選出作品

作品 - 20051128_551_781p

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Paradox

  鷲聖

携帯ラジオのチャンネルがようやく止まる
最新チャートでもなんでも無い
70年代ボサノヴァ(パリ収録)で
軍帽で叩き合う歓喜とは
旧式のジープにこの悪路は乗り心地は好くない
殴打の雨に追いつかないワイパーに
煙草が進む彼奴だ
ただの周回だ、気楽にいこうと
俺か走行メータ横に並んだ恋人のポラロイドに云った
雨の日のデートは最悪だわよとわざと高いトーンで返しマガジンをチェックする俺に
軍帽を投げてよこす
煙草の吸いすぎたと云って投げ返し
そんな退屈凌ぎとボサノヴァ
けどフロントガラスが真っ白になったのは雨のせいじゃない
ハンドルまで頭を伏せて彼奴はアクセルを踏み込む
撃たれたと叫んだ彼奴の耳が無い
俺は背中からダッシュボード下まで体勢をずり落とし
大音量のボサノヴァを流しっ放しで
無線を入れる
交信事務の女はこの銃撃なんかまるで夢の向こうのようにクソ落ち着いた様子で応答する
座席が蜂の巣になってクッションとガラス片がバラバラ降り
車を停めろと俺は叫んだが彼奴は糞野郎と怒鳴るばかりだ
ボサノヴァ
タイヤを撃たれたらしい
もう悪路の揺れじゃない
ダメだ車を停めろ
彼奴の横っ腹を何度も殴った
冷静な女が車両ナンバーと現在位置を報告せよと繰り返す
いいから停めろ
急ブレーキの反動でしこたま頭を振られたが
ドアから身を投げ泥水に浸かり目が醒める
抱えた銃を軸に道路脇まで転がった
現在位置を報告せよ
彼奴は朝食を膝に吐いてようやく正気と無線を握って話しているのを聞いたが
すぐ傍を通弾する女の悲鳴のような音で鼓膜がおかしくなる
敵の姿は確認できないが
おそらくジープの左後方からすぐそこまで追ってきている
まだしきりにジープの装甲を撃っている様子を見るとこの雨もまんざらじゃないそれとも
身を伏せるには不安げな道路脇の茂みから
彼奴に早く降りろと合図する
ハンドルに頭をつけたまま無線口に向かって彼奴は俺なんか見ずに何か繰り返し叫んでいる
ボサノヴァのメロディが判る程に復調し
いいから降りろ
ジープ一機にこのやりクチじゃ相手は民間義勇兵か自棄になった野兵だ
燃料タンクにでもぶち込まれたら終いだ
殴打の雨に混じる装甲を叩く銃音と
彼奴の叫ぶ声と
ボサノヴァは
………は終わらないのか!
まだ戦争は………のか!
クニに帰らせてくれ頼む!!
爆炎が車を包む
ボサノヴァが止まり
俺は雨の中
大学時代のニックネームで
彼奴の名を
一度きりだけ呼んだ