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ワタナベ

選出作品 (投稿日時順 / 全7作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


リハビリ

  ワタナベ

生きるということが腹の底に岩としてずしりといて
もう随分になります
その間にも
あやふやな記憶をたぐりよせ
ようやく原色で彩られた暑い夏へたどりついたころに季節は秋めいて
高い空に母娘の晴れやかな笑顔を見たと思ったら
それは灰色の風に凍ってゆっくりと落下していきました
あいかわらず岩は岩としてゆらぎもしません
安易に死を望むこともありますが
私は臆病な人間ですので
痛く苦しいことを想像すると身の竦む思いで
ただただ老衰で穏やかに死んでいく様を夢想するばかりです
くしゃみを2度しました
目の前を銀色の背びれの魚がちかりとして泳いでゆきます
まとわりつくような海水の中です

ペンを置くと、嘘のように穏やかな気持ちになっている自分に気づい
た。しかし今まで薬の効いたためしはなかったし、それは朝の静謐な
空気がもたらしたものであったかもしれない、願わくば、書くという
行為によって苦しみが体の外に放り出されたのだと考えたかった、
それならばこれからだってなんとかやっていける。深い渓谷の底に
陽光が差し込む様を思い浮かべた、細い小川がきらめいている。
また、狭い川原のところどころに咲く白い花のことを思った。
どこからか吹く風に揺られて、触れると高い澄んだ音色がした。
目の前を銀色の背びれの魚が泳いでゆく、
でも私の体にまとわりついていた海水はどこかへいってしまい、
そのかわりにやわらかな風を感じた。
岩は依然として腹の底にあったけれど、不思議と重みを感じる
ことは無かった。
耳の奥で澄んだ音色がした
一時だけ糸はほぐれておもいおもいの風にふかれていた


つづら坂

  ワタナベ

つづら坂のてっぺんが赤く燃えて
曲がり角のそれぞれに暗がりが生まれる
それがくねくねと蛇のように眼下の町へ
影法師が一組
手前の角の煙草屋の暗がりからあらわれて
穏やかな夕日にそっと目を伏せると
そのまま背後のたそがれの中に溶けていった

煙草屋の軒先にうずくまった暗がりから
誰かが手招きしているような気がして
たずねてみると名前が欲しいと言う
それは私にとって
必要のないものに思われ
私は彼にくれてやった
すると今度は名前を呼ぶ声が欲しいという
私は彼に乞われるままに
次々に私を暗がりにくれてやった
彼は私に礼を言うと
やはり背後の夕日の中へ溶けていくのだった

やがてなんにもなくした私は
彼のいた煙草屋の軒先に腰をおろし
暗がりで
誰かが通り過ぎるのをじっと待っていた
時間はろ過されたように
一滴一滴ゆっくりと世界を染めて
頭上から群青が深まり
そして
暮れて
煙草屋の軒先にうずくまった影
だけが残って
静かだ

うずくまった影が
さっきまで心だった場所に
暮れていったつづら坂の情景を
焼き付けようとしている


自由をめぐる空想(第四稿)

  ワタナベ

正直、高校を卒業した時の成績はよくなかった
偏差値にして40前後
空を飛ぶ試験にうかるには絶望的な数字

なにしろそのころ
空を飛ぶための試験を通過するには
偏差値にして60くらいの成績が必要だった
そこそこの数字だ 今と変わらず倍率も高い 当然か

当時、楽観主義者だった僕はあたって砕けろで試験を受けて
見事粉砕して1年間勉強をしなおすことになったわけだ
もっとも楽観主義者なのは今も変わらないけれど

高校のころうんざりするほどやった基礎公式
(50kgの人間が30cm空中に浮くのに位置エネルギーがどうとか)
こむずかしい理論
(気候と飛行の関係)(酸素濃度の変化が人体に及ぼす影響)
などなどひととおり勉強した

おもえば
あの1年間は僕の人生の中で一番熱心に勉強した期間だったようにおもう
子供のころから空を飛ぶことに対するあこがれは人一倍もっていたし
飛べないよりは飛べるほうがいい、と単純に信じていたし

その甲斐あってなんとか試験には無事合格し
今では天気がよくて風レベルが3くらいまでの日だったらもんだいなく飛べる

たとえば今日のような日は格好の飛行日和だ
そろそろバイトの時間
僕は肩から鞄をさげて
玄関からふわりと飛びたつ


ある日、空があまりにもきれいだったのでふらふらと空中散歩していたら
向かいのラーメン屋(ほっとい亭)の主人が
やはりふらふらと空中散歩しているのを見かけた
ほっとい亭の主人は典型的な職人肌の人で声のでかい、豪快な人だ
空の飛び方もいくぶん乱暴で
買い物帰りの奥さんと空中衝突しそうになってはしょっちゅうけんかをしている

ほっとい亭の主人は空を飛ぶ試験を受けていないという
そのことを聞いたら主人は
「兄ちゃん、空を飛ぶのに学なんていらねぇ
こころってやつが自由だったらからだも自由だろ?
ま、頭が軽いからそのぶん飛びやすいってのもあるかもしんねーけどよ
がっはっは!」
なんて言って笑っていた とんでもない人だ
でも僕はそんな主人がなんとなくうらやましかった

「こんにちは きれいな夕日ですねぇ」
と声をかけたら
「おお 兄ちゃんか でっけぇ夕日だなぁ」
といつもの調子でかえしてきたので
二人ならんでふわふわしながら
地上で見るよりずっと近い夕日をうっとりとながめていた


夜はたまに夜景を見にゆく
しずかにしずかに夜空をただよう
星空が近い
まぁこのなんともいえない恍惚とした気分は
空を飛べる人ならだれにでもわかることだから
想像におまかせするとしよう

でも
空を飛べない人はこんなすばらしい気分を味わえないのだから
かわいそうだな
なんてちょっとおもったりもする


僕は彼女が空を飛んでいるところを見たことがない
彼女はいつもりんと胸をはって歩いている
「飛ばない」のか「飛べない」のか
でも単純なぼくは
飛べるのに「飛ばない」はずはないと勝手におもいこんでて
きっと彼女は飛べないのだろうとおもっていた

そんな僕が彼女と知り合ったのはつい最近のことで
僕が「君は飛べないの?」と聞いたら
彼女はまぶしそうに空を見上げながら
「さぁ どうかしら?
空から見たら歩いている私はとても不自由そうに見えるかもしれないけれど
わたしはいつも自由にこの空を飛んでいるのよ」と答えた

僕は彼女がなにを言っていたかいまいちよくわからなかったけれど
そんな彼女がとてもきれいに見えたので
最近はいつも空から彼女が歩いているのをぼーっとながめては
くるりくるりと宙返りをする


リフレイン

  ワタナベ

リアシートの女が
もたれかかる窓には
人々の行き交う街の喧騒がうつり
それが音もなく流れてゆく
目を閉じても
ネオンの原色が
まぶたの裏に繰り返し焼きつく
鼓膜を揺らすウッドベースの心地よい重みが
全身にかかって
リアシートに埋もれる女

立ちこぎで坂道を登ってゆく
その頂上からはこぼれるほど青いそらが広がり
冬の余韻を残した風が全身をなで一息にとおりすぎる
最後に
ちからをこめてペダルを踏みつけると
そらよりも青いいちめんのいちめんの海
呼吸に合わせて
イヤホンから流れ込むウッドベースは心地よくはずむ
かすかな潮の香りが
深呼吸するたびに
大気に混じって入りこみ
指先からつま先まで満たされてゆく

古びたウッドベースの弦は無く
くりぬかれた黒いすきまを覗けば
かすれたアルファベットの文字と
たまった埃
ただ、そのままじっと目をこらしてご覧
暗い空洞に
節くれだった太い親指が見える
次にしわだらけの黒い手の甲
腕の筋肉が繊細に
そして大胆に動く
くたびれた椅子に座った大きな影が
上体を前後に揺らす度に
ウッドベースは心地よくはずみ
心臓をふるわせる低音が聴こえてくる

窓を流れる街の喧騒を忘れ
リアシートの女は眠りに落ち
うち寄せる潮騒の波間をただよう
弦の無い
古びたウッドベースの音


石榴

  ワタナベ

黒い布で顔を覆い隠した女が
まるみをおびた重いはらをかばいながら
前から、後ろから早足で通り過ぎる人々に
おびえるような足取りで市場を歩いている
ときおり女の腰のあたりにぶつかっては
”ベバフシードゥ”とはにかみながら謝って
走り去っていく少年の後姿は
女の顔にぽっかりとあいた二つの穴に入ることなく
(女は知っている、走り去った少年の行く先を、あの笑顔の上に塗られる影のことを)
女は石榴を一つ買い求め
市場をあとにした

夜中、病院の待合室で貧乏ゆすりをしている
どこにでもいるような青年の鼓膜を命の産声がふるわせた
青年はあわてて病室のドアを開け
どこにでもいるような母となった女の腕に抱かれる
どこにでもある希望におそるおそる手を伸ばした
(どこにでもあるということは、なんと素晴らしいことだろう!)
桃色のやわらかなほっぺた
これから迎えるすべての未来をつめこんだかのような
まるいはら
青年の親指ほどしかないちいさなちいさな手を見て
彼は泣いた
あたたかい涙が赤ん坊の額に
ぽつりぽつりとおちて
赤ん坊の体温が
母親の胸につたわって
彼女のこころはぬくもりで満ちたり
その両目から流れる涙にも気づかずにいた

(気づかないことを誰が責められるだろう)

部屋の片隅で
女はおびえるように出産した
伝わってくる確かなぬくもりに
哀しい笑みをうかべながら
今夜もいつものように
遠くからの轟音が机をかすかにゆらし
産まれてきた子のやわらかな背中を
部屋のくらがりが包み
そこに死がへばりついている気がして
女は涙もなく嗚咽する
ゆれる机の上にある石榴が
音もなく落下していった


数多のあなた(9稿

  ワタナベ

数多のあなたから
発信されることばに
わたしは固くまぶたを閉じる
それらを愛さないために

西側の、部屋
窓に切り取られた風景のなかで
遠く稜線がたそがれてゆく
そう
書いたときにはすでに
稜線は稜線ではなく
大学ノートの余白が
網膜に焼きつく

反転

退屈な授業中
いかにも古文という顔の好々爺が
文法についてのんびりと語っている
大学ノートの余白に
「アリス」と書く
「アリス」はみるみるうちに
空色の服と金色の髪をした小さな「アリス」になって
大学ノートの上を走り回る
アリスは背丈ほどもある僕のシャープペンを
両手でよいしょと持ち上げると
よろめきながら大学ノート全体に
四角い枠を描く
とたんに枠内は夕暮れに染まり
遠く稜線がたそがれてゆく
アリスはこちらを振り向き
シャープペンを軸にくるりと踊ると
手品のように消えた
大学ノートの余白には
「アリス」「稜線」の文字
間延びした声と
教室の外の青い空

だんだんよわく

真夜中の汀に
星々のまたたきが降りそそぎ
あわい波がうち寄せては
かなたへとかえってゆく
水平線から
ゆっくりと仰ぐ
とうめいな天球体の外側に
敷かれたレールと
さまざまに散りばめられた
みずがめや、わしや、こと
そして、白鳥座の傍を
列車が音もなく走ってゆく
それらに包まれた


砂浜に沿って走る国道の
街灯の下で見つめる
わたし
国道に車はなく
遠く影のように横たわる山際に見えなくなるまで
街灯が等間隔に並んでいる
わたしは
オレンジ色の明かりをたよりに
僕を包む天球体と
僕を描いて
そっと
ノートを閉じる

塞がれたまぶたに
遮断されたことばたち
わたしがすべてを愛する
それはなにも愛さないということ

そして
わたしはすこしずつ
目をひらく
あなたの一遍のことばが
そのイメージをたち現せ
まぶしく瞳にうつる


メッセージ(4稿

  ワタナベ

教室の扉をあけると机が整然とならんでいる
錆のこびりついたロッカー、同じような景色の描かれたいくつものデッサンが壁に貼られている。窓から俯瞰された線画、L字型の校舎と塀に囲まれたグラウンド、校舎は塀にむかって屈折し屈折部分は低く腹ばいになっている。その突端で塀は切れており、そこから鞄をたすきがけにした、学生服が入ってくる。塀から上だけは、すべて青く塗りつぶされている。
(どこからか耳の奥に響く声)
窓際の机に鞄を置き、窓枠に力をこめる、つまさきが少しだけ浮く、雲のない空。

校門に立っている、数メートル先には玄関があり、靴箱が並んでいる。レンガ造りの玄関の左手にはグラウンドが広がり、奥には三階建ての校舎が建っている。玄関をくぐり、靴を履き替え、廊下を進んでいく。下穿きが廊下をこする音が響く。突き当たりに階段があり、左には教室が並んでいる。

カルトンと画用紙、HBの鉛筆を、机に置いた鞄から取り出す、そして窓から外を眺める、空は青い、まず腹ばいになった校舎の屈折部分を描く、そして、塀に沿って線を引く、空間部分はグラウンドにする、校門が目に付く、アスファルトがちらりと見えている、鞄をたすきがけにした学生服をそこに配置する、塀から遠く街並みが見える、何も描かない。
空を見る、雲はない、すいこまれ、視界が青く溶けていく。
いつものチャイムが鳴る、画用紙に青い絵の具をしぼり出す、筆で塀から上を塗りつぶす。
(耳の奥に響く声)
並べられたデッサンの端っこに、画鋲で画用紙を貼り付ける。

突き当たりの階段を三階まで上がっていく、教室の扉を開ける。中を見回すと、机が整然とならんでいる。
(耳の奥に響く声)
教室の後ろの壁には、同じような景色の描かれたいくつものデッサンが貼られている。窓から俯瞰された景色、すべてのデッサンの上半分は青くぬりつぶされ、校門には鞄をたすきがけにした学生服が描かれている。いつものチャイムが鳴る、窓際の机に鞄を置き、窓枠に力をこめる、つまさきが少しだけ浮く、雲のない空。

校門に立っている、またぼくは校門に立っている、頭の中で響く声。ぼくの影がながく伸び、レンガ造りの玄関は夕日に照らされている。声がする、ぼくはぼくの校舎に入っていく、靴箱いっぱいに靴は並び、下穿きはない。靴のまま、校舎の中に入り、三階の教室を目指す、声がする、扉を開け、壁一面に貼り付けられたデッサンを剥ぎ取り、破り捨てる、声がする、頭の奥で響く。
画鋲がばらばらとふりそそぎ、手の甲をひっかき、数多にぼくの教室を反射し消えてゆく。ぼくは一心不乱にデッサンを剥ぎ取り破り捨てる。
鞄を投げ捨て、窓枠に力をこめた。
手の甲の傷に、しずくが、ぽつり、ぽつりと落ち、染みこんでゆくたび、遠く燃える空が、頭上からゆっくりと、とうめいな群青に染まり沈む。
ぼくは投げ捨てた鞄の中から、カルトンと画用紙、HBの鉛筆をとりだし、窓から見えるだけの街並み、ひとつひとつの家、ビルディングをできるだけ丁寧にデッサンし、それらの無数の窓からもれるささやかなひかりを、こまかく塗って、教室の後ろの壁に貼り付けた。
ぼくはしばらくそれを見つめて、階段を降り、靴箱の横を通り、玄関から外に出る、校門で学生服とすれ違う、振り向くと、暗闇の中で、学生服が呆然と立ちつくしている、校舎は見えない。
その足元には、一枚の画用紙がぼんやりとひかりを帯びている。
ひかりの中から、矮小なぼくのさまざまな声が聞こえてくる。
学生服は耳を塞いでうずくまり、頭のてっぺんからどんどんと画鋲になり、崩れ、画用紙の上に音をたててふりそそぎ、はねた先の暗闇に消えてゆく。
画用紙を拾う、そのあかりをたよりに、ぼくは歩き出す
あらたなもうひとつのひかりの中へ

文学極道

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