正直、高校を卒業した時の成績はよくなかった
偏差値にして40前後
空を飛ぶ試験にうかるには絶望的な数字
なにしろそのころ
空を飛ぶための試験を通過するには
偏差値にして60くらいの成績が必要だった
そこそこの数字だ 今と変わらず倍率も高い 当然か
当時、楽観主義者だった僕はあたって砕けろで試験を受けて
見事粉砕して1年間勉強をしなおすことになったわけだ
もっとも楽観主義者なのは今も変わらないけれど
高校のころうんざりするほどやった基礎公式
(50kgの人間が30cm空中に浮くのに位置エネルギーがどうとか)
こむずかしい理論
(気候と飛行の関係)(酸素濃度の変化が人体に及ぼす影響)
などなどひととおり勉強した
おもえば
あの1年間は僕の人生の中で一番熱心に勉強した期間だったようにおもう
子供のころから空を飛ぶことに対するあこがれは人一倍もっていたし
飛べないよりは飛べるほうがいい、と単純に信じていたし
その甲斐あってなんとか試験には無事合格し
今では天気がよくて風レベルが3くらいまでの日だったらもんだいなく飛べる
たとえば今日のような日は格好の飛行日和だ
そろそろバイトの時間
僕は肩から鞄をさげて
玄関からふわりと飛びたつ
ある日、空があまりにもきれいだったのでふらふらと空中散歩していたら
向かいのラーメン屋(ほっとい亭)の主人が
やはりふらふらと空中散歩しているのを見かけた
ほっとい亭の主人は典型的な職人肌の人で声のでかい、豪快な人だ
空の飛び方もいくぶん乱暴で
買い物帰りの奥さんと空中衝突しそうになってはしょっちゅうけんかをしている
ほっとい亭の主人は空を飛ぶ試験を受けていないという
そのことを聞いたら主人は
「兄ちゃん、空を飛ぶのに学なんていらねぇ
こころってやつが自由だったらからだも自由だろ?
ま、頭が軽いからそのぶん飛びやすいってのもあるかもしんねーけどよ
がっはっは!」
なんて言って笑っていた とんでもない人だ
でも僕はそんな主人がなんとなくうらやましかった
「こんにちは きれいな夕日ですねぇ」
と声をかけたら
「おお 兄ちゃんか でっけぇ夕日だなぁ」
といつもの調子でかえしてきたので
二人ならんでふわふわしながら
地上で見るよりずっと近い夕日をうっとりとながめていた
夜はたまに夜景を見にゆく
しずかにしずかに夜空をただよう
星空が近い
まぁこのなんともいえない恍惚とした気分は
空を飛べる人ならだれにでもわかることだから
想像におまかせするとしよう
でも
空を飛べない人はこんなすばらしい気分を味わえないのだから
かわいそうだな
なんてちょっとおもったりもする
僕は彼女が空を飛んでいるところを見たことがない
彼女はいつもりんと胸をはって歩いている
「飛ばない」のか「飛べない」のか
でも単純なぼくは
飛べるのに「飛ばない」はずはないと勝手におもいこんでて
きっと彼女は飛べないのだろうとおもっていた
そんな僕が彼女と知り合ったのはつい最近のことで
僕が「君は飛べないの?」と聞いたら
彼女はまぶしそうに空を見上げながら
「さぁ どうかしら?
空から見たら歩いている私はとても不自由そうに見えるかもしれないけれど
わたしはいつも自由にこの空を飛んでいるのよ」と答えた
僕は彼女がなにを言っていたかいまいちよくわからなかったけれど
そんな彼女がとてもきれいに見えたので
最近はいつも空から彼女が歩いているのをぼーっとながめては
くるりくるりと宙返りをする
選出作品
作品 - 20050221_550_83p
- [佳] 自由をめぐる空想(第四稿) - ワタナベ (2005-02)
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自由をめぐる空想(第四稿)
ワタナベ