選出作品

作品 - 20070414_686_1999p

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夜ヲ泳グ。

  紅魚


【序幕:東ヘ向カウ】
呼ばれた気がしたから
振り返る、
ソラミミ。
カイヅカイブキのうねるような影に怯えて、
足が竦んでしまったのです。
バスの接近知らせるランプが、
少女を酷く不安にする橙色の点滅で急かすから、
彼女は、
揺られる眠りを諦めてしまった。
東向き、
ふらりのお散歩。
背中の空が紅い、なら、
振り返ったかも知れない。
助けて、
と、
呟けたかも、知れない。
けれど刻限は、手遅れ。
いくら睨んだところで、
烏は隠れてしまった。

【第一幕:星ヲ呼ブ】
青い、青い、
星座の夜です。
水瓶の少年。
あふれる水に魚は泳ぎ、
魚尾の山羊が葦笛を吹く。
天馬の羽ばたきに不思議の星は揺れて、
金の羊は、雨季に溺れる。
(あ、あ、おぼれて、しまう、よ)
囁きは海風に散って、
少女は、さみし、かなし、と俯く。

南の夜空に手を伸ばして、
掴む仕草。

(あれ。あのほしが、ほしいの)

彼女には空が高すぎて、
両脚揃えて少し跳ねてみたり、する。

(でねぶ・かいとす。くじらのしっぽ、)

光、包んだつもりの両手、
大切に、胸許。
尻尾掴んで引き寄せたら、くじら、降りてくるのじゃないかしら、と、
幼い空想に少し楽しくなって、
少女は、ふ、ふ、と笑ってしまう。

進路、変更。
くじらを追って、
南へ。南、へ。

【第二幕:星ノ弔イ】
金木犀の垣根、延々。
むせ返る馨に酔って少女はしゃがみ込んで。
あ、あ、の声。
足許、一面、
花、花
花。
(きんもくせいって、あきのそらのみずにおぼれた、ほしの、しがい。たくさんたくさん、ふる、のね)
指先、馨染めながら、
一つ、また一つ、
拾い集めて、ハンカチに包む。
(ねぇ、あたし、ないて、あげても、いいんだよ、)

仮装の子らがゆきます。
ゆらゆらとランタンを下げてゆきます。
楽しげな声、声。
(おかしなんか、いらないわ、いたずらが、したい。あぁ、ちがう、ちがう。そう、あれはきっと、そうれつ、なのです。)
光まとう電波塔へ向けて、子供らはゆきます。
ゆらゆらと、ぼわぼわとゆきます。
後をゆきながら、少女は、
集めた花をぱらぱらと散らす。
踏みつぶして、歩く。
散華。
星の、埋葬。

【第三幕:夢ノ月ノ水】
月。
半分より少し大きい。
(あれはきっと、きみにあげたぶん、ね、)
泳ぎ疲れた少女は、
車窓から、ぼぉやりと見上げている。
きっと、あの水気を含んだ象牙色は、
口にすれば蜂蜜の味なのだと信じている。
いつしか、微睡み。
(みちたこれは、やさしいやさしい、つきのみず、かしら、つつむみたいな、こえ、が、)
柔らかな声を、夢に聞いて眠る、とろり、とろり。
あんまり夢が幸せだから、
終点告げる声まで、
彼女はいったりきたり、
ゆらり、由良、由良。

窓の外、
海も、眠っています。
粘性のとぷりの底に、
哀しい魚を閉じ込めた海。
濁った水の底にも、
と、いつだったか、彼女に呟かせた、海、です。
水面のぎらぎらを見たくないから、
少女は、醒めても目を開けません。
睫毛を微かに震わせながら、
額を窓につけている。
振動が優しく頭を揺さぶるので、
そのまま、また、
とろとろと眠りに落ちてしまうのです。

【終幕:夜満タス燿】
雲の白。
いつの間にかふるふると。
雨は降らせない雲です。
流れながら淡く光る、
夜空の水母。
月と、遊んでいます。
少女は細く、細く、歌を唄いながら、
眠たい顔。
さみしくなって
わ、と走ってみたり、
不意に立ち止まって、
月に手を振ったりしている。
ブランコに乗りに行こうか、と考えたり、
こんぺい糖を、しゃりり、とかじったりする。

握り締めた手の内に、
やがて、鼓動。
夢に聞いた柔い声を思い出して、
嬉しくなって。
ふわ・り
少女、は、微笑む。
(おかえり、なさい。おかえり、)
淡い発光に夜道を透かして、
ゆっくりと家路を辿り始めます。
お散歩はおしまい。
この上なく優しい、夜の、始まりです。