Lと出会ったのは、まばらな枯れ木が散らばる空地が豊かな森に変わる、街のはずれのある小ぎれいなパン屋だった。そのパン屋で、僕は毎週土曜日、夢のようなケーブルを敷設するプランについて話す場をもつため、大勢の客を招いてミーティングを開いていた。大きな常緑のプランターがならぶ窓から鈍色の午後の日がこぼれる、つややかな白い2階のフロアで、エンジニア、学生、服飾デザイナー、それから町の安宿にちょうど居合わせた外国人旅行者など、いろいろな職業や国籍の参加者が、部屋の四つ角に配されたテーブルを囲み、意思の疎通を図った。僕らは、各自が発音する単語を一つ一つていねいに厚いボール紙の表面に記入しながら、日ごとの参与観察のデータと、国外へ移動する人々のフローを追尾する、遠く離れた土地での追加調査、それから調査地に着くまでに歩いたり立ち止まったりした街角やL字とS字形の路地を、色とりどりの地図上にボールペンで書きこんでいった。
そのグループのなかの、Lという端正な顔立ちの女性がとりわけ僕の注意を引いた。Lはその町の大手新聞社の販売部で働いていた。彼女の家は、街の貧困地区を南北に縦断する片側4車線の首都高速を、気の遠くなるほど長い跨線橋でオーバークロスした、溶接工場やショッピングセンターが混在する再開発地区にあった。グーグルマップで見ると、その場所からLのはたらく新聞社までは東へわずか2キロの道のりだったが、この街ではライトレールや路線バスはすべて南北に走る高速道路にに沿って整備され、彼女の通勤はいつもそれだけで「一日が終わってしまうんじゃないかと思うくらい」の時間がかかった。「歩いたほうが早いんじゃないの?no será mas fácil moverte a pie?」と笑いながら僕が言うと、彼女は答える「あなたはまだ来たばかりだから、この街を東西の方向に移動することの大変さを知らないのよ。」
Lは続けた「私の家は68号通りにあるんだけど、人はその一帯をいまだに『72』って呼ぶ。廃線になった国鉄のターミナルが解体されたあと、市は区画整理のために一本一本の通りにつけられた番号を調整しにかかった。だけどそこに大きなミスがあって、72と呼ばれるエリアは、地図のなかから消えてしまった。そんな市当局の失態のせいで、ここ数年、清掃局の車はLの家の周辺をいつもうっかりと通り過ぎてしまう。白昼の路上に何日たっても回収されない廃棄物がうず高く積もり、住民がついに抗議集会を開き、68号線を封鎖した。人々は巨大なスピーカーを通りの真ん中に据えてサルサ音楽を大音量で鳴らし、夜を徹して踊りつづけた。やがてにわかづくりの食べ物屋台がならぶ夜市が現われ、外国人観光客が見物に来るまでになった。その狂騒の一部始終が彼女の働く新聞社の朝刊で『72号線のカーニバル』というタイトルのもとに一面をかざったのはついさいきんのことだった。」
数ヵ月たったある夕方、はじめてLの住む家を訪れた。曇り空の水滴がアスファルトの路面を湿らす、しずかな日曜日だった。午前中から、街のあちこちで彼女のバーゲン品探しに付き合い、そのあと何をするでもなく、ぶらぶらと「72」の近くまでやって来た。Lの家は、68号線から小さな路地をはいったところにあるコンクリートの3階建てで、このあたりでは目をひく建物だった。しかしLの家族は、建物の屋上部分に置かれた、廃品の市バス3台を改造した小さなスペースに住んでおり、その外側のパティオには観葉植物や洗濯物を干すスペースが所狭しとならんでいた。Lによれば、地上階の部屋の多くはアパートとして賃貸されており、あまり楽ではないらしい彼女の家族の生計を支えていた。Lの家族が暮らすその屋上からは、灰色のセメントの住宅群や、大型量販店のむこうにスモッグにかすむ首都高速の防音壁が見え、そこを疾走する自動車のタイヤがアスファルトを擦る音が、微かにしかし絶え間なく聞こえていた。
いまではほとんど市井の人々の口にはのぼらない。だが、ちょうどその量販店の真新しいアスファルトの駐車場があるあたりには、ほんの4−5年前まで、この町の玄関として今世紀のはじめに建設された、ル・コルビジェ様式の近代的な国鉄ターミナルがあった。その話をどこかではじめて聞いたとき、僕は心が躍った。そして、それ以来、国鉄の駅があったころのこの一画の様子をいつも地元の誰かに聞こうと心に決めていた。しかし不思議なことに僕は毎回その機会を逸した。どんな相手と会っても、肝心なときにうっかりそのことを聞き忘れてしまうのだ。そして今日、屋上からまさにそのガラス張り建築のターミナルがあった場所に目をやりながら、Lにその話をしようと思ってふり返ると、僕が口を切るよりも早く彼女は言った。「明日の朝食のパンを買いに行かなくちゃ。一緒に来る?」
そして部屋に入ると、黒いジャンパーを羽織り、僕の存在を忘れたかのように、早足で階段を下りはじめる。僕はLに一歩遅れたまま後ろを歩き、S字形にくねった路地をゆく彼女の背中を追う。「今日はパン屋に行くのもう2度目だよなぁ Ya es la segunda vez que vamos a panadería hoy! 」と叫ぶと、彼女は後ろを振り向くことなく「そうね!siii!」とだけ答える。大型スーパーの広告塔ごしの、ツイストロールのかたちをした雨雲が浮かぶ空。解体されアスファルトで整地され、まるで浮き島のように住民の記憶から消えつつあるガラスばりの近未来建築と、廃棄物やスクラップで封鎖された幹線道路で住民が踊りつづける、「カーニバル」の夜深け。僕はLとこの街で出会ってからの数ヶ月間歩いたり立ち止まったりした、ボール紙の地図の上に色とりどりにマーキングされた無数の地点を思い出しながら、彼女と最初に言葉をかわした、あのパン屋の午後の日がさすフロア、そして、その店がある豊かな森におおわれた界隈まで引き返すための交通機関と、それだけで「一日が終わってしまい」そうな道のりについて反芻していた。
Avenida 68 (藝術としての詩・続) Copyright 天才詩人 2016-08-18 11:00:27
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>アラメルモ
>天才詩人さん
>山田さん・アラメルモさん
>田中恭平さん
>とりまきさん
>ほんの20年 ほど前、90年代の終わりだった。俺は写真やテクスト、絵画といったあまたの表現ジャンルの壁を突破し、そのむこうにある 「生」の 現実をエンコード(encode)する、あらたな藝術メディアについての決定的な啓示を得た。
>ミニマル系のダンスミューニックにはサウンドエフェクトしかなくて、
>とりまきさん
>肩肘張らずにDJとかもいる、健全でみんなが楽しめる盆踊り・・・。
>とりまきさん
>澤あづさ-ft-天才詩人『avenida-68-(藝術としての詩・続)/
>その理を尽くされ、相当な労力をなぜ注がれるのか、
>海外へ行ってなければどちらでも、いいんですが。笑
>紫
>さすが、口からでまかせの低脳さんですわね。
>天才詩人
>天才詩人さん
>山田太郎さん
>アラメルモさん
>アラメルモさん
>澤
>ありもしないその「善悪」を定義づける行為が、法やら政治やら権威やら教育やら批評やらというわけですが。
>それらの行為は「本質的に」、毀誉褒貶のいずれにせよなべて「暴力」です。
>なぜなら、繰り返しになりますが、好悪も賛否も本質的に、主観的合理の判断に過ぎないからです。
>ありもしないその「善悪」を定義づける行為が、法やら政治やら権威やら教育やら批評やらというわけですが。
>それらの行為は「本質的に」、毀誉褒貶のいずれにせよなべて「暴力」です。なぜなら、
>繰り返しになりますが、好悪も賛否も本質的に、主観的合理の判断に過ぎないからです。
>澤さん
>コーリャ
>俺が心で日本人だと思って、母語であるところの日本語を心で使って生活していても、
>その共同幻想とやらには参与できないんですか。
>海外生活者は日本語で詩がかけないんですか。
>山田さん、そういう人格の攻撃だとか、分かち得ない前提をもって議論するのは、ただの詭弁なんですよ。
>建設的な議論に発展しなさそうと言ってたのはそこです。俺がどこに住んでるから認められないとかってのは、ただの差別
>澤あづさ
>いろんな立場からいろんな意見が沸騰する。それら実存の集合体が「世界」だ。
>文学極道は「世界」の縮図であるべきだ。というのが文学極道の訴える「世界性」だと、恣意的に解釈してましたけど、どうでしょう。
>金持ちでもなく特異な集団に属してもいない「大衆」が、独創的な詩作に参加できるようになったのは、
>それこそ現代詩からなんじゃないでしょうか。
>※ この詩本から導出される未知なる冒険 南米の「サウダージ」と琉球の「ナツカシ」は、どちらも意味としてなんとな〜くわかっているようで、辞書にならない、たいへんな言葉の気がする。言葉の持つはるか向こうの人間の持つ内奥を垣間見る。詩のなかからそうしたものを感じとる。サウダージ・ブックス 編・著(今西龍太氏)より。
>特にチカーノ文学についてを、そうしたなかの詩人Alfred Arteagaを紹介していた。(一部抜粋)
>※末文が意味するのは、「われわれが国境を越えたのではなく国境が後からわれわれを引き裂いた」 |(-_-)|……ということ。
>※ 私心
>私が子どものころ、あるアートフェスで、現代美術家の詩人の、一人のメキシコ女性が、公園に縄を張り詩を読むパフォーマンスを見たたことがあった。 ロープを張る中では、いかなる外部の(権)力も蹂躙できない、という意味。(自国の政治について批判する内容をその中で朗読していた、んだ彼女は、(と、後から人から教えてもらった。)、 |(-。-)| ……
>※ ×英語、×スペイン語、×ナワトル語、×カロ 混成した言語が >制度的言語> 権威> 政治> 権力> を次々と転倒させていくという詩や文学の運動体なのだろうか?
>澤あづさ さん
>もしドゥルーズとかバルトとかを「文壇支配者の社交場で共有されている教養」と誤解なさっているのでしたら、
>それは本当に大きな誤解ですよ。あれらやニューアカやゲンダイシソーを読む行為は、ハエを飼うことやアイドルを追っかけること等と同じく、
>ただの「趣味」で、インテリの教養ではあり得ません。
>ニューアカやゲンダイシソーも、つぶれるべくしてつぶれたのです。
>そういうものやそれと似たようなものに感化されて詩など書く者は、自明として滑稽。いわゆるポエマーと、矛先が違うだけで自己陶酔度は同じです。
>そんなことはわかっているが、好きだから読み書きたいから書いている、難解な現代詩はまさに「思想信条の自由」の象徴。
>実に見上げたものじゃありませんか、世間様の嘲笑に耐えてわが道を貫いているのですから。
>現代では、天皇人間説を唱えようが敵性言語を操ろうが、逮捕されることも私刑を受ける謂れもないので、世間様の嘲笑に耐えさえすれば、
>自分の思想を曲げずに生きていけます。わたしは現代詩のそうした現代性を、笑いたいとは思いません。
>戦争翼賛詩人の末裔のことは、よくわからず申し訳ありませんが
>玄こうさん
>山田太郎さん,澤あづささん
>すずらん
>、寧ろ【日本から文化のコンパクトな装置を海外に移植した様な作品】という印象を覚えました
>アラメルモ
>アラメルモ
>下げでやらないなら凍結を要請する。
>俺は見廻り役だ。
>澤あづささん
>あなた、この作品を前提に書き込みを続けたいのであれば、散文作品として上げられたら如何でしょうか?
>天才詩人、談
>文学極道の掲示板でいつもまでもぐだぐた議論するのは、スラム街にあるラブホテルで大事な商談をしたり、
>新婚旅行の初夜を過ごすようなものだと思う 。つまり、メディアとしてすでに規格外になってしまった
>澤あづささん
>山田太郎さん
>文極を「スラム街のラブホテル」とみなしている。
>天才詩人
>アラメルモさん
>こういった行為が認められていいのだろうか。
>代表者であるみつとみ氏、及び副代表の平川氏、ならびに発起人の方々の何方か。
>ご意見を求めます。
>投稿者また文極読者にとっても非常に迷惑な行為です。 ('16/09/24 12:46:47 *2)
>このスレに書き込みされていない皆さんもどんどん意見を述べればいい。
>掲示板への書き込みは一部の人間だけのものではない。
>投稿者も応答しない作品で、馴れ合うように一握りの方々が発言と称して延々と書き込みを続ける行為に対して。
>このような一ヶ月も前に載せられた作品がまだ上にあるという事実。
>このことに対して新規投稿者は異論を訴えるべきだ。
>そうでないと山田太郎のような猿回しがおもしろがって邪魔をするばかりでしょう。
>遠慮はいらない。
>どんどん意見してやればいい。
>運営を動かしてください。
>アラメルモ
>知るか、バカたれ。情報があったから聞いたまでで間違いなら取り消しすればいいし、寒い月さん、早いな、
>思い上がってんのは、馴れ合いし続けるおまえらや、いい加減なことを書いてはすぐに消し猿おまえだよ。
>というよりも作品を離れて自分たちの発言に変わってきているやり取りのどこに必要性を感じるのか、述べてみてください。
>そもそも人の名前を騙る人間がわるいのです。
>そもそも人の名前を騙る人間がわるいのです。
>かとりさん
>一ヶ月も前の作品ですよ。あの長いスクロールは新規投稿作品を閲覧するのにも、コメントするのにも明らかに迷惑なのです。
>アラメルモ
>勘違いしたのはわたしの邪推でしょうが、あの場合火に油を注いだ人間にも責任はあると思いますね。
>アラメルモ
>作品の投稿、批評活動を行う場です。作品本題に関する内容を含まない返信は禁止します。発見した場合削除の対象となりますので、予めご了解ください。
>君には失望したよ