選出作品

作品 - 20050914_928_516p

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八月三十一日

  月見里司

珍しく定時に上がれる嬉しさに軽い虚脱感を感じながら冷房の効いた会社を出る
迎えるのは夕方の熱気
残暑と表現するにはまだ残酷な気温、湿度
黒ずんだ街路樹には蝉が大量に止まっている
かれらは声を上げ続け
交通量の多い国道は場違いな蝉時雨で埋め尽くされる

もう夕方と言っていい時間帯だが子供の姿はあまりない
少し考え 今日で八月が終わることに気付く
ランドセルを背負った子供が
一心不乱に塾の宿題を片付ける下り電車

駅からアパートまでは歩くことにした
日は 夏至の頃よりももう 大分短い
数本しか立っていない街燈が
ジジ、と耳障りに鳴って頼りない光を灯しはじめる
前を行く女性が避けていった蝉の亡骸を道の脇に移して

長く薄暗い
緩やかな下り坂を
ゆっくりと
取り戻すように
懐かしむように
歩む

降りてゆく

風通しの悪いアパートの中
すこしだけ濃い闇には まだ夏がまとわりついていた
電気は点けず 窓をしずかに開ける
生ぬるい夜気とともに 秋の虫の声が部屋にしみ込む

出ていない月の光に照らされ
蝉はずいぶん遠くで鳴いているのだろう