アスファルトのうえに芽吹けなかったものがひずむ 静寂を描きかけて
やめて熱量がたちのぼった瞬間。目に映るものの すべてに記されたの
が記号でなく水彩画でよかったね 泣いてもにじまないアイラインなん
て風情がないけれど きみが きみ自身が滲んでも滲まなくても 叫ん
だことのある人の顔だからね
流さないでいい想像の中での血は、現れるまで 流れ着くところをえら
ばない 昇華されなかった思いがすべて そこで 透き通って 少女が
踊るのであなたかどうかわからないけれど きれいなひとが 溢れた世
の中でよかった。
そこまで及ばない馳せられた思いも、彼女の嗜好がなんだったのかに変
換され雑誌に書かれていて/
抱え込むようなかっこうで街を歩く 雛鳥をからだ
のなかに 放した 腕の動きがどんなにたどたどしくても、消耗していく
温度を、右手から左手へ 広げながら 深くお辞儀した 骨が見えて
もう雛ではなかったんだ
鋭い目つきでわかった 閉じ込められたこの気持ち ねえわたしが き
れいでいることとなんの関係があるのかしら 路上の測量の読みにくい
文字があらわせた 踏みつけて そういう形になった そんなつもりは
、なかったんだよ 綺麗な少女のふくらはぎが世界を描こうとしている
じゃないか 二つに一つをえらべない時に てのひらに 在ったがもう
すでにないものを、泣き腫らすほどにそう。声にならなかった凝縮され
たものが胸に 垂れていくほどに あたまのなかは重みがかたよったま
ま満ち足りていく
二つの脚に。宿るあたたかさは、交差することを。赦された 偶然だか
らわたしのなかから排除したのは あなたでしかできなかったことなの
に 生きていることを許されたような透明な血液が、透き通ったんだ
そこまでひどく人見知りをする 反面 歪むかもしれないけれど、握り
しめました わたしのものでなかった
あなたの手でした
かなうかわからないことだらけで信じられなくて 滴りに消滅する生
命の。かけがえのない。筋肉の層は、厚くなるだろう、その消えかかっ
た跡のうえを、歩みます。
そこにいるだけです。なんにも 言わないでさ 重い教科書持ちきれないでいる
持たされて まだ憶えていないことだらけが記されている その重さに耐えて 歩むのがやっとでした
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20171216_023_10099p
- 空転 :
偶像、と言うものを考えている。とある意味と価値を与えられたそれはその価値の付与者の欲望の体現となる。
それが正しいのか正しくないのか、という話ではなくて、その価値観に見合ったものなのかどうかで「ゆがんで」いるかどうかが判断されることになる。
「歪む」は「ゆがむ」とも「ひずむ」とも読む。同義異音語、すなわち同じ見た目を持っているのに読み音が違う。そのせいで「ゆがむ」と読んだ場合と「ひずむ」と読んだ場合とでは随分印象がかわる。すなわち同じ身体性を保持していても、その表現される方法によっては意味すら揺るがしかねない、そういった発見がこの作品を支えていると読んだ。
比喩はたぶんよく見かけるたぐいのもの。類型化された詩句。しかしそれのひとつひとつが強い身体性を持って語られ回帰し、意味性において反転される。
また一見、行揃えに整えられている詩型の最後の2行の逸脱こそが、この作品のテーマとして作者が投げかけたことの様に感じた。
非常に楽しい読書経験だった。
ありがとうございました。
以下、雑な読書メモ
<一連目>
>芽吹く
>たちのぼった瞬間
という上昇を示す詩句が序盤を彩る中、
>泣いても
という落下の示唆が行われる。この作品全体のテーゼを表している素晴らし一連だと思う。
「泣いてもにじまないアイラインなんて風情がないけれど きみが きみ自身が滲んでも滲まなくても 叫んだことのある人の顔だからね」(改行は筆者が便宜上行なった)
>水彩画
からもたらされる水溶性、塗られた、彩られたといったイメージから
>泣いてもにじまない
>アイライン
に連結し、さらには涙の起源である目への転換、つまり視覚への転換の示唆をうむ
>滲んでも滲まなくても >叫んだことのある人の顔だからね
水溶性の感情とでも言えばいいのか、涙をこぼすこぼさないという動作に阿らない
人間の在り方、苦悩を作者独特のイメージの連結で生々しく(身体性をもって)伝わってくる、すぐれた表現だと思った。
<第二連>
>流さないでいい想像の中での血
のフレーズにやられた。
>昇華されなかった思いが
血=思い、が循環する身体を強く想像させ、また
>少女が踊るので
で深化させる。
そこに
>あなたかどうかわからないけど
>きれいなひとが >あふれた世界でよかった
確かに思い(叫ぶ動機)が循環する身体をもつ少女が、同一性をもたないという提起が行われる。また >踊る という詩句が「アイドル」(=偶像)へのイメージ惹起をおこなっている。
この作品は「踊る少女」「きれいなひと」をモジュールとして機能していくのだという物語性の付与が、途切れることなく「身体性」をやはりキーにして展開していく。
本当に美しい流れだと思う。
<第三連>はモジュールの強化、話題転換。「/」の挿入は話題転換の方法としては少し強引で即物的な感もあるが、丁寧に織りなされた起承転であると感じた。
それだけで独立した一作品にもなりうる強度をもった、<第四連>。
執拗なまでに身体として印象を捉え直し続ける視線。
>雛鳥をからだのなかに >放した
から
>骨が見えて >もう雛ではなかったんだ
体の中を循環している思い=叫び、雛の幼いイメージが骨化する時間経過というよりももっと単純に「狎れ」のような「疲れ」を感じる。
>お辞儀
の目線は下に行く。その後のふくらはぎ、の在り方は、第一連の冒頭の上昇のイメージに回帰して「地(≒血)へ抗って立つ >二つの脚 へと収斂していく。
>声にならなかった凝縮されたものが胸に >垂れていくほどに >あたまのなかは重みがかたよったまま満ち足りていく
>生きていることを許されたような血液が、透き通ったんだ
というまるで馴致されたかのような絶望(社会的絶望)のなか
>反面 >歪むかもしれないけれど、握りしめました >わたしのものでなかった
>あなたの手でした
同義異音語をモチーフとしたタイトル「ひずむ音になれなくて ゆがまなかった」がここに収斂していくと思う。
同じ意味のはずなのに、音が違う(聴こえが違う、社会的な他者が評価する印象が違う)ことが同じ意味の存在さえ揺るがす、そういった詩句の流れの中において>あなたの手 の発見の力づよさ、そしてその後の >筋肉の層 >歩きます という「踊る」から「歩く」へシフトしていく劇性。特別な動作による異化を日常的な動作に回帰させた>あなたの手 (=わたしの手)は>歩みます という宣言を生み出す救いの手(救いきれてないけどそのバリエーションは示している)のようだと、燦然と輝いている。
最終2行の美しさ。
>そこにいるだけです。なんにも >言わないでさ >重い教科書持ちきれないでいる
>持たされて >まだ憶えていないことだらけが記されている >その重さに耐えて >歩むのがやっとでした
行揃えで整えられた詩型から逸脱することで「歩む」動作を綺麗に表現していると感じた。
とくに
>そこにいるだけです。なんにも >言わないでさ >重い教科書持ちきれないでいる
の中途半端な逸脱は、おそるおそるゆっくりと二本の脚を交差させながら(その動作に対しても同義異音的な印象をうまく引き出している)歩む姿そのもので、作者の強いメッセージを感じた。 ('17/12/16 14:23:43 *1)
- 北岡 俊 :
どうもです。
一枚に描いた絵本って言うのがあったら、いえあるのかもしれませんが、そんな感覚で続いていくと言いますか、僕は表層でつまりは自分が感じた事、くらいでしか語れないのですが、この感覚は、絵本なんですよね、子供に読み聞かせるような絵本じゃなくて、こういうんが欲しい!ってなる絵本、天沼春樹さんの絵本とかと同じ感覚で、作者の意図も考えずに連をすっとばして続けて読む物語性があるなっていうのは、たぶん、可能性のある詩なんだろうなっていう。自分はこういうのが書きたいとは思っても、バカみたいな跳ね上がりの跳ね上がった時のしか書けないのが虚しくなりました。
ありがとうございました。 ('17/12/16 19:04:59)
- 游凪 :
抜群です。うわあ、となりました。
感想や批評にあたる言葉をずっと探していたのですがうまくいかず、素晴らしくとても好きだというところに着地しています。
視覚はその構造からや認識を通すことから、歪んでいるもののように思います。故にセカイは歪んでいる。そんな不安定ななかでいかに生きていくのかを考えました。
「ゆがむ」と「ひずむ」ではニュアンスも違うなと気づいたところで、タイトルの絶妙さを感じます。終わりの二行で感じる光のような身体感覚がタイトルに戻って帰結していきました。
>泣いてもにじまないアイラインなん
>て風情がないけれど きみが きみ自身が滲んでも滲まなくても 叫ん
>だことのある人の顔だからね
とても惹かれました。叫びは切実で輪郭を越えていくのに儚く消えてしまう、そんな印象を受けました。顔は雄弁に人を、その人を語るものですね。
>赦された 偶然だか
>らわたしのなかから排除したのは あなたでしかできなかったことなの
>に 生きていることを許されたような透明な血液が、透き通ったんだ
>そこまでひどく人見知りをする 反面 歪むかもしれないけれど、握り
>しめました わたしのものでなかった
>あなたの手でした
ここにとても圧を感じました。自分自身を投影したからなのか、村田さんの意図されたものなのかわからないのですが、この詩で一番強い引力がありました。
拝読して感じたことを表現できなくて、とてももどかしいです。見当違いなことを言ってしまっているかもしれません。でもとても好きです、とお伝えしたかったです。ありがとうございました。 ('17/12/16 21:10:32)
- 村田麻衣子 :
お返事遅くなりすみません。
◎空転さんへ
偶然や奇跡のようなものにはやはり心を惹かれるので、必然的にこういう書き方になってしまうというか。それが、読者の方にとっても美しいものであればいいなあと思いを馳せながら。論点が今後の参考になりました。ありがとうございました。
◎北岡さんへ
絵本でしたか。あまり意識していないのですが、昔かなり絵本ははまったことがあり影響があるのかな。やはり言葉から反響する五感というもの、特に視覚的な表現というのは興味があります。手に取りたいと思ってもらえるような詩でよかったです。ありがとうございます。
◎游凪さんへ
好きだと言っていただけてうれしいです。不安定さっていうのは豊かな国に住んでいても 社会の中には存在しているように思えるのでそういうベクトルを辿りそれが いいものでもわるいものでも 詩にしていきたいなと思います。「て、わたし」という詩誌で戦争をしている国の詩人の翻訳をさせていただいたのですが、不安定さのなかで生きていく方の姿っていうのはまた果てしないパワーがあると圧倒されてしまいました。また精進します。評をいただき、ありがとうございます ('17/12/31 08:35:53)
- 无 :
オーディオの世界では、よくSN比とかひずみ率といった言葉が出てきます。要は原音に忠実な再生を目指す上で重要な数値なんですが、これが完璧なら良いのかと言えば微妙な話で、逆に何か物足りなく感じてしまうようです。私自身、CDの整った音よりもカセットテープのノイズが混じった曲、さらには中波ラジオのこもった音で聞く音楽の方が心地よかったりします。
この詩においても「ひずむ音」に関して「なれなかった」という表現が使われている。本来なら「ひずむ音にならなくてよかった」はずなのに、これはどういうことなのか。それは整った記号よりもにじんだ水彩画、あるいは涙でアイラインがにじんだ「きみの顔」の方が魅力的であり自然だからなのかも知れません。
>綺麗な少女のふくらはぎ
この部分、綺麗なのは少女なのか彼女のふくらはぎなのか、それとも両方なのか。まあ、綺麗だからいいか。綾波の胸、綾波の太もも、綾波のふくらはぎ。やっぱりポイントはふくらはぎですよね。村田さんの詩はイメージが豊富で、それだけで読むのが楽しい。さらに人間の心の深い部分を正直に、そして同時に美しく描いているところが魅力のひとつだと思います。持ちきれないほどの重い教科書を抱えた語り手は、それでも、決してゆがむことはないのでしょう。 ('17/12/31 16:23:46)
- 完備 :
こういう作品が大っ嫌いなんだよ 筆力はあるけど、てゆうかある程度上手くないと好きも嫌いもないから 嫌いってわざわざ言いたくなる一人でも人間がいる時点で「良い作品」ではあるのかもしれない どうしてこういう作品が嫌いなのかな 身体感覚に流されるなボケがと言いたくなる わたしのコメントは批判にすらなっていないな まあマックで「ワンピース好きじゃないんだよね」と言うJKくらいに思ってくださいね JKじゃないけど ('18/01/04 01:21:21)
- 村田麻衣子 :
无さんへ
壊れたヘッドホンなんかを繋いで好きな音楽を聴いた時に、ベースが聴こえなかったり、いつも聴いている曲でも違って聴こえるので 新しい発見があって楽しいなと。そんな偶然のノイズが私も、意外と好きです。
楽しんでいただけてうれしいです。ありがとうございました。
完備さん
嫌いでもかまいませんよ。人それぞれの感性があるので、当然のことです。読んでくれてありがとうございます。天下のワンピースのように「良い作品」かはわかりませんが、精進します。(ワンピースあらすじ知ってる程度で 読んだことないんですけどね。笑) ('18/01/04 07:46:39)