真実の芸術は偽りの名誉を超越している。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)
Verba volant, scripta manent. (言葉は消え、書けるものは残る)
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)
ボールがばあやの箪笥の
下に転がり込み、床では蝋燭が
影の端をつかみ、あちこちへ
引っ張りまわす でもボールはない。
それから曲がった火かき棒が
うろついてがちゃがちゃやっても
ボタンを一つ、それから乾パンのかけらを
たたき出しただけ。
ところがそのときボールはひとりでに
奮える闇の中に飛び出して
部屋を横切り、まっしぐら
難攻不落の長椅子の下に。
(ナボコフ『賜物』第1章、沼野充義訳)
彼は、その態度や高価な衣服からみて上流階級と思われる背の高い美男子がアーヴァに近づくのを見た。彼女はにっこり笑って立ちあがり、彼を小屋に連れこんだ。
その笑いがいけなかったのだ。
彼女は、それまでに、自分のところにきた男に笑いを見せたことはなかった。その顔は、大理石の彫刻のように無表情だったのである。いま、この笑いを見たサーヴァントは、何かが体の中にこみあげてくるのを感じた。それは下腹から拡がって胸を駆けあがり、喉に噴きだして息を詰まらせた。それは頭の中に充満して爆発した。彼は眼の前が真暗になり、(…)
(フィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』12、山高 昭訳)
一番興味のあることを見落していた。
われわれは毎日死ぬのだということを。忘却がはびこるのは
乾いた大腿骨の上ではなく血のしたたる生においてなのだ、
そして最高の過去もいまや皺くちゃになった名簿や、
電話番号や黄色に変色したファイルなどの薄汚れた積重ねだということを。
わたしは小さな花や肥った蠅に
喜んで生まれかわってもいいが、だが決して、忘れることはできない。
私はこの世の生活の
憂鬱(メランコリー)や優しさ
のほかは永遠性を退けてやるつもりだ。情熱と苦痛。
宵の明星の向うにだんだん小さくなってゆくあの飛行機の
濃い赤紫色の尾灯。煙草を切らしたときの
きみの動揺の身振り。きみが
犬に微笑みかけるときの仕草。銀白色のぬるぬるした
かたつむりが板石の上に残す跡。この良質のインク、この脚韻(ライム)、
この索引カード、落すといつも、
&の形(アンパーサンド)になる この細長いゴムバンド、
それらが天国で新たな死者によって見出され
その砦のなかに長い歳月たくわえられるのだ。
(ナボコフ『青白い炎』詩章第三篇、富士川義之訳)
スヴェンのいうとおりだった。シルヴァニアンはビーズつなぎに苦心する必要があった。彼は手仕事をしている間は、考える必要はなかったのだ。彼の手が、彼の代りに考えるのである。彼が手ぶらで考えなくてはならないような時は、問題はもう解けたと感じている時だった。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』29、藤井かよ訳)
彼の異常な活発さは、始まったときと同じ唐突さで消えてしまったようだった。
(クリストファー・プリースト『スペース・マシン』4・1、中村保男訳)
わたしは思わず息を呑み、その拍子にアメリアの長い髪の毛を何本か吸いこんでしまったことに気づいた。途方もなく気を散らせるこの時間旅行の最中でも、わたしは、このようにこっそりと彼女との親密さを味わう瞬間を見つけていたのである。
(クリストファー・プリースト『スペース・マシン』5・4、中村保男訳)
やれやれ、なんという言葉を知らん男だ、オウム以下ときてやがる。あれでも、女の生んだ子供だというのか!
(シェイクスピア『ヘンリー四世 第一部』第二幕・第四場、中野好夫訳)
目の前に広がる光景を見たおふくろの目は、このおれの目だ。おふくろの目で、おれがまわりを見ているからだ。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)
あらゆるものが何かを待っているようだった。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)
ロジャーの目をとおして、われわれはかれが見たものを見た。
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』上巻・第一部・9、酒井昭伸訳)
ここにあるのはなんだい?
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)
うつらうつらしだしたところで、はっと起きあがった。「なんてことだ、山羊を数えるみたいに聖人たちを数えてしまったぞ(…)」
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)
そしてきょうも、あのときのように、ドアの上にぶら下がる黒いリボンを見た。しかしあのとき内心思ったことは今度は浮かんでこなかった。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)
それで、きみはいつまでそこにすわっているつもりだい?
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』5、飯田規和訳)
物という物がいっせいに輝き出し、虹の光彩が、鏡や、ドアの把手や、ニッケル製のパイプの中でさんぜんときらめいた。まるで光が、途中で出会うすべての物体を叩いて、その狭い牢獄を打ちこわし、その中に閉じ込められている何かを解放しようとでもしているようであった。
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』7、飯田規和訳)
いまにして思えば、この、すべてのものが不安定で、一時的なものにすぎないという漠然とした印象や、戦慄の事件が迫っているという予感は現実そのものがつくり出していたような気がする。
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』5、飯田規和訳)
「見るというのは明瞭に認識することだけど、憶えているというのは……もっとべつのものなのよ」
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』上巻・第一部・4、酒井昭伸訳)
記憶というものも、その不完全さということがやはり天の恵みなのだ。
(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)
いかに記憶し、いかに思考過程をはじめるか
(ブライアン・W・オールディス『率直(フランク)にいこう』井上一夫訳)
ヴェテラン夢想家が夢想にふけるばあいには、時代おくれのテレビや映画みたいにストーリーを夢みるのではありません。小さなイメージの連続なのです。しかも、それぞれのイメージがいくつかの意味をもっている。注意深く分析してみると、五重、六重もの意味をもっていることがわかります。
(アイザック・アシモフ『緑夢業』吉田誠一訳)
その子にとっては、雲はただ単に雲であるばかりでなく枕でもあるのです。その両方の感覚を合わせ持ったものは、ただの雲よりも、ただの枕よりも、すぐれたものなのです。
(スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』5、飯田規和訳)
人生における救いとは、一つ一つのものを徹底的に見きわめ、それ自体なんであるか、その素材はなにか、その原因はなにか、を検討するにある。心の底から正しいことをなし、真実を語るにある。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第十二巻・二九、神谷美恵子訳)
時間は継続を意味し、継続は変化を意味する。
(ナボコフ『青白い炎』詩章第三篇、富士川義之訳)
誤植に基づいた──永遠の生とは?
(ナボコフ『青白い炎』詩章第三篇、富士川義之訳)
一九五九年の春じゅう、頻繁に、ほとんど毎夜、わたしは自分の生命がいまにも奪われるのではないかとおびえていた。孤独は悪魔(サタン)の遊び場である。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)
生は大いなる不意打ちだよ。死がなぜさらに大いなる不意打ちではないのか、
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)
実際知恵それ自体よりも愉快なものがあろうか。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第五巻・九、神谷美恵子訳)
蜂巣にとって有益でないことは蜜蜂にとっても有益ではない。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第六巻・五四、神谷美恵子訳)
万物はいかにして互いに変化し合うか。これを観察する方法を自分のものにし、絶えざる注意をもってこの分野における習練を積むがよい。実にこれほど精神を偉大にするものはないのである。このような人は肉体を脱ぎ棄ててしまう。しかして間もなくあらゆるものを離れて人間の間から去って行かねばならないことを思うから、自分の行動については正義にまったく身を委ね、その他自分の身に起ってくる事柄については宇宙の自然に身を委ねる。
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第十巻・一一、神谷美恵子訳)
(…)しかし、しばらくのあいだ、大部分の航空兵にたいしていだいていた気持は、偽りの気持になった。ぼくは彼らを新しい眼で見るようになった。ぼくは彼らが好きなのかどうか、わからなかった。彼らとぼくでは、人間が違っていた。彼らは自信に満ちていたが、ぼくは贋(にせ)ものだった。ぼくは、自分が忘れてしまっていたものに近かった。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第一部・6、山西英一訳)
あなたはあたしが最初に思ったふうじゃないのね
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第二部・9、山西英一訳)
彼女は、自分で停めたくなったときに停めるのだ。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第二部・9、山西英一訳)
ある意味では、ぼくにとって彼女は、今夜以前は存在していなかった。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第二部・9、山西英一訳)
すべてを理解せずに、その一部だけを理解するなんてことはできない。自然は……すべてなの。何もかもが入り混じってる。わたしたちもその一部で、ここにいることで、理解しようとすることで自然を変化させてる……
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』�供�嶋田洋一訳)
(…)「──あるものの一部だけを知るのは、あの絵をばらばらに引き裂くようなものだということなの。あの、火曜日に話してくれた女の人の絵……」
「モナ・リザ」
「そう。つまりそれはモナ・リザをばらばらにしてみんなに配って、それで絵を理解したって言ってるようなものなの」
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』�供�嶋田洋一訳)
思い描ける場所は、訪れることができるの
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』�掘�嶋田洋一訳)
視線の鋭さにわたしは恐怖を感じたが、それが彼女に対するものか自分自身に対するものか、よくわからなかった。
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』�掘�嶋田洋一訳)
「話してくれ」ぼくは翻訳機械を使って、老人に話しかけた。「あなたがたに、こんな考えが最初に浮かんだとき、というか、アイディアのほうであなたがたの頭にはいりこんできたとき、あなたがたはうれしかったんですか?」
(ブライアン・オールディス『未来』井上一夫訳)
言語というものは、あらゆる文化にとって、最も本質的生産物だよ。その文化がわかるまでは、言語を理解することは不可能だ。ところが、言語がわからないで、どうやってその文化を理解できる?
(ブライアン・オールディス『未来』井上一夫訳)
(…)なぜ、そこで手を止めるか、自分ではわかっている。たとえ、なぜ手を止めたか、わからないようなふりをしようとも。あの昔ながらのうじ虫のような良心というやつだ。野球の一投のように長生きした亀のようにしぶといやつがうごめいているのだ。あらゆる感覚をとおして、おーいイギリス人みたいな猟の名人、こいつはカモだぞという。知性をとおして、空に漂い餌にありついたことのない鷹のような倦怠が、この仕事がすめばまた襲ってくるぞとささやく。神経をとおしては、アドレナリンの流れが止んで、吐き気がはじまるのを嘲笑してくる。網膜の奥の名匠は、自分を含めた光景の美しさを言葉巧みに押しつけてくる。
(ブライアン・オールディス『哀れ小さき戦士!』井上一夫訳)
決定のあり様は、また一般に思考の形式は、決定あるいは思考それ自体なのであって、それは正しい問題の立て方がその解決に等しいのと同じことであり、したがってその効用も一時的あるいは体系的にしか、つまり混沌とした前段階的局面としてのみ、形式から切り放して考えることはできないものなのだ。ということはまた、前提がいっそう重要なものとなるということだ。いや、これが唯一重要なんだ……
(トルマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)
我々の内部にあるものは、やはりつねに我々の外側にもあるんだ。つまり、慌てるな、我々が何らかの関係を結ぶことができたものは我々の内部にあると、こう言おう。しかし関係がすべてではない、一つの関係はそのような他の事物の存在を否定したり、あるいはそれにとって替わったりするどころか、それらの存在することを肯定するのだ。関係は自己充足的ではない。
(トルマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)
どんな秘密も、そこへ至る道ほどの値うちはないのですよ。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十二章、園田みどり訳)
まるで存在しなかったかのように
過ぎ去るのは、
記憶に留められないもの
だけに限るのかもしれない。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十四章、園田みどり訳)
宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた、ちょうどその人生観が違っていたように。宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界には映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。永劫(えいごう)はこれただ瞬時──涅(ね)槃(はん)はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すという道教の考えが彼らのあらゆる考え方にしみ込んでいた。興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。
(岡倉覚三『茶の本』第二章、村岡 博訳)
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てである。
(岡倉覚三『茶の本』第一章、村岡 博訳)
この世のすべてのよい物と同じく、茶の普及もまた反対にあった。
(岡倉覚三『茶の本』第一章、村岡 博訳)
ひので貝は美しくて、壊れやすく、はかない。しかし、だからこそ、それは幻影ではない。いつまでも在るものではないからといって、一足飛びに、それが幻影であるなどと思ってはならない。姿かたちが変わらないからといって、それが本物かどうかの証拠になるわけではないのだ。蜻蛉(かげろう)の一日や、ある種の蛾(が)の一夜は、一生のうち、きわめて短いあいだしか続かない。しかしだからといって、その一日、一夜を無意味だとする理由にはならない。意味があるかどうかは、時間や永続性とは関係がない。それはもっと違う平面で、違う尺度によって判断すべきである。
それは、いま、この時の、この空間での、いまという瞬間に繋がるものであり、「現在在るものは、この時、この場所でのこの瞬間にしか存在しない」のである
(アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈り物』ひので貝、落合恵子訳)
だんだんわたしは選ぶことを覚え、完全なものだけをそばに置いておくようになった。珍しい貝でなくてもいいのだが、形が完全に保存されているものを残し、それを海の島に似せて、少しずつ距離をとって丸く並べた。なぜなら、周りに空間があってこそ、美しさは生きるのだから。出来事や対象物、人間もまた、少し距離をとってみてはじめて意味を持つものであり、美しくあるのだから。
一本の木は空を背景にして、はじめて意味を持つ。音楽もまた同じだ。ひとつの音は前後の静寂によって生かされる。
(アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈り物』ほんの少しの貝、落合恵子訳)
ところでいま私にとって明々白々となったことは、次のことです。すなわち、未来もなく過去もない。厳密な意味では、過去、現在、未来という三つの時があるともいえない。おそらく、厳密にはこういうべきであろう。
「三つの時がある。過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」
じっさい、この三つは何か魂のうちにあるものです。魂以外のどこにも見いだすことができません。過去についての現在とは「記憶」であり、現在についての現在とは「直観」であり、未来についての現在とは「期待」です。もしこういうことがゆるされるならば、たしかに私は三つの時を見すまし、それどころか、「三つの時がある」ということを承認いたします。
それでもなお、不正確ないいならわしによって、「三つの時がある。それは、過去と現在と未来だ」といいたい人があるならば、いわせておくがよい。私は気にしないし、反対もしないし、非難もしない。ただし、そこにいわれていることの意味をよく理解していなければならない。未来であるものがすでにあるとか、過去となったものがまだあるなどと思ってはならない。私たちが正確なことばで語ることは、まれである。多くの場合、不正確な表現を用いている。それでもいわんとすることは通じるのです。
(アウグスティヌス『告白』第十一巻・第二十章・二六、山田 晶訳)
いったい時間とはなんでしょう?
(R・A・ラファティ『秘密の鰐について』浅倉久志訳)
時間とは何だろう。子どもが時間を経験するとき、それは何の意味も持っていない。子どもは舞台裏で何が進行しているかなど、ほとんど、あるいはまったくわからない。だから何かが起きたときには、それが突然起きたようにしか思えない。もしきみがまだ幼すぎて、灰色の雲がやがて降る雨を意味することを知らなければ、まだ経験が浅すぎて、きみに向かってやってくる犬が、きみが逃げるよりも速く走れるのだということを知らなければ、この世はどれほど異様なところに見えるだろう。それをきみも想像してみてほしい。大人は急ブレーキを踏まねばならない事態に遭遇したとき、腹を立てるし、天気予報がいい加減だったというだけで、不機嫌になることがある。
子どもの立場に立ってみれば、人生とはつねに猛スピードで過ぎてゆくか、じれったいほどのろのろと過ぎてゆくかのどちらかなのだ。とっておきのアイデアがひらめくのは夜寝るときだし、サーカスはあまりにもはやく終わってしまう。サヤインゲンはいくら食べてもなくならない。漫画は風刺に満ちた誇張ではなく、ごく当たり前の日常描写にすぎない。子どもは突然、壁に衝突することもあるだろう。距離とスピードの関係を正しく測ることができないからだ。
漫画の中では人間が崖から落ちる。
子どもは床の上で、毛布にからまって目をさます。ベッドから落ちてしまったのだ──どんなふうに落ちたかなどわかるはずがない。
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ジュディ・9、亀井よし子訳)
現在は、われわれがそれを自らの前に残した時、再び未来となる。わたしは確かにそれを残し、わたし自身の時代にはほとんど神話でしかなかった過去の深淵に身をひそめて、待ったのである。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』38、岡部宏之訳)
これまでに生きた者は一人残らず、まだ時の何処かで生きている。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』39、岡部宏之訳)
過去において永遠に根ざしていないものは、未来においても永遠ではありえないのである。そして、彼の喜びと悲しみを熟考すると、自分はもっとずっと小さいものではあるが、彼とそっくりだと思い当たった。おそらく、牧草が杉の巨木について考えるように、あるいは、これらの無数の水滴の一つが、〈大洋〉に思いを馳せるように。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』45、岡部宏之訳)
かれを生きたまま食べようとしたりはしないわ。かれがそれを望まないかぎり
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)
これがぼくにとってどれほど大きな意味があることか、きみにわかるかい?
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)
時間などは存在しないんだ。空間も存在しない。かつて存在したものは、現在も存在し、これからも永久に存在するんだ。おまえはおまえで、自分自身とチェスをし、またもおまえは自分に王手をかけてしまったんだ。おまえはレフェリーなんだ。道徳は、おまえ自身の規則に従って行動するための、おまえ自身との約束だ。おのれ自身にまことであれ、だ。さもないと、おまえはゲームを台無しにするぞ
(ロバート・A・ハインライン『愛に時間を』3、矢野 徹訳)
口先だけの言葉だからこそ、忘れられませんよ、と彼は心の中でつけ加えた。
(ロバート・シルヴァーバーグ『生命への回帰』13、滝沢久子訳)
「人生ではね、最大の苦しみをもたらすものは、ごくちっぽけなものであることが多いの」
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』上巻・第一部・10、酒井昭伸訳)
(…)わたしは見ていた。見ながら、すべてに形と意味をあたえていた。
(グレッグ・ベア『火星転移』下巻・第四部、小野田和子訳)
きみはいまなんという名?
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)
それが嘘でないとどうしてわかる?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』3、宇佐川晶子訳)
どうして、ぼくが嘘をつくんだい?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『果しなき河よ我を誘え』4、岡部宏之訳)
あなたがあたしに嘘をついてるのが今日わかったわ
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
あらゆる可能性を想定する想像力を持つ者は、だれでもパラノイア患者さ
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』10、宇佐川晶子訳)
この男を読みちがえていたのだろうか?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』5、宇佐川晶子訳)
ゴォーン! 一万の青銅の銅鑼がいちどきにたたかれて一つの音に凝縮した。高台の家々の庭で、谷間の都市で、カラファラ人たちは一家の銅鑼を鳴らして太陽との別れを知らせる。一つにとけあうその音は青銅の鳥のように舞いあがって、その翼の羽音がホテルを揺さぶり、窓々をふるわせた。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』4、宇佐川晶子訳)
その向こうにはわかりやすい情景がまた一つ。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』3、宇佐川晶子訳)
嘘にはそれなりの美しさがある。それなりの生命と整合性がある。
(リチャード・コールダー『デッドガールズ』第四章、増田まもる訳)
こわくない、とラムスタンは自分に言い聞かせていたが、それは自分への嘘、あらゆる嘘の中で一番簡単な嘘だった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』28、宇佐川晶子訳)
窓の外をながめているうちに、ぼくはフッとおかしなことを考えた。
この瞬間は、このときかぎりのものであるが、しかし永遠にここにありつづける、というようなことを考えたのだ。──ぼくたちは錯覚しているのだが、時間は決して過ぎ去っていくものではない。どんな短い瞬間にしても、永遠の一部であることに変わりはなく、そして永遠という言葉が不滅を意味しているのであれば、瞬間もまた消滅してしまうはずがないではないか。
そんなことを考えたのである。
時間はつねにそこにありつづける。うつろい、変化していくのは、時間ではなく、ちっぽけな生き物であるぼくたちのほうなのだ、と……
今、この瞬間、ぼくが眼にしている夏の光、耳にしているセミの鳴き声は、永遠にここにとどまる。そして、ぼくだけが老いていき、死んでいくのだ。
(山田正紀『チョウたちの時間』プロローグ)
神とことばを交わすことができるのは、神と同じ、異端者、アウトサイダー、そして異邦人ということになるだろう。これが地獄の驚異だ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
巧妙な芸術家というのは、大変なはったり屋で、いつも先回りをし、自分の負けを絶対に認めない。理性が狂ってしまったことも知らずに、それをエロティシズムだとか、武勲の誉れだとか、国家の要請だとか、永遠の救済だとか言ってごまかしている。そして狂人たちは喜んで協力もするのだが、自分たちを気づかってくれる人間に狂気をちょっと分け与えておけば、思いどおりにできることをちゃんと知っているからだ。いいかい、すべて問題は、人生の幻想を持ち続けるために、理性という幻想を持ち続けることにある。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
作家が書くことができるものは、ただ一つ、書く瞬間に自分の感覚の前にあるものだけだ…… 私は記録する機械だ…… 私は「ストーリー」や「プロット」や「連続性」などを押しつけようとは思わない…… 水中測音装置を使って、精神作用のある分野の直接記録をとる私の機能は限定されたものかもしれない…… 私は芸人ではないのだ……
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』委縮した序文、鮎川信夫訳)
言葉というものは全部で一個のまとまったものになるいくつかの構成単位に分れているし、そう考えるべきものだ。しかし個々の単位は興味深い性の配列のように、前後左右どんな順序に結びつけることもできるものである。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』委縮した序文、鮎川信夫訳)
言葉というのは一つひとつが、何か実体のないうつろいゆくもの、事物や思想を固定化したものにほかならない。発話された言葉を定着させるという必要性に迫られて、何世代にもわたる精神が選別と形象化を繰り返してきた末に、ようやく今の形になったものだ。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・20、嶋田洋一訳)
ある時期にわれわれは言葉というものを獲得し、それとともに向こうの世界から隔離されてしまった。世界を直接に理解するのではなく、思考が体験を媒介するようになったのだ──観察するのをやめてみれば、自分が思索の対象と切り離されていることはすぐにわかる。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・21、嶋田洋一訳)
法廷は内部に静止した黒い人影を吊るしたガラスの球のように、微動だにしなかった。その静寂は空虚ではなく、音楽の休止のように豊かで芳(ほう)醇(じゅん)だった。それは巨人の足どりにおける休止であり、一歩ごとに人間は蹂(じゅう)躙(りん)され無力化した。裁判長も、廷吏も、傍聴者も、みなショックを受けて無力な状態にあり、目を大きく見ひらいて激しく喘(あえ)いでいた。(…)
(ゾーナ・ゲイル『婚礼の池』永井 淳訳)
二月の中旬でも、天候が彼の遅すぎた決心を受け入れて、明るい青空の日々が続いた。まったく季節外れの陽気で、それを真に受けた木々が早々と開花したほどである。彼はもう一度トプカピ宮殿を見てまわり、青磁器や、金でできた嗅ぎ煙草入れや、真珠で刺繍した枕や、スルタンの肖像を描いた彩画や、預言者マホメットの化石になった足跡や、イズニック・タイルや、その他もろもろに、敬意に満ちた、わけへだてのない、不思議そうなまなざしを送った。そこで、山のようにうず高く、眼前に広がっているのは、美だった。商品に値札を付けようとする店員みたいに、彼はこの大好きな言葉をこうしたさまざまな骨董品に仮に付けてみてから、一、二歩退いて、それがどの程度ぴったり「マッチ」しているか眺めてみた。これは美しいか? あれは?
(トマス・M・ディッシュ『アジアの岸部』�検⊆稘� 正訳)
眼よ、くまなく視線を走らせよ、そしてよく見るのだ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
過酷な逆説だが、あらゆるものを表現し、あらゆるものに意味を与えようとすれば、結局それは、あらゆるものから意味を剥奪することになり、文学という冷たい、人為的な方法によって、あらゆるものを表現するのは不可能だということを知らされる破目になるのだ。それに気がついたのはいつだったか? レストランの主人夫婦に浜辺から追い立てられた、痩せて、貧しい、無花果売りの女の、あの下品さそのものであろうか? ぼくの視線を捉えようとするその女の眼を見るのをぼくが拒否したこと、その女と、女が抱えている問題がぼくの思考の中に入り込み、ぼくがあの島に求めていた平穏が乱されるのを拒否したことであろうか? (…)
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
だがおれは電話をしなかった。他人の人生を少しだけましなものにできる、ほんのちょっとしたこと。あのときもそれをしなかった。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第一部・5、嶋田洋一訳)
おれは待ちつづけた。煙を吸い込んでは吐き出し、今聞こえる悲鳴の中に、かつて耳にしたたくさんの悲鳴の残響を聞きながら。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・12、嶋田洋一訳)
それは別の場所に存在する、別の森の木々だった。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・13、嶋田洋一訳)
しかしそれを見たとき、だれが森だと思うだろう。
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)
ぼくの最も深い感情は、あまりにも長いこと自分で知らずにきたので、今それに触れてもまるで他人のものみたいだった。次第に腹が立ってきた。
(ロジャー・ゼラズニイ&フレッド・セイバーヘーゲン『コイルズ』3、岡部宏之訳)
別の人間になるというのはどうかな?
(ロジャー・ゼラズニイ&フレッド・セイバーヘーゲン『コイルズ』14、岡部宏之訳)
だれでもみんな自分とは別のものでありたいと願ってるんだから
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
別の自分になることだけだ。
(グレッグ・イーガン『宇宙消失』第二部・7、山岸 真訳)
なぜ、この一日をわたしと過ごしたのか
(ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』1、浅倉久志訳)
今夜わたしたちがこうして出会ったのは、ただの偶然ではないはず。
(ロジャー・ゼラズニイ『キャメロット最後の守護者』浅倉久志訳)
(…)乾いた噴水 からっぽの広場 風の中の銀色の紙 遠い町のすりへった音……なにもかもが灰色でぼやけ……頭がちゃんと働かない……むこうでハリーとビルの物語をしているきみはだれだ?……広場がカチッと焦点をとりもどした。わたしの頭の中のもやは晴れた。(…)
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』おぼえていないときもある、浅倉久志訳)
一度見つけた場所には、いつでも行けるのだった。
(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)
道は歩きやすかった。とりわけ、けもの道を見ようとせず、足がひとりでに道を見つけるようにすれば。
(テリー・ビッスン『熊が火を発見する』中村 融訳)
オアは小さく笑った。「ああ、まったくさね。そう、計画はある」
ベン=アミは大人の話を聞いている子供が感じるような、あるいはその逆の、欲求不満を感じはじめていた。「わかるように話してくれ」
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面13、嶋田洋一訳)
このことを、彼は深い感動をこめていった。わたしは自分の態度の冷たさを責められている思いがした。きっと悪い経験をかさねたため、わたしのなかに冷たさと不信が生じていたにちがいない。わたしも生まれながらのそういう人間ではなかった。だから、わたしは人に対する信頼の念を失うことで、人生においていかに多くのものを失ってしまったことか、また、きびしい警戒心を身につけることで、得るところがいかに少なかったことか、としばしば思ったのである。こういう心理状態が習慣になっていたので、ほんとうに悩みそうな、もっと大きな問題のばあいよりも、こんどの会話のことでわたしは悩んだ。
(チャールズ・ディケンズ『追いつめられて』龍口直太郎訳)
(…)小さな子供のときでさえも、恐ろしいことが四方八方から群がりよって来た。いつも何かわけのわからない暗黒の片隅があり、のぞき知ることのできない暗い恐怖の世界があり、そこから何かがいつも彼のほうをうかがっていた。そのため、彼は見ていてあまり格好のよくないことばかりやってきたのだった。
(ウィラ・キャザー『ポールのばあい』龍口直太郎訳)
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161001_800_9142p
- 三浦果実 :
田中さん
『全行引用による自伝詩。』を拝読させていただきました。前作にコメントさせていただいた際には、新参者でありながらもお答えいただきまして、ありがとうございました。
あれから、ひと月経ちましたが、未だに田中さんへコメントを書くのは緊張してしまいます。今作を一読しまして、ロバート・A・ハインラインが目に留まりました。実は、私、『夏への扉』を高校生の時に読み、好きな小説だった思い出がありまして。また、『時間』について記された引用がありますが、現在、自分の勉強のテーマでもありまして。この箇所の辺り、後ほどもう一度、読み返してみたいと思っております。
この後、私の駄作を投稿します。すみません。
(『The Wasteless Land』をアマゾンで購入しました。じっくり読んで楽しませていただきます) ('16/10/01 01:31:25)
- lalita :
ほう、シュタイナーや神智学にも造詣が少しはあるのですか。 ('16/10/01 01:44:33)
- 田中宏輔 :
三浦果実さんへ
ハインラインは、ぼくもはまりましたね。『夏への扉』は文庫の初版を持っています。拙詩集をお買い求めくださり、ありがとうございました。おこころにかなうものであれば、うれしいです。 ('16/10/01 07:02:37)
- 田中宏輔 :
lalitaさんへ
コリン・ウィルソンの『シュタイナー』を読んだだけです。 ('16/10/01 07:04:25)
- 5or6 :
ロリータのナボコフから始まり、バロウズで終わる。まさに変態の締めに相応しい落ちでした。
中盤はやや単調でした。作者の癖にやや縛られている感が見えました。
やはりバロウズの癖は凄いですね。
では。 ('16/10/02 23:03:45 *2)
- 田中宏輔 :
5or6さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。ナボコフもバロウズも変態でしたか? 笑。変態を極めると、文学になっちゃったりするのかもしれませんね。 ('16/10/03 05:02:06)
- 田中宏輔 :
長すぎるので半分にしました。というか、もとは、ふたつにしていたものを、一回分にしたものだったのです。 ('16/10/03 06:34:57)
- 田中宏輔 :
lalitaさんへ
コリン・ウィルソンのシュタイナーの部分、来月投稿のものにまわしました。作品、長すぎるのも、よくないですね。これくらいが、ちょうどよいのかもしれないと思いました。
5or6さんへ
バロウズで終わらなくなりました。お読みくださったさいしょの『全行引用による自伝詩。』の後半部分は、来月に投稿する『全行引用による自伝詩。』にすることにしました。
三浦さんはじめ、お三方、せっかく最後まで読んでくださったのに、すみませんでした。 ('16/10/03 06:49:12 *3)
- 5or6 :
なるほど、いつもと感覚が違うのはそういう事でしたか。文章は繊細ですね。
では。 ('16/10/03 08:09:23)
- こひもともひこ :
ご馳走様でした。
短い詩句でのつなぎだけではなく、長い文章の抜き出しも混ぜて構成されているので統一感を出すのは相当難しいと思われるのですが、作品全体が同じトーンで語られているような印象を受けました。プーさんのときの逆というのでしょうか。そして内容はひたすらすばらしかったです。 ('16/10/09 23:23:05 *1)
- ちょび :
ええと、
何やってんの、君ら?
引用の著作者載せたところで、権利者の意にそぐわぬ引用はアウトやぞ。
たとえばデイヴィッド・ブリンはまだ生きてるけど、
その一文が「虎の意を借る」ように扱われたと知った時、作者本人はどう思う?
「文意を歪めて盗作した奴がいる」って訴訟起こせると思うけどな。
だって、権利者はそれを適切に扱う出版社に売ったのであって、
売った物に対して、他、個人の自由にして良いという契約は絶対、無いね。
私の文章が売られるにしてもだな、「虎の意を借る」輩には売らない、
てか、ここでは盗作や剽窃を是としてんの?
ま、このコメント消されるけど、君ら、かなり際どいことしてるから、これ、ちょいと「パシャッ」としておくわ。
てかマジで、何、自由に盗作したものを堂々と載せてんの?
神経かなり疑うわ。
あんたらがコレを消す前に、何人がコレを見るんだろうな。
どっちが早いか競争するか。 ('16/10/10 03:49:05)
- ちょび :
まじで何やってんだよコイツら。
訴訟起こせるものを有り難がったり、
そこに気付かないで別な方向で批判してたり。
ほんと、気が狂ってるアホなのか?
僕も大概だけど、まぁ。
でもマジでこれ系はやめときって。
虎の威を借る狐の盗みは全員を不幸にするから。 ('16/10/10 04:23:04)
- 澤あづさ :
▼ちょびさんへ。
著作権と著作者人格権を十把一絡げに曲解なさっているようで、話が通じるかわかりませんが。同一性保持権は(特に日本では名誉声望を害する場合といった限定もないため)非常に強力な権利なので、あなたの言うような恣意を許容しない方向で運用されているようです。
▼引用開始────────────
『著作権法20条に規定する著作者が著作物の同一性を保持する権利(以下「同一性保持権」という。)を侵害する行為とは、他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴を維持しつつその外面的な表現形式に改変を加える行為をいい、他人の著作物を素材として利用しても、その表現形式上の本質的な特徴を感得させないような態様においてこれを利用する行為は、原著作物の同一性保持権を侵害しないと解すべきである(昭和55年3月28日第三小法廷判決参照)。』
〜「月刊雑誌『諸君!』評論事件」平成10年07月17日最高裁判所第二小法廷(平成6(オ)1082)〜
────────────引用終了▲
引用元:著作権判例エッセンス
http://www.kls-law.org/cce.055.html ('16/10/10 06:24:38)
- 田中宏輔 :
こひもともひこさん、ありがとうございました。目が悪くて、ルビの読み間違いでした。直します。内容にも触れていただき、ありがとうございました。
澤あづささん、ありがとうございました。すでに詩の大手の出版社から「全行引用詩」は数多く出ておりますので、まったく問題はないものと思います。そのまえに、いくつかの雑誌でも発表もしておりますし、なんら問題はないと思います。 ('16/10/10 09:42:04 *3)
- 田中宏輔 :
ちなみに、この形式の詩を収録したものとして、以下の詩集があります。
https://www.amazon.co.jp/%E5%85%A8%E8%A1%8C%E5%BC%95%E7%94%A8%E8%A9%A9%E3%83%BB%E4%BA%94%E9%83%A8%E4%BD%9C%E3%83%BB%E4%B8%8A%E5%B7%BB-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4783735107/ref=la_B004LA45K6_1_3/352-9923559-6019109?s=books&ie=UTF8&qid=1476061727&sr=1-3
https://www.amazon.co.jp/%E5%85%A8%E8%A1%8C%E5%BC%95%E7%94%A8%E8%A9%A9%E3%83%BB%E4%BA%94%E9%83%A8%E4%BD%9C%E3%83%BB%E4%B8%8B%E5%B7%BB-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4783735115/ref=la_B004LA45K6_1_11/352-9923559-6019109?s=books&ie=UTF8&qid=1476061727&sr=1-11
https://www.amazon.co.jp/Wasteless-Land-7-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4879958565/ref=la_B004LA45K6_1_17/352-9923559-6019109?s=books&ie=UTF8&qid=1476061727&sr=1-17
https://www.amazon.co.jp/Pastiche%E2%80%95%E8%A9%A9%E9%9B%86-%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4760212515/ref=la_B004LA45K6_1_15/352-9923559-6019109?s=books&ie=UTF8&qid=1476061727&sr=1-15
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%80%81%E3%81%8D%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/dp/4990788664/ref=la_B004LA45K6_1_16?s=books&ie=UTF8&qid=1476061962&sr=1-16 ('16/10/10 10:13:12 *1)
- アラメルモ :
マルクス、アウレリウス、アントニヌス。(何回も書き直しちゃった(笑)こうして読んでみますれば、このような思想の持ち主が二千年近くも前に存在していた、というだけでも驚くべきことですね。人類がその後辿ってきた思想哲学の歴史を改めて考えさせられてしまいます。
やはりナバコフの文章はいいですね。じっくり読んでみたいと思わせる作家です。
ところで日知庵にお訪ねするならば、平日か土日のどちらか都合のよろしい日がお有りでしょうか?
またその時が来ましたら書き込みはさせて頂きますが。 ('16/10/11 03:07:28 *6)
- 田中宏輔 :
ご感想くださり、ありがとうございます。土曜日に行くことが多いです。 ('16/10/11 07:05:05)
- すずらん :
瞑れば、私の目に黄色いろの葉。銀杏は君が人生にあり、座右の書におり、写字の葉になり。・・とてもステキな言の葉を読ませる、田中宏輔さんのフォルム自伝詩だと思います。田中さんが話して下さった『プヴァールとペキュシェ』…彼らの紆余曲折の旅が写字を頭デッカチなものから眼前のリアリティーへと変えたように、私の(田中宏輔作)全行引用詩を読む旅は写字されたものを知識からリアルに愉しむものへと変えたようです。
>ちょびさんへ
浪漫チックな言の葉装置『黄色いろ』の作者なのに貶めちゃうの?!って訝しく思いました。(著作権上の問題もないみたいだし)そんな知識ブランドに囚われずに自由に読めばいいんじゃないかなぁって私は思うのですが。(詩人の人生の読書体験から織り出された)非常にコンパクトで美しい図書推薦の言語藝術詩だとも思うし。 ('16/10/12 08:54:22 *1)
- 田中宏輔 :
すずらんさんへ
お読みくださり、ありがとうございます。『プヴァールとペキュシェ』への言及、うれしく思いました。全行引用詩は、詩を書きはじめた27、8年まえ、まあ、ざっくりと書きますと、およそ30年ほどむかしから書いてきました手法で、直接的には、それはフロベールの『プヴァールとペキュシェ』の第二部の構想が示唆してくれたものでした。ほか、2つの要因がありますが、フロベールが全行引用詩のお師匠さんだと思っています。 ('16/10/12 14:08:54)
- すずらん :
田中宏輔さんなら、これは面白いと思われるんじゃないかなぁと思います。
(グローバルCOEプログラム の2007年報告から)
http://www.gcoe.lit.nagoya-u.ac.jp/result/pdf/213_%E5%92%8C%E7%94%B0.pdf#search='%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%80%8E%E3%83%97%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%83%9A%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%80%8F'
30年ほど前ですか…詩人は孤独ですね。
話題に挙がっていたので浅学な私も考えてみて・・入沢康夫さんの全行引用詩ですが、確かにアウトプットとしては似ていると思います。でも、田中さんのような「場」の詩創作ではなく、話す「行為」の詩創作でコンセプトは大きく異なるように私は思いましたが、どうなんでしょう。 ('16/10/12 21:45:47 *1)
- 田中宏輔 :
すずらんさんへ
ご紹介くださった論文、走り読みしました。フランス語ができないので、微妙なニュアンスが伝わりませんでしたが、なつかしい既読の文章をなかに見て感慨にふけりました。入沢さんの作品は、ぼくのものとまったく違った意図のものだと思います。ぜんぜん似ていないような気がします。ふと、思い出したのですが、ブラッドベリ原作の映画で、『華氏451度』というのがありましたが、その映画の最後のシーンを見て、ぼくの全行引用詩と同じだなと思ったことがありました。さまざまな小説の一節を、異なる俳優が、つぎつぎと朗読していくのです。原作にはない、映画だけのものですが、映画を見たのは、おそらく、全行引用詩をつくったあとだったように記憶しています。貸しビデオ屋さんで借りて見た映画でした。 ('16/10/12 22:06:29)
- 野良猫ニャンコ :
とりあえず著作権云々は横においといて、テキストへの評価から。
結論から言えば、題名が悪い。
その説明は後でするとして、以下、作品から抜粋。
① 彼女は、それまでに〜 一番興味のあることを見落していた。
われわれは毎日死ぬのだということを。
② やれやれ、なんという言葉を知らん男だ、オウム以下ときてやがる。〜 うつらうつらしだしたところで、はっと起きあがった。「なんてことだ、山羊を数えるみたいに聖人たちを数えてしまったぞ(…)」
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)
③ いまにして思えば、この、すべてのものが不安定で、一時的なものにすぎない〜 ヴェテラン夢想家が夢想にふけるばあいには、時代おくれのテレビや映画みたいにストーリーを夢みるのではありません。小さなイメージの連続なのです。しかも、それぞれのイメージがいくつかの意味をもっている。注意深く分析してみると、五重、六重もの意味をもっていることがわかります。
(アイザック・アシモフ『緑夢業』吉田誠一訳)
④すべてを理解せずに、〜 「そう。つまりそれはモナ・リザをばらばらにしてみんなに配って、それで絵を理解したって言ってるようなものなの」
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』�、嶋田洋一訳)
⑤ それでもなお、不正確ないいならわしによって、「三つの時がある。〜 時間とは何だろう。子どもが時間を経験するとき、それは何の意味も持っていない。子どもは舞台裏で何が進行しているかなど、ほとんど、あるい不機嫌になることがある。
⑥ おれは待ちつづけた。〜 しかしそれを見たとき、だれが森だと思うだろう。
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)
⑦ ぼくの最も深い感情は、〜 別の自分になることだけだ。
(グレッグ・イーガン『宇宙消失』第二部・7、山岸 真訳)
出だしは除くとして、
これ等は繋ぎ目がいい。
わりかしスムーズに文体も意味も繋がっている。
逆に言えば、他はめちゃくちゃ。
全体として、話があちこちに飛ぶからわかりづらい。
しかりと把握するには何度も読み直す必要があるけれど、そこまでの魅力はない。
以下、作品から。
● 巧妙な芸術家というのは、大変なはったり屋で、いつも先回りをし、自分の負けを絶対に認めない。理性が狂ってしまったことも知らずに、それをエロティシズムだとか、武勲の誉れだとか、国家の要請だとか、永遠の救済だとか言ってごまかしている。そして狂人たちは喜んで協力もするのだが、自分たちを気づかってくれる人間に狂気をちょっと分け与えておけば、思いどおりにできることをちゃんと知っているからだ。いいかい、すべて問題は、人生の幻想を持ち続けるために、理性という幻想を持ち続けることにある。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)●
この後にこれを持ってこないのが不思議。
以下、作品から。
●しかし、だからこそ、それ
は幻影ではない。いつまでも在るもの
ではないからといって、一足飛びに、
それが幻影であるなどと思ってはなら
ない。姿かたちが変わらないからと
いって、それが本物かどうかの証拠に
なるわけではないのだ。●
ここでこれを持ってくれば、お互いに補完もされるだろうし、作者が描きたいものがより鮮明になるのではないかなとも思った。
題名が悪い。
自伝詩というと、作者の自分語りなイメージを与える。
「読者の自伝詩」という意味にも捉えられるけれど、それは作中に出てくる本を読んだ人間にしか共感は得られない。
これを作者の自伝詩ということなら、せいぜい作者のファンか、作者とセンスが似た人が喜ぶぐらいで、外に対しての拡がりが見受けられない。
こういったことが、「現代詩は単なるオナニーだ」と言われる所以でもあるでしょう。
さて、ここからはテキストではなく、行為に対して批判になる。
先ず、作中に出てくる作品郡。
これらの関係者各位(原作者、訳者、出版社等々)に使用許可をとったのかと気になる。
もしとっていないのなら、即座に作品を凍結し、許可を得るべきだ。
逆にとっているなら、作品の最後にその旨を書くべきだ。
著作権云々、法律云々以前に、それが人としての礼儀だからだ。
このままでは、作者は原作者や、訳者をなめていると見えてしまう。
次に、作者は訳者のセンスをパクってるに過ぎない。
このようなことをするなら、せめて原文から作者自身が和訳すればよかった。
その方が読者にとってはより、田中宏輔の息吹が感じられてよかったはずだし、自伝詩としての様も決まるってもんでしょう。
この作品、いろいろとマイナス点多すぎ。
先にあげられた著作権についてもそう。
作者は発行されているから大丈夫だぁと言うけれど、著作権問題なんてのは、公開されてから、発売されてから発生する問題だ。
発売されてるからモーマンタイなんて無知もいいところ。
引用だから大丈夫。
なんてのもそう。
名目が引用であっても、実態的に本文全てが引用であることから、主文がないという状態であって、引用としての形態はとられていない、いわばグレーゾーンな作品であって、発行されているから、引用だから、大丈夫なんてことは言えない。
また、著作権違反かどうかを決めるのは裁判所であって、作者やファンやアンチではない。
一般人が言えることは、あくまでも「その可能性がある」ということしか言えない。
しかしながら、作者がきちんと手続きをとっていればなんの問題もないことになるのは明白なことであるから、そういう意味で、ファンや作品を大切にしていないとも言える。
現状、この作品から見える作者像は
多少は文章を繋ぐセンスがあるものの、他者をなめきった世間知らずの無礼者の像しかない。
以上がこの自伝詩に関しての批判である。 ('16/10/13 10:47:49)
- 山田太郎 :
ええい、面倒くさくなった。笑
要するに、これは実用性のある「文学作品フレーズ集」にすぎない。
最近になってやっとわかってきた。
このフレーズ集を読んで、あ、この小説魅力的だなと思えば読めばいい。
わたしも随分、お世話になった。
それだけのものだと思うわたしのような人にはそれだけのものだし、
ここから奥深い文学的世界を感じられる人はそれはそれで幸せなことでしょう。
「文学作品フレーズ集」だと剽窃でも盗作でもなくなるのじゃないかな。 ('16/10/13 15:02:26 *5)
- 田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんへ
お読みくださり、ありがとうございます。タイトルと内容の批判は、わかるところもありますが、現状、作者には、これしかつくれなかったのでした。 ('16/10/13 16:45:22)
- 田中宏輔 :
山田太郎さんへ
お読みくださり、ありがとうございます。構成にはかなりの時間を割いているのですが、その成果があまりなかったのかもしれませんね。 ('16/10/13 16:46:58)
- すずらん :
田中宏輔さん
>(詩人の人生の読書体験から織り出された)非常にコンパクトで美しい図書推薦の言語藝術詩だとも思うし。
という一文を、上でちょびさん宛のレスに追記したのですが、田中さんに贈りたいなと思ったので(上げずに)ちょこっと追レス。これは世界にとっての【詩】という評価軸なのだけれど、実際に何人もの方に引用図書の読書をもたらしていて影響力がある詩だと思います。
『華氏451度』は子どもの頃にTVの映画チャンネルで観たかな。本を燃やすシーンが強烈だったけれど、ラストのシーンが田中さんの全行引用詩というのは、ナルホドです。 ('16/10/14 07:59:01)
- 田中宏輔 :
すずらんさん、ありがとうございます。 ('16/10/14 10:29:59)
- 野良猫ニャンコ :
これしかつくれなかった?
違いますよ。
こんなのしかつくれなかった、の間違いでしょう。
30年ですか?
発想から30年かけて、こんなのしかつくれなかったんですか?
なにやってたんですか?
作品をもっとよくしようとか、この発想をよりいかすにはどうしようかなぁとか考えなかったんですか?
詩人はいつから読書レビュワーになったんですかね?
age ('16/10/14 15:38:15)
- 田中宏輔 :
「こんなのしかつくれなかった」で、よろしいですよ。 ('16/10/14 15:52:51)
- 野良猫ニャンコ :
まぁいいや、
暖簾に釘うち、糠に手押し、アナルにウズラな反応聞いても作品と一緒で面白みないねぇ。
じゃ、質問。
田中宏輔さん自身はこの詩のどこが見ものだと考えてるの? ('16/10/14 16:12:52)
- 田中宏輔 :
発想から表現までのすべてですよ。 ('16/10/14 16:16:18)
- 野良猫ニャンコ :
え?
全然面白くないんだけど。
得にどこに力入れたとかもないの?
あるわけないかぁー。
単なるコピペだもんね。
これ。
美味しい料理全部混ぜたら味が台無しになっちゃいましたー。
的な作品だもんね。 ('16/10/14 16:23:29)
- 田中宏輔 :
作品がおもしろいかどうかは、読み手しだいでしょうね。 ('16/10/14 16:31:50)
- 野良猫ニャンコ :
巧妙な芸術家というのは、大変
なはったり屋で、いつも先回りを
し、自分の負けを絶対に認めない。
理性が狂ってしまったことも知らず
に、それをエロティシズムだとか、
武勲の誉れだとか、国家の要請だと
か、永遠の救済だとか言ってごまか
している。
www
確かに自伝詩だわ。
うん、うん、なるほど、この作品はほんとに田中宏輔を表してるんだね。 ('16/10/14 16:44:50)
- 田中宏輔 :
そう思ってくださって、うれしいです。 ('16/10/14 17:32:24)
- ちょび :
そうか?
荒らした本人が言うのもなんだが、その結論で纏まったのならそれで良いとも思うが、
でもそうか?
外野はここぞと媚を売ったり茶々入れたりするが、作者本人が如何様に思っているかなんて無視だろ無視。
その無視っぷりがムカつくね。
まぁ、悪かったよ。変なことを言ったのを謝罪する。
悪いことをした。 ('16/10/15 00:58:19)
- ちょび :
澤あづささん
Googleした限りにおいて、だろ。
出来るよ。世界に絶対的な法なんて無いよ。
同一性保持権てのは権利者を害さない(著作物及びその題号につき著作者の意に反して)てのがルールだから、権利者が騒げばアウトだろ。
最近で言えば「二次創作」がそれに当たるな。又は「同人誌」とか。
それを肯定すんのって話(著作者が不満を抱えてる例、あるよなぁ)。
ったく。
言えば心象を害するがハッキリ言う。
あんたも、それに気付かぬ連中も、全員、アホ過ぎる。 ('16/10/15 02:02:34)
- ちょび :
すずらんさん
知らねぇやつがシャシャり出てくんな。ボケが。 ('16/10/15 02:28:22)
- ちょび :
ちょいと裏幕を公開するけど……
三浦果実:老人にすがるアホな老人
lalita:老人のアホ
5or6:息の臭い老人友達
こひもともひこ:基本、老人な老人
アラメルモ:老人のアンチな老人
この作者:諦めきれない老人
老人ばっかだよ。集まると加齢臭がスゴい老人会。
「老いとは何か?」て考えたことある?
細胞の壊れた人たち、だよ。
「老人どもが騒いでいる」
この答えを出すために喧々囂々していたって知ったら、これほどアホらしいこともあるまい。
老人が偉ぶって、老人が褒めちぎって、老人がメタボな腹を突き出す場、ってのがココ。
違うってのなら注釈しなよ。
返詩ならいつでも出来るしな。 ('16/10/15 04:05:35)
- アラメルモ :
老人なら他にも居るだろゴマ潰しのちょびすけ。
山田老人はどうした?
あれが一番のキモ、砂防しなきゃならない老災だろ? ('16/10/15 04:34:17 *1)
- 澤あづさ :
▼ちょびさんへ。
わたしは上記に「上告が棄却された判例」を挙げたのですけどね。話が通じないことは理解しました。合法な引用と違法な二次創作の区別もついていないバカの、バカにのみ都合のよい強弁に関与したくないので、以降あなたには返信しません。ちょびさん以外のかたがたに、場汚しをお詫び申し上げます。 ('16/10/15 05:14:03)
- 田中宏輔 :
澤あづささん、ありがとうございました。「全行引用による自伝詩。」は、あと数年間から十数年間は、つづけて投稿する予定です。 ('16/10/15 06:28:55)
- すずらん :
>ちょびさん
フレンドの文体も見抜けなくなったのですか…このレスへの返信は不要です。
>田中宏輔さん
(このレスに返信はいりませんよ^^)
隆盛だった漫画業界も、赤字の雑誌で世界を広げ黒字の単行本でビジネスを成立させる傾向だとか。詩集の売れない時代、田中さんには唯々敬服です。 ('16/10/15 09:00:52)
- ちょび :
山田老人て誰だよ。
一つの思考だよ老人てのは。
なぜ人は老いて尚、可能性や未来を得ようとするのかってな。
どの道、僕はこの場の全員に謝罪しないといけないことに違いはない。
自分で作った四面楚歌だしな。
荒らして悪かった。 ('16/10/17 01:31:02)
- ちょび :
悪かった、と言ったのは作者に対してのみだしな。も一度煽っとこ。
三浦果実:ご再考のあるアホ。
lalita:ほう、じゃねぇよ。日本語テキスト買って読めないアホなのアホ。
5or6:それ二次創作だからな。二次創作で感心してるて脳ミソ弾けて止まないアホ。
すずらん:媚びへつらいのアホ。矜持を忘れた奴はフレンドじゃないね!
澤あづさ:なら、このコピペ文、世間に公表してやろうか? その時、お前は堂々としていられるのかアホ?
メルモ:近く敬老の日だが、あんたにその資格はねーな!
ほれ、「私がアホでない理屈」をこいてみろや。
だいたい権威にすがっても、それが乏しいものなら「私」を裏切り賛同しても、見返りは無いって現実に気付けや。
そもそも作者は見返りを与える目的で書いているわけじゃない。
無条件に媚びへつらうことが作者にとっては垢となる。
その垢にまみれた作者を嫌うなら、駄目なものは駄目と言え。 ('16/10/21 01:50:39)
- 蟹月庸太郎 :
中田満帆@mitzho_nakata- 10月17日
田中宏輔「全行引用による自伝詩。」。これは自伝になっていない。かれ自身の人生についてなにも語っていないし、かれ自身の固有性というのもただ引用元の選定や並べ方でしかない。自己の内部で一人合点し、気に入った箇所を並べるのが詩といえるのかは甚だ疑問だ。 ('16/10/21 10:21:15)
- 山田太郎 :
>lalita
>ほう、シュタイナーや神智学にも造詣が少しはあるのですか。
このコメントが一番笑った。
スノビズム丸出しで。
また、こんなスノッブな御仁を天才と褒める田中宏輔先生の
この「引用詩」も、なんだかだんだん怪しく思えてくるから不思議だ。 ('16/10/21 12:34:55 *2)
- 田中宏輔 :
蟹月庸太郎さんへ
自伝や詩といった言葉の定義が、ぼくとは異なるのでしょうね。 ('16/10/21 13:50:49)
- 田中宏輔 :
山田太郎さんへ
「怪しく思えてくる」という形容は、たぶん、はじめてされたものと思うのですが、55歳にもなって、まだ「怪しく思えてくる」作品を書けていたのだなと思うと、ちょっとうれしかったです。 ('16/10/21 13:53:21)
- すずらん :
ちょびさんへ
※そういうお話なら、sage進行でお願いしますね。
すぐ上の2つのちょびさんの書き込みを、さっき見ました。「この場の全員に謝罪」と書かれていたのに、レスポンスが遅くて申し訳ありません。その次のレスについては…私までスルーするのもどうかと思うので少し書きます。ネット詩掲示板に浸かっていると分かり辛いかもしれないけれど…、【詩】の販路を拡げるための下地作りで色々な業界の方々と接触する現場にいると、【詩】のステイタスの低さをハンパなく突きつけられるんですね。なので、まして詩の世界の権威にすら頼らず個人の力で地道に詩集/詩を世に投じておられる詩人の方々の努力は如何ばかりであろうかと思うんです。田中宏輔さんもそのお1人だと、私は思っています。ちょびさんの言う「権威」が何なのか私にはわからないけれど、あんまり世俗的なお話をして、文学極道の序列なき対マンの自由な雰囲気を壊したくはありません。合評をリスペクトし、従属からも馴れ合いからも迎合からもそして個人の利害からも解き放とうというのがこの場なのでしょうから、これでこのお話は切り上げますね。 ('16/10/21 18:04:10)
- くだもの太郎 :
三浦果実@katsujimiura
ちょびさん
なーんもわかっていないんですね。
ここは、日本でも世界でもないのです。文学極道なんですよ。
いいですか、文学極道の法律は文学極道の運営者が決めることなんですよ。
優良作品に選ばれている田中さんに敬意を表するのは当たり前じゃないですか。
もしかして、ちょびさんは、三浦果実作品が田中さんの作品よりも優良作品に選ばれるべきだと、そうお考えなんですか?文学極道で最高峰とされる方に敬意を表することに裏心も下心もないですよ。役人には、いつも有難うと感謝するでしょ?
田中さん、すみません。ちょびさんが煽ったので書き込みさせていただきました。 ('16/10/21 18:18:12)
- ちょび :
ハハハ! 知るかバーカ! ('16/10/22 00:32:22)
- 田中宏輔 :
ちょびさんへ
澤さんに、「なら、このコピペ文、世間に公表してやろうか?」と書いていましたね。ぜひ、世間に公表してくださいな。ただし、この作品、コピペ文ではなく、ワードに手打ちしたものだけれどね。 ('16/10/22 05:56:57)
- 山田太郎 :
>くだもの太郎
なんでおれたちが選考者と同じように評価しなければ
いけないのだよ?
選考者もひとりの人格があり感性がある。
そして一投稿者にもそれがある。
それが同じように尊重されるべきだろ。
ちょびは滅茶苦茶なやつだが、この件に関しては
ハハハ! 知るかバーカ!
が正しい。
三浦果実作品が田中さんの作品よりも優良作品に選ばれるべきだと、
仮にちょびが考えたとしても
ちっともおかしくない。個々人の自由だ。運営者だから投稿者よりも
見る目があるなんてだれにも断定できないことだ。
ファシズム丸出しの権威主義を見せつけるな。 ('16/10/22 08:38:16 *3)
- 野良猫ニャンコ :
敬意を示すのは本人の自由だが、批評とは関係ないからなぁ。
「名作を書いた作者の作品だから」なんてのは、批評として最悪よ。
批評者本人が、「私の眼はそういうバイアスかかってますよー」って宣言してるのと同じなんだから。 ('16/10/22 08:56:43)
- くだもの太郎 :
山田さん
野良猫ニャンコさん
ちょびさん
失礼しました。私の冗談コメントが過ぎたようで。
仰られる通り、皆さんはこちらの掲示板で権威と戦い、まっとうな批評がまっとうに飛び交う掲示板となることに真剣に取り組まれてる。
そんなみなさんに謝罪と併せてエールを送ります。
頑張ってください!
三浦果実@katsujimiura ('16/10/22 14:49:18)
- ちょび :
あら田中さん、久しぶり!
てかワードに手打ちならセーフとかねぇだろが。文は言霊、だろ。
霊、つまり【私】を他人都合で操るなって意見だよ。
言葉と【私】は生き続け、その尊厳は誰にも破られない。
こういう自尊心をあなたが持っていたなら、コレは無いな。
墓泥棒の所業だよ。
名誉毀損は別にして、いや、十分害してはいるが、僕はこれでもあなたに配慮しているつもりだ。
なぜそんなに嫌な奴になった? 昔はどこかで認められた詩人だったんだろ?
なんとか太郎みたいに私怨で害するアホのいることは分かるが、そのアホどもの愚痴を真に受ける必要は無いだろが。
いや、そのアホの急先鋒みたいなのが僕だったりしたし、まぁ。
でもワードに打ったからOKとか無いわ。文書偽造罪疑うわ。
僕が海外の弁護士で、コピペで売上ある文書見つけたら、即刻それで裁判起こすわ。
「原文はこうだが、訳文を不当に改変解釈してる」って。
自分で訳したか?
嘘は方便だが、詩作で嘘をつく奴は大嫌いなんだよ。
あと野良猫ニャンコもなんかムカつくから嫌いだ。 ('16/10/23 01:08:18)
- 蟹月庸太郎 :
たしかトム・ウェイツは自身の楽曲がコマーシャルに使われることを嫌っていたし、じぶんの作風や声のモノマネでも嫌っていて、どちらも裁判に訴え、勝訴していた。そもそも引用には定義があって、ウィキペディアでは、
・引用は引用する分量を抑えなければならない。
・引用するには目的(必然性)が必要であり、それに必要な量しか引用してはならない。
・質的にも量的[5]にも、引用先が「主」、引用部分が「従」の関係になければならない。ただし知財高裁平成22年10月13日(鑑定証書カラーコピー事件)判決においては主従関係は要件とされていない[6]。
・引用を独立してそれだけの作品として使用することはできない。
とあるわけで。それを引用や自伝についての考えがちがうから、無視してもいいというのは傲慢とおもう。そしてそれを出版社に際して思潮社や既成詩人が認めたという事実はあくまで内輪の承認でしかない。わたしはちょび氏を支持する。 ('16/10/23 01:40:28)
- ちょび :
どっちを支持するとかじゃないね!
分からん奴には分からんが、魂の問題だ。
田中さんには別に何も言いたいことは無いし、彼の権利を阻害するつもりも無いね!
他者の言葉を借りるのがそんなに致命的だというのなら、僕はこれを借りる。
「別な人生がある」
アンドレ・ブルトン、溶ける魚の一節だ。
どっちを支持とかじゃなくて、もっと別な素晴らしいものがあって、その別のものをより信じたい。
分かったかアホども! ('16/10/23 02:28:12)
- 朝顔 :
最後に。
ここを去るに当たって、田中さんのところで叫ぶのもどうかと思うけど。
この「文極」に投稿されている詩、確かに詩情があるかも知れない。
巧い詩かもしれない。
(いや、詩情があって巧い詩だ、って事にしておこう。)
だけどさ。
どの詩を見てもどの詩を見ても、allそこに「自分の言葉」がねぇよ、ってあたし的には思う。
その筆頭がこの、田中さんの詩さぁ。
他者の言葉を借りるのが一概にマズいと言ってるんじゃない。
だけど、そこにまず自分の人生を死にもの狂いで生きて、本なるものをきちんと噛み砕いてて、体張って自分の頭で考えた。そういう言葉の重みがない詩が多すぎる。
アンドレ・ブルトンが言ってる?
だからどうしたの?
「別な人生がある」って言うことを、自分の言葉で誰も語れねぇの?
なんでそうなのか、教えてあげようか。
ここにいる誰も、自分で自分の人生を生きてないからさ。
言い換えればそこに「生活」がないんだよ・・・。
詩人はそんなもんに関わらなくっていい、と言う考え方もあるだろうさ。
だけど、あたしに言わせりゃあここにある詩、全部屑だ。
人間の屑が書いてる詩だ。
それはさ、つまるところPCばっか見てて、自分のリアルを生きてないからじゃね? ('16/10/23 02:48:02 *1)
- 山田太郎 :
全行引用詩というのは言葉の最小単位を拡大したものなんでしょう。
ということは既存の人間的個性を引きちぎっているわけですが、
各作家の人間的個性を引きちぎってことばの最小単位に還元しておきながら、
それを自分の感性で再構成したものを、「詩」(田中宏輔の人間的個性)として
押し出すこと、
むしろそのことのほうが問題であるのじゃないか、
ちょびはそういうことをいってるのかもしれないね。
「文学作品フレーズ集」なら何の問題もないのだけど。田中さんはどうしても
じぶんの感性が作り上げた"作品"であると主張したいのだろうとおもう。
だから、あの、ほんとうのことをいえば、独創的というより、
田中さんの我の強さが人一倍、強烈だった、それだけのことかもしれません。 ('16/10/23 05:51:13 *7)
- 田中宏輔 :
根本的な詩という言葉の意味が、ぼくとは異なるひとが多いということかなあと思いました。自伝詩という言葉の意味もね。 ('16/10/23 10:30:46)
- 田中宏輔 :
こんなに反発が多いのは久しぶりのことで、これはやりつづける意義があると確信しました。 ('16/10/23 10:35:39)
- 山田太郎 :
>こんなに反発が多いのは久しぶりのことで、
わたしの感想は「反発」ではないですがねえ。
反発というのは感情でしょう。だけど、わたしはたんに
目に見えた事を表現してみせただけです。
それを「反発」ととらえるのは田中宏輔さん、あなたが
感情的に反発しているだけで、たんに、あなたの心の
投射にすぎないとおもいます。
みなさんはただたんに、この形式を詩と称することが
興味深かったり、物珍しいから評しているだけ
だと思いますが?
「反発」なんかするような、ものはどこにもないと思うけどね。 ('16/10/23 11:16:26 *2)
- 田中宏輔 :
いずれにせよ、これほどたくさんご意見をうかがえて、ぼくもつくり甲斐がありました。 ('16/10/23 14:29:37)
- 鷹枕可 :
田中宏輔さんには申し訳ないのですけれども。
朝顔さんへ
最後に、もう少しだけ本題より離れた莫迦者のことばを、傾聴をしていただけませんでしょうか。
リアル=現実生活が惨憺たるものであるからこそ逃避が必要となるのでしょう。それは書物でも絵画でも写真でもテレビでもネットでも皆同じ事です。
貌を上げて、前を見て、鏡を眺めて、何所にも私等は幸福を見出せなかったから、
この微微たる人生を覆そうと足掻いている、そう云った場所なのはご承知の事と思われるのですが。
詩とは恥の披瀝であり、後悔の再現化であり、誇示誇張する為の創物ではなかったのではないでしょうか。
詩を書く様な人物というのは元来、含羞の人であり、厭世的人物であった筈でしょう。勿論主観の曰く致す処ではございますが。
それが批評を、つまるところより社会的優位なる関係性を担保された優越の上階より卑屈の下階へ知識を誇り
批難の権威附けに奔走するからこそ、
斯様な歪んだ関係性を平静と進捗せしめることができるのではないでしょうか。
詩は弱く脆いものですが、批評者はそれより尚も脆弱な饒舌の城砦に居寓していることを、推して知るべきなのではないでしょうか。
何か趣意より離れた放言になりそうですので、此処で〆させていただきますが。
私は、本サイトの投稿者の皆様を、その詩の価値を屑呼ばわりなされたあなたに、甚だしく憤懣の念を覚えずにはいられません。
等々、
管を巻き、允に失礼を致しました。 ('16/10/24 00:03:47)
- 山田太郎 :
>だけど、あたしに言わせりゃあここにある詩、全部屑だ。
>人間の屑が書いてる詩だ。
>それはさ、つまるところPCばっか見てて、自分のリアルを生きてないからじゃね?
朝顔さんのこの発言、おれについては当たってるね。
PCでネット配信映画ばかり一日中観てるしね。
人との付き合いなんか面倒なだけでしょ。ほんとは人間、
人付き合いなんか、なければないほどいいんだよ。
あんな面倒なものよくやるよと思うがね。 ('16/10/24 05:57:05)
- 蟹月庸太郎 :
>ちょび
>どっちを支持するとかじゃないね!
>分からん奴には分からんが、魂の問題だ。
>田中さんには別に何も言いたいことは無いし、彼の権利を阻害するつもりも無いね!
そうだな。だれかの側につくという問題じゃなかった。わたしがじぶんの魂をそまつにしていただけだ。わたしならべつのものを引用するだろう。「仏ほっとけ神はかまうな。」。 ('16/10/24 15:41:35)