選出作品

作品 - 20070630_595_2166p

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キャベツ畑

  疋田

(1)
キャベツ畑に放り込まれた日の暑さが、まだ幾らも遠くにいかず。油絵具の擦り切れたような渇きを、私はいつだって恐れている。延延と続く畑に、農薬を撒いている農夫が一人、二人。昨日も一昨日も、ただそればかりを見ていた。そして散布された農薬の飛沫が顔に振りかかるたびに、私は、車椅子で微笑む祖父を思い出した。祖父が何事かを呟いて立ち上がろうとすると、目の前の農夫達は、何十年も忘れられていたかのようなぼろぼろのカカシへと変わり。カカシとカカシの間、厳しい渓谷の向こうに海が現れる。そこでは一艘の船舶が警笛を鳴らし、もっと向こうだ、と言わんばかりに私を待ち構えている。遥かな海が視界を埋め尽くし。青から、青へ。青、へ。青。と、毎回そこで視界は破裂し、次の瞬間には背を向けた農夫が相変わらず、どれも同じようなキャベツに向けて農薬を撒いているのだ。今日もまた日が暮れようとしている。

(2)
いつしか私は、立ち上がろうとする祖父が何を呟いているのか知りたくなった。思えば思うほど、どうしても気にかかる。キャベツ畑に夜が訪れて、農夫達がみんな居なくなってしまっても、私はそれだけを考えていた。そんな調子だから、誰とも分からない三人と、一つのキャベツを囲んでババ抜きをしている自分に気付いたころには、三つのうちのどの顔をも見上げることが出来なくなってしまった。目のやり場に困って、中心に鎮座するキャベツばかりを見つめていた気がする。そうしてババ抜きはいつまでも続き、私は、決してババを引かなかったが、一つも数字は揃わなかった。誰もがカードを捨てられないし、きっとババだって引いていない。カードのこすれる音だけが辺りに響いている。結局、思い出したことと言えば、祖父がいつも砂埃を気にしていたということだけだった。

(3)
明け方、ひんやりとした土壌に仰向けになっていると、厚い曇り空から数匹の鳥が落ちてくるのに気が付く。コマドリにスズメ。ハト。オームやキュウカンチョウなんかまでいる。鳥達は一つのきれいな円を描くように地面に落ちていた。私は何食わぬ顔で一羽また一羽と土の中に埋め、近くのものからちぎったキャベツの葉をその上にかぶせていった。そして最後の一枚を土にかぶせ終えたとき、空からはまた何かが落ちてきた。目を凝らしてみるとそれは、ハンドリウムの折れ曲がった車椅子で、祖父が使っていたものと似ていた。いや、恐らく同じものだろう。と、そう思うが早いか。「さあおいで。飴玉をやろう。」そんな声が、私よりもずっと近いところからあふれてきた。同じようにあふれてしまいそうな数の飴玉を両手に抱えながら、今度は私が何処かに向かって落下している。飴玉は幾つも、幾つも、空中に氾濫していくものの、決して掌から尽きることはなかった。横手にはさっきまでいたはずのキャベツ畑が延延と広がっており。私に頭を向けるかたちで農夫が農薬を撒いている。何人も何人も。ひたすら農薬を撒いている。農夫は見えなくなり。また現れる。キャベツ畑は延延と続き。農夫も。続き。ババ抜きだって。終わらず。不意に一人の農夫が飴玉を拾って空を仰げば、いよいよ私だけが見えなくなる。