その日だけはなぜか、いつも通いなれた道が、遠い昔、記憶の片隅にある道と重なっていた。その道は、いつどこで、ぼくが通過したものなのかは全く分からなかった。今、ぼくが歩いているのは、巨大な四車線バイパスの上。連続する自動車の風景は、やがてぼくたちから、愛する人の顔までも奪っていくのだろう。天気は快晴だと言うのに、上空を走る高速道路のせいで陽は射して来ない。隣には母子が手を繋いで信号待ちをしている。母子の視線は、ただ一直線に信号だけに向けられ、これから訪れるほんの一瞬のためだけに、時間が過ぎていく。信号が変ったからと言って、何かが始まるわけでも、また、何かが終るわけでもなかった。
/シャッターが閉じられた商店街のある街。雪は風流だなどと言って強がることはだれもしない街。ぼくが生まれた街。ぼくたちは毎日それなりに幸せに暮らしていた。一家の主が不在であることの不安や、さみしさなどは口にしたことも、感じたこともなかった。保育園に最後まで取り残された日も、母がやってくる一瞬を疑うことなどなかった。だから、いつまでもいつまでも、ひとり楽しそうに積み木を積み上げ続けていた。積み木はいつか、一瞬のうちに崩れてしまうことを知っていたはずなのに。
古ぼけた積み木
塗料は剥がれ落ち
たくさんの子どもたちの
歯形と一緒に
愛しているものや
愛してくれるものが
くっきりと刻まれていたり
染みこんでいたりする/
信号が変ると、ぼくたちの風景が徐々に色づいていく。それまでは目にも止めていなかった。道端の雑草が風になびいている姿に今更気がつく。気がついた途端に、後ろからやってきた誰かに雑草が踏み潰される。愛する人の顔も思い出せなくなる。あの時は二四時間忘れたこともなかった顔。/子どもたちは、大人になるために、手を繋ぐ。一度繋いだ手は絶対に離してはいけない。離した瞬間から、ぼくたちはもう、永遠に大人にはなれない。何度抱きしめても、何度抱きしめても、後悔は拭えない。/母子は人ごみに紛れて、ぼくの視界からは消えてしまった。これでよかったのだと、なぜか安堵する。記憶の片隅、ある道は思い出せないが、ぼくはその道でずっと追いかけていた。訪れることのない一瞬。幼い頃の父との思い出。弟が簡単に手に入れたもの。一度繋いだ手は絶対に離してはいけない?
/ぼくたちごく自然に
抱き締め合っている
あなたはぼくを愛しているし
ぼくもあなたを愛しているんだ
あなたの代わりに
買い与えられた
ものたち全部
明日には捨てに行こう
ゴミ捨て場まで
そんなに遠くないけれど
手を繋いでいこう
あなたの手はやっぱり
暖かくって大きいのかな
それから それから
/それから、夢が覚めるとやっぱりいつもひとりだった。ぼくには何かが欠けているってずっと思ってきた。欠けているものが何なのか、知っていたけれど知らないふり。ぼくは強がりだから。でも、ほんとうは、手を繋いで欲しい、抱き締めて欲しい。ちょっと恥ずかしそうに、「あいしてるよ、あいしてるよ」って言って欲しい。ぼくはいつまでも、その一瞬をこの道の上で待っている。
選出作品
作品 - 20070321_101_1945p
- [優] このみちが一瞬でみちていたなら - 葛西佑也 (2007-03) ~ ☆
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このみちが一瞬でみちていたなら
葛西佑也