[この街をいだく海流の下では、いくつもの金属片が、かさなりあって音をたてていた。その音は谷間を貫く巨大な高架の防音壁にあたり、また海に帰ってゆく。夕方、銀色に光る通勤電車が長いトンネルを抜けてこの街に着き、無人のプラットホームに停車する。白くかわいた新造住宅街の部屋の奥で、街の住人はもう何年も眠りつづけている]
男はもう10年も、午後の日がさす部屋で暮らしていた。夕方4時になると、団地のスクールバスの音で目を覚ます。ベッドから起き上がると彼はコンピュータの電源を入れる。ファンの音がやみ、黒いスクリーンに文字が入力されるのを見つめる。遠くの部屋でなにかが壁にあたる。コップの水面が少し揺れる。インターネット掲示板にはたくさんの書きこみがあった。男は頬をゆるめたり顔をしかめたりしながらキーボードを叩いている。紙パックのコーヒーを飲み終え、握りつぶすと午後5時だった。キーをポケットにいれ、階段をくだる。原付自転車が団地の平坦な区画を出て坂道をのぼってゆく。男はフルフェイスに風を受けながら、口のなかが乾いているのを感じていた。
街の南にある埠頭は風が強かった。フルフェイスを脱ぎ、岸壁の上に置いた。コンクリートの灰色が街と海のあいだに真っ直ぐな線をひいている。遠くで作業服の男たちがいくつものパーセルをコンテナに積みかえている。長方形のものから小さな円筒形まで、荷物にはたくさんの種類があった。水平線の、貨物船が停まっているあたりから、金属のぶつかり合う音が断続的に聞こえている。海の底では金属片が重なりあって音をたてているのだ、とむかし図書館で借りた本で読んだことがある。キーをまわして原付自転車を発進させる。カーブした坂の下の、薄く靄がかかったあたりに、新造団地の群が見えている。灰色がかったスクリーンのなかで、A号棟の丸い非常灯が赤い焦点をにじませている。
[街の南にある埠頭では、作業服の男たちがいくつものパーセルをコンテナに積みかえていった。ラベルは擦り切れていて読めなかったが、荷物の中身にはたくさんの種類があった。たとえば、両親の帰らない部屋で泣いている女の子の手に抱かれた人形。壊滅した首都の市場で水たまりに落ちたサンダルや、遠い砂漠の採油場で、鉄製の梯子を動いてゆく蟻のような人影。岸壁では金属片のかさなる音が潮をふくんだ空気をふるわせている]
男の家族がこの街に引っ越したとき、彼は幼稚園に入る年だった。白くまっさらな部屋にいくつものダンボールが運び込まれ、父は日なたのベランダでタバコを吸っている。窓の下には小さな時計塔がたっていて、そのむこうには同じ形の建物が海のようにどこまでもつづいていた。ある秋の夕方、母は不機嫌で、幼稚園のスクールバスを降りたあと、団地の部屋につくまで一言も口をきこうとしなかった。重いスチールの扉を閉めると、母は、粘りつくような視線で彼を見た。次の瞬間、買ったばかりの立体模型がキッチンテーブルの上からすべり落ち、灰色のビルディングや、ガソリンスタンドの看板がフローリングの床に飛び散っていた。彼の網膜にはいくつものカレイドスコープが増殖し、そのひとつひとつには綿密な住宅計画のパターンが転写されていた。
[団地の窓から見える時計塔が午後4時を指すと、スクールバスが到着して園児たちが母親と手をつなぎ、家に帰ってゆく。そのなかに30年前の男の姿があった。黄色い帽子をかぶり、母親の手をにぎりながらA号棟の暗いエントランスに吸いこまれてゆく。窓に灯が点ると、空が暗くなりはじめる。新造住宅地の日々は、油膜のはったアルミホイルやレンジでミルクが温まる匂いが、薄闇で目をとじる人々の呼吸を明け方までつつみこんでいる]
男はキーボードを叩いていた。掲示板を開いてメッセージが入力されるのを見つめる。口の渇きはとまらない。コップの水を口にふくむ。青い光を発するブラウン管。画面のあちこちに表示された住宅計画。メカニカルに増えてゆくフロアプランを遠くまで歩いた。A号棟からB号棟へ。同じ形の建物がつづく。男は街を見下ろす坂の上にいた。踏切、信号機、ガソリンスタンド。港湾、貨物船、コンテナ倉庫。街の上空には薄い雲がかぶさっている。その雲のしたでは、いくつもの透きとおった人影が蒸留されているのが見える。次の瞬間、男は午後の日が射す部屋にいた。右手に感触があり、見ると原付自転車の鍵をにぎっていた。顔をあげると、テーブルの上には旧式のデジタル時計がのっていて、時刻は午後4時を過ぎていた。
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『住宅計画』 2006/8
選出作品
作品 - 20061129_680_1677p
- [優] 住宅計画 - コントラ (2006-11)
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