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作品 - 20060202_593_944p

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海の風景

  前田ふむふむ

海の風景

律動している自然の怒りを蔽う、薄皮で出来ている海の形象を、剥いで、赤裸々な実像を曝け出せば、煮えたぎる本質が、渇きの水を、欲して、知恵の回廊で語りかけるが、気づくものはいない。
風でさえ、空でさえ、ひかりでさえ。
誰も海の全貌を捕らえぬ儘、海の始めの半分は血まみれの海の意識を、世界の意識の外で隠している。
おぞましい生身の顔を見たものはいない。
海のあとの半分は痛みを持つ季節で成り立つ。
自然の美しき生と死との葛藤を、展開して、一度、海の眼の黒点に、集約されてから、いっせいに解き放たれた、
現在という海の景色。
その細胞を塩の臭いの濃い窓辺で老婆が、眺めている。
沖から一隻の船が戻ってくる。
老婆の人生の苦悩で痛んだ血管の中へ。

島に向かって歩く海鳥の夕暮れは、
欠落した空の形状を立ち上げて、浮かぶ船のほさきに、
繰り返しながら、港をつくる波は 
凪いだ水平線を飲み込んでゆく。
昇天する午後は 冷たい唇を海風に浸して、
錆付いた窓の中を抱擁する。
放浪する時間が海の濃厚な音律の中で、泳ぎだして、
黄色いひかりの、結晶体を産み出す。
そのひかりを浴びた老婆の住む海の家のドアノブに、
少年の手はいつまでも固定されている。
甲高い声をあげて、引き綱を船に乗せる、少年の背中を夕陽が照らして、細かく金色を撒き散らす。
遥か海の形相の上を、波に揉まれている色濃い魚影が、生臭い風に乗って、少年の腕の周りを勢い良く叩く。
期待に満ちた漁師たちの熱気が、船のいろどりを艶やかにする空隙を、勇ましい汽笛が埋める。次々と港を離れる船。また船。荒れ狂う戦場に向かう儀式か。
妻や家族たちが手を振り見送る。微笑ましい笑顔と不安。
見送る者のこころに闇が蠢く。

海に灯りが点滅すると、月が煌々とする海辺では、色彩を攪拌して黒くする瞑想の風景が、渇き出す抽象を燃やして、潮の香りを充たしている、ひかりが切断して裂けたベッドは、老婆の棲家を取り返す。
波の静けさが醒めた音を鳴らして、町並みを蔽い、細微な事柄を夜の卵の殻の中に仕舞い込み、
地上から封印してゆく。
夜は闇の手助けを受けて、海を波の上から、
少しずつ固めてゆく。
音だけが空に融けている。

文学極道

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