむこうの見えない何かに
背中を丸めて準備する
病院の鉄柵にからまり
鉄線の静かな発情に沿って
東に流れる霧雨の音で
*
小蝿の前足はうつくしい…男より
ハンバーガーよりずっと内緒話で
乾いてゆくレタスの組成
挟みこんだ…プレパラート
はさみこんで
悦ぶよりもずっと大きな器官で
いつまでもこの温もりを噛み砕いている
てのひらのジャンクフードに染色体
ケチャップが拭いきれない唇の女
そしていっぱいのビール
これらはどれくらいの憂鬱を詰め込んだものか
教育科学番組がさわぐ
世界はひとつの生命帯だ
*
空腹で忙しかった放課後のこと
雨が森の奥の人気ない神社に少年達を誘い込み
繰り返される禁じられた遊び
単眼と複眼に思想はない
砂を浴びせかけられる蟻をする
蟻は人を憎むことも憐れむことも知らされないまま
紙切れのようになってゆく
通り過ぎたことに振り向くことは
足をふみならして帰り道をゆけば
ことばもない空に似合いの
墓石に刻みこむをする遥か
*
冷たい風の和音
耳をすまし混ざる銭湯の湯
女に握られた櫂でゆられる気泡をながめ
川岸 電線
あちらとこちら
蝶々 遊々
いきつもどりつ
鏝絵師が虎を
細視し彩帯し
脱獄犯は古里に
再会し最限る
*
労働が塗るのは空
雲でいっぱいの夢
風の中は
晩酌の肴
鰯のすり潰された
それはきらりきらり
影が砂底に届かなく腐り
生命のスープに溶けてゆく
*
本当の歌を謡いながら家の鍵を探しても間に合わない
瓦礫の前で積み重なった懐かしさ
酔っぱらいの千鳥足
輝きのみに生活を忘れるならば
幸せの裡に今日の悩みをばらまけた
クレーンの旋回に触れた初雪のように
けれど濡れているアスファルトの下で
土は乾いている
内側からひからびてゆく屍体のように
*
ぐらうんどにとんぼをかけるあのこは
ぼくのものでも
きみのものでも
だれのものでもないことば
しらずしらずのいのりとねがい
さらりいまんになれなくて
そういってわらってこっぷをつつんだ
おじさんはさけくさいこまをぱちりとならした
みすみすかくをとられるみちが
さんてさきにあるのもきづかず
だれもしらないきおくのにっき
ひらかれずよまれず
もやされるためだけにあるもじがささやく
きまってまよなか
みてはならないゆめのあと
*
モウクタバッテイイカイ
ナレタウソハコレイジョウツケナイ
コドクナフリモ
ワラウエンギモ
シズカニホウムリサッテ
モウユメダケノゾンデモイイカイ
ジョウダンニナサレ
ヒゲキニミナサレ
キドアイラクハコレイジョウフカノウ
ダレニモハダカヲミセハシナイ
ナゼッテウチュウノハテニトドクノハ
ヒトノカゲキノカゲツキノカゲ
ウミニアルノハナミバカリ
ナミガナミトカサナリアッテ
トビラノムコウデマッテイル
*
教会が見える喫茶店の窓の隅で
珈琲を眺め飲むこともせず
自分の死に方を悩む男
惨く
しかし痛みなく
どうせなら美しい方法を
思いついた
それはカップの死臭に
微笑みながら唇を触れた
*
昨日釣りそこねた魚が
今どの辺りを泳いでいるのか
もう誰かに釣り上げられてしまったのか
それとも火山島に背を向け腮をひそめ
仄暗く浮かびあがる海嶺まで‥‥
思いを語りに沈んでゆくのか
台所で刺身とバッハが重なって見える
換気扇の中のジェット機は
午後をゆっくりと這って
‥‥茫洋と舞う
ひかりを浴びた塵も私かに
黒髪に降り震えている
たったそれだけのもので
逃れられない生と死の密想に気づく
優しい言葉は諦めたことへの言い訳だろうか‥‥
*
それでも飽きることなくカーテンが翻る
吊るされた緑が水を失う時と睦む遍在を綴りなさいと
街角の迷路に変容する為に痴れなくてはなりませんと
銀のポットと金の皿と石膏にされた少女の上で
北向きの一枚の画に最後の筆を加える
いなくなったはずの男
腹を縫われ鼻に綿を詰められ紅をひかれ
十字架の前に現れ‥‥ひとつ心臓を響かせ
片羽根のニケがおろおろと首を探す
それから病葉がくるくると落ちてくる
すると蛇口からひと雫こぼれるあなたとのこと‥‥
しいっ‥‥‥ほら、
雨が‥‥‥
なんて‥‥‥
甘美な幻‥‥‥
枯れた花を存分に抱いて
私はもう眠ってしまったが‥‥‥
‥‥‥雨はどこへゆく
豪奢な夕暮れを雨が降りゆく
選出作品
作品 - 20070907_558_2315p
- [優] 断想 十二 - soft_machine (2007-09)
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断想 十二
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