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鷲聖

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


EXILE

  鷲聖

 
 
表質の剥がれ落ちた壁の
白いチョークで書かれた途方も無く長い数式を
最後まで追ってゆけば
避暑地だった
木漏れ日に白んだ先は
雨あがりの木立を天蓋にした道で
俺は落ち葉の絨毯を蹴りながら
いっそうに香りを吸った
うねるような道々をどこまでも往けば
獣が何度も横切り
不思議そうに鼻唄の俺を見つめてはまた消えた
幸福とは退屈もするもんさ
靴底の減らない詩人はソンネを作らないという唄を作っては
大欠伸と同時にバタリと女と出くわせて
互いに歩を弛めた
俺は煙草を挟んだほうの手を挙げて
ヤァと声をかけたんだが
それが不味かったらしく
女はキュッと唇を締めて立ち止まる
困った俺は用も無いのに頭を掻いて背後を振り返ったりなんだり仕舞いにはその気も無しに道の先を訊ねた始末
海があるよ、と大人びた美貌とは裏腹に幼い調子で喋った女だ
ハラハラと舞い散りる葉が
あまりにその白い肌に光陰を引くので
俺は素っ気ない礼を述べ
吐いた煙に目を逸らしながらその場を辞したのに
女は付いてきていた
あんた行き先が逆だろうにと振り向きもせず告げれば
俺を追い抜いてみせて
陽だまり浴びる金色の髪を揺らした
甘い香りが微かに届き
胸の奥で
獰猛な沈黙が
落ち葉を蹴りあげては
ふたりが笑いながらそこをくぐり
掌を湿った幹に押しつけ
蜥蜴が肌をゆったり来たり
一滴の星が
首筋から
はるか
草の上に落ち
喘ぐ
獣が瞬きをする
指と指とは糸を引いて
知らない
知らないと
真っ赤な舌が
葉脈を舐め
どこかでパキリと枯れ枝が爆ぜては
汗ばみ
四つん這いに走る
食い込んだ爪に
歯軋った
露が飛散した
慟哭
俺は眉一つ動かさずに女の目を
一度だけ見たなら
心を合わせないよう伏し目にすぐさま通り過ぎた
しかしまた追い抜こうと企てたなら
女の腕を乱暴に掴んだ
驚いて見開かれた
瞳の色が
真っ青な空と雲間を映している
その無垢に哀れみをかけ
前髪を浚って額に気の無い口づけをしたのなら
女はなんという恍惚な顔をしたのだ
俺は掴んだ腕を離さなかった
静かな吐息が
はっきり聞こえたような錯覚
風が吹いた
ざわりと
森が泣いた
どういうわけか
簡単なほど
女はスルリと束縛から逃れていて
次の曲がり角に立っている
追いつけば
女が優しく指さした先には
水平線
ほら
ほら

笑うので
俺はどうしようもなく笑った
それから
手を繋いだ
煙草を持つ手を逆にして
慣れないまま
やがて鬱蒼とした樹海から
ひらけた高原へ
そこから海を見た
無数の光の破片でできている
海を見た
藻掻くように
草原は靡いていて
そこを二人は駆けた
苦しく悲しかったはずなのに
転ぶほどに駆けてゆく
疲れてしまえば
草臥して
鳥がゆくのを見ているばかり
時間を忘れた頃
俺は女に罪を告白した
空は次第に紅くなり
女は肯いた
知らない場所で断崖に波濤がぶつかる
その音を聴いたような気がしたが
さらさらと草が擦れているだけなのだ
秘密を囁くからと云って女が俺に近づいたのを
宵の星が見ていた
胸を裂いて
凡ての生命がじっと夜を祈った
呼吸だけになり
ほどけた
一枚の絵のような綻びのない湖面に
波紋が落ちた
抱き合ったまま
思い耽っている
どこまでも果てのないものについて
すこし眠り
俺たちはまだ長い夢から醒めないまま
波打ち際まで歩き着き
裸足になり
夜の砂の冷たさにありもしない悲しみを描いたりしたが
それはすぐに波に浚われてゆく
疲れたわ
眠たくなったわ
と女が笑うと
俺はフッと
あの途方も無く長い数式を思い出す
顎に当てかけた手を女は取って自分の頬に当てがい
忘れてよ
と告げたその表情は
月明かりを背にしていた
当てがわれた手に熱い雫が当たる
それは
囁きかけた秘密
俺はそっと放すとまた歩きだそうとして
どこ往くの
と悲鳴のように云った女の手を牽いてゆく
薄明へ
 
 


8番

  鷲聖

待ち合わせのプールバーで
虚仮威しのような酒を呑みながら
待つ
肩のタトゥが隠れるほどドレッドを垂らした店番は注文以外の話をしない
一時間遅れであいつが雨に濡れて来る
途中、傘がぶつかったなんだと駅前で難癖をつけられたと切り出す
傘を捨ててきたことはどうでもいいんだ
あいつはビリヤード台と自分の腰で見知らぬ女を挟みレクチュアーを始める
耳元で軽率な契約とユーモアを囁いてるのかもしれない
彼女はくすぐったそうに笑う
俺はいい加減に呑みすぎていて
適当なキューをひっこ抜くと
勝手にエイトボールを始めた
あいつは端正に微笑むと俺でも女にでもなく云い放った
この女を賭けようか
洗練された高尚な暇潰しだ
ダブルクッション
緻密に計算されたゲームとあいつの横顔を交互に見比べた女
勝利を確信した様子で
あと数時間後の情事に思いを馳せながらグラスを合わせるふたり
俺は反対側で強い酒を干しながら出番を待つ
あっと云う間だ
あいつは8番を落とすポケットを宣言する
そしておそらくミスを犯すだろう
あいつの背後に立つ女が
無精髭の俺を見下した瞳で射た
迷い無く玉を弾いた音
8番は落ちない
あいつは女のほうを見ずにグラスを空けた
俺は打ち方を構えると云った
おまえ、別にその女が欲しかったわけじゃなかったろ
じゃあおまえはどうなんだ
無言の8番が落ちたとき
あの女はとっくに居なくなっていた
あいつはまた別な女に話しかけている
俺は雨が上がったら帰ろうと云った


シャクティ

  鷲聖

窓辺に向かう途中で
おまえが無意識に触れた鍵盤の音が
いつまでも
雷光に確かめたシルエットは
後ろ姿だったか
それとも
どうでも良かったんだが
俺も雷鳴の唸りに併せ
華奢な肩ごしまで歩を詰める
硝子を伝う雨
ここが何階か忘れたが
眼下のネオンが滲むだけの光景
べつにムードは無い
それより
思いでばかりが
心をよぎる
失ってきたものばかりが
伝う
だから俺は
髪を掬おうとして
気づかない横顔に戸惑う
このひどい雨に
出掛けようかと切り出した言葉の憂い
なんて静かに
懐に抱きついてみせたおまえに
また戸惑い
どうして思いでばかりが
伝う
温もりを確かめ合わなければ
どうにかなりそうなのかもしれない
こんな時
この滲む向こう側を支配したようにしか
おまえを愛せないことが悲しいと
云えない
耳元に寄せた唇は
囁かない吐息
目を瞑るとあの音階が
まだ
続いている
ふと
記憶のなかで
喧噪のように渦巻いていた轟音が
潮騒かもしれない
と思った
激痛が引いたような穏やかさが満ち
おまえのからだを
いま確かに
抱いていた
やさしく引き離した
おまえの蒼白の美貌に
硝子の伝う雨が投影している


滑走

  鷲聖

爪先立ち
真冬の星座を探す類いのもの
洗礼名の入った
コートのジッパーに触れた衝動
冷たい鼻先で互いに確認したあと
もう一度
雪明かる雪原には
小さな獣の足跡が丘陵の向こうまで
追いかけようか
冗談だろ
さんざん雪つぶてをぶつけた俺の背中を払って
厚手のコートじゃうまく腕が組めない
息があがり
笑う
無言の樹氷に星が架かるのを見つければ木陰の迷宮で
繋いだ手の円周を往くおまえに
白い息のヴェールが掛かっている
とりとめなく話していた明日より先に
途切れてしまった言葉が
中空でダイヤモンドダスト
後方の闇に煌めきながら消えていった
幻惑
繋いだ手を放してしまう
雪に倒れたおまえが投げた雪玉に
我に返り
困ってしまう
獣が遠くから
引き起こそうとして逆に引き倒される姿を見ている
そのとき
星が戦慄いたことは誰も知らない


Paradox

  鷲聖

携帯ラジオのチャンネルがようやく止まる
最新チャートでもなんでも無い
70年代ボサノヴァ(パリ収録)で
軍帽で叩き合う歓喜とは
旧式のジープにこの悪路は乗り心地は好くない
殴打の雨に追いつかないワイパーに
煙草が進む彼奴だ
ただの周回だ、気楽にいこうと
俺か走行メータ横に並んだ恋人のポラロイドに云った
雨の日のデートは最悪だわよとわざと高いトーンで返しマガジンをチェックする俺に
軍帽を投げてよこす
煙草の吸いすぎたと云って投げ返し
そんな退屈凌ぎとボサノヴァ
けどフロントガラスが真っ白になったのは雨のせいじゃない
ハンドルまで頭を伏せて彼奴はアクセルを踏み込む
撃たれたと叫んだ彼奴の耳が無い
俺は背中からダッシュボード下まで体勢をずり落とし
大音量のボサノヴァを流しっ放しで
無線を入れる
交信事務の女はこの銃撃なんかまるで夢の向こうのようにクソ落ち着いた様子で応答する
座席が蜂の巣になってクッションとガラス片がバラバラ降り
車を停めろと俺は叫んだが彼奴は糞野郎と怒鳴るばかりだ
ボサノヴァ
タイヤを撃たれたらしい
もう悪路の揺れじゃない
ダメだ車を停めろ
彼奴の横っ腹を何度も殴った
冷静な女が車両ナンバーと現在位置を報告せよと繰り返す
いいから停めろ
急ブレーキの反動でしこたま頭を振られたが
ドアから身を投げ泥水に浸かり目が醒める
抱えた銃を軸に道路脇まで転がった
現在位置を報告せよ
彼奴は朝食を膝に吐いてようやく正気と無線を握って話しているのを聞いたが
すぐ傍を通弾する女の悲鳴のような音で鼓膜がおかしくなる
敵の姿は確認できないが
おそらくジープの左後方からすぐそこまで追ってきている
まだしきりにジープの装甲を撃っている様子を見るとこの雨もまんざらじゃないそれとも
身を伏せるには不安げな道路脇の茂みから
彼奴に早く降りろと合図する
ハンドルに頭をつけたまま無線口に向かって彼奴は俺なんか見ずに何か繰り返し叫んでいる
ボサノヴァのメロディが判る程に復調し
いいから降りろ
ジープ一機にこのやりクチじゃ相手は民間義勇兵か自棄になった野兵だ
燃料タンクにでもぶち込まれたら終いだ
殴打の雨に混じる装甲を叩く銃音と
彼奴の叫ぶ声と
ボサノヴァは
………は終わらないのか!
まだ戦争は………のか!
クニに帰らせてくれ頼む!!
爆炎が車を包む
ボサノヴァが止まり
俺は雨の中
大学時代のニックネームで
彼奴の名を
一度きりだけ呼んだ

文学極道

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