身代金が準備されたと犯人から電話があり、住所名前年齢職業全部を言わされた挙句、犯人は私にすっとんきょうな質問をした。君は葡萄の中身に興味があるかと訊かれ、私は事態が悪化するのを防ぐ為に、葡萄の中身には興味があると答えた。犯人はしばらく沈黙した後、死んでしまいそうな犬を飼っている話を始めたのだが、犬の名前と種類が明かされるまでに数十分も経過し、犯人は私の少しまごついた様子を察知したのか、電話は乱暴に切られた。階下からは妻のうわごとのような歌が聴こえ、春夏秋がちょうど半分になった頃、私は書き終えたばかりの小説を印刷した。紙に印刷された小説を私は何度も読み直したが、ひどく退屈な内容だったので、妻には読ませなかった。それ以来、妻は葡萄の中身を丁寧に櫂棒ですりつぶし、庭に植えられた観賞用の花々とともに食卓に添え、やはりうわごとのような歌を歌うようになった。特に例年よりも冷たい冬になると、その歌は私の耳には必ず聴こえてきた。書き終えたばかりの小説の冒頭には、それらのことが事細かく書かれているのだが、私の小説は誰にも読まれていなかった。眠れない日が増え、夜更かしをした翌朝に私たちは、ワンとふたりで吼え、道端に落ちていた生き物の骨をすみからすみまで舐めまわした。妻は喜んで犯人役を演じたが、私は葡萄の中身には興味がありません、と答える日もあった。そのことに激昂してしまった犯人が、いきおいあまって犬の名前がジョンであることを明かした。その日の夜、数年前に庭にこしらえたジョンの墓が何者かに荒らされ、明日私が妻に代わって犯人役をするのであれば、ジョンの墓を荒らした真犯人を突き止めなければいけない、と私は書き終えたばかりの小説の脚注欄に書き足した。私は紙に印刷した小説を最初から読み直した。最後まで読んでしまうと、冒頭部分が完全に破綻していることに気付き、ジョン以外の登場人物には名前を与えないようにした。テレビは人質が射殺されるシーンを繰り返し、ジョンを救い出した警官がやはり何者かによって射殺された。私と妻は、彼らが射殺されたビルの屋上に挟まっていた鉄パイプを二本引っこ抜いて、それで巨大な十字架を作って、ジョンの墓のそばに飾った。私の横で手を合わせている妻が、犯人だろうが犯人でなかろうが今はたいした問題ではない。やがて取材を申し込む人間が私の家にあふれ、そのうちの半分の人間を私たちは応接間に閉じ込めた。餌を与えなければ、あいつらっていつまで生きるのかしら、と妻はつぶやいた。身代金はどこかに用意されたまま、例年より冷たい冬の空から雪が落ちてくるのを、私は妻とベランダで寄り添いながら眺めた。後は、私が、死んでしまったジョンのように前脚を高く突っ撥ねて、腰を激しく振りながら、妻に覆いかぶさるだけだ。私は左のポケットから三本目の前脚を取り出しそれを真ん中にして回転しながら、後ろに積み重ねられていく手掛かりに焦点を合わせ始めた。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20070717_298_2217p
- 透雪 :
一条さん、こんばんは。
読み進みたくなるのは、やはり一条さん、上手いですよね〜。いったいどうなるんやろ、と思わせられます。
でも…最後で、がくーっとなりました(泣)
セックスするにしても、もうちょっと一条さんなら書けるんじゃないですか?こんな陳腐な表現でなくも。
三本目やなんて、オヤジギャグ〜 ('07/07/17 19:52:53)
- ののこ :
いや私は推理小説などをあまり読まない人間ですが、途中から笑いが絶えなかった…。
何か肩の凝りが解れるような作品提供に感謝しております。
硬質の文体でこのように書かれますと、なにか不思議なことに生きた心地も致します。可笑しなもの。
これをさらっと書いた印象を読者へ持たせることができるのが、
作者の力量の証明ですね。
取り留めのない何かを取り返した気には、させていただけました。
(ジョンはじっとしてればいいんですけどね。人に吠えると蹴飛ばしてやりたくなる。)
いや犬は可愛いっス。まったく名前なんてしょうもない。(笑) ('07/07/18 01:29:02)
- 一条 :
透雪さん、
あー、そう読まれてしまいますか。最後は、セックスシーンのつもりじゃないんですけどね。三本目の前脚というのは、比喩でもなんでもなく、本当の三本目の前脚ということで書いてますが、今読み返すと、そう読まれるのも無理はないですね。ゴミ箱行きでお願いします。
ののこさん、
そうですね、ここで敢えて作品のテーマを語るとすれば、これは推理小説の謎解きと現代詩のいわゆる難解さをまぜこぜにして出鱈目に書いてみたのですが、出鱈目に書いたので出来上がったものも出鱈目になりました。現代詩を読むというのは、推理小説の謎を解く、ほどにはエキサイティングじゃないですね。 ('07/07/18 11:29:51)
- 池中茉莉花 :
こんにちは
やっぱり、凄いな、と素直に思います。
でも、わたしも実は、「三本目の前脚」でずっこけました(笑)
ずっこけたけれど、恥ずかしかったので、レスをいれなかったら、透雪
さんが先にレスをつけてくださいました。
これ、どうよんでも、そうよめてしまうのですが・・・。
3本も前脚がある動物って。昆虫くらいではないでしょうか?
読ませて頂きありがとうございます。 ('07/07/18 15:53:29)
- 一条 :
池中さん、
うむー。そうですか。
じゃあ、ちょっと以下のようにリライトさせてください。
>私は、三本目の前脚を真ん中にして回転しながら、
を
>私は左のポケットから三本目の前脚を取り出しそれを真ん中にして回転しながら、
へ。 ('07/07/18 15:57:19)
- 池中茉莉花 :
ふふふ。
ありがとうございます。 ('07/07/18 16:21:40)
- ヒダリテ :
こんにちは、一条さん。
誰に呼ばれたわけでもないのに、また帰ってきました。すんません。またしばらくお世話になります。
さて、なるほど、犬もので来ましたか、という感じですが。(犬ものというジャンルがすでにあるという前提で話しますが。)僕も次あたりは犬もので行こうと思っていたんで、ちょっとした偶然に喜んだりしていますよ。そういえば、以前一条さんが、「牛もの」で来たときにも、僕は書きかけの牛もののポエムを抱えていて、また、他の書き手さんも牛もののポエムを書いているのを見て、僕なんかは「お、ネットポエム界に牛ブーム到来か?」と期待したんですが。残念ながら、牛ブーム、来なかったですね。
…ま、そんなことはどうでもいいわけですが。
で、この作品ですが、非常にスリリングな読書体験でしたね。骨折覚悟でジェットコースターにとび乗ったら、案の定、首をへし折られた!期待通り!やったね! …と、そんな感じでした。
読み進めるたびに脈絡はぶつぶつと切られては結びなおされ、切られては結びなおされ、浮かび上がってくる謎は、手がかりばかりが死ぬほど与えられて、読者はいつまでも肝心の餌にありつけないまま(まさに犬のように)、お預けをくらわされ続けるわけです。
正直、こういう姿勢に憤懣やるかたない気分を抱く読者もいるかも分からないのですが、そんなことお構いなしで、わき目も振らず餌でないものをせっせと与え続けるところが、一条さんの天才たるゆえんですね。普通はできませんもん、こういうことは。
ま、ある意味、こんな極悪非道な書き手はいないな、と思う反面。もっともっとと欲しがる自分もいるわけですから、不思議です。
非常に、面白い。というか、興味深い、作品でした。
で、ちょっと考えて、「なるほど。こういう書き方ができるなんて、きっと一条さんはとんでもないサディストなんだ。」と、勝手に結論付けて満足してます。ええ、ま、勝手な解釈で申し訳ないですが。。
けれど、どうも、その人の性的な嗜好がその人の文体に反映されるってのは、これ、あり得ない話ではないな。と。なんだか、かなり思い当たる節があるような気がします。たとえば、文章は性感覚で書け、ということが言われたりしますが、それってのはつまり、こういうことだろうか? と。
で、そう考える時、僕が今、読むべきものは文学書でも哲学書でも美術書でもなく、きっと「SMスナイパー」なんだ! と思いまして、先ほど猛ダッシュで書店に向かい「SMスナイパー」を大量に購入してきたところです。そして今、「ここに一条作品の謎を解くヒントがあるはずだ!」そう思いつつ熟読しております。
なんてのは、冗談ですが。
はい、えー、少しだけ内容に触れると、
>私と妻は、彼らが射殺されたビルの屋上に挟まっていた鉄パイプを……
ここのところだけは、僕のイメージ追跡能力をちょっとはみ出たところでして、「おいおい今度はビルの屋上かよ、ちょっと待ってくれよ」と、追い付くのにいくぶん時間がかかってしまいました。個人的に、ですが。
で、落ちの付け方は、僕は、「完ぺき!」だと思いましたね。
訳の分からないダイナミックな性的運動体がゆっくりと回転し、今、狙いを定め。。。みたいな感じで。
んー。何なんだろうな、これ。すごく面白いと思いました。
ま、そんなところなんですが、あれです。今回僕が分かったことは、女の子一人上手に「縛りあげる」こともできない僕には、到底こういうのは書けないんだな、ということですね。そして、一条さんてのは、やっぱり唯一無二の書き手だ! ということを思いましたね。
じっくりと謎を追うようにして読んでも、頭空っぽにして疾走するように読んでも、いずれにしても、とても面白い、一条作品の、やや上級者向けの、作品でありました。僕は大満足でした。ありがとうございました。
おしまい。 ('07/07/19 12:05:31)
- ふるる :
はじめまして。感想です。
筋がないのに、面白い。はぐらかされているのに妙に納得。小説(っぽい詩)の中に小説があるといういれこ状にもなっていて、クスリとさせられます。
さすがは殿堂入りの一条さんだと思いました。
>ジョンを救い出した警官がやはり何者かによって射殺された。
だけ、「何者かによって」が整合性がある感じで、ちょっと色が変わって見えました。
リライト後読んだのですが、三本目の前脚はやっぱりアレに思えました。
ご馳走様でした。 ('07/07/19 13:28:33)
- 一条 :
ヒダリテさん、
誰に呼ばれているわけではないのは、ぼくも一緒ですよ。ヒダリテさんが知っているかどうかは知りませんが、ぼくは、文学極道で殿堂入りしたんですが、殿堂入りというのは引退勧告だと受け取りましたからね。新人賞はいいですね、なんだか、これからって感じがしますやん。
でもですね、ちょこっと現代詩フォーラムで詩を投稿してたときに思ったんですが、殿堂入りという看板がついたせいか、以前より多くの人に読んでもらえたようですよ。ま、ポイントの数は、あんまり変わらなかったんで、文学極道だけで異常にフィーバーしている一条という事実に変わりはないですが。
以前、ダーザインさんにもどこかで言われたんですが、ぼくは、他の常連と比べると、明らかにキャラが立ってないですね。文学極道の特徴として、罵倒も含め、おもしろおかしい批評が出来る人がここでは必要なんだと思うけど、あいにく、どっちかっていうとここで罵倒されるような詩のほうが、ぼくの好みだったりするんで。この糞ポエムが!と罵倒も出来ない。糞は糞でも、人間のうんこを食べた一条ということで絶賛売り出され中な感もありますし。ミドリさんあたりは、ぼくを完全にヘンタイ扱いしたいみたいですしね。
一応、言っておくとですね、今はどうかしりませんが、嫁はんは、ぼくが「一条」というちょっと恥ずかしめのペンネームでここに詩を投稿してるってのは知ってますからね。ヘンタイキャラを受け入れたわけではないというのは、この場を借りて。
この作品については、だいたい1500字から2000字くらいのこういうタイプの散文詩が、ぼくの会社のパソコンの中には、いまだ100以上保存されてるんですが、そこから毎回ランダムに選んで投稿してるって感じですね。つーか、自分で書いて投稿しといてなんですが、読んでて飽きてこないですか?また、このパターンかよ、って。引き出し、少なっ!みたいな。
ついでに言うと、ぼくの詩に対して真剣に批評してもですね、あまり作品評とは関係ないぐだぐだのレスしかぼくが返さないということで批評する価値もないし、罵倒してもあっさりと返されるし、うんこは食べるし、ということで、ぼくもそろそろ潮時じゃなかろうか、と。
ふるるさん、
「さすがは殿堂入りの一条さん」、この響きって実際言われると背筋がゾクっとしますよ。今、会社で仕事中なんですが、ぼくが殿堂入りしたというのは、このフロアにいる誰も知りませんからね。もちろん上司にも報告してませんし。詩を書いていることも誰も知らないし、ましてや一条という恥ずかしい名前を名乗ってるなんてことは!「りす」ってのもたいがいだと思いますが、一条はかっこつけすぎですよね。いかにも詩人っぽいというか。現代詩フォーラムでふるるさんの作品は拝見してましたが、ふるるさんも含めて、あそこにはすごい詩を書いている人があほみたいにいると思うんですが、文学極道に興味はないんですかねえ、ってそんなん知りませんよね。
>三本目の前脚はやっぱりアレに思えました。
まじですか。みなさん、想像力が豊か過ぎますよ。 ('07/07/19 15:47:08)
- ドハゲ :
一条さんよ。おもしれそーだがなげーしまわりくでーから何か俺みて−な短気で頭わりーやつにもツーカイなの一発くれ。つかあんたの詩よかあんたの言葉のが俺ぁ好きだべな。惚れてもいーかwwwつかやらせろw ('07/07/19 21:27:34)
- はるらん :
こんばんわ。
私は、一条さんの作品はまだあまり読ませて頂いてないのですが、この作品を読んで感じたことは、この夫婦は「共犯者じゃないか」ということですね。
だって、私が「犯人役」になったり、妻が「犯人役」になったりするんでしょ?
もっとも、この小説?の中でも、私は何回も「書き直し」をしているワケですから、「犯人」なんて、ホントは最初からいなかったのかもしれない、そういう解釈も出来るワケです。
この詩を読んで、昔、姉とこんなゲームをしたことを思い出しました。
でも、犯人役はいつも私で、誘拐されるのは、いつも姉の方なんですよね。
「ねえ、たまには私のことも誘拐してよ!」って言ったら、
「バカ!誰がおまえみたいな可愛くないヤツを誘拐するか!」と怒られました
ちなみに、子供の頃は、いつも姉よりは可愛い、と言われていた私です。
一条さんのところは、仲のいい夫婦とお見受けしましたが、、夫婦なんて、ある意味、「共犯者」でないと、とてもやってられませんよね?
どこからか、身代金が降って来ないかなあ、と今日も空を仰ぎ見る主人と私なのです。 ('07/07/19 23:45:52)
- Canopus(角田寿星) :
のっけからヤラれたよ。犯人が「身代金を用意しました」て電話してんだよ
ね。人間関係(犬を含む)、小説内の虚構と現実、時間、生と死、すべてが
揺らいで一定しない。そんな状態でキチンと作品になってんだから、エラい
ね、一条さん。
一定してる部分が何カ所か。ぼくの気付いた事柄を箇条書きに。
1)葡萄の中身。
2)小説を書くのは、私。
3)歌をうたうのは、妻。
4)犬の名前は、ジョン。
5)ちんこ。(人類は先天的に下ネタが好きなのですw)
この中では、1)の「葡萄の中身」のキャラが立ってないのが、残念です。
せめてビジュアル的な描写がいくつかあれば、作品内での葡萄の中身の立ち
位置が決まるのにな、と思いました。 ('07/07/20 00:16:20 *1)
- 松本K :
夜中に酒飲みながらこれを肴につつきたくなるような詩ですね。ヘベレケで朗読するとばかになったような気分で異常に心地良い快感を感じます。変態ですね。この短い文に何でもいっぱい詰め込んであって濃厚なプログレッシブロックを聴いているような感覚におちいります。決して繋がらない、繋がってはいるけど、期待を裏切られまくりで、ああ〜ン、イク〜〜、って悶絶死ました。 ('07/07/20 10:08:19)
- 丘 光平 :
これだけの分量を、迫真的に読ませてしまうその技量はすばらしいと思います。作品だけでなく、こちらも頭と目を2転3転させられながら、引っ張られてゆく面白さも、一条ワールドならではですね。
ただ、根っこというか、心臓をつかまれるような体験はありませんでした。ああ、面白かったなーと、胸の上というか、頭で喜べる知的な作品だと思います。 ('07/07/20 12:50:58)
- 一条 :
ドハゲさん、
>なげーしまわりくでーから
これは、的確な批評だと思いますよ。でも、やらせないけど。
はるらんさん
共犯というのは、これを書いたときに頭にはなかったですが、そういう視点で書き直してもおもしろいかもしれないですね。自分も、兄貴がいますが、誘拐ごっこというのは、やったような記憶もかすかにあります。うちのばあいは、主にプロレスごっこで、ぼくは、よく兄貴のさそり固めの練習相手になってました。うちの夫婦は、仲がいいですよ。
Canopusさん
エラいね、一条さん、なんてCanopusさんに言われるとなんだか照れますね。そろそろチャボの新しいのんどうですか?って切りかえしつつ、ちんこに加えて、うんこをどうやってうまく料理するかが詩人の腕の見せ所だと思うんで、いつか、ちんことうんこについては、なにか書いてみたいですね。葡萄の中身の指摘については、なるほどなんですけど、なにか書けといわれても書けないもんで、そう考えると、ぼくは葡萄の中身の描写すら出来ずに詩を書いているのだな、と恥ずかしくなります。
松本Kさん
変態ですね、ってのは作品内の話だと信じてますが、何でもいっぱい詰め込むってのは、よく受ける指摘で、だいたい詰め込みすぎといわれるんですが、濃厚なプログレッシブロックみたいと感じていただけたのは、うれしいですね。とはいっても、プログレにそんなに詳しいわけではなくて、一番はまったプログレは、プライマスあたりでしょうか。ま、クリムゾンやザッパも好きですけど。
丘さん、
丘さんが書かれている作品群を考えるに、丘さんにこういったコメントを頂けてることがほんとにうれしいですね、ぼくは。
>根っこというか、心臓をつかまれるような体験
そうですね、ぼくも、いつもなにかに触れるとき、こういう体験を望んでいます、それがどんな小さなものであろうと。ひとつの詩が、読み手にそういう体験をさせることもありうるんだろうな、と今では思うようになりました。そして、このサイトにはそういう人がたくさん集まってるんでしょうね。 ('07/07/20 19:32:59 *1)
- ミドリ :
おはようございます、一条さん。
これを元ネタに、映画のシナリオを書けますね。この作品は、一条詩学の頂点を極める作品じゃないでしょうか。
強いポテンシャルの高さを感じました。もっと書けるなと、このオッサンわと。笑 ('07/07/22 07:34:26)
- 地下鉄 :
こんにちは、一条さん。めちゃんこたのしいです。詰め込んでんのにこのサラリ感。ことばが生きてますねー、どこまでも渦巻いてますねーって感じで。とりとめもない感想になってしまいましたが、敬意と感謝の意を込めて。 ('07/07/22 18:16:00)
- 匿名 :
おもったままに書きます。
これそんなにいいか?場面が1、2、3、2、4、1、5、、数えんのめんどくさ。。すべての場面を貫く十字架、そののちセックス。あー多重構造の先にはやっぱり神や愛があるんだ。最後の収束ジョン。従順なる犬は死んで、ねぶられて、殺されて、死んで、、つまりは犬だということだ。。
この詩を探らないのに素晴らしいとおもう。話を引き込むのは確実にうまい。果たしてなぜか?
重ねていく時の微妙なずれを明確に、、いやはややっぱり凄さは肌で感じるものか。。
一条という人の思考の一かけらも僕は汲み取れてないんだろう。
まとめると、なるほど凄いんだろうけど、わからない。誰か解読に挑戦して欲しい(ください)。僕には無理です。だぶるイメージはピカソの絵。
(ゲルニカだけは(5 枚ぐらいしか知らない)凄いとおもえるけど後のは?のあとの絵)
一条さん。はじめましての挨拶もなしにすいません。この詩を味わえるようになったら(なりたい)レスさせてもらうので宜しくお願いします。 ('07/07/23 01:27:05)
- ケムリ :
多分、何もかもを破綻させて、それでどこまで作品として成立するか、っていうのが一条さんの眼目なんだろうな、と思うんだけれど。
こうね、ぼくは「構造的に」とかよく言うけれど、この作品は構造として全てが破綻している。ぐっちゃぐたなんです。内部に柱はいくつも通っている、でもその柱って全部が点で勝手な方向に据えられてて、「これで家なんか立つわけねーよ」「あれ?立ってるよ?」みたいなオモシロさがある。いや、「小説」が出て来て「焦点を合わせる」時点で解釈は可能な気がするんですけど、ちょっと死ぬほど疲れそうなんで勘弁してください。パースペクティブとかナラターとかレポートで死ぬほど書いたこの時期にそれはきつい。
最近、友人に演劇人が増えまして、色々見せられてるわけなんですが、ひょっとして、一条さんって演劇か映画か、そっち方面から来た人なんじゃないの?と最近思ってるんですよね、「黒い豆」とか「ゴドーを待ちながら」を観た今、別の解釈が出来そうだな、とか思ってる。
んで、なんだろ。まぁ、多分一条さんの思惑は別として、少なくとも一条さんは「解釈」されることにはさほど関心が無いような気がする。少なくとも、ぼくが注目するのは、わけわからんくせになんでこんな面白いんだろう、なんで家は立つんだろ、ってことで。結局、解釈ってのは二次的なものでしかなく、何かわからんけどとりあえず面白い、の次に来るもんなんだろうな、ってことでまとまりません。これ批評しろとかイジメだろ。なんで面白いのか、を説明することは容易なんです。なんだって理由になるんだから。ぼくが昨日サバの味噌煮を食べたから面白い、だって立派な批評ですよ。しかし、それが再現性を約束しないのが、批評の悲しいところで。ただ、やっぱりナラトロジーから語っていくべきなのかなぁ、でもそれって凄い疲れるんだよなぁ、みたいな。そもそも、構造的分析をした後何かが出て来るかもわからないし、おそらく、これは予想だけれど、出て来ないんじゃないかなぁ。
でも、これだけは確かなこととして。
一条さんの作品が「ムーブメント」みたいなオモシロさを獲得するのは、誰もが「俺は昨日パンしか食べなかったから面白い」とか「俺はこの三日、出るべきものが出ていない、だからこそこの作品は面白い」みたいなことを容赦なく言い合ったときだと思うので、みんな好き勝手に「何故面白いか」を言ってみるといいと思う。一条さんの作品に対するレスで思うのは「読み手の思惑を理解しきってないとレスできない」みたいな恐怖感で、そういう意図主義の呪縛、学校教育の「書き手は何を言いたかったでしょう?」の呪いからはいい加減自由になりましょうよ。批評ってのは、基本として言ったもん勝ちで、作者が「そういう意図じゃなかった」と言おうがそれは関係ないんですから。
こうね、昔エヴァってあったじゃないですか。あれブームになって、色んな分野の人たちが様々な各自の理論を持ち寄って、例えばオイディプス理論なんかもそうだけど、批評合戦やらかしたことあるんですよ。そんで、その後庵野が「いやー、そういう人たちが食いつきそうな単語散らばせただけで、特に意味はねーよプギャー」ってやったらしいんですよ。でも、批評家達はこんなのカケラも気にしません。だって、批評ってそういうものなんです。作者すら、作品発表後について自作を語るときはただの一批評家なんです。そういうわけで、みんなそんなにビビらなくていいんじゃないか。
全ての読みは誤読である。だからこそ、誤読などありえない。
(Nizzzyさんからパクって来た言葉で、ぼくのオリジナルじゃないです) ('07/07/23 05:55:17 *8)
- 一条 :
ミドリさん、
「頂点を極める」とか「ポテンシャルの高さ」とか、なんかすげえ投げやりな言葉じゃないですか。まるで、最近、女にふにゃチンとでも罵られたかのような力のないレス、ちんちんともに夏バテ?
地下鉄さん、
ことばが生きている、って言われたのはたぶん初めてなんで、うれしいです。ぼくとしては、「詩を書く」ことは、硬直した言葉に翻弄されつづけている自分を確認することだと思っています(半分嘘ですが。)
匿名さん、
匿名さんのレスを読んでいると、ぼくなんかより全然読めてるような気がします。いや、正直におもしろくないと言ってくれて構いませんよ。ぼくが書いている作品の多くは、ポーカーで言えば「ブラフ」みたいなもんで、読み手にそれっぽく見せることだけに注力を注いでいる、と言えなくもないわけで。ただ、ポーカーの「ブラフ」はゲームに勝つための戦術なんですが、ぼくは、どちらかという「ブラフ」という戦術そのものに興味があります。
ケムリさん、
ぼくじしんは、過去にぼくが読んだものや、聴いたもの、観たものを単に模倣しているだけだという思いは人一倍強いですね。ぼくの詩にオリジナリティなんてかけらもないと思います。オリジナリティなんてものは、まったく必要がないですね。確か、筒井康隆が「新しいものの中にある最良のものは、古い欲望に応えるものである」的なことを言ってたと思うんですが、だいたいぼくの立場もこんなとこにあります。ケムリさんが批評する側の立場について言及していますが、同じように、書き手だって、ケムリさんがレスの中でよく使う「既視感」にことさらびびる必要はないでしょう。新しい文学、新しい詩なんて、決して書かれるはずがない、という開き直りですよ。ただ、古いものを、そのまま、その時代に書かれたように書いちゃうと、さすがにそれは読み手の期待には応えにくかろうと思います。書き手は、読まれたいなら、古いものを、それがまさに今書かれたように書き直す必要があるとは思います。そんで、ぼくたちは、単にその能力を競っているだけじゃないかな、(あくまで「読まれたい」という前提を共有している集団におていは)。ヒダリテさんがどっかのレスで同時代性の欠落した書き手はだめだと言ってましたが、もっと俗な言い方をすると、どうやって今ふうに見せるか、今っぽくみせるか、書き手の課題は、常にそこにしかないと思いますが、どうでしょうか? ('07/07/23 13:20:18)
- 稲村つぐ :
特別なアルバムを眺めさせてもらったような作品ですね。
「何かの代償」について、私はよく考えるのですが、今日もそんなことを考えつつ、ネットを繋げ、この作品を読んでいたら、とても切ない気持ちになりました。
悲しいけれど、どうもありがとう。この作品は好きでした。 ('07/07/23 22:07:12 *1)
- 松本K :
>一条さんの作品に対するレスで思うのは「読み手の思惑を理解しきってないとレスできない」みたいな恐怖感で、そういう意図主義の呪縛、学校教育の「書き手は何を言いたかったでしょう?」の呪いからはいい加減自由になりましょうよ。
ケムリ氏のスパーンと切れ具合、すばらしいですね。なるほどなるほど。昔、批評家の福田和也が「作品をけなすのは簡単だが、褒めるのは難しい。なぜなら作者がここはいけてる、と思っているところを見抜いてその線に沿って褒めないといけないから」というようなことを書いてましたが、クソですね。関係ない。批評がそんな縛られる必要なんてない。うぎょー。それはそれは批評に穴をほがす発言。ケムリ氏、やるぅ〜。 ('07/07/24 11:49:06)
- 池中茉莉花 :
ケムリさん、松本さん
たしかに一条さんの作品に最初にレスをつけるのは、なんとなく怖かったのです。(この作品ではなくて、次の作品ですが。)
でも、わかっていなくても面白いから、面白いと書けばそれでいいような気がして、つけさせて頂きました。それで、いまここに来てみたら、松本さんのコメントがここに入っていて、上を見たら、ケムリさんがそう書いていらしたので、安心しました。
いちど書き手の手を離れたものは、読み手のものになってしまうのですし。
音楽のスコアや、映画や、美術などとおなじように。 ('07/07/24 14:24:32)
- 一条 :
稲村さん、
「何かの代償」について。ぼくは、あまりそのへん意識的に考えないようにしてますが、詩を書くってのは、まさに「何かの代償」で、ネットに繋がるってのも、これまた「何かの代償」で、投稿するってのも、、、、 代償だらけじゃないですか!
松本Kさん、
福田和也はそんなおかしなことを言ってましたか。彼の批評スタンスは、福田和也というネームによる批評を自らの批評によって無意味化するという究極のロマン主義ですから、言葉尻に食いついても彼の目論見どおりになるだけでしょうね。
>「書き手は何を言いたかったでしょう?」の呪いからはいい加減自由になりましょうよ。
ケムリさんのこの言葉については、もうちょっと詳しく知りたいんですが、その呪いから自由になった「私」のふるまいは、私の常識を土台にするのか、神様級の常識(@唯野教授)を土台にするのか。ただし、神様級の常識なんて誰も持てるわけがないですよね。ここでヴィトゲンシュタインの言葉を引用すると、「明晰化の作業には勇気が必要である。勇気がないと、その作業は単なる利口なお遊びだ。」ってことなんですね。ま、ぼくが解釈するに、ヴィトゲンシュタインは、すべての批評行為は、おまえらのささやかな常識を土台にして為されるべきだ、そっちのがおもろいだろと言いたいに違いない(いや、知りませんけど)。
池中さん、
面白いものは面白いと書けばよい、という自由は担保されるべきだと思いますが、「文学極道は中途半端な作品に対し中途半端な批評が行われているサイト」という2chの書き込みもあるくらいですから、今後も罵倒を含めた批評を売りにするならば、そこらへんは考えどこじゃないでしょうか。一般投稿者で、かつ詩が読めない自分が言うのは、おかど違いですけどね。 ('07/07/24 17:32:40)
- ケムリ :
>一条さん
ぼくが必死に批評理論勉強してる辺りから察してください。
意図主義から脱出しても、楽になるわけじゃないっすよ。むしろ足場が消失して余計にしんどかったり。実際、誰もが意図主義の呪縛を鬱陶しく思いながらも、割と助けられてたりするんですよ。でも、それはつまらない。
意図主義もそれはそれで有用なものですけれど、それはあくまで一つの視点でしかない。さて、そこで要請されるわけですよ。「ささやかな常識」の多元化が。唯野教授は批評理論の入り口として、ヒジョ−に面白い本なんですよね。「神様級の常識」などありえない。だからこそ、「呪い」は単なる一つの読み方の方法論に過ぎず、他の等価な常識が存在することを知る。そこから絶対性を目指して苦しんで行く事が批評なんじゃないですかね。
もちろん、文化人類学でもウィトゲンシュタインでもいい。構造主義でも人生と結びついた実存主義でもいい。キャノン批評でもいいし、ユングやフロイトの心理学から引っ張ってもいい。本文批評や原型批評なんてのもある。要するに、ささやかな常識は無数に存在することを知ることが、批評の始まりなんじゃないですかね。それ以降は美学や姿勢としてしか、ぼくは語れませんけれど。
書き手の思惑を理解し、読み尽くそうとする姿勢。意図主義的批評手法、これはこれで一つとても有用なんです。でも、評価基準はそこに尽きないし、そこに視点を限定するのは非常に貧しい読み方だ、じゃあどうする?ってことで。
意図主義の絶対性を否定するとき、あらゆる読み方の絶対性も等しく否定される。結局、そこにはささやかな常識がいくつもあるだけなんです。そこから、じゃあどうするよ?ってのが批評でしょう。
そして、面白いものを「面白い」あるいはつまらんものを「つまらん」そう言う権利は、読者には常にあります。それは守られ続けなければならない。しかし、それが「批評である」と言い張るなら、そこではせめて葛藤しないとダメなんじゃないですかね。もちろん、単なる一読者でいいならそれでもいいんだけれど。ぼくは、立場的にダメなんで超必死です。 ('07/07/24 19:42:25 *8)
- 池中茉莉花 :
それはその通りだと思います。葛藤なしに「面白かった」。それは、批評でもなんでもありませんから。一読して、単に「面白かった」では。
そういうことではなくて、読み手も「書き手は何が言いたいのだろう。」と一生懸命考えて、そしてそのうえで今度は自分の立場から考える。そういう一種の作品との心の中での「対話」がなくてはならない、と思っています。
スコアをよむとときも、一つの音が何故ここに存在するのか、何故ここでなければならないと作曲家は考えたのか。そこからスタートして、全体像まで考えつくしたうえで自分なりの作品として演奏していくわけで。批評はそういう作業だと思っています。 ('07/07/24 21:18:51)
- いかいか :
分からないなぁ。例えば、俺は詩を読む比重が小説より大きくなったんで、糞つまらない情景描写の単なる連なりにはまったく面白くない、という断言をしてしまう人間だし、つまり、これは皮肉として、この作品を読み通せる人の根性というか忍耐には感動するものがある。長編小説の一部としてなら許せるけれども、こんな短い散文でこの程度の文章なら俺は読む気がしない、というかやっぱり読み通せないよね。
例えば、谷崎クラスの文体ならばまぁ感動するだろうし、きっと志賀直哉のあのお前どこまで描いてるんだよという情景描写なら俺の萎えたチンコも勃起するかもしれないが、こういった作品を読み通せる、というのは本当にすごい事なんだと思ってしまう。
この作品自体は正直俺からしたら三行で読むの辞めるクラスなんだけど、それよか、この作品を読み通して評価している人たちがいる、ということの方が面白くて興味深いな。
何度もいうけど、やっぱ、一条さんの散文って長いだけで、文章それ自体がひどくつまらないんだもの。 ('07/07/24 23:31:08)
- いかいか :
まー作品の好みの問題だろうけど、俺は抽象、隠喩、断片っていう三つを好むから、そうでない人達との好みの違いなのかもしれないな、と、単純に思ったりする。具体的な情景描写―机があります―とかなら写真や映画や演劇見た方が早いよな。 ('07/07/24 23:45:56)
- 一条 :
いかいかさん、
結構痛快な罵倒をくれたにも関わらず、好みの問題かな、ってそんなフォローいりませんよ。(いや、ぼくへのフォローじゃなくて、ぼくの作品を読んでいる忍耐深い人たちへのフォロー?) いかいかさんの指摘はよくよく承知しております。ぼくは、詩と比べると圧倒的に小説のほうを読んでいるので、「こんな短い散文でこの程度の文章」ってのは、非常に耳が痛いです。が、同じ言葉で返すと、これをわざわざ書いてここに投稿しているってことは、こんなのがぼくの好みなんですよね。出来上がったものについて満足はしてませんが。ついでに言えば、ぼくは、いかいかさんのいくつかの作品は相当好きですが、これもまたしょせん好みの問題でしょうか。おそらく、好みに合わなさ過ぎて、罵倒する価値もなかったんでしょうが、ま、なんかいろいろ試してみますよ。 ('07/07/25 01:18:06)
- ドハゲ :
盛り上がり杉だよみなさんwいかいかってかっけーなー。なんでいかいかっていうのか?烏賊烏賊なのか、医科医科なのか、ナンセンスなのかインテリジェンスなイミなのか。尻たい。うんこしてねまつ。 ('07/07/25 02:54:41)
- ケムリ :
俺の視点から、俺は前に出ない。→読者の態度
視点を交錯させてみる→批評者の態度
と、そんな感じに捉えられると思うんですがね。
そういうことだと、いかさんの目線はヒジョーに「読者」寄りですね。読者と批評者ってのは同じ概念の右端と左端なんだけれど。
もちろん、ぼくだって時と場合で批評者と読者を行き来するわけですが。常に批評者であることは難しいし、いかさんを責める権利なんかこれっぱかしもないんだけれど。それに、読者は必要だしね。読者反応批評の場でもあるわけで、ここは。むしろ、それ凄く重要ですよね。色んな理論が交錯して評価基準が無数にある状況で、まだ失われないのは作者と読者の関係性なんだから。空隙なんて埋めてやんねえし、意味なんか生産してやらねえ、って読者も必要ですよね。
でも、方法論的引きこもりはそれはそれでつまんないだろ、と思う。
もちろん、批評的態度ばかりが正しい態度ではない、ってのは最前提ですが。 ('07/07/25 06:56:42 *4)
- 一条 :
ちょっとナイーブ過ぎる落としどこかとは思うけど、重力の鎌田哲哉が「三文小説の文庫版の解説を書きながら、たぶん自分は作者がその小説を書くのにかけた以上の時間を費やしていると思ったとき、心から情けなくなった」と言っていたのを思い出した。口辛くいえば、というか、そんなことは言わなくてもわかってることだろうけど、文学極道で行われているのは「批評ごっこ」なんですよね。単なる「利口なお遊び」を超えていない。ただ、それはネットというメディアの中で否定されるべきことなのかどうかはわかんない。ネットにおける真摯な批評って?みたいな議論ってもっとやられるべきだと思うんですよね。日々、「三文小説」のような詩がばんばん投稿される空間の中で、批評ごっこ以上の批評が可能なのかどうか、とか。文学極道では、そこらへんまでカバーして欲しいな、と、一般投稿者のわがままなリクエストですが。 ('07/07/25 08:08:09)
- 池中茉莉花 :
わたしとしては、例えば、「批評」の「批評」とかそういうのも、あっても良いと思っているのですが。
わたしはよく分かりませんが、かなり、「テクスト」とか、そういう批評に関係する理論や概念に詳しいかたもいらっしゃるでしょうし。
「三文小説」どころの騒ぎじゃない、駄文しか書けない投稿者のリクエストですが。(これって、投稿掲示板でする議論ではないような気もしてきましたが) ('07/07/25 16:47:47)
- 一条 :
ぼくも、批評のことはなんにも知らずに喋ってるんで、ま、そこは素人ゆえの大胆さってことで。批評の批評、要するに批評に対する評価の話だと思うんですが、どうなんすかね、書き手からの信頼というのもひとつの基準ではあるでしょうね。ただ、なんつーか、批評というのは選別と排除の問題からは逃れられない、そしてそうであるなら、批評に対する評価ってのは彼らが「選別したもの」と「排除したもの」によってまた彼らも評価されなければいけないんじゃないかな。いや、批評ってのは、そもそも選別と排除なしにも可能だぜ、ってことなら、それはそれで。 ('07/07/25 17:18:59)
- 流離いジロウ :
一条さん はじめまして
一条さんの最近の作品、ケムリさんの比喩をあっさり借りると、高度な建築学の、良く出来た例題を見せられるみたいですね。それはそれで、面白いのですが、洗練されれば洗練されるほど、だんだん物足りない感じがしていました。正直言って。
が、この作品の以下の部分、
>身代金はどこかに用意されたまま、例年より冷たい冬の空から雪が落ちてくるのを、私は妻とベランダで寄り添いながら眺めた。
ここについては、テキストの狭間で、ばっちり像が浮かび、色気まで感じられて、ぞくっときました。でも、こういうの、一条さんの建築学においては、むしろ無駄として位置づけられるべき装飾なのかな、ってふうに憶測してたりします。
僕は、一条さんの作品では、わりと思いっきり、この掲示板にある数年前の初期作品が好きで、例えば「ふっとう」とかは、もろストライクです。最近の作品には、やっぱり洗練されちゃったなあ、ってのを思います。例外的に、巴里子名義の「朗読」が、ちょっと違う観点で好きなのですが。
一条さんの詩には、よい意味にも悪い意味にも、日本人離れしたものを感じます。用語のずれ、現実則の揺らぎ、構文の乱れ、まあボタンの掛け違いみたいなものを構造化し、作品の推進力にするやり口は、他の方にもよく見かけるのですが、一条さんは、とっても乱暴ですね。通常、日本の詩人って職人的な手わざで、書き出しから末尾へとなされる跳躍というか段差を、読者の前で決着可能なレベルにまできれいに細工して、収まりのつく世界性として提示する、ってのが常套手段だと思います。が、一条さんは、とうてい快復出来ないようにみえる巨大な段差を、ぽんと放り出して、それでおしまい。。堂に入ったダンガイ(断崖)ぶりだと思いますが、日本人離れしていて、めずらしい人だなあと、いつも思います。ま、日本人とか、そうでないとか、どうでもいいですけど(笑)。
スパイス的に、もうちょい色気、無駄かもしれない装飾(一見、ゆるゆるに見えて、骨組みとの関係でいえば、最近の作品には無駄な言葉=美的な遊びが減った気がするんですよ。個人的に)を加えてくれると、まあ、構造体の純度が落ちて、学問的価値(嫌味じゃないですよ)が下がるのかもしれませんが、僕みたいなぼーとした読者にも、入り込み易いんじゃないかなと、勝手に思っています。
へんな読み方をしてたらごめんなさい。
これ、評でも、評ごっこでもなく、感想ですので。フィードバックになれば幸いです。 ('07/07/26 01:13:37)
- 池中茉莉花 :
わたしも、実のところ、「巴里子」さんの作品が好きです。名前を変えるということではなく、たぶん、視点を変えようとなさったからだと思うのですが。
p.s.ジロウさん、どこいってしまわれたのだろう・・・って寂しく思っておりました(^0^)/ ('07/07/26 09:07:16)
- 一条 :
流離いさん、
洗練されちゃっている、ってのは、非常に洗練した文章をお書きになる流離いさんから言われてもピンとこないですね。洗練洗練とおっしゃいますが、流離いさんの洗練さの足元にも及ばないですよ。ぼくの作品を時系列で並べると(書いた順番に投稿しているわけではないので微妙ですが)、もしかしてちょっとづつ洗練されてきてるかもしれませんが、自分は、洗練したものを書きたい、とかそういう思いはまったく無いんですがね。
>身代金はどこかに用意されたまま、例年より冷たい冬の空から雪が落ちてくるのを、私は妻とベランダで寄り添いながら眺めた。
ここらへんはですね、地味ですが、ぼく的には、この作品のキーのパーツになるわけで、この描写がなければこの作品は成立しない、くらいの思いはあるんですが。思いはあるんですが、意外と、そう思われてないんじゃないだろうか、ということに最近気付き始めまして、中身がないって言われることに関しては、まったく動じないんですが、中身がないと言われて、いや、一応中身はあるんですよ、というのもね。中身が陳腐なだけで、中身がないということではない、ということをこの場を借りて言わせてください。
>一条さんは、とうてい快復出来ないようにみえる巨大な段差を、ぽんと放り出して、それでおしまい。。堂に入ったダンガイ(断崖)ぶりだと思いますが、日本人離れしていて、めずらしい人だなあと、
ここらへんは、非常にわかりやすい解説で素直に感謝します。
さいきん、ぼくも有名になったのか、一条のどこがいいのかわからない、というお叱りをよく受けるんですが、ぼくだって、ただだらだらと詩を書いてるわけじゃないんで、良くないとこを教えてくれれば少なくとも聞く耳くらいは持ってるんで、はらださんにも具体的に指摘いただいて感謝したりしてるんですが、「もっと装飾を」という指摘は、けっこうに装飾したつもりになっている自分には、目からウロコでした。
個人的には、流離いさんの読みは、他の方へのレスも含めて、自分にはしっくり来るので、もっともっと極道に絡んで来て欲しいなあ、と思っておりますが、まったくの余計なお世話ですね。ただ、余計なお世話ついでにもうひとつ言わせていただくと、流離いさんの詩に対する真摯な接し方に関しては、ここにいる多くの人がわかっていると思いますよ。って、本当に余計なお世話ですよね。なんかですね、最近仕事が忙しすぎて、逆に、仕事から逃げ出している感じになっていまして、文学極道でも発言の回数が増えてるんですけど。いや、これは、流離いさんにはまったく関係ない話でした。 ('07/07/26 16:05:10)
- 流離いジロウ :
一条さん
一言だけ。文章の洗練ではなく、構造の洗練を、僕が勝手に感じただけです。建物の骨組みが、読者にとってより前景に感じられ、(論理的に)すっきりしてきたように、思うんです。 ('07/07/26 17:28:37)
- 一条 :
流離いさん、構造の洗練ですか。なるほど、それは思い当たるふしが確かにあります。最近読みやすくなったという指摘を結構受けているので、構造の洗練とそこらへん関係しているかもしれません。良くも悪くも書き慣れたのかなあ。 ('07/07/26 17:58:36)
- 匿名 :
こんばんわ。紙と鉛筆もって、この詩?に挑戦しました。そしたら、♪。
今から報告です。
犯人‥小説の神様
犬‥作品
身代金‥原稿料
僕らは警官
そう決めてやると
犯人は妻かも…。
雪が降る中寄り添う
この二つが凄く浮かぶんです。。
今、僕の頭のてっぺんから2本何かがひっこぬかれました笑。
この詩(?)を「問題ではない」で終わらせないところが一条さんの凄いところだなと思いました。 ('07/07/26 22:41:35)
- 前田ふむふむ :
こんにちは。
言葉を、詩的センスで組み立てようとすると、その可能性が、いくらでもありそうに
思えてきます。そういう意味では、とても魅力的ですし、詩の面白さを、
言葉の面白さを、良くあらわしていると思います。
でも、別の見方をすれば、言葉遊びで、とくに言葉の背後に表れる肉感のカーブ、
その肉体を流れる汗のようなものが、まるで見えてきません。
底が浅いとは申しません。第一、底が浅いとは、何を基準にするのか
客観的に見出せないからです。
例えば、仮に倫理を基準にしたら、殆どがそこが浅くなってしまいます。
この詩は、ただ、おもしろいというだけで、その後に残るものを感じられないのです。
そして、面白いというだけでしたら、もっと面白いものは、
巷の詩に溢れているように思ったりします。
無骨でも、力のある言葉があります。その言葉の一言で、いろいろなメッセージが
含まれるような言葉、そういう言葉がある詩は、余韻として、残るものがあります。
そういう詩を、一条さんが書けないとは、とても思えません。
サークルの雰囲気で、一条ワールドと煽てられていて、一条さんはそれで満足していたら、
多分、将来はそこまででしょう。
これは、自戒の意味も含めて述べているので、
まあ、受け取るのは一条さんですから、どう思われても構いませんですが。
この詩は、最後の終わり方も、凡庸で、全く意味のない終わり方で、
いささかがっかりしています。
こんなこと、かなり酷いことを書いていますが、
出来そうにない方には、言いません。
希望として、新しい地平を、実験的でも良い、少しづつでも良い、
目指していただきたいと、切に願っております。
殿堂入りの方に、大変失礼ですが、ご容赦願います。 ('07/07/27 01:00:17)
- 水仙 :
不条理なるものこそ現実的だという主張を繰り返すのはちょっと愚直すぎるだろうご時世に、このような作品をあえて問うておられる心持ちやいかに。
一条さんの書かれた他の作品に対して「私の人生とは関係ない」と乱暴にも言ってしまいましたが、かつて不条理なるものはリアリズムを僭称するものよりも生々しいものとして提出されてきたと思うんですよ。なかには、ときを隔てたいまでも私の生きていることに深く関わるように思われる不条理小説なり不条理演劇なりがありますけれども、なぜだか、一条さんのアクロバットな技芸からは切実なものが得られません。「筋がないけどおもしろい」……確かにそうなのかも。でも、それで?
「物語=歴史の〈筋〉なんて恣意的なものなんだぜ、無数の読み方ができるんだぜ、多様性へ開いていこうぜ」っていう主張が、かつての不条理作家や前衛を擁護するひとたちには多かれ少なかれあったように思います(代表的なのは、美学者でいえばウンベルト・エーコがいます)けれど、いまだにそれと同じような意識でやっておられるのだとしたら、貴重な継承者のような気はします……。 ('07/07/27 03:19:20)
- 匿名 :
四つに区切って解読していくといいと思います。
〜誰にも読まれなかった。
〜名前を与えないようにした。
〜問題ではない。
〜ラストまで
まず一つ目では小説が印刷された春夏秋の半分が冬であるというのを「妻が歌を歌う」ということでばらしていく。。二重構造になっていて、そこには伏線として犯人との会話が置かれてます。
二つ目では、「二人でワンと〜骨をなめる」
これがどういうことか書かれていく。
二つ目も〜ジョンであることをあかした。で二つに割れていて、ここでは「犯人」(葡萄の中味にこだわる)に近付こうとします。
三つ目は1と2を繋げて、死にそうな犬が死んでいた。破綻している。と、まず大きくふりかえり、(自作に批評)
そのあとモニタ‐越しの世界だとばっさり切り捨てるではなく、手厚く十字架をたてる。全てを妻が包んでくれていたと感じる。
これで終らずに四つ目に一条さんはいくんですよね。決着をつけに。。
建ってある建物は図面に絶対おこせますよね。大黒柱は「一条さんの、奥さんへの愛」でしたか。ナンチテ。 ('07/07/27 06:54:51)
- 一条 :
前田さん、
ただの言葉遊びに終わってるっていうことですよね。ぼくには、詩を書いている人は、のきなみ言葉で遊んでいるようにしか見えないんですが、もっと皮肉を込めれば、「言葉遊び」というより、「言葉遊ばれ」なんじゃないかな、と。以前にもどこかで引用した記憶があるのですが、瀧口修造の「寸秒夢、あとさき」にこんなコトバがあります。
コトバ自体、イヤナ奴ト思ウ。イロンナ人間ニイロンナ風
ニ使ワレルママニナル。グニャグニャシタアイツ、使ウヤ
ツニシナヲ作ッタリ。アイツト余リ親シゲニ付キ合ワヌ方
ガヨイ。
朝、目が覚めるとつい気をゆるしている。
むろん、ぼくだって、言葉にしっかりと遊ばれていますし。
というのが、「言葉遊び」と言われたときのぼくの基本的な反応になるわけですが、言葉遊びに失敗しています、と言われれば掘り下げて答えてみようとするのですが、言葉遊びに終わっている、と言われると、言葉遊びのようなものをしているだけです、と言わざるをえないんですよね。ここらへんは、完全にスタンスの違いで片付けないとしかたがないレベルだと思っているんですよ。いつも申し訳ないなと思うんですが。あと、「一条ワールド」とか「殿堂入り」とかってのは、たぶんまったく関係ないですよ。ぼくは、そんなことを意識したこともありませんし、そんなことを守る為に詩を書いてるわけじゃないですからね。とはいいつつ、そこらへんに安住したような言動がぼくにあるなら、ちょっと気を引き締めないといけないかもしれません。
水仙さん、
ちょっとわかりにくかったのですが
ぼくの詩は、「不条理なるものこそ現実的だという主張」をしているが、そこに「切実なもの」が見えない
ってことですかね。異化というのは、そもそも社会や政治の抑圧下における諦念や無力に向けられた人間の真摯なまなざしなんだ、自明なものや慣習から「ずらすこと」によって「気付き」がうまれるんだ、だけども、ぼくの異化には、その背景に「切実なもの」が見当たらない、ってことですか? うむー、とだけ言わせてください。異化以下ということで。
>「筋がないけどおもしろい」……確かにそうなのかも。でも、それで?
に答えるとしたら、「おもしろいって、言ってるけど、それ、ほんと?」
ってことになりますが、たぶん、水仙さんの疑問になにひとつ答えることができてないですね。申し訳ないです。
匿名さん、
ぼくは、知性のかけらもない字を書くので、紙と鉛筆を持つ機会がほとんどなくなっています。挑戦していただけるというのは、書いた側としてはとてもうれしいものです。もちろん、当たりもはずれもないんですが、今後の創作の上で参考にさせていただきます。 ('07/07/27 18:03:16)
- 灰人 :
緩慢な言葉の羅列でありながら、やはりどこかするどいようです。研ぎ澄ますことが板についてきているんですかね。ウラヤマシス。 ('07/07/27 21:40:26)
- 前田ふむふむ :
一条さん、そうじゃないですよ。
私は、改めて、一条さんの過去の詩を読みました。
2006年のものは、みな素晴らしかった。詩に多様性がある。
詩全体が、巨大なメタファーを形づくっていて、詩の背景が、鮮やかに浮んでいます。
詩の身体というべきものでしょうか。
また、2005年の「出産」今年の作では「母のカルテ」は見事です。
それが、どうして、今回のような作品が生まれるのかなと思いました。
得てして、言葉に謙虚で無くなると、色々と弄くりだして、
こうなるのだろうと思ったしだいです。
I have two beds. も完全な空振りで、本来、一条さんが持っている
メッセージがまったく伝わらない、その舞台設定になんの意味があるのか、
最後の一匹になった蝙蝠の奥さんは、面白いが、
だからどうだという、つまらないところに落ち着いていて、
一条さんの、他者のまなざしが、まるで見えません。勿論、この作品にもです。
こんな時、遠周りするのかなと、
吉岡実の、中期の一時期の詩。天沢退二郎の一時期のわけの分からない陳腐な詩の時代。
等が有名人でもやっています。
捏ね繰り回した無駄な時代。
想像するに、一条さんは、今の詩では満足できずに、新しい起爆剤を求めているのでは
無いかと思ったりします。
そういうときに、一歩間違えると、とてもとても脱線して、
グレートアップは望めなくなったりする場合があると思います。
間違えないで進んでほしいとの願いのようなものです。
どうして、こんな事いうのかというと、この詩(良くないと思う)を
従来と同じように絶賛している方が多いので、
気になってあえて書いたのです。
詩において、
意味のよくわからない言語空間に出会うことがあります。
そのとき、沈黙を伴う言語体験をします。
立ち止まるのですね。
その深い余韻を帯びた美的な味わいを、
「より詩的な」とでも言っても良いと思います。
と同時に、詩において、
言語原因として発生して、当然のように辿るであろう過程が、
推測されて、ある種の範囲内で、予測可能な結論が導かれる。
そのとき、私たちはある種の安心感を味わうと思うのです。
しかし、この作品は、捏ね繰り回すように、わたしを頻繁に、
立ち止まらせます。頻繁に、いや、全般にです。
こんなにも、煩雑で頻繁に、刻まれると、読む気力が萎えてきます。
この詩は、安心感を全く与えません。
私たちの暗黙の約束事を、破り、悉く、裏返っています。
私は、10回読みました。読めば読むほど、苦痛度をまして、
耐えられなくなるほどです。
外面上は、面白い風に書かれていますが、どうしてどうして、
読めば読むほど、手に負えない代物のように見えます。
色々書きましたが、
過去の、一条さんの詩には(優れた詩は見なそうですが)、詩の背後に、
後光が射していたものです。とても個性的な。
今回の詩には、二作とも、それが全く、見えないということでしょうか。 ('07/07/27 23:08:34)
- 一条 :
灰人さん、
そうは言いますが、ぼくは、ただの緩慢なことばの羅列だなあとおもっていますよ。
前田さん、
ありがとうございます。
別の作品の前田さんへのレスを参考にしてください。
7月に投稿したふたつの作品に頂いたみなさんのレスを読んで
なんかいろいろ考えるとこはありました。
以前も一度、もう詩はしばらく書かないと言って
半年後くらいに再度書き始め、また半年くらいが経ったんですが
またも同じような思いになりまして、
またしばらく離れます。前田さん、ありがとうございます。
なんか基本的に、ぼくはややこしい人間なんですよね。 ('07/07/30 10:15:53)