。ひ
。蒲松齢『聊斎志異』第四巻所収『書癡』
。立間祥介訳邦題『書中の美女』から
。
眇。瞑らず、眇眇と。見かぎる横目で見えない片目の、まぶたを縦に見たてるように。偏見。泣き濡れたまつ毛がよこぎり、ほつれた傷をよこしまに縫い。綴じた口から、いきが漏れると夢を。やみ。ひらきだす瞳孔から、ひらいていた盲点たちへ、めぐる琴線を星座と呼ぶ。よる。傍訓が降り、読点にまみれて。文脈を打ち曲に解かれて
、
空まわる、よみ
の
渦を、穿つ一行
の
ミルキイウエイ、牽牛
の
のの字に、巻き込まれた
、
星は、織女だった
絶弦した韋編の
きれ目が、眇めた紗の
栞はこと座にあった
、
書癡の
まぶたの
下樋
ねを、はり
あげる、さか
まつ毛の経
緯
、
(中華の栞は「顔如玉」と詠まれ、カムリは「顔如華」ブロダイウェズなる梟を詠んだ。書癡の誤読で編まれた妻と、三つの花から捏造された妻、いいか伏線を張るから見おろせ。その梟を詠んだ国は、英語に Wales と呼ばれている。その語源を古英語 Wealh ラテン語 Volcae ギリシャ語 Κελτοι までさかのぼって『よそ者』と読まれている、いいから見くだせ! そのよそ者がその国語に Cymru と、その語源をブリトン祖語 Combrogi (同郷) までさかのぼって『同胞』と。いまだ詠まれている、わかったか。どうでもいいと。どうせだれでもよかったんだおまえも
。
。
。ふ
。Lyfr Gwyn Rhydderch より『Math uab Mathonwy』
。中野節子編訳『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』所収
。「マビノーギの四つの物語」第四話「マソヌウイの息子マース」から
。
と思いましたがやはり気に入りません。いいえ中野節子はありがたい人です。「Llew Llaw Gyffes」を「フリュウ・フラウ・ギフェス」など表音した重訳家の井辻朱美とは────なにせ重訳は、引用の複雑な織物ですので────わけが違います。この書のためにウェールズへ留学までした人ですから、「Llew Llaw Gyffes」も「スェウ・スァウ・ゲフェス」と、気合いのほどが並なりません。わたしもうっかり興奮し、中野の底本をウェブで拾い、独自研究までしたので表音せずには気もすまない
、
「Dar a dyf y rwng deu lenn,
Gorduwrych awyr a glenn.
Ony dywedaf i eu,
O ulodeu Lleu ban yw hynn.」
(http://titus.uni-frankfurt.de/texte/etcs/celt/mcymr/pkm/pkm.htm?pkm004.htm)
、
「一本の樫の木が、二つの湖のあいだで育つ。
空と谷とに、その深い影を落として、
わたしの言葉に、まちがいなくば、
スェウの花から、こんな状態がおきたのだ。」
(上掲書 p129)
、
違う。Lleu は「スェウ」と違う「スェイ」です。さらには「樫」もオークですのでむしろ楢かと思いつつ、そうした和訳のお約束には強いて逆らうまいとしてもね。ウェブで拾った中野の底本によれば、かれは母のまえで鷦鷯の足を射抜き「ys llaw gyffes y medrwys y Lleu ef.」(この光は的を射た腕利きだ)と称えられたゆえに「Llew Llaw Gyffes」(腕利きの獅子)の名を得たのでした。実名敬避俗の慣例で言えば、「獅子」が字(あざな)で「光」が諱(いみな)、いいえ漢語圏じゃありません。古代ケルトの物語は、なべて口承でしたので、(書きとめられたのが中世なので、中野の訳書の副題が、)位牌に彫られた戒名などはどういう意味でもどうでもよかった。一説によれば言葉は、特に魔力を持つ詩は────それは上記の表音通り、韻文であり本来の「詩歌」であるので────字に書かれると力を失うのだそうで。墓場なんです「ふみ」というのは、「文」と「書」と「史」のいずれにおいても、ええまあここは日本語ですから
、
中野の底本でかれは終始
Llew(獅子)と呼ばれただ一場面
「かれが詩に歌われたとき」のみ
Lleu(光)と呼ばれている
、
この恋情やみがたい詩情は、わたしがみずからウェブで拾った中野の底本をCtrl+Fで徹底調査し発見したので、ウィキペディアの英語版にもウェールズ語版にも載っていません。なにせあそこは独自研究禁止の百科でそれどころか、「Llew(獅子)は誤記」と断言されていますウィキペディアの英語版に。英語圏のどいつもこいつも Lleu(光)に目をくらませやがって、中野の底本も鑑みない。日の本への恋路がひらいていない。もはや太陽に顔向けできまい光毒の花あの顔如華のように。題名の男なら呪われています。理由は書かれていませんが、マソヌウイの息子マースは、ひとりの乙女の膝に両足を載せておかないことには、生きていられない体なのでした。中野のありがたい訳注によれば
、
「足持ち人というのは、中世には普通に見られる召使いの一人であった。ウェールズの宮廷においては、男性である場合が多く、マッサージ師のような役目を兼ねて、食事をとる間の足載せ台の役割もはたしていたと思われる。ここに述べられたゴイウィンのような役目をする乙女の記述は、この物語が書きとめられた当時には、他に類を見ない。したがってこんなところからも、この話が、書きとめられるずっと以前から語られていた物語であることが推察される。」(上掲書 p422)
、
ゴイウィンは顔如華ではありません。引用やみがたく語りえない
。
。
『み
』から
。
JKリフレ『ゴイウィン』どう考えても儲かりそうにない。場末の整体屋で『指圧の心は母心、押せば命の泉湧く』ジェット浪越の余波に溺れ、拇指を三回ぶっ壊し終えたころ。あなたがたに会った。「妊娠。してるんですけど、」ベビードール。裾広がりのワンピースと、とても上手に隠れたおなかに。きっと二度と会わない。「むくみすごくて。肩もすごい凝るんです。あと背中の、」背中の。「背中の。羽が生えるとこ、」隣り合い、向き合わない、肩甲骨たちの内縁から。いつか羽がひらくんじゃないかと、わたしも乙女のころ考えたけれども「妊娠。してるんですけど、」あなたの肩井は傘ではなかった。あなたの血が打つ点字で読んだ。おなかを守るように、腰かけた猫背がなで肩を落とし、ふさぎこんでいた経気の井戸。冷えたバターをとろかすように、拇指を。四秒、まっすぐぬくもりを集めて。ぬかるむ『命の泉』母心はライヴのカウント、ワン。ツー。フォースリーツーワン
、
泣きだした妊婦の湧泉をご存じですか。「リフレも。できますか、」できますよ。アロマオイルはどうしましょうか、「ネロリ、」橙の花から蒸留されたネロリは、足の裏に塗るような値段ではない。ぺたんこバレエシューズのなかで、あなたの母趾はひどく外反していた。「って。オレンジブロッサムですよね。イギリスの結婚式の、」あなたがそう言いたいのなら、わたしに返す言葉はない。それが経済ってもんだろう。地に足つかないハイヒールに、はまれなかった土踏まず、あの日。オレンジとマンダリンをプチグレンに混ぜ、捏造した高嶺の花。そうプチグレンは橙の枝葉から蒸留され、場末で偽和されネロリとも呼ばれている。同じ木だから葉まで香る華、如玉。「おねえさん。細いのに。すごい力、」あなたのほうが細いんですけどね。「あたしも。ダイエットしてたんだけど、」贅肉だと、思いたかったんですね、あるいは贅物だと「結婚式、」そうなんですね。「するはずだったから、」そうなんですね。わたしはこのあいづちが嫌いだ「でも。」そうなんですね。返す言、葉が
、
蒸留されこぼれる香。如華。ぬかるむあなたの肩井から、われ鐘のように嗚咽に打たれて、湧泉まで寄ったなみ。だ。水を油ですべりながらあの日。あなたのむくみと摩擦して、わたしの手にだけ焚かれた熱で。漣のうねへ散り蒔いた、代代の petit grain(一粒種。(異物だね。))悪阻のように。昇華しますように。彩雲の織姫、他愛ない経済ふるい落とされる雨の経(たていと)がしきる場末に、よりをかけて緯(よこいと)を織り込み。波紋を広げる、羽衣は縮緬よりによって。凝縮しますように『指圧の心は母心(わが子ならだれでもいいはずだ母なら(女(子)き)がついているだろうか)きみ。空まわる地球のコアに、振りまわされて黄身返し。羽の生える内縁へ、外反した代代いろの娘、あのひ。いふうみい。よん秒の字たらず、八拍の字あまりで。彼方(あなた)の経気を引喩した、この指の名は拇指。はは
。は
』
)よ
。都都逸『おろすわさびと恋路の意見きけばきくほど涙出る』から
。
ことなりて紅涙ふるふ筆おろし
狂るる琴はや結びふみ
揺るる線にや星座する
指折りしをり爪あとを
痛手に解き織れうたへ
ひイ
ふウ
みイ
余
、かみなりて焦がれまた焚き「漣漣と酔ひ独りまつ毛をむしるほど
「恋恋と『彼方。手酌できけばきくほど
『われがね。和寂(わさび)ちぎる
詠
。いろはにほへとちりぬる緒
。和か
。世たれそつねならむ
、
、
、
、補遺
、ひ。顔如玉について
、出典『書癡』あらすじ
、彭城の郎玉柱は、琴も酒も碁もおぼえず父祖の蔵書にしがみつく、朴念仁の書癡であった。真宗皇帝の勧学文の写しを、傷まぬよう紗で覆って座右とし、その朗誦を日課としていた。かれは勧学文の説く「書にはすべてがある」との比喩を、文字通りに信じていた。そのため、科挙に落ちようが縁談が破談しようが、思い悩まずにすんでいた
、そのような玉柱の周辺で、天上の織女が逃げ出したとの噂が流れ出したある夜のこと。『漢書』八巻を読みふけっていた玉柱は、書に挟まれていた美女の切り絵を見つけた。紗でつくられた切り絵の裏には、細い字で淡く「織女」と書かれていた。それで玉柱は、これぞ勧学文の謳う「書中有女顔如玉」(書中には玉のような顔の女がいる)に違いないと惚け、以来、寝食も忘れて切り絵の美女を眺める日々を送った。するとある日、突如、美女の切り絵が起き上がり、(以下割愛)
、真宗皇帝の勧学文は、漢詩であり詩歌であって、すでに訓読が書き下されている。「これとまったく反対に、現代の書き手は、テクストと同時に誕生する。」「テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である。」「あるテクストの統一性は、テクストの起源ではなく、テクストの宛て先にある。」(ロラン・バルト/花輪光訳『物語の構造分析』みすず書房 p84-89)
、ふ。顔如華について
、出典『マソヌウイの子マース』独自研究
、ブロダイウェズ(Blodeuwedd)の名は、中世ウェールズ語で blodeu(花々)gwedd(のような顔つき)を意味する。 かの女は、オーク(力の象徴)とエニシダ(美の象徴)とメドウスイート(慈愛の象徴)の花々から、魔力によって生み出された「この世のものならず美しく芳しい乙女」である。その語義と、それら花々の花季や象徴が異なる点を鑑みれば、その名を「花々のように多彩な表情」と読解することも可能であろう
、ブロダイウェズの夫スェウ(その名の本質は「光」)は、母アランロドの不貞の証拠として生まれたので、母から憎まれ三つの呪いを受けていた。「わたしが名づけない限り名を持てない」「わたしが着せない限り武装できない」「この世のいかなる種族からも妻を娶れない」というものである。先ふたつの呪いは、スェウの養父(実父との説もある、ちなみにアランロドの兄弟である)グウィディオンの詐欺で解決したが、最後の呪いには解決策がなかった。そこでグウィディオンと領主マースが、魔力を用いて三種の花から「この世のいかなる種族でもない女」を生み出し、スェウに与えた
、ブロダイウェズは、光のために捏造された華であった。その役割を放棄し、別の男と不義の恋に堕ち、夫の殺害を共謀して、創造主グィディオンから罰された。(創造主は、被造物の「花々のように多彩な表情」を読解しなかったのであろう。)華が光を裏切ったので、太陽に顔向けできないように、梟へ姿を変えられて「永遠にブロダイウェズと呼ばれるように」呪われた。現代UKの児童文学『ふくろう模様の皿』は、ブロダイウェズを「姿を鳥にされたのに、名が花のままだから、花に戻りたがっている」とみなしている。その同情の背景は、ここで説けるほど単純ではない。「わしがなにを知ってる?……わしは、自分が知っている以上のことを知ってる……なにを知ってるかがわからない……重みだ、それの重みだ!」(アラン・ガーナー/神宮輝夫訳『ふくろう模様の皿』評論社 p126)
、み。三種の偽和について
、ダイダイ精油の薀蓄
、世界初の香水として名高いネロリは、本来ダイダイ(ビターオレンジ)の花を蒸留した精油を指すが、現今では別の柑橘類の花を蒸留した精油もネロリを標榜している。この事情は、本来ダイダイの枝葉を蒸留した精油を指すプチグレンも同様。「ネロリ・ビガラード」「プチグレン・ビガラード」と標榜されたものは、本来のダイダイ精油である
、プチグレンはフランス語で「小さな粒」の意。ネロリが高価であるため、プチグレンを用いた偽和品がネロリとして出回ることもある。プチグレンとマンダリンとオレンジの調合でネロリを模造できることは、一般にもよく知られている。マンダリンとオレンジは、柑橘の果皮を圧搾した精油なので、ベルガモットのような光毒性をもつと誤解されがちであるが、誤解である。この三種の偽和は、本物であればネロリと同じく、光に対して安全である
、しかし、ダイダイの果皮を圧搾した精油には、強い光毒性がある。ダイダイの枝葉とダイダイの果皮でダイダイの花を偽和すれば、まさに太陽に顔向けできない。日の本の日は神であり、お客様は神様であり、指圧の心は読解にある。「読者はこの書物を乗り越えなければならない。そのときかれは、世界を正しく見るのだ。語りえぬものについては、沈黙しなければならない。」(ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン/坂井秀寿訳『論理哲学論考』法政大学出版局 p200)
、よ。三様の和歌について
、願わくはその余韻について
、この項の和歌は、発句+今様+七音+短歌(ここまでで長歌)/旋頭歌/都々逸で構成した
(ひ) 長歌を「発句+今様+七音+短歌」に分け
(ふ) 短歌の五七七を旋頭歌の上三句に見立てて、下三句をつけ
(み) 旋頭歌の下三句を冠甚句の五七七に見立てて、七五を足し都都逸を詠み
(余) 以上三様の和歌に、いろは唄のもじりを加筆した
、指折り数えて、指切った小指を手に余す。屈指、彼方(あなた)の語りえぬふみから。読者として書き手は、引用を織りなし誕生する。この琴線を、こと座の織姫から宛てられた
、
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160707_577_8946p
- 北 :
一読目終了しました。知らん事柄とか出てくるので、ネットで調べたら印象変わるかなぁ?とか思っています。第一印象は、砂山の一粒一粒の砂を、ブルドーザーで「ごごごごー」と一気に押してる感じがしました。きっとニ読目は、ブルドーザーと違って、このスコップ凄いスピードで砂山の砂の一粒一粒
を動かしてる!!というような印象になりそうな予感がしています。
とりあえず、最初に引っかかったのは、
>文脈を打ち曲に解かれて
、
の、>解かれて
、
でした。このあと、
>空まわる、よみ…
へと言葉のテンポが繋がっていくのですが、僕は仕事上、同じ拍の中で、今、この人が縦にリズムを感じているのか、横にリズムを感じているのか、察することをするのですが、この詩の中ではどっちにも感じられて、逆に察しられてる気持ちになりました。それが心地よいか悪いかは、その日や気分によって、成長ではなく、天気のように変わっていくと思うので、そういう仕掛けが、楽しみです。
では、またニ読目の印象、読んだらコメント書きます。
失礼します。 ('16/07/08 14:44:48)
- lalita :
母性について考えることが多い。 ('16/07/08 17:52:28)
- 澤あづさ :
修正報告ならびに北さんへ、lalitaさんへ。
▼修正報告
確認したら恥ずかしくも誤記だらけだったので、ひとまず誤記を修正しました。ついでに手を入れた部分もあります。既読のかた、本当に本当に本当に申しわけありません。「補遺」の部分は現況、選語の背景をどこまで補足(引用)するか思案しておりますので、「よくわからないところ、イメージしにくいところ」がありましたら、教えていただけると助かります。バルト『物語の構造分析』だけでなく、同『零度のエクリチュール』とかデリダ『散種』とかの引用があったほうが、好ましいでしょうか好ましくないでしょうか。。。
▼北さんへ。
ご高覧とご再読の確約を本当に本当にありがとうございます。書というのは、一読で価値がわかるようなものではありませんで、詩とか芸術とかいう前に「書物」でありたいと思って書いたので、再読ほどの僥倖はありません。
>知らん事柄とか出てくるので、ネットで調べたら印象変わるかなぁ?
ええもう「ふ。」はウィキペディア英語版にもないネタを一方的に扱ってますし、「み。」は本業の実話ですから専門用語きつくてすいません。知らん事柄については、ぜひわたしにお尋ねください。
>文脈を打ち曲に解かれて、の、>解かれて
そこは、趣旨が「こと座の織姫」にかこつけた「テクスト=引用の織物」ですので、「曲解」を割って「とく/ほどく」の掛詞にした感じです。わたしの修辞はわかりにくいようなので、尋ねていただけるのはとてもうれしいです。本当はその【曲】を、続く「のの字の銀河」にからめ、「レコード」(記録)を暗示したかったのでしたが、ヒヒョーの文体でしか書けない情報量になるので諦めたのでした。口語自由詩って、わたしにはほんと難しいです。
>このあと、>空まわる、よみ…へと言葉のテンポが繋がっていく
「ひ。」の部分のテンポ(行わけのタイミング)は、100%「意味」で分けているので、音楽的な成否はどうなんだろな、、、と自分でも思っています。わたしは音楽も美術も体育もぜんぶだめで、それらの感覚に依拠した文章を一切書けず、(もちろん人様の詩を読む際にも、それらを感受も理解もできず、)行を分ける基準が「意味」しかないのですね。それはそれでわたしの、いまさらどうにもならない個性で、、、って自分を甘やかしてる場合でもない。
▼lalitaさんへ。
母性についてお考えいただきありがとうございます。わたしも「拇指とはつまり母心」といった執念でもって、ジェット浪越の余波に溺れています。バルトがいうにも現代の書き手はたぶん母心です。
「制度としての作者は死んだ。彼の公民的、情念的、伝記的人格は消滅した。王位を失った彼の人格はもはや作品に対して恐るべき父性を発揮することはない。」(バルト/沢崎浩平訳『テクストの快楽』)
これどっかに加筆したら好ましいでしょうか。難しいです母心は。 ('16/07/08 21:13:36 *2)
- lalita :
教養はいい ('16/07/08 22:49:12)
- 澤あづさ :
▼lalitaさんへ。
【教養はいい】ってその言い方は、押し売り対策等でもしばしば問題視される「語弊ある日本語」ですよ。果たして真意は下記のどちらでしょう。
(1) 教養は不要だ。
(2) 教養は好ましい。
押し売りが来やがったら「いりません。」ときっぱり断らないと、「いいです。」「けっこうです。」では揚げ足を取られます。lalitaさんも重々お気をつけください。 ('16/07/08 23:33:11)
- 山田太郎 :
「引用してますよ」という「注」までが詩文本体に入っているので、
骨の多い魚を食べているような煩わしさがありますね。
骨ごと食べるにはいまのわたしの歯はいささか脆いし、
身肉だけより分けて食べようにも、なんか少ししかないような。笑
つまりあれだ、皮や種の部分が実になっている果実みたいに、
骨の部分がじつは身になっているとか。そういう詩なのだろう。
これはこれで面白い試みだとおもいます。
いずれにせよ、日本の現代詩には韻律がないといわれるけど、
詩文の「声調」というものに関心があるわたしからみると、
あまり詩の調べのような、朗々とした声は聞こえてこなかった。
これはひとえにわたしの無知無学、感性の薄弱さに原因が
あるのだとおもう。
ところで作者は1.2.3.4.と、
各連に起承転結の付箋をふるつもりで、
このタイトルをつけたのだろうか?
漢字が輸入されるまえからこの国には独特の語り言葉があり、
それはやがて仮名という表音文字で書きつけられるようになったことを
中学校で学んだような気がする。
「ひふみよ。」は、中国文化がこの国に渡来する以前の
日本人の原・生活風景や濃密な情感をひきづっている。
現在わたしたちが使っている、
一(いち)二(にぃ)三(さん)四(しぃ)......という数え言葉の音表は,
一(イー)二(アー)三(サン)四(スー)......という中国語の音声から、
派生したものだろう。
(二(アー)だけが二(にぃ)と対応してないように見えるが、口腔の奥を極端に
狭めて搾り出すように発音すると「アー」が「にぃ」と聞こえるから不思議だ。)
つまり、
文明の進化や発展がもたらした能率化、効率化、有効化の要求が高まり、
洗練された渡来文明によって古代日本語が席巻され、
「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」という利便性から程遠い
歌うようなのろまな実用性のない音声を次第に遠ざけていったものとみられる。
一(いち)二(にぃ)三(さん)四(しぃ)も、
一(イー)二(アー)三(サン)四(スー)も、
一(ワン)二(ツー)三(スリィ)四(フォー)も近代的に整序された発生音をもっている。
逆にいえば「ひふみよ」のような音声には、利便性や機能性、合理性、能率性、
といったものとは無縁な人間の営みそれ自体によりそった情感や生活が張り付いている。
そこからなにを感じ取るかは人それぞれだろうが、わたしなんかは、性格が歪んでいるせいか、
まずは古代日本人の漠然とした「欠損」への哀しみや希求をみる。
ひ(否、否定や拒否の否)ふ(不、不安や不可思議の不)み(未、未定や未開の未)よ(余、余り、
余計者の余)....いつ(逸脱の逸)む(文字通り無)......(なな以後はまだ考えてない。笑)
つまり「ひふみよ」とい数え方には古代人の「なにか〈欠損〉への不安」があらわれているのじゃないか。
それはこれらの数え方のさいの口の開き方を想像してみるといい。
「ひ」は広角を狭く開く。これは押し殺して小さな悲鳴を上げる時の口腔のかたちだ。
「ふ」は唇をすぼめて息を吐く。嘆息であり、息継ぎである。
「み」は上下唇を固く閉ざす。真剣に、かつ、緊張して息を飲んでいる。
「よ」はだれかを呼んでいる。求めている。激しい呼び声である。
一(いち)二(にぃ)三(さん)四(しぃ)にも、一(ワン)二(ツー)三(スリィ)四(フォー)
にも、ここまで豊かな口腔の表情はない。利便性や効率化のために捨象されてきたのだ。
しかし一方で「ひふみよ。」という文字のつらなりは底知れぬほど、やわらかである。
ぼくたちは仮名(仮りの名)の優美さの正体をまだ知らない。その哀しみのわけも知らない。
だけど底知れぬほどやわらかでうつくしいのだ。
ところでこの詩が投稿されたころ、ちょうど図書館から借りてある本を読んでいた。
ベッドのはしに腰かけ、夜、洗面器の湯で足を洗ってもらっていた。
──という書き出しではじまる辺見傭の短い散文なんですけどね。
洗う人は顔をふせ、床にひざまづいている。
月に二、三度家に来てもらっている中年の整体師が施術前の
リラクゼーションのためといって、その日はじめてこころみた
やり方だという。
二人きりで沈黙しているというのもなんだか居心地が悪いものだが
整体師は、
ひとりごちるでなく、話しかけるでなく、ビオラのようにやわらかな声で
なにか自問めいたことを間欠的につぶやいては黙り、黙ってはつぶやく......
かれは足に向かって話している。「人ってどうしてばかたかい塔を
建てたがるんでしょうかね......」整体師の話題はいつもだしぬけだ。
「たかい塔を見ると、人はみんなのぼりたがるんですよね。わたしもそう。
なんでですかね」
辺見傭は返事をせず、なんとなく整体師のつむじを見ている。
「なんかねえ......へんですよね。低くっちゃあどうしていけないんですかね」
はっとする。低くてはいけないのか、というつぶやきを、私はなぜか
〈低くあれ......〉と聞いた。その身、低くあれ、と。うずくまった整体師の
大きな耳を見ながら、この人はいったいだれなのだろう、と
いつものようにいぶかる。
だがしかし辺見は「あなたはどなたさまか」と問う手前で問う意思をなくして
しまう。整体師の声には、ごく淡い匂いがひそんでいて、ポケットにラベンダーの
サシュ(におい袋)でもしのばせているのだろうとおもう。それで警戒心がとかれ、
いつのまにかまどろんでしまうのだ。
「足持ち人」という職能の召使についてほんとうのところ詳細はわかっていないようだ。
マッサージ師とか整体師とかいわれる職業の源がどこにあるのか、いまでは調べようがない。
しかし古代の王が身体への接触を許し、その身をあずけていたということは、臣下とは
また違う意味での信頼関係に結ばれていたことは想像できる。
あるときは予言者として、またあるときは語り部として振る舞い、
王に接してきたのではないか。
追記
凡百のwebテキストのなかでもダントツの魂いが燃えあがるさまのエネルギーは、
感受できました。たいへんな労作だとおもいます。 ('16/07/09 13:38:37 *17)
- 北 :
二読目です。知りたい欲が、僕の中で酷いので、
時間が掛かりそうです。
1)(ひ) だけ、まずは感想です。
作品単体だけでは少し弱さを思いますが、
感想文に陥っていないところが評価できます。
引用を知り、ある程度の理解ができると、
非常に美しく、人間味が人間味に還元されていくような印象を感じます。
「一杯のかけそばが、おかわり自由やったらこんな話、誰も見向きもせえへんわ。」
とよく思うのですが、美談はいつも悲劇的で、幸福とは対極にあると思います。
作品は原文を元にして、その美と幸福の間を上手く詩として紡いでいると思います。
2)同じ言語でも、意味から美を抽出するために深甚しようと欲すると、
僕用の翻訳が必要になりました。その過程(読み)も書いておきます。
「私は琴で風を起こすことができる。貴女は耳を塞いで、そこに隠れて見ていなさい。
彼が歌い始めると突風が吹き荒れ、女は吹きとばされてしまいます。」
韋編は解け
書物より零れ落ちた
言葉は銀河になる
韋編が切れた原因は穴があくほど見ていた。
凝視による見るものと見られるものとの緊張が、
解けた瞬間、
切れたうすぎぬで星を繋いでいくと、
琴座になり、ベガに織姫を見つけ。
「男はいつも豪語していました。
「下樋の中に世界はあり、下樋こそが世界である。」
下樋で増幅された反響音は甘い水となって、
琴から零れ落ちています。
「私は水を欠かしたことはない。」
人々はこの琴から零れ落ちる甘い水を求めて、
男に真水を貢いでいました。
男が琴を鳴らすと、甘い水が溢れます。
突風に吹き飛ばされた女は、男の言った通りに、
耳を塞いでいたので、
この甘い水(音)を聴いていませんでした。
しかし、吹きとばされたことにより、
この底知れぬ力を、
自分の力で『形』にしてみたいと思うのです。」
女性的ないじらしさに応えようとする、
男性的な本能というのは思慮深く思います。
(それは男は女はであり、即ち女は男であるという意味の中で。)
時間差に生まれたすれ違い的な空間に、
美を思い浮かべることができました。
(だって、思いついた男心は、
すぐに、簡単に、
命をかけたりするのですもの。)
形は形を排斥するために、形として形を維持しようと、
形しながら、常に柔軟さを希求しているようだ。
形なんて心の中で描けるよ。
描けなくなれば死だよ。
だから形による形なんて関係ないのですよ。 ('16/07/09 16:35:45 *2)
- 澤あづさ :
▼山田太郎さんへ。
前作に引き続き有用な批評をありがとうござます。ご指摘の通り本作は、5年がかり計11回改訂を経た、労作どころでない労作ですので、悔いを残したくありません。以後一ヶ月で得られた成果をもとに、ばっっっさり剪定したい(特に「み。」を限界まで削ぎ落としたい)所存です。
酷評大歓迎します。山田さんは「ひふみよ。」の本質を見ぬいてくださってるので、どんな物言いでも信頼できます。どうかもう、このあほにご遠慮なさいますな!
>「引用してますよ」という「注」までが詩文本体に入っているので、
>骨の多い魚を食べているような煩わしさがありますね。
ええ。そこね。5年がかり第11稿の労作に、つい先日の思いつきで急にこじつけたものなので。煩わしいうえに浮いているどころか、そもそも不適切だと急に気づきました。
「引用の織物=テクスト」がらみ、ぜんぶ消します!(即断即決)
>いずれにせよ、日本の現代詩には韻律がないといわれるけど、
>詩文の「声調」というものに関心があるわたしからみると、
>あまり詩の調べのような、朗々とした声は聞こえてこなかった。
前作(の初稿)の筆致を「おおらか」と褒めていただいたので、このご指摘は感覚的に、すっっっごくよくわかります。ぐだぐだぐだぐだうざいんですよね特に「み。」が。「引用の織物=テクスト」がらみをぜんぶ削り、自意識を半分にすることを目指します。全体的に修辞しかなく抒情が乏しい点は、どうしたものだか考えものだ。。。
>ところで作者は1.2.3.4.と、
>各連に起承転結の付箋をふるつもりで、
>このタイトルをつけたのだろうか?
はい! おっしゃる通りです!(一番肝心なとこなので突然元気になる)
わたしの脳内で「詩」は「翻訳不可能な文章」でもありまして。日本語以外のなに語でもできない表現を目指すにあたり、「大和詞の十までしか数えられない数詞」が、自分のなかで象徴的だったのでして。(だから「ひふみよ。」は、わたしの脳内では「日文よ!」でもあるのでして。)
>逆にいえば「ひふみよ」のような音声には、利便性や機能性、合理性、能率性、
>といったものとは無縁な人間の営みそれ自体によりそった情感や生活が張り付いている。
>そこからなにを感じ取るかは人それぞれだろうが、わたしなんかは、性格が歪んでいるせいか、
>まずは古代日本人の漠然とした「欠損」への哀しみや希求をみる。
こういうご意見を伺えるのはとってもうれしいです!
***
それにしても、ご紹介いただいた辺見傭の整体師は、さすがに非日常的ですね。接客業は「お客様のお話を伺う」のが第一ですが、なににせよ整体屋にとって「お客様の警戒心を解く」のが最重要であるのは疑いありません。ラベンダーは、お好きなかたには、眠りを誘う香りですから、ご紹介の文脈はよくわかります。きっと作家がラベンダー好きなんでしょう。わたしもラベンダーとプチグレンのブレンドが大好きです。
香りというのは、アロマテラピーの教本に書いてあるようには、絶っっっ対に伝わらないので、(つまり嗜好性が強すぎるのです、)本作ではあえて言及しなかったのですが、、、どうにか考えたほうがいいんだろうか。。。すぐれた文章をご紹介いただくと、駄文に向き合う意欲が増進します。
欧州のマッサージは、聖書にもたくさん出てきますし、古代ギリシャでも効果が認められていたのですが、なぜか近代に至るまでろくに研究されなかった(ゆえに資料がない)という経緯がありまして。足持ち人の職能は、わたしにもまったくわからず、「食事のときの足載せ台」なんて想像もつきません。食事がテーブルに載っていたら、乙女の膝に足など載せられないと思いますが、テーブルがなかったのですかね??? 外国の民話は想像するのも難しいです。その「わからなさ」を見ぬいていただけて僥倖です。 ('16/07/10 05:15:28)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
>知りたい欲が、僕の中で酷い
.。゚+.(・∀・)゚+.゚ ←なんという無責任な作者!
>作品単体だけでは少し弱さを思いますが、
>感想文に陥っていないところが評価できます。
感想文どころか「つまり、七夕で、もはや『書癡』関係ねーだろ、」くらいのお叱りは受けてよいと思います。やはり弱いですかね、自分のなかでも「レコード」が書けてない点に相当な不満があるのですが。テンポ的に文量は増やしたくないので、修辞を考えてみます。
>「私は琴で風を起こすことができる。貴女は耳を塞いで、そこに隠れて見ていなさい。
>彼が歌い始めると突風が吹き荒れ、女は吹きとばされてしまいます。」
突然スゲ━━━━━━ヽ(゚Д゚)ノ━━━━━━!!!!
よっよもや牽牛のミルキイウエイからこの寓話が生じたんですか? なんという声量! 見てろと女に言っといて吹き飛ばすとはなんという男! 『マビノギオン』にもさんざいますわそういう無茶な男。パーシヴァルだなこの騎士道(牛)は。琴ならトリスタンと言いたいとこだが『マビノギオン』にはいない。(もはや夢中)
無関係な『エッダ』に「詩の蜜酒」という話があり、詩の神が詩の蜜酒の壺を持って空を飛んでいたとき、壺からこぼれて地に落ちた蜜酒が、へぼ詩人の分け前になったというのです。北さんの寓話がこぼす「甘い水」はそんな感じですね。もちろん、作者のわたしがそれを飲んだという意味でです。わたしは蜂蜜というモチーフがすごく好きなのですが、「甘露」も実にいいですね。(もはや夢中)
>韋編が切れた原因は穴があくほど見ていた。
>凝視による見るものと見られるものとの緊張が、
>解けた瞬間、
これは、、、たぶん別の詩に書いたことがある、、、!(えっ)
やっぱりぜんぶ、星座のように、自分の脳内でつながってるんだろうなー!
>形なんて心の中で描けるよ。
ここの「星座」は、まさにそういう意味で用いました。自分が夜盲症で「満天の星空」に縁がないので、星は目を閉じて見出すものという先入見が強いのですよね。本質を(想定外すぎる寓話付きで)見ぬいていただけて僥倖です。 ('16/07/10 05:17:00)
- 鷹枕可 :
厖大な知見と見識と真贋への審美眼、允に圧倒されました。
散文と韻文、引用と翻案と註解の綯い交ぜ、そして独創性、此れ程の振れ幅を自在饒舌に使役なされるのは、允、素晴らしい才能です。
時に。脳髄とは経験的異物を接合する厖大なる私製図書館の全蔵書の章句検索機械なのかもしれません、云々。
私めのような知識的貧困階級者への当面の難題と致しましては
蔵書量の多寡と謂う個別的問題が創物の可能性を決定して終う、それを如何突破するかと云う事なのでしょうけれども。
以下、光毒性の言辞など。
「確たる現実が個人を畢竟優劣の問題へ捕縛してしまう。実に美しい。
極道と銘打たれた文字的審美狂達の流刑地に自が死迄の抵抗をつづける様に、各々の世界像、詩想が研鑽、鎬を削りながら敗者は蹴り落され、勝利者は累々と惨死を吊るし上げる。
見慣れた樹は立ったまま死の夢を眺め、それを見慣れた人物像は、やはり死の半身である生活を粛々と起草する。」
何か本意より脱線を致しました様で申訳ないのですけれども。
誰にも書けない物を書いていらっしゃる姿勢には脱帽。
復脱線。
井辻朱美女史の名前が俎上にのぼっておりましたものですから、一寸吃驚致しました。過去、彼の御方が主宰していらっしゃった同人誌の隅に籍を置かせて頂いたりもしておりましたものですから(←自慢)。
贋作は何時かその贋作であるに拠って懲罰を受けなければならない。勝手な誤読をさせて頂きますならば斯様な箴言が秘匿されていらっしゃる様にも感ぜられました。
凄まじい筆力、統辞法の隅々迄堪能させて頂きました。次回作も心待ちに致しております。 ('16/07/16 13:06:27)
- 岩満陽平 :
文章の内容は頭に入らなかったけれど、何となくこの詩を読んでみて思ったのは、詩を書くっていう遊び心の部分が感じられたね、それが伝わってきたのか、自分が勝手にそう思っているだけなのか分からないけれども、ながーいところ、みじかいところ、記号でいろいろ書いてあったり、公園の砂で何を作ろうとどうでもいいんですよね、あんま難しく考えなくても、自分のコメントもそれなりに色々試してみて遊んでみますわ。 ('16/07/16 14:32:14)
- 澤あづさ :
▼鷹枕可さんへ。(衝撃のあまり一番重要な話から)
>井辻朱美女史の名前が俎上にのぼっておりましたものですから、一寸吃驚致しました。過去、彼の御方が主宰していらっしゃった同人誌の隅に籍を置かせて頂いたりもしておりましたものですから(←自慢)。
え゛。
もはやそこに寄稿された作品のほうが興味津々ですがひとまず。それは納得です! 『マビノギオン』井辻訳は、筆がそこはかとなくアルカイック(文語ではないが、漱石『薤露行』のように会話文だけ時代がかっている感じ)で派手に魅力的ですから、その同人誌に鷹枕可さんの詩があっても、なんら不自然がないような気がします!
※この機に念のため言うと、『マビノギオン』井辻訳(シャーロット・ゲスト英訳の重訳)は人気なんです。なにせ筆がそこはかとなくアルカイック(?)で、アラン・リーの挿絵にぴったり合ってて、それこそ「藝術として」重宝される類の本です。だからこそ「資料としては」おすすめしかねる、「神かけて」を「蒼天に誓って」なんて意訳されたらもはやアイルランドのゲシュですし、というわけで、あのへんの物言いは改訂するとき見直そう。。。
▼気を取り直して。
>厖大な知見と見識と真贋への審美眼、允に圧倒されました。
じっ自主研究家には過分も過分も過分の賛辞です。ネット詩人とはたぶん対照的な物書きの一形態として、「ウェブの自主研究家」(ウィキペディアに行けないタイプ)の実例を挙げたところに、まさか批判対象の縁者様がいらっしゃるとは、予想だにしませんでした。書くか書くまいか迷った部分ですが、書いてよかったです。ウェブってすばらしい!
>時に。脳髄とは経験的異物を接合する厖大なる私製図書館の全蔵書の章句検索機械なのかもしれません、云々。
>私めのような知識的貧困階級者への当面の難題と致しましては
>蔵書量の多寡と謂う個別的問題が創物の可能性を決定して終う、それを如何突破するかと云う事なのでしょうけれども。
突破口ならウェブに。(キリッ
あの自主研究は、世界でわたししか主張していない事柄かもしれない(なにせ底本がウェブだし、別の底本があるし、その別の底本もまたウェブにあるし、、、)ので、希少性の高さだけは疑いないと思うのですよね。社会の底辺の整体屋でも、ウェブがあればそこまでできる、そして「すげー楽しい。」というのが伝わったら幸甚です。
>「確たる現実が個人を畢竟優劣の問題へ捕縛してしまう。実に美しい。
> 極道と銘打たれた文字的審美狂達の流刑地に自が死迄の抵抗をつづける様に、各々の世界像、詩想が研鑽、鎬を削りながら敗者は蹴り落され、勝利者は累々と惨死を吊るし上げる。
> 見慣れた樹は立ったまま死の夢を眺め、それを見慣れた人物像は、やはり死の半身である生活を粛々と起草する。」
なんという詩的な美学極道批判! ※悠長。
まあしかし文学極道は、ぶっちゃけ、落選もネタにできますので、敗者になったからと言って損をすることはないはずだと予感しています。惨死を見慣れてしまう前に、転んでもただでは起きない精神を発揮したいものです。たとえばわたしはブログに、
【なぜ文極で】はかいし『語る死す』【落選した】
という扇情的な2ちゃんねる風タイトルの批評を書いたことが、いや脱線はここまで。
>贋作は何時かその贋作であるに拠って懲罰を受けなければならない。
ブロダイウェズはまさにそうですね。贋作がその贋作であるに拠って「贋作者に」罰せられたという経緯ですので、原典ではきっぱり悪女と描かれていますが、現代文学では同情票を集めています。「書中の美女」顔如玉のほうは、原典でもまったき悲劇のヒロインですが、本作ではブロダイウェズと合わせ恣意的に曲解しているので、このような読解を誘発できたのはなによりの喜びです。
詩人の皆様にぜひ一度、如玉とブロダイウェズの境遇を「自分の書いた詩」に置き換えてみていただきたいと願っています。本当にありがとうございました。 ('16/07/17 10:10:04)
- 澤あづさ :
▼岩満陽平さんへ。
>文章の内容は頭に入らなかったけれど、何となくこの詩を読んでみて思ったのは、詩を書くっていう遊び心の部分が感じられたね、
.。゚+.(・∀・)゚+.゚ ←あほ作者。
わたしがこいつで一番言いたいことは、「わたしはこいつ書いてて楽しかった。」ということなんですよ。ウェールズ語の勉強より苦悩した記号使いなど、はたから見たらあほ以外のなんでもない時間の浪費を、作者が思いっきり楽しんでいること、文芸がかくも楽しいことが伝わったのなら、幸甚も幸甚も幸甚です。
「楽しいから苦労するんだよ! 苦労するため苦労する趣味など愚の骨頂! 詩は趣味だ嗜好品だ、作者の嗜好(個性)をどこまで極端に表現できるかが最重要なんだよ!」
こういう姿勢が文学極道でどう受け止められるのか、大いに気になるところであります。
しかし本作の、最近話題の言語芸術性に関してはですね。中学美術も万年3でしたし、センスが疑わしすぎるので、「おまえは駄文すぎる、これぞ言語芸術!」みたいなご指導、正直言えば書き換えを所望したい気分でして。気が向いたら岩満さんもお願いします。本当にありがとうございました。 ('16/07/17 10:18:23)
- 天才詩人 :
面倒なので、レスレスはすべてスキップして行きますが、この作品は、あーまた澤あずさかよ。と思ってチラ見したとたん、とても良かった。端的にすごくいいと思う。もちろん頭から読むもんじゃないし、意味をとろうとする性質のものじゃない。だが作者がよいものを書こうとしている、意地と努力がまず伝わってくるよね。ちゃんと書けるんじゃねえか。
いまの文極にはもったいない出来だと俺は思うよ。 ('16/07/18 03:06:56)
- 澤あづさ :
▼天才詩人さんへ。
あたしの名前は日本語おたく旧字旧仮名だと、いったいどう言えば理解を。。。
そして唐突になぜ褒め殺しなんです。わたしが求めているのは「おまえは駄文すぎる、おれさまが言語芸術の手本を見せてやろう。」という男気の書き換えなのに、あなたの趣味が皆目わからなくなりました。前作がだめで今作はよいということは、意外にも、作者のゆかいな暴走をほほえましく見守りたい派なんですか。ああもうまったく。「THE COLD WAR」はよかったですよ。趣味が皆目わからない。 ('16/07/18 08:35:25)
- 天才詩人 :
いいものはいいダメなもんはダメ。いま外なんで、この作品に関しては今夜時間があれば、ブログにでも書くから、チェックしておくように。 ('16/07/19 00:07:21)
- 山田太郎 :
>天才詩人
>この作品に関しては今夜時間があれば、ブログにでも書くから、チェックしておくように。
なにをいってるんだ、このおバカくんは。
この投稿作はこの文学極道の掲示板に投稿されているんだよ。
だったらこの掲示板に堂々と感想を書くのがマナーだろ。まさか本物のアホ?
そもそもあんたにこの詩が読めるとはとうていおもえないんだが。
読めるんなら多くの閲覧者の眼があるここに堂々、分析批評を展開してみろよ。 ('16/07/19 05:38:26 *5)
- 澤あづさ :
▼天才詩人さんへ。
+(0゚・∀・) + ワクテカ +
って確認しに行ったものの、とあるスペイン語圏のパン屋の話しかありませんでした。
てか今夜とか言われても時差が。
▼山田太郎さんへ。
天才詩人さんは自宅から文学極道にアクセスできない状況だそうで、長文コメントは自宅でブログに書いたものを、別所でこちらへコピペなさってるそうです。
もっともわたしにとって、「掲示板でごあいさつをいただき、さらにブログで言及していただく」という事態は、最大級の栄誉です。ブログのみの言及でも、絶大な感謝こそあれ、文句は一切ありません。自分もブログで無許諾の批評をやっています(批評に批評対象著作者の許諾は不要と思っています)し。
しかし、対象が文学極道の現行ログとなると、もちろん意見は割れるでしょうね。「作品にコメントできるのに、なんでわざわざブログに書くの?」という疑義は、ごく自然だと思います。わたし自身にも、それを承知で文学極道へのコメントを忌避していた経験があるので、いろいろ考えさせられます。 ('16/07/19 19:48:12 *1)
- 澤あづさ :
▼山田太郎さんへ。
「掲示板に来てブログへ誘導」は実際とても不自然なので、誤解が解けてなによりでした。ところで山田さんも「命中しないあなた、でも愛してる」という題で作品を書きませんか。わたしが天才詩人さんから命ぜられた課題作文ですが、かたい話はきっといりません。批評に対象著作者の許諾は不要ですし。
あの夢のようなケーブルは、わたしが本作に書いた「星座」と似たような存在だとしか、わたしの経験則からは解釈できないのですが。わたしは女なので「俺」より「A」に関心があります。「俺が出かけているあいだ、Aがどこのどういう状況で、あの携帯メールを打っていたのか。」という、「俺」にとっての死角かつ盲点です。「あのときAは、二週間ためこんだ便秘を解決するため立てこもったトイレで、あの携帯メールを打っていた。」と告げられたとき「俺」の夢や藝術はどうなるのか、かれの藝術にはかの女が二週間ためこんだ便秘を受容する度量があるのか、(ちなみにフロイトにはある、)そこでEDになりセックスレスになって別れるはめになるなら、それこそが男のロマンの脆弱性の証明であり、一方、女のドラマはその楽屋裏にて「こいつの立ち小便にまみれたトイレの壁を黙って拭けるか否か」に立脚するのであり、ほらもういくらでも語れる。藝術はそのような「用途」を読者に与えてこそ価値があり、唯一性なんてものは再現性を伴う論文にしか主張できない。あのスレやあのトピで天才詩人さんにマウントされている連中は、どうせ論文を書く努力をしたことがないので、藝術を自分にばっかり都合よく曲解していられるのだ。わたしは文学としての読解をやり、「真贋の見極め」としての批評をやる。 ('16/07/20 19:22:26)
- 山田太郎 :
澤あづさ さん
おはようございます。
傑作ですね、→かれの藝術にはかの女が二週間ためこんだ便秘を受容する度量があるのか、
おもうに、この男はそうとうに嫌われたんですよ。顔も見たくないほど。しかし小利口なところがあるから、
とりあえずプチ家出をした。そうすると女性は顔を見ないですむからひとまず安心し、怒りもすこし収まる。
それゆえに次は家を出ていった男の心配をする。
これがこの小利口な男の狙い目です。
「許して」「私はいまの自分が嫌いで、なんとかしてもっと心の広い人間になりたいの」という発言は、
男の顔をみないですむから出てきた言葉で、この小利口な男が家に戻れば、また同じことが繰り返されるのだと思います。
どうして女性が自己否定的なことばを伝えざるを得なかったか。それはすべて自分勝手で小利口な、
この生活破綻者の、詩人肌の男のわがままにあるとおもいます。
洗脳しようとしたんでしょうね。「きみはおれのゲイジュツがわかっていない。世俗的な栄華がなんだ、おれはね、
夢のケーブルを引こうとしているんだよ、この哀れで劣った第三世界に。先進文明の光をもってきたんだよ」うんぬん。
わたしにいわせれば「A、石を投げなさい」なんです。
こんなやつは石を投げられて当然なのにすこしもそれがわかっていない。じぶんがわかっていない。
だから死ぬまで女性を苦しませる。まずはじぶんのやっていることが、生身の生活者にとってはいかほど迷惑で
勝手気ままな行為であるかをちゃんと自覚するところからはじめないと、とうていまともに女性を明るく微笑ますことは無理ですね。
荒川洋治がいうように、じぶんのやっていることがいかほどクソであるかをちゃんと自覚した者のみが、
周囲にいる生活者を微笑ませることができるのだとわたしはおもいます。
精神状態を見る限りまだ中学生なみの天才三流詩人は、これからいかほど外国語を身につけようとも、
そのことがわかっていないから死ぬまでダメだとおもいますね。おそらく母親との関係になんらかの齟齬があったのでしょう。
処置なしです。
>あの夢のようなケーブルは、わたしが本作に書いた「星座」と似たような存在だとしか、わたしの経験則からは解釈できないのですが。
「夢のようなケーブル」と澤さんの「星座」は似て非なるもののような気がします。
「星座」はだれでも見ることができる天上に輝き、かつだれもが好きなように点と点をつないで、
好みのイメージをつくりあげることができる。
それにひきかえ天才三流詩人の「夢のケーブル」にはいろいろ問題があるとわたしは思います。
*天才三流詩人のお題ですが、半分以上棺桶に両脚を突っ込んでいる瘋癲老人の小生にはもうリアリティのないお話の領域にありますので、
お誘いはありがたくとも、とてもそれだけの気力がありません。(笑
他の方々の創作をたのしみにしております。 ('16/07/21 09:30:18 *1)
- るるりら :
こんにちは つい先日 メビウスリングさんで この詩の話になったときに、この詩の題名を見たときに、わたしは 「をっ ネロリ」と思いました。以前、拝読したときの感想は、「ひ」のみしか読まなかったからです。そして、澤さんに、ネロリについて教えてもらったことしか覚えてませんでした。簡単に言うと私には難しかったのです。あのときは、あんまりといえばあんまりの読みしかしませんでした。
今回は、もうすこし深い読みがさせていただけたらなあと 思っています。
この詩には 背骨があると 思いました。
背骨とは頭を支える骨と 胴体を支える骨と 足につながる腰の骨です。
。ひ の部分は 頭で得た情報を照会し、頭を支える骨が埋まっていると感じました。
。ふ の部分は 胸や心臓 ハートに 繋がっている骨がある。
。み の部分は 腰や その内側にある 子宮部を包む骨がある。ひふみは背骨だと思いました。
もうすこし丁寧に言います。
「ひ」で掲示しているのは、中国 本の中に美人を見つけて生活する青年、 言いかえると
ひきこもりのような青年の話と、七夕の逸話と、ウェールズ地方のカムリ人に伝わる伝説。
この三つが照会されています。
カムリの話は 花が 人によって女性に人物に変化し、フクロウになったという伝説。
三つもの話が、「ひ」という 短い章の中で 照会されている。
三つの話を読んでいるのは目が不自由な話者で、その話者は多くの読書によって あらたな星座を虚空に構築しなおそうとしている。それで、アジアとヨーロッパの古い話を 短い文章の中に三つも いっしょに詰め込んでおられる。
「ふ」では、 足持ち人という ウェールズ地方の召使いの照会。現代では考えにくい職業だけど、とにかく主人の足を載せるために居た人々の照会。そのような職業の人が居たことを照会しているその意味は、人のために自身の立場を主張しない生きざまをする人がいることは
本の中の話ではない メルフェンではないのだということを 印象させている。
また きらめくような言語世界があること示し、読者のハートに訴えかけようとしている。(......ような気がしました。滝汗。)
「み」の部分では、「ふ」を受けて さらに具体的に リアルな体験が、やっと 語られている。
妊婦が、「羽根があるんじゃないか」とか言いながら高価な精油ネロリを希望している。
まるで花が人間になったかのような香に包まれている。「ひ」ででてきた元々は花なのに人になってフクロウに変化する女性を想いました。女性は、施術者である話者に 命の泉が湧くような施術を受けている。「ひ」で七夕の話がでていたのですが、妊婦ってことは 秘め事は確実にあったろうし、そして結実している。
澤さんは この詩で もしかして脳内施術を行おうとしておられるのではないかしら?と 思いました。
ただ 私には とても難しかったです。
わたしが 自由に改編をおこなって良いならば、せめて「み」の部分を 戯曲のように書きたいです。
私:泣く妊婦の湧泉をご存じですか。
彼女:「リフレクソロジーも。できますか、」
私:できますよ。アロマオイルはどうしましょうか、
って、感じに書けば、「み」に至るまでに すでに、オツムを使いきってしまっている私のような人でも、噺家きどりで読みやすいのにと 思いました。
鳥がたくさんでてきますね。読者を 自由や浮遊感の世界に いざなおうとしておられる気もします。(でも それににしては、私には とても 難しかったです。)
しかし、とにもかくにも
すべてのことを ひとつの詩に孕ませて、なんとか世に出そうとしている詩に対する執念が、あっぱれだと 思いました。 ('16/07/21 15:59:29)
- 澤あづさ :
わたしがねちねち天才詩人さんの悪口(主に名前をちゃんと書いてもらえなかった恨み)をぼやいてるあいだに、話題のbungokureview(https://bungokureview.wordpress.com/)で本作へのスゲー批評をいただいてしまって、自分のまぬけぶりにすっかりへこみました。
▼引用────────────
その日本の友人はガルシア=マルケスという、彼にとっては一大スターである人物が亡くなったことに大きなショックを受けていて、さぞこっちでも大きな騒ぎになっていると考えている様子でした。ガルシア=マルケス氏逝去のニュースは、僕が一緒にいた人たちのあいだでも話題にのぼりましたが、ほんの数分間だけで、すぐにいつもの四方山話に戻りました。
https://bungokureview.wordpress.com/2016/07/19/%E7%A9%BA%E9%96%93%E7%9A%84%E8%A8%98%E6%86%B6/
────────引用ここまで▲
わたしはアゴタ・クリストフの訃報を聞いたとき、「わたしの女神がノーベル賞も獲らずに亡くなってしまった。」とガチで涙ぐみ、旦那に奇異の目で見られたので、この状況はとてもよくわかります。そして実際本作は、「ひ」「ふ」「み」「よ」すべて、そうした状況の感慨です。そこが伝わったら、ほかの細かいことは、「お役に立つ情報がありましたら幸甚です。」で終わりで、評者様に言及していただく必要のあるわけもなく、すっかりへこみました。天才詩人さんがこの完璧な批評を書いているあいだ、自分がねちねち(主に名前をちゃんと書いてもらえなかった恨みで)他スレの悪口など書いていたという、どうしようもなくまぬけな事態にですよ。
今夜はその逆恨みを反省するので、るるりらさんへのお返事は後日いたします。山田さんには、わたしがこうしてすっかりへこんだことと、しかしこの完璧な批評の事例力が『藝術としての詩』に見えなかったのは事実であるとお伝えし、ひとまず筆を置きたく思います。自分が悪口を言ってた人からものすごい賛辞をもらうって、本当に本当に本当にへこみます。 ('16/07/21 19:06:59 *1)
- 澤あづさ :
▼るるりらさんへ。
ご高覧ありがとうございます。本作が「難しい」とのお話について寝床で考えましたが、るるりらさんがその言辞で、わたしになにを要請なさりたいのかが、やはりよくわかりませんでした。わからないことをわからないまま放置したくないので、質問させてください。
るるりらさんは、本作が「難しい」から「難しいものを書くな」とおっしゃりたいんでしょうか。それとも「難しい」から「説明しろ」とおっしゃりたいんでしょうか。
たとえば、本作のメインモチーフは鳥ではなく「涙」と「恋」です。語り手は盲人ではありません。「この詩でわたしがなにをしたかったのか」は補遺の最終行に書いてあります。しっかり書いたつもりなので、なぜ誤解されたのか、理由がわたしにはわかりません。作品に書いてあることを無視され、作品に書いていないことについて「難しい」と言われるのは、正直つらいです。
────
「み。」が読みにくいとのご指摘は合点しました。本作は計11回の改訂を経ていますので、改行した版ももちろんありますが、「この形でないと表現が成立しない」としか判断できず、この版で妥協しているというのが本音です。読みにくさの主因は、改行が少ないことより「文量に対して情報量が多すぎること」にあると、自分では考えていますが、これでもまだ修辞が足りないくらいなので、どこをどう削りどう凝縮すべきか考えあぐねています。
「泣き出した『結婚していない妊婦さん』の素足に触れる」という経験は、わたしにとって未曾有の衝撃だったので、それになにも感じるものがないと言われるとつらいです。その理由が「文章が理解されていないから」なのか、「泣く人の素肌に触れて切なくなるわたしが異常だから」なのかも、るるりらさんのレスから判断がつきません。だから教えていただきたい次第です。 ('16/07/22 03:38:31)
- るるりら :
澤あづささん おはようございます。
わたしは、本作が「難しい」から「難しいものを書くな」と いいたいのではありません。そして
「難しい」から「説明しろ」と いいたいのでも ありません。
なぜなら、ほかの方のコメントにも「難しい」という意見はあるからです。
そして、あなたの書くものを「難しい」と云っておられるかたに
あなたは「読解力がないのですね」と 答えておられるので、わたしが「難しい」といえば。澤さんが「読解力がないのですね。」と 一瞥し、私を切り捨てることも覚悟していました。
しかし、私が書いた文章に 興味をいただけたようで、嬉しいです。解説させていただきますね。
話を聞いてくださって、どうも ありがとう。
一 まず、本作のメインモチーフは鳥ではなく「涙」と「恋」なのだろうなあとは、漠然とですが理解していました。わたしは、メインモチーフは鳥とは もうしあげていません。鳥を多く登場させておられます。妊婦さんも羽根のことを言っています。すくなくとも妊婦さんのお気持ちには重いものがあり、その心を軽くなさりたいという願望を 感じました。そこで 澤さんは 鳥に関係する事柄を ちりばめておられるか可能性があるように 思いました。
恋愛感情がこの詩のベースにはあると思っていましたので、天才詩人さんが下記のように発言されたとき、わたしは「ほんとうに、それは やれば良いと 思うなあ」と思いました。
>君に課題だ。「命中しないあなた、でも愛してる」という題で作品を書き、ここに投稿しろ。ラブポエムでなくてもよいが、タイトルの変更は一字一句たりとも認めない。文献の引用もダメ。君の「生」に根ざしたものをがっつり書いて、俺に見せてほしい。 ('16/07/17 23:43:24 *2)
この宿題に共感したのは、私自身が 話者自身が持っているであろう届かない人への「生」に根差した話者の思いが届いてこないと、わたしの場合は感じていたからです。
二、それから、語り手は盲人だとは、私も思っていません。目の不自由な方かもしれないと読みました。その根拠は、
>眇。瞑らず、眇眇と。見かぎる横目で見えない片目の、またぶたを縦に見たてる
↑ここから、わたしは、「読んでいるのは目が不自由な話者」と申し上げました。目が不自由な人とは、盲人のことではないです。視力に問題がある人という意味です。「眇」という表現と、「瞑らず」という表現から 目の不自由な方と 読みました。
三、話者のお気持ちは、よくわかりませんでした。
「泣き出した『結婚していない妊婦さん』の素足に触れる」という経験は、話者とって未曾有の衝撃だったことは、詩文からは 私に伝わっては いません。妊婦さんとは 二度とあわない。という意味の文章がありました。それが、未曾有ということなのでしようか?
そのような衝撃を話者自身が抱えているとは 思いませんでした。その理由は、足持ち人という、中世には普通に見られる召使いの立場に こころを寄せた瞬間があったからです。特定の人物の踏み台のような生活の方は、現代人の想像を超えた状況
です。主人が泣こうがわめこうが、 踏み台は踏み台として感情を持った行動は ゆるされていないはず。
たとえば主人が妊婦だったとして、泣こうがわめこうが、足持ち人であるなら 感情を封じることでしよう。よって、話者の驚愕を わたしの場合は 読み取れませんでした。封じられた感情
って ヤツは そりあ きっついです。
泣く人の素肌に触れて切なくなる気持ちを なんども反芻しておられるのが澤さんなのかしら?
だとしたら「命中しないあなた、でも愛してる」という宿題に、もうすこし 真面目に取り組むというのも、良い方法の一つのような気が私はします ('16/07/22 10:36:30)
- アラメルモ :
鹿の御仁は自分にとって都合のわるい相手、理解できないプロセスを展開する書き手が現れると先ずは徹底的に批判を試みることから始める。
そして、やがてそれが間違いだったことに気付き立場が不利に働くと、なんだかんだと理由を持ってきていつのまにやらコロリと寝返りを打っている。このような歪められた感性はどこかで身につけた性質のようなものだろう。
この御老体、山田太郎氏が批判を前提に相手を愚弄して止まないとき、それは自らを省みる鏡を前にしたときでもある。
、特に芸術などという摩訶不思議な妖精が隠れる森の奥深く、わずかな道具を頼りに足を踏み入れようとしている若い方々や詩書きたちは、冷静な距離を保ちながら彼の弁には耳を貸さなければならない。
つまり益のあることはおっしゃる。しかし連れだってあたまから信用はするな、ということです。
※
作品のコメントではない内容。澤さんには失礼のお詫びを申しておきます。 ('16/07/22 12:06:27 *6)
- 澤あづさ :
※このレスには「炎上を誘発しかねない軽率な言動」があったので、7月24日にその部分を削除しました。るるりらさんへのレスは修正していません。
▼るるりらさんへ。
「眇」は「横目」という意味から「偏見」を示唆するもので、視覚障害とは関係ありません。また本作には、鳥より花が多く出てくるはずです。るるりらさんの評は、本作に書かれている「事実」を無視しています。本作の文章そのものを考察し、その弱点を指摘してくださった山田太郎さんの評とはまったく違います。るるりらさんご自身のお考えを「難しい」と述べられても、わたしは自作を反省できないので(なぜなら自作と関係ない話なので)困ったのです。
「み。」の部分に関する読解は、とても興味深く拝読しました。わたしの思いは伝わらなかったが(それは他人なので当然であり、責める謂れも責められる謂れもありませんが、)話の核心は伝達できていたようなので、構成に瑕疵はないと考え直しました。問題は表現です。鋭意改訂に取り組む所存です。
>泣く人の素肌に触れて切なくなる気持ちを なんども反芻しておられるのが澤さんなのかしら?
>だとしたら「命中しないあなた、でも愛してる」という宿題に、もうすこし 真面目に取り組むというのも、良い方法の一つのような気が私はします
これは大きなお世話です。「本作をよりよいものにしたい」と願って伺っているのに、天才詩人さんの課題の話を持ち出され、わたしがかれより下であるという前提で、人格についての説教をされるのは不愉快です。わたしは本作にも、天才詩人さんの課題にも、自分なりに心底まじめに取り組みました。その自尊心を煽ったりなさらないで、「本作の話」に終始していただきたいです。 ('16/07/22 18:21:31 *2)
- るるりら :
天才さんと、あなたとを比べての
上下については、頓着してません。
わたしも、
あなたの作品を拝見しようとしました。しかし、ご自身の妊婦さんへの共感を変だというのかなどとの、書き込みしておられたので、大変おどろきました。
わたしも、作品評を おこないたかったです。
しかし、わたしの発言が、まるであなたの人格を判断しているかのような流れですね。
申し訳ありませんでした。 ('16/07/22 20:28:57)
- 澤あづさ :
るるりらさんに悪意のなかったことがよくわかりました。あくまで本作改訂のためのアドバイスが欲しいという、わたしのわがままも過ぎました。ここは文学極道で、レッサーが作者にアドバイスなどしてやる義理は、もちろん毛頭ありません。申し訳ありません。付言しますが、「難しい」から「興味を持った」ということなら、それは作者として至福です。 ('16/07/23 04:59:33)
- 北 :
ふ
原文がヤバすぎて、直視できなかったので、これは批評じゃなくて、直視できなかった原文を、作品を薄布代わりにして、それに透かして自分なりに読ませて貰った、感想文になりました。。。
とんでもなく、無情になっとき、残ったのは悲しみだったし、その悲しみの土台は、例えば砂利で出来ていた。そして、砂利の一粒一粒は、きっと憎しみだった。
とんでもなく、無情になったとき、そうか、自分の涙もこれらの憎しみの砂利の山から滲み出てきたものなのか…、いやぁ、ずいぶんと大きくなるまで積み上げてきたものだ。
とんでもなく、無情になっとき、憎しみの砂利の山頂でそう思いながら、自分が最初に居たところや、登ってきた憎しみの道を振り返ると、自分が積み上げてきた、この景色をもう一度、想像するだけで、下山は難しいと思った。
とんでもなく、無情になったあの日から、自分が積み上げてきた、憎しみの景色を振り返り、下山しながら反省をしない代わりに、今日もずっと山頂にいることになった。そして、約束をした。
1、他人を憎まない、2、他人を恨まない、3、他人を羨まない。
何年もそうしていると、ずっと山頂にいるせいか、「俺ってどこの誰よりも、ちょっと格好いいなぁ。」と思うようになった。たしかに、富士山は立派な山だけど、俺の山は、俺の手作りだ。だから、「俺の方がちょっと格好いい。」と、いつも独り言している。
アランロドが生んだのは、カグツチとヒルコみたいだ。
というのも、「俺ってどこの誰よりも、ちょっと格好いいなぁ。」と思うのは、これは僕の人生の歩き方の方法論であり、登場人物達へのアドバイスのつもりなのかもしれません。恵比寿さんの前世はブロダイウェズやったのかもしれん。せやで、恵比寿さんはあんなにニコニコ笑ってられんねん。
読後、ちょっと、わーってなりそうになりましたわ。ほんま、愛憎最悪! ('16/07/23 08:32:29)
- るるりら :
ありがとうございます。
あなたの、ひとことで 癒えました。
実は、あなたの掲示した 言葉のうち
わたしには、わからなかった 単語をすべて検索に かけました。わたしにとっては、異世界への追及でしかない 作業。
でも、楽しかった。
それにひきかえ、天才さんの作品は、たったの一作品を一読したのみです。なにがあるのか、しりませんが、
書き手同士を比較できるほど文学極道をわたしは、読んでません。そういう読者も獲得できる 度量を、ぜひ おもちください。
私じしんは二度と、他人の言をかりての意見は、いいません。
あなたは、読者を敵か味方かを、まず
探っておられます。
わたしに とっては、この詩は
癒しの道程の追及でした。そして詩読みは、書き手の世界に生きてみようとする行為です。鳥と言ったのは
、癒しの道程がこの詩にはあると感じました。題名からして、道程ですし。
難しかったです。
わたしは一読者として、
上下をつけられ 心外です。しかし、
山田さんと重複する意見になります。
上に見られたいからではありません。
補足記事が、おおすぎです。 ('16/07/23 11:24:38)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
>原文がヤバすぎて、直視できなかった
>アランロドが生んだのは、カグツチとヒルコみたいだ。
>ほんま、愛憎最悪!
つまり出典「マソヌウイの息子マース」を読んでくださったのですね!
ワ━ヾ( o・∀)ノ゙ヾ(o・∀・o)ノ゙ヾ(∀・o )ノ゙━イ!!
趣味を盛大に語れる幸せ!
あいつらどいつもやばかったでしょう。太陽のように直視しがたかったでしょう、「弟に処女を強姦させるために一国を滅ぼした兄」「甥の兄弟をつがいの獣に化けさせ、少なくとも三回交尾させた伯父」「子どもが生まれたため処女でないことがバレたという理由で、子どもを捨て呪った母」「その母の兄が、その子らの実父であるとの説もある」特にグウィディオンが現代日本の倫理的にやばすぎます。そのやばい男が、「詩を歌うときのみスェウの『本当の名前』を呼んだ」というところが、わたしの琴線に触れたのですが。
北さんの感想文が、抒情へ飛躍するのは道理です。
わたしだってあんなやばい連中のことは、うかうか語れやしないので、
「理解できたところしか引喩しなかった。」
というわけで。
●引用────────────
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」
(ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』)
────────引用ここまで●
この「沈黙」を強いるのは「倫理」なんだそうです。
語れば語るほど、語りえぬものについて沈黙する饒舌。
ということを、わたしは「ふ。」で表現しました。
あーこれ解題できてすっきりした!
北さんの感想文が、本作と同じく、語りえぬものについて沈黙してくれたから言えた!
●引用────────────
「わしがなにを知ってる?……わしは、自分が知っている以上のことを知ってる……なにを知ってるかがわからない……重みだ、それの重みだ!」
(アラン・ガーナー/神宮輝夫訳『ふくろう模様の皿』)
────────引用ここまで●
それにしても、言われてみればほんと二重の意味で、カグツチとヒルコですねディランとスェウて。最初は「ディランがカグツチ、スェウがヒルコ」だったが、のち立場が逆転するわけですね。「ディランの死は比喩であり、ヒルコになったようなものだ。」と考えたほうが、単に死んだと考えるよりはよっぽどわかりやすい。
ディランはまじなんだったんだよ。「〈三つの不幸な打撃〉の一つ」とか言われたって、叔父のゴヴァンノンがだれだかもわからず、そんなことよりいつ死んだのか。「スェウがディランと対面したという逸話は残存しない」以外なにひとつわからず、そんなことがわかったところで、なにかがわかったことにはまったくならない。本当に、われわれは、世界のほとんどを知らず語りえないので沈黙している。以上ポエジー。趣味を語る喜びのなんと深甚たること! ('16/07/24 01:41:43 *1)
- 澤あづさ :
▼るるりらさんへ
わたしは感情論の炎上が嫌いなので、さっさと話を片付けたいのですが、結局度量とかの人格への詮索と説教に終始なさりたいのですね。なにを誤解なさっているのか、またもよくわかりませんが、わたしには仮想敵認定の趣味がありません、どなたともあたう限り有意義に交流したいです。上のレスレスでは、「天才詩人さんの課題を【まじめに】やれ。」という事実誤認が不愉快だったから、「まじめにやりました。」と回答しただけです。
補足記事とは「補遺」でしょうか。そこは「注解をただの注解で終わらせず、本編と密着しかつ本編から独立した一作品にする」という目標で制作しましたが、るるりらさんには不要な情報だったのですね。あなたのその回答が、本作の表現であると思ってください。あなたにとって無駄な情報、不要な人間が、あなたの需要とは関係なく世界に「実在」し、あなた以外の人間に愛されていることの証拠が「書物」であること。それを顧みないあなたが、世界と人間のほとんどをなにも知らないという「事実」を、本作があなたに提示しただけです。
あなたが「自分にとって不要な情報に、存在してほしくない」と思うのなら、それは本作の問題でもわたしの問題でも、出典の問題でも社会の問題でもありません。あなたひとりの問題であり責任です。この冷淡な回答は、あなた個人への皮肉ではありません。本作の主題は「読書」ですので、どなたに対しても等しく読書の姿勢を問うています。わたしが読み愛した出典を、豊かに読んでくださった方に、失礼な態度を取りたくないので、「レスの内容に相応の回答」をしています。山田太郎さんのレスの内容は、あなたの主張とはまったく異なりますから、よく読むべきです。便乗し利用するなら責任を持って、誠実な理解と妥当な判断に努めるべきです。引用も読解も暴力になりえると自覚すべきです。これも本作にわたしが込めた思いのひとつです。 ('16/07/24 01:53:18 *3)
- 北 :
読んでたときに思い出した僕の無情が、その強いられた沈黙やったのかぁ。
俺って、なんて素直な人間なんでしょう。d( ̄  ̄) (笑) ('16/07/24 03:46:35)
- 澤あづさ :
北さん全方面で打てば響くから好き。。。!
・:(〃Д〃人):・
、、、ハッ! だめだこんな倫理的に語りえぬことは沈黙しなければならない!
6月のが初落選くらって寝込みたいほどショックなので、(わたしは選考結果に虚勢など張らない、)本作は深刻に慎重に改訂したいのですが。上記解題の内容は、北さんのレスを参考に、作中に組み入れることを検討します。詩で紹介した出典を読んでくれる人なんてまずいない、まして北さんのように「作者の読書体験を追体験してくれる読者」など奇跡ですものね。なにより、詩は結局、どうしたってメッセージを求められるらしいと、初落選で痛感しました。
※このレスには妙な誤解を招きかねない表現があったので、その部分を削除しました。 ('16/07/24 05:38:43 *1)
- るるりら :
おはようございます。
山田太郎さんに、勉強させていぢきます。
わたしの知らないおおくのことを
掲示していただきありがとうございました。
この詩は、なんども改編され、さらに高みを構築されるのかもしれないですね。
ガウディは、いまでも 未完成です。
ガウディの志を理解した方々が建設をつづけておられるからです。
これからも、頑張ってください。礼 ('16/07/24 09:00:53)
- るるりら :
一言だけ。理解していただけなかった事をあいいます。
繰り返しになりますが、
わたしは、あなたの詩の
わからない語句を検
索に
かけました。
つけくわえますが、
あまりに、わからかったので
自身の言葉で翻訳もしようとしました。
その上で、山田太郎さんと重複するが、
語句説明が、おおすぎると申しました。
語句説明が多いすぎると、本題は霞むと思いました。
そして今後も、山田太郎さんには
勉強させていただきます。 ('16/07/24 09:32:00)
- るるりら :
すいません。時間がなくて、誤字ばかりです。しばらく、アクセスできないです。おつかれさまでした。 ('16/07/24 09:36:10)
- 澤あづさ :
どうぞもう山田太郎さんとお話しください。「補足記事が多すぎる」と言っていたものを、急に「語句説明が多すぎる」と(山田さんの使用していない)別の概念に置き換えられても、どこのどれの話なのか、その意見にどれほどの客観性と妥当性があるのか、指定も事例も根拠もなにもないので、わたしに理解できるわけがありません。
説明せずに「思い」ばかりぶつけないでください。【語句説明が多すぎると、本題は霞む】なんてぬるい考えで批判をやらないでください。あなたも本作の理解しがたさに、さぞいらいらなさったんでしょうが、わたしもあなたの論拠のない、理解しえない批判にいらいらしています。ぜひ山田太郎さんに「説得力のある説明」のやりかたを教わってください。おつかれさまでした。 ('16/07/24 12:40:18)
- るるりら :
山田太郎さんと、話を
本件で話すことは、遠慮します。
誤解があるようですが、
この詩を興味深く読みました。文献も、検索しました。
だから、わたしなりの翻訳も試みていました。
楽しかったですよ。
それは、わたしなりにこの詩が好きだったからです。
おじゃましました。
本件で、言いたいことは、もう ありません。 ('16/07/24 13:09:54)
- 澤あづさ :
本作に関心を持っていただけたのは、もちろんうれしい限りです。本作の「翻訳」を試みていただけたのも、もちろん光栄なことですが、それが「あなたの読みたい内容」であって「わたしの書きたい趣旨」ではないことを、ご理解いただけているのでしょうか。
考えたら、「わたしがなぜ、るるりらさんのお話に、ここまで腹を立てているのか」を、はっきり説明していませんでした。ご理解いただけるかわかりませんが、改めて試みます。わたしの癪に最初に障ったのはここです。
>鳥がたくさんでてきますね。読者を 自由や浮遊感の世界に いざなおうとしておられる気もします。(でも それににしては、私には とても 難しかったです。)
http://bungoku.jp/ebbs/edt.cgi?sel=20160721_310_8946r
本作に登場する鳥は「罰・呪い」の象徴だと、補遺の「ふ。」の項に書いてあるのに、あなたはそれを読まなかった。読んでいないのにその情報を、邪魔だから削れと言う。
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8946#20160723_396_8946r
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8946#20160724_424_8946r
読めばわかるように書いたことを、読まずにわからないと言われ、そのうえ読みたくないから削れと言われ、一層腹が立ちました。【語句説明が多すぎると、本題は霞む】とあなたはおっしゃるが、あなたはその本題も読んでいない。最終行にある作者の意向も、「ひ。」最終連の【伏線】も、メインモチーフの【涙】も【恋】すらも尊重しない。だから、わたしの書きたいことを書くなと言われているように感じたんです。
もちろん、本作への思い入れが深すぎるがための、八つ当たりだとは自覚しています。自分がつぎ込んだ労力を否定され、ふまじめとまで言われ説教されて、耐えられませんでした。申し訳ありません。これでご理解いただけなければ、対話を諦めます。 ('16/07/24 19:37:03)
- るるりら :
山田太郎さんへ。
まったく 違う意見であるのに、お名前をだし、すみませんでした。
わたしの意見は、補遺の分量がおおすぎに、感じたためでした。
どぅも、それこそが おっしゃりたかったようです。しかし、読書の時に、必要な語句は、調べながら読む習慣のわたしには、読んだことあることが、おおかった。
なぜここまで、書くのか わからなかった。
たとえば、小説の語句説明と本文のバランスだったら、わたしは なにも おもわなかったんです。わたしには、謎の分量でした。
愛と涙が、主題だというから、もっと
叙情的な部分を大切に書けば良いのにと、思ったりしたことがありました。
ところが
読書が、主題でした。それなら語句説明文に分量をおとりになることでしょう。
なにが、わからないのかすら、当初は わかりませんでしたが、今は 主題が
わからなかった事が、分かりましたので、 ほっとしていますので、ご指導は、いりません。
お名前をだして、すみませんでした。 ('16/07/24 19:49:26)
- 山田太郎 :
るるりら さん
思いますに、規則とかルールはあるものの、
ここは詩人の主体性と自律性に重きを置く大人のサイトですので、
あまり細かいことを気にかけることはないとおもいます。
とはいえ、るるりらさんのお気持ちはよく了解いたしました。
こちらこそ、丁寧なご挨拶、ありがとうございます。 ('16/07/24 20:01:36 *2)
- 玄こう :
どうも最近ショボショボね。ネットオ駄弁りダウンのダウン落ち。揚げ足とりのお膳立ての土手。くだらない、レスレス詩書きら君らな、口ばかりなピーチクパーチク、中高年のおっさんオバサンくだらないからサガ、さげろや!!!!!タコ壺サイト ('16/07/24 20:05:57 *1)
- 山田太郎 :
>玄こう
それをおれに言ってどうするんだよ。
おまえがそう思うなら、おまえが率先してまともなものを投稿しろ。
どんどん目の覚めるような分析批評をしてみろ。
できることを精一杯、意を尽くして語り合っている人たちに唾を吐くひまがあったら、
おまえがちゃんとやれ。
「I am NO the in MEDIA 玄こう」
こんなクソのようなゴミを投稿していて、やたら周囲に八つ当たりするものじゃない。
八つ当たりしたければ、おちゃらけた詩を書いているてめえ自身にしろ。
てめえがなにもしないで、何様のつもりだ、おまえ。
コメンターはおまえのような思い上がった人間のために見世物でやってるんじゃない。
コメントしていないおまえはこの作品に関しては関係ないんだ。
面白いだの面白くないだの、漫才でもみているつもりか。
ふざけるな、このバカ。 ('16/07/24 20:18:48 *4)
- 玄こう :
黙れ老人!
前に
山田さん¨)×詩
なんかでメッセージ
したわけじゃないからね。
ボンクラなネットな詩書きを、とことん弾劾してくれ。
またいつかな。
じゃな
手紙� ('16/07/24 20:35:02)
- 山田太郎 :
>玄こう
投稿作への批判や批評ならともかく、作者とコメンターの会話を否定したら、
だれも、なにもいえなくなる。
それじゃ文学極道の投稿欄の良さを根底から否定するに等しい。
しかもあんたは、会話をやっていい基準を「年齢」に求めている。
イカイカとかいうバカもそうだったが、詩に年齢はなんの関係もない。
しかしどうしても年齢で線引きしたがる。
そういう人間が詩なんかかけるわけがないとおれはおもうよ。 ('16/07/24 20:41:43)
- 玄こう :
この詩も、近く批評しようと思っています。
山田さんともこれから、年齢なんかオミットして詩の批評送るわ。
今晩はこのへんで、。:) ('16/07/24 20:52:57)
- るるりら :
以下のこのコメントは、
かきかえを、しました。
お気持ちを、ゆさぶるような かずかずの失礼をいいました。すみませんでした。
拝見し、このコメント欄の記事のみ
かきかえました。
抵頭し、謝罪します。 ('16/07/24 21:55:29 *2)
- アラメルモ :
ひふみよ。
この日本古来の数詞をそっちへ持ってきましたか、って云うくらい奇抜な発想には驚かされますが、
、伝来などは山田氏も少し取り上げていますね。
ひとつわからないのは、これだけの鬼才文才で語られていて何故日月神示を持ち出さなかったのかな、という展開ですね。
僕も調べるまでよくわからなかったのですが、歴史的には古今和歌集から参考にされたと知られる国家【君が代】の歌詞。
なにやら神々の皇国日本とヘブライとの関係も謎に秘められてきておもしろいはずなのだが、そこを敢えて前に出さなかったのも妙味かなとか。
現在から眺めた古い中国や西欧の意匠に対する認識の相違点。古典からその様式美に対しての違いを引き合いに持ってこられておる様子なので、そこら辺りも歴史的文化的な成り立ちから男女関係の成立に対するイメージの違いとして秘匿されているのかも知れない。
解読は難しいのですが、内容的にはこれらすべての記述が詩や芸術への推考に対して用いられた覚書の様なものではあるのでしょうね。 ('16/07/25 00:57:11 *4)
- 北 :
み
1読目
これ、面白いです。
2読目あったら、お返詩なってると思います。
>背中の。「背中の。羽が生えるとこ、」隣り合い、向き合わない
女の会話って、永遠の平行線みたいなもんで、初めからマウントとってないから、男みたいに上下関係がハッキリしてないというか、してたとしても、それを声のトーンで「カワイイ〜!」とか心にも思ってない癖に、誤魔化してみたり、男の僕からして、そういうの観てたら、物凄く難しく面倒くさく見えるのですが、きっと、その極地で行われているであろう女子会って、そういう複雑な編み込みが、一本の線の上に解けて、上下関係ではなく平行線上の(距離)の問題で、遠いところにいる人が、マウントとってるというか、そういう感じだと思います。
そんな僕の、思い込みの中で、読みを続けていくと、
>背中の。「背中の。羽が生えるとこ、」隣り合い、向き合わない…
この情景描写は深みがありました。
さて、そんな平行線がループする密室で、まずは会話の探り合いが始まりました。空間のイメージ通りに深刻な問題を抱えてそうな、幸薄なで肩の女性の肩井は、コリコリを超えてヌメヌメのヌマヌマだったわけで、女同士という基本関係は、落ちても大丈夫なように、綱渡りにしても、一線までは、ちゃんと事前に網が下に張ってある。その上で、施術、女が女の体に触れる、しかも触れられる側がお金払うし、足下を見せて来よるし…なんかエロス。
まるで、マッサージ師さんが、除霊師に見えてきて、アロマの匂いがお香に感じてきて、においの先は赤い蝋燭で、この人、夜はSMの女王様になってるんちゃうやろか??みたいなところまで、想像が柔軟に巡るよう、頭が言葉にほぐされてる感じです。
マッサージ師が除霊師になり、姉になり、親心になってゆく、3度ぶっ壊れた拇で、幸薄なで肩のこの女性は、合わないヒールを履いて、暗雲の靄が遠く向こうに明らかに見える、女の同士の平行線上を細い体で歩いて行くのです。(肉の交換式)を終えて、記憶がお金に変わる頃、貴女はお客様に帰ってゆきます。遠く遠く、もう声が届かないところまで…
「足下気をつけて、滑るからー! オレンジブロッサムとネロリは、ちが。。。」
(ま、いっか)
タバコ一服。 ('16/07/25 03:10:42)
- 澤あづさ :
▼玄こうさんへ。
わたしはフォーラムであなたの陰口を見て以来、このスレも落選スレも渾身で下げているのですけどね。。。駄洒落の煽りは迷惑でしたが、お越しいただけたのはうれしい限りです。さっそく煽りの詫び料として、わたしのフォルムを指導してください。
>(中華の栞は「顔如玉」と詠まれ、カムリは「顔如華」ブロダイウェズなる梟を詠んだ。書癡の誤読で編まれた妻と、三つの花から偽和された妻、いいか伏線を張るから見おろせ。その梟を詠んだ国は、英語に Wales と呼ばれている。その語源を古英語 Wealh ラテン語 Volcae ギリシャ語 Κελτοι までさかのぼって『よそ者』と読まれている、いいから見くだせ! そのよそ者がその国語に Cymru と、その語源をブリトン祖語 Combrogi (同郷) までさかのぼって『同胞』と。いまだ詠まれている、わかったか。どうでもいいと。どうせだれでもよかったんだおまえも
この【伏線】の先頭にあるカッコが、「よ。」の直前で閉じる。
「ふ。」と「み。」が「自由詩(ひ)と和歌(よ)」に挟まれて、
「本のなかに栞のように閉ざされた文/史」
を暗示している。
というのがわたしの脳内では、本作の最重要ポイントなんですが、どうでしょう。ガラケーでは確認しにくく、言及しにくいフォルムでしょうか。
だったら「句読点を利用して落涙を表現するフォルム」の書き方を教えてください。見せつけるなら煽りより、フォルマリストの実力ですよ。 ('16/07/25 05:30:21)
- 澤あづさ :
▼るるりらさんへ。
補遺の話だったんでしたら、そのことにはもう回答しました。
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8946#20160724_417_8946r
わたしが煽りに反応するから、あなたも煽りをやめられないのかもしれませんが、虚言の流布は迷惑ですからやめてください。【愛と涙が主題】なんて一言も言ってない、主題は「読書」だと上記で述べました(ただその「読書」は「読解」の間違いでした。マッサージも読解ですから。)し、あなた自身も山田さんには「主題が読書だった」と述べているじゃありませんか。
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8946#20160724_438_8946r
また「涙」と「恋」は本作の「メインモチーフ」だと述べました。わたしが本作で述べている「恋」は、あなたの言っている「愛」とは、おそらくまったく違うものです。
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8946#20160722_338_8946r
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8946#20160724_437_8946r
わたしの発言を、自分に都合よく歪めて、わたしの人格を侮辱しないでください。
>この詩が、無知な読者に、ものを 教えるための詩ならば、そのままで良いと 思います。
【無知な読者にものを教える】以外の目的で、ネロリの解説を書いてはいけないんですか? ちなみにネロリの成分内容なんて、書いた覚えはまったくありませんが。ネロリのところを書き換えなかったら、わたしは【無知な読者にものを教えようとしている】ことになるんですか? なぜ? 根拠は? どうしてこういう嘘八百の嫌味を並べ立てて、わたしの人格を貶め苦しめるんです?
思いつきと思い込みで、人の人格や制作目的を、勝手に決めつけないでください。わからないことは、勝手な決めつけを押し付ける前に「質問」してください。あなたの詩想は、わたしへの的はずれな苦情としてこのスレに書くのではなく、あなたの作品として書き上げて掲示板に投稿してください。わたしはるるりらさんの詩が好きですよ。わたしには書けない、わたしが書かない詩だからですよ。 ('16/07/25 05:33:40)
- 澤あづさ :
▼アラメルモさんへ。
ご高覧ありがとうございます。ところで、玄こうさんにわたしのフォルムの指導を一方的に要請したのですけど、アラメルモさんもフォルマリストだから、よかったらお願いします。
「ひふみよ。」の題は、「日文よ!」との掛詞で、当初は単に天然で選んだのですが。他サイトでAKB48のライブ動画に「ひい、ふう、ひいふうみいよう」というかわいいカウントがあることを教えていただいたとき、運命を感じました。それで「よ。」の和歌のセンターボジションに【ひイふウみイ余】の七音を置いたのですが、そこが一番気に入っています。
同じサイトで、日月神示のアイディアも教えていただきましたが、中学美術万年3ゆえ、有効利用する能力がありませんでした。掛詞にこだわりがあるので、それと当て字を併用すると、ミスリードを起こしますし。ご指摘通り「日の丸」「君が代」を想起させるような表現もあり、政治的な文脈での読解を誘発するおそれもある。本作では政治色を匂わせたくなかった(話を錯綜させたくないという意味です)ので、正しい判断だったかもしれません。 ('16/07/25 05:35:36)
- 澤あづさ :
▼北さんへ。
つまりお返詩をくださるんですね(独断決定)楽しみにしています! このスレはsage進行で目立ちませんし、なんでしたら投稿板で!
わたしのほうは「み。」の実話(と言っても複数実話の組み合わせなので、最終的にはフィクションですが)をどう叩き直すかという、最難関の難題に、北さんの感想を参考として取り組むわけですが。さすが追体験の達人。わたしが感じてほしいところを、ズバリ感じていただけてますね。
肩甲骨内縁を「背中の。羽が生えるとこ、」と表現した妊婦さん(実話1)激萌え。
だからリフレ施術中の身の上話で泣き出されて、わたしはとても切なかった。(実話2)
しかし、商売人はお客様に対し、語りえぬことを沈黙しなければならない。(ヴィトゲンシュタイン)
マッサージは読書と同様に孤独な読解である。ということを、いったいどう書けばよい。
ひとまず、北さんのレスにより、「妊婦さんの肩井は、ちょう凝ってたが、若いから4秒の持続圧であっさりほぐれた。」(わたしの持続圧は4秒が基本なのだ。)という事態の説明ができていないとわかりました。プロの仕事を精確に説明すると、話がとても長くなり、見映えが悪くなりますから、どうすりゃよいのか困っていたのですが。ここを伝達できないと、ただでさえイミフな最終連がさらにイミフになりますし、がんばります。
北さんの追体験力で見出された「女性が女性の素肌を慰撫するエロティックな感慨」(実際に確実に実在する)については、オイルマッサの「背中を撫でる」描写でなければ本格追求できないと、本業の経験則から強く実感しています。本作はネタ的にリフレしかあり得ないし、妊婦さんうつ伏せになれないからオイルマッサできないし、本格追求は断念せざるを得ません。本作改訂が終わったら、百合めいた古式ロミロミ(スウェディッシュはヌルヌルでなく執拗でもなくエロくないからだめだ)の詩を書き投稿、もうだめだ中毒だ。もはや文極廃人だ。北さんのお返詩を楽しみにしています。 ('16/07/25 05:40:54)
- 北 :
確かに、妊婦さんのうつ伏せは、一瞬だけ、読んでて、辻褄が合ってない弱さを感じましたが、この作品 (み)の食べ方は、そういう趣旨で味わうものではないと思って読んでいたので、そんな気にならずクリアできました。例えば、しゃぶしゃぶは、胡麻だれ派?ポン酢派? 「うーん…、いやいや、どっちも食べますよ、どっちも好きですし。」って答えるときの「うーん…、」と同じくらいの間で、僕の中ではなんなくコミュニケーション出来ました。しかし、読み手と違って、書き手の立場としては、「うーん…、」はどうなのか、気持ちはわかりませんけど。∧( 'Θ' )∧ ('16/07/25 10:17:27)
- 澤あづさ :
あっ妊婦さんの背中の羽が生えるとこは、座位(一般肩もみポジション)で施術するんです。肩井は横臥位のほうが圧しやすい(威力もうつ伏せにまさる)んですけど、わたしの脳内絵面は実話通り「座位で10分+リフレ(仰向け)40分」のコースでした。そんなの書かなきゃわかんないよ( ´゚д゚)(゚д゚` )ネー!!
「み。」は可能な限り短くすべきという強迫観念に駆られてたんですが、考えたら「ふ。」にボリュームがあるのだから、むしろ「み。」が短かったらバランスが悪いような気がしてきました。やはり書くべきことは書く方向で行こうと思います。 ('16/07/25 23:05:10)
- 玄こう :
(同じ作者のもうひとつのメロンパンダだかなんだかタイトル忘れてしまったが、間違えて送ってしまったレスをこちらに移した。)
先日はすまない、作者に宛てたつもりはなかったのだが。そう取られても仕方がないだろう。一通り、一、二回さっさと、読ませてもらいました。
フォルマシオン 『ひふみよ』というタイトル、および4連が、(山ほどあるレスも読んでいないため重複するかもしれないが)
(私は)手指を数え、人差し指、中指、薬指、小指。を込めているのだろう。
それぞれの連のなかまで読み解く余裕も時間もエネルギーもないから、もしそうした余裕ができたなら、このレスのなかで追記していく【かもしれない】。あくまでこのレスのなかだけで連載していきます。
読んだ印象と雑感は、とにかく文学部インテリの文献学やら歴史や風俗、語源、やらをちりばめながら、講義風景を想像する。レクチャでの余談が目白押しである。オタク教授らのわけの解らない眠くなるようなお話しを聞く(読む)。
だが、作品内でのいろんなトピックやお話しについて、読者も目を輝かせと授受できるなら、作者にとってこのうえない歓びであろう。
一連のなかの
">琴座と栞"
確かに形状が似ているな、と思った。
夜空を旅したり文学を旅したりするのもいいもんだね。
作者の、文学に向けた探求欲や情熱はすごく強くよくわかる。が、クセのある文体であることと、内容の難解さ。(知識が伴わない故)学者ではない私たち一般読者からしたら、どうしてもその二点が読む楽しみの足枷となっている気がする。学者は、弟子でもない学生でもない一般の人々に向け、ものを読ませたり語る場合には、すっきりとはっきりと、よくわかるように、努めるものだ。
追記、23:10
あと、メロメロおっさんらが後を絶たないあちらの作品の冒頭について、ハハンと気がついたが。こちらにレスする。>同胞もよそ者も>同じ作者である>というなら、もう面倒だから
">妹よおまえが"
">先に生まれた"
私も弟がいるからわかるのだが、こうした錯覚。潜在的な意識において、ふと感じ、分かることであった。そうした具体的な体験エピソードを記憶から探したが思いつかないが。要は人間の持って生まれて教え込まれた、時間軸、(時間軸というのはニュートン体系、ただひとつの時間だけが流れている。絶対的な時間の流れが存在している)っていう。
(人間がツクリ上げた宇宙体系のひとつに、疑いをかけるべきだろう。)っていうのがある。
また、私たちはよく英語のビフォア、アフターを、前に、後に、と訳すが
『私の生まれる前に妹が生まれた』、『私の生まれた後に妹が生まれた』、という二文ならばどちらが間違いで正しいかは分別がつけられる。
だがこの場合、前や後アトではなく『先に』と使われている。『先に』ってなんだろう?
つまるところ時の矢
時間 ―――――――>
この西欧科学や西欧思想から伝わった我々の時間感覚、時間観念を、トリックめいた形で読者に錯覚を与えている。 そうした暗示が冒頭にはある。
それを踏まえ、以下に続く詩文を読めば、内容の理解がまた少し違ってくるのかもしれない。
斜め読みでほとんど読んでいないので、もう、いいやもう、とにかく帰宅クタクタ、飯食いながらもう、いいや。さっさと風呂入って、歯磨いて寝る。(おわり) ('16/07/25 23:40:04 *3)
- kaz. :
誰も批評しないから書くけど、ひふみよといえば俺の中では「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」なんだよね。数を数えることが心を盗むこと、五寸釘を打つことに相当するというのが歌詞の趣旨ならば、この詩はそれに古典の短歌性を連動させていて、そういう読み方をすると面白いと思った。多分澤さんの作品の中では最高傑作なんじゃないだろうか。最優秀作品賞あげちゃいましょうよこれに。難点を言うならば、もう少し日本の古典音楽からの引用、例えばホルタメイトのような感じを出してほしかったな、これだけだとテクスト性だけで終わっていて、日本の古典音楽は声の音楽と楽器の音楽に分かれていて、声の音楽は歌いものと語りものにわかれているんだけど、この詩には歌いもの性はあるけど語りもの性が欠落しているような感じがする。 ('16/07/26 04:11:26)
- 澤あづさ :
▼玄こうさんへ。
お手数かけますロールメロンクリームパンダからようこそ! ええ「そういやクリームパンダはメロンパンナの弟だった。」って、玄こうさんの駄洒落でたったいま思い出したんですよ。駄洒落のくせになんという暗示力。
話題の落選「ロールメロンパンナ複合」に対する玄こうさんの読解は、およそ完璧ですばらしいですね。わたしの言う「完璧な読解」は、「作者の意図の解読」ではなくて、「作者も知らない作品の本質を、みごとに見抜いてくださった」ということです。わたしにも弟がいるが、こんな深い考えを持ってあいつを制作したわけではまったくない、(ゆえに落ちた、)とても興味深くありがたいです。ほかの方の評を読んでもつくづく思うんですが、わたしは「時間・空間」という概念にほとんど興味がないんですよね。やはり美術と数学ができないからでしょう。作者を感心させる読解でした。
本作「ひふみよ。」に関しては、こちらもこの機に乗じて(玄こうさんにではなく、文学極道やネット詩に対して、)言いたいことが山ほどあり、折しもわたしのネット詩史&ザコ詩匠はかいしさんも現れたことだし、時を改め別途返信します。ひとまずありがとうございました。 ('16/07/26 06:01:22)
- 澤あづさ :
▼kaz.さんへ。
ようこそザコ詩匠。きょう図書館でヴィトゲンシュタイン借りてきて加筆する予定で、(それによって語りもの性の欠如については回答できると思います、)ヴィトゲンシュタインについて聞きたいこととか、この機に乗じネット詩について語りたいこととかがあるので、しばらくこのスレを追っててくださいね。
「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」のことは初めて知りましたが、「数を数えることが心を盗むこと、五寸釘を打つことに相当する」ってものすごい読解ですね。作者のわたしすら、本作はそのような作品だとしか思えなくなりました。さすがわたしのザコ詩匠だけのことはあるよ。ザコシ詩の背景にそんな読解力があったとは勉強になりすぎだよ。
ちなみに作者の脳内設定は、玄こうさんのに近くて、
(1) ひふみよを「指折り数える」と、(約束の指切りの)小指が立つ。
(2) ひふみよを「指を立てて数える」と、拇指だけ畳まれる。
1を「よ。」の和歌に、2を「み。」の整体経験談に書いた感じでしたが、いいや五寸釘だ。わたしは、本作初稿(正しくは5稿だがそれはいい)をあなたに「評価はされるだろうがおもしろくない」と評されたことを、執念深く記憶していますが、初稿よりおもしろくなったのなら光栄です。
日本の古典音楽には皆目興味なく、本作の扱いは「詩歌」なので引用は都々逸が妥当だと思うし、ホルタメイトはググっても出てきませんでした。そもそも音楽自体、自営の整体屋の店内音楽くらいしか興味ないんですが、マッサージにリズム感(音楽性)が要されるのは疑いなく事実なので、それは表現できるようになりたいですね。じゃあまた。 ('16/07/26 06:04:05)
- 澤あづさ :
▼修正報告
「み。」「よ。」「補遺」を中心に改訂しました。7月末日まで改訂の検討を続行しますが、ひとまずだいぶ落ち着いたと、自分では思っています。
▼「ひ。」
【眇】の意匠が不明瞭だったので、ひとまず初連冒頭を加筆修正しました。加えて「補遺」の形式を変更しました。
▼「ふ。」
【自主研究】をウィキペディアの用語に合わせ【独自研究】に変更しました。また【エクリチュール】を、「よ。」の変更と合わせて【ふみ(文/史)】に変更しました。加えて「補遺」に、『ふくろう模様の皿』からの引用を加筆しました。
▼「み。」
割愛が多すぎたので、初連終盤に指圧の描写と抒情を加筆しました。またメッセージが弱いと判断し、「補遺」にヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』の引用を加筆しました。
▼「よ。」
今様の【たま(玉/霊)結び】が不適切と判断されたので【結びぶみ(文/史)】に変更し、合わせて旋頭歌下三句以降を修正し、「七夕と恋文」という意匠が際立つように図りました。 ('16/07/28 00:08:10)
- 澤あづさ :
ゆうべ暫定の修正稿を出しました(7月31日か8月1日に決定稿へ差し替えます)ので、玄こうさんへのレスに乗じ、いよいよage進行で、「ネット詩」について思うところを述べたいと思います。
>文学部インテリ
まったく盛大な誤解ですね。わたしは心理学部卒、しかも整体屋で社会の底辺、それもじき盲学校に行く予定の視覚障害者ですよ。「文学に興味を持つのは文学部だけ」という偏見に凝り固まっているから、「整体屋なんて社会の底辺が、ウェールズ語なんてどマイナーな外国語の文献を独自研究している」という、現代ならではウェブならではの社会現象を直視できないのじゃありませんか。
>手指を数え、人差し指、中指、薬指、小指。を込めているのだろう。
(1) ひふみよを「指を立てて数える」と、拇指だけ畳まれる。(玄こうさん式)
(2) ひふみよを「指折り数える」と、(指切りの)小指が立つ。(すずらんさん式)
1を「み。」の経験談に、2を「よ。」の和歌に書きましたが、上のkaz.さんの読解にある「ハートを盗まれたような、屈指の読書経験」という抒情が孕むぶん、本作全体では2のほうが重要なのですよね。しかし1が2の感受を妨害していることが、玄こうさんのレスからわかりましたので、このことは決定稿の作中で解題しようと思います。有益な批評をありがとうございます。
────
>クセのある文体があり、、内容も難解であるため(←知識が伴わない、学者ではない私たちは、多くが一般読者なのだから、)どうしてもその二点が、読む楽しみの足枷となっている気がする。
はてクセのある文体とはどれでしょう。本作は以下5種の文体を使用しています。
(ひ) 自由詩
(ふ) 日常語
(み) 散文詩
(よ) 和歌
(補遺) 論文+飛躍
「ひ。」と「み。」は詩ですので、難解(=関心がなければ読解不可能)なのが当たり前。「よ。」は、和歌・文語に関心のない口語自由詩専門家には、つまらないのが当たり前。「補遺」のである体は、自分でも気に入っていないが、論文のルールだからどうしようもないとして。残るは「ふ。」しかないですね。
>学者は、弟子でもない学生でもない一般向けの人々に対し、ものを読ませたり語る場合には、すっきりとはっきりとよくわかるよう努めるものだ。
本作に引いたバルトとかヴィトゲンシュタインとか、より極端にはデリダとかガタリとかを読んでも、こう言えるのならご立派なもんですが。
原文に「Llew Llaw Gyffes」と綴られている名前が、邦訳書では「フリュウ・フラウ・ギフェス」と書かれたり「スェウ・スァウ・ゲフェス」と書かれたりするって、ごく単純に、おもしろくないですか?
「ふ。」も「補遺」も、そういう単純な好奇心を刺激したい、刺激され興味を持ったら(なにせ詩とその補遺なんぞで説明しきれる内容ではないので、)上の北さんのように出典に当たっていただきたいと思って書きました。このへんにはネット詩人と独自研究ブロガーの、目的意識の違いがあると思います。
────
>(知識が伴わない故)学者ではない私たち一般読者
ネット詩人のこういう自意識は、率直に言って異常ですよ。ポエムも現代詩も言語芸術も、みな「事実、売れていず、一般読者に嘲笑されている」のに、それを書いている自分をなぜ「一般読者」と思い込めるんでしょう?
「一般人でないのに自分を一般読者だと思い込んでいるネット詩人」よりは、わたしのような独自研究ブロガーのほうが、よっぽど「実際に一般的な感性」を持っていると思うんですよね。たとえば、
http://blog.livedoor.jp/adzwsa/archives/20956309.html
↑わたしのこのブログ記事は(ガラケーでは読めずスマホでも読みにくいと思いますが、)どこぞのアルファツイッタラーの紹介により、平日10時間で5000PV獲ったことがあります。ライブドアではぜんぜん大した数字じゃないけどさ。「こういう情報には需要があり、ついでに詩が読まれることもある」とわたしは言いたいのですよ。
「自作をアルファツイッタラーに拾われ、平日数時間で数千PVを獲った」程度の、「実際の一般読者への訴求」を、経験したこともない物書きに、一般的感性について説教されてもね。独自研究ブロガーには、ちゃんちゃらおかしいだけなんです。以上、玄こうさん宛てではなくネット詩への挑発。平日数時間で数千PV獲った詩をお持ちの詩人がここにいらしたら、取材したいので教えてください。 ('16/07/28 07:11:49)
- 玄こう :
">文学部インテリ"
>>まったく盛大な誤解ですね。
私が読むのものも私的な誤解でレスしましたから。
>わたしは心理学部卒、視覚障害者ですよ。…「文学に興味を持つのは文学部だけ」という偏見に凝り固まっているから、
私は理系の大学を働きながら学費も家賃も稼ぎながら新聞配達を住み込みをして働いていました。
もちろん私も文学は今でもずっと好きですよ。学生時代、ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考も好きでした。本棚からその本を引っ張り出し、ページページにたくさんの棒線が鉛筆でひかれているのを眺めます。
>クセのある文体があり、内容も難解であるため(←知識が伴わない、学者ではない私たちは、多くが一般読者なのだから、)どうしてもその二点が、読む楽しみの足枷となっている気がする。"
↓↓
>はてクセのある文体とはどれでしょう。本作は以下5種の文体を使用しています。
(ひ) 自由詩
(ふ) 日常語
(み) 散文詩
(よ) 和歌
(補遺) 論文+飛躍
「文体」という名詞がまず、まずかったな。私は『文体』というのは、『なにを?、どのように?』作家が文章にできるか?ということなんです。スタイルではないんですね。
>学者は、弟子でもない学生でもない一般向けの人々に対し、ものを読ませたり語る場合には、すっきりとはっきりとよくわかるよう努めるものだ。
↑私はそうした学者さんの本が好きなんだ。野尻泡影の星の天文学者のエッセイや、寺田寅彦の『柿の種』とか、理系の出の執筆の人たちは、とにかく文章がしっかり、はっきり文章に書けるから、あるいは西田幾太郎の文体だって詩にしても読めばすごい読めるよ。井筒俊彦さん、イスラーム文化の学者さんだけど、30数ヶ国語の言葉を使いこなしても、その書籍だって目からうろこだ。
学者の文章は、そんな世界をまるきし知らんでも、いい文章書くんだよ。
ロラン・バルトは、帝国の象徴だけは読んだことある。だが、まだ、デリダやガタリとかは読んでいません。
>「フリュウ・フラウ・ギフェス」と書かれたり「スェウ・スァウ・ゲフェス」と書かれたりするって、ごく単純に、おもしろくないですか?
誰かの知らないブログで
「スェウ・スァウ・ゲフェス」検索し
北の夜空を旋回しているゲフェウス座?、みたいなのをブログで読みました。だからネットはたかだか知識や情報取材で充分なんですよね。
>ネット詩人のこういう自意識は、率直に言って異常ですよ。ポエムも現代詩も言語芸術も、みな「事実、売れていず、一般読者に嘲笑されている」のに、それを書いている自分をなぜ「一般読者」と思い込めるんでしょう?
↑なんでそうしたレスレスで、『ネット詩人』というカテゴリーに一般読者を抱え込むかな。
澤さんはやっぱまだまだブロガーなんかな。まいいや。これからも、ぼちぼち投稿、がんばりぃや。
(^ .^)y-~~~ ('16/07/29 00:18:37 *6)
- 澤あづさ :
>なんでそうしたレスレスで、『ネット詩人』というカテゴリーに一般読者を抱え込むかな。
話をまじめに読めよΣ(´Д`;)
玄こうさんがブログやAmazonで成功する日は来なそうですね。なぜならはなからあからさまに、「自分のしたくないことをしている人間」を見下しているからです。本作に書いた趣旨どおりの体現で、ありがたい限りですよ。
>北の夜空を旋回しているゲフェウス座?、みたいなの
ケフェウスだろスェウ・スァウ・ゲフェスと100パー関係ねーよ。
Σ(´Д`;) ('16/07/29 06:28:47 *1)
- 澤あづさ :
▼修正報告
7月末日、決定稿に差し替えました。28日改訂版との大きな違いは最終行だけです。ただし「ひ。」は、改訂の加筆が蛇足であったと判断し、初稿に近い状態に戻しました。以降、誤記および不首尾を発見した場合を除き、加筆修正はいたしません。有益なヒントをくださった皆様に、心より感謝申し上げます。 ('16/07/31 22:46:03)
- すずらん :
後でレス入れたいので上げさせてください。 ('16/08/05 07:32:22)
- 蛾兆ボルカ :
あとでレス入れるのに、上げる必要などない。 ('16/08/05 19:24:01)
- 澤あづさ :
▼後日レスのためスレを上げる件について私見。
上旬の新規投稿ラッシュを見越して、レスするまえに過去ログに流れないようにとのご配慮なら、すこぶるありがたいことです。わたしも、レスしようと思っている作品が現行ログ3ページめまで下がると、いつ過去ログへ流れてしまうかわからんと焦りはじめますし、お気持ちのわかるような気分でもあります。しかし個人的に、作品および作者の投稿姿勢に直結しないレスは、なるべく下げていただけるとありがたい。お待ちしております。 ('16/08/05 21:35:17)
- 山田太郎 :
>蛾兆ボルカ
>あとでレス入れるのに、上げる必要などない。
上げたくらいで文句をつけた人を初めてみた。
それよりおまえ、lalitaさんの投稿欄を荒らしたことを一言謝れよ。
おれもアラガイも謝罪しておいたが、おまえ、あんなことを書いて、
投稿者に対して平気なのか? おまえ、自己中の低脳か? ('16/08/05 22:11:04 *2)
- 宮永 :
後日レスのために上げる行為、私は前から気になっていました。すずらんさんがなさるのは、初めてじゃありませんし。その分、どなたかの作品が速く過去ログに流れるのではないのでしょうか。
女性が女子トイレが混んでいるから、男子トイレに入る行為に似ています。すなわち、事情はおありなのでしょうし、少数の人しかしないから許容されていますが、皆がやりだしたら困る。
気になっていたのでこちらに書かせていただきました。 ('16/08/06 05:34:44 *1)
- 山田太郎 :
>宮永
いや、わたしはいっこうに気にならなかったな。
月間賞をもらってもレスのひとつもつけない、
レスする努力のない連中ばかりのなかで、上げてまでレスをつけようという
姿勢のほうがよほど立派だ。
そのために「上げる」機能も利用できるんだ。
文句あるなら、蛾兆もあんたもちゃんとレスをつけろよ。
おれやアラガイのように常にレスをつけている人間が文句をいうのならともかく、
投稿者の欄を荒らして謝罪もしない蛾兆ごときがなにを偉そうにいってるんだよ
とわたしは思うけどね。
これでまたひとり丁寧なレスを付けるひとがここを敬遠するかと思うと、
暗澹たる気分だ。いい加減にしてくれよ。 ('16/08/06 07:36:47 *6)
- 蛾兆ボルカ :
澤さん
>>上旬の新規投稿ラッシュを見越して、レスするまえに過去ログに流れないよ
これがすずらんさんの意図だったかどうか、本人じゃないとわかりませんが、たぶんそうなのかな、と思いました。
僕はそういう意図自体が思い付かなかったから、非常に無意味な迷惑行為と感じましたが、そういうことなら意図はわかります。
しかし傲慢だな。そんな感覚は、他の作品はゴミであり、邪魔だと言わんばかりじゃないですか。
数十もレスがついている、この作品をトップ近くに残して、他を流す行為が納得できるケースというのは、すずらんさんが月旅行でも行っていて今までレスを書き込めなかった場合ぐらいだと思います。 ('16/08/06 08:23:39)
- 山田太郎 :
蛾兆ボルカさんよ、
(BOLKAはフォーラムで荒らし専用のきみの別ハンドルだが)
lalitaさんの投稿欄をさんざん荒らしておいて、
謝罪もしないで消えたきみが偉そうにいえることじゃないだろ。
人のことをとやかくいうまえに、まずはlalitaさんに
謝罪することが先決じゃないか?
他人の投稿欄に盛大な糞をしておいて素知らぬ顔で消えるとは?
どういう人間なんだよ、あんた。 ('16/08/06 08:54:00 *2)
- すずらん :
宮永さん、私は文極の慣例にならって、レスを入れたい作品が(例えば本作の様に3ページ目の下にあっという間に下ってゆくなど)すぐにも過去ログに落ちそうな状況で、どうしてもリアで時間調整がつかないときにだけ、取り敢えずあげさせていただいて、でも数日中にはレスを入れるようにしています。その場でレスを入れられられるのが理想だとは心得ていますし、その場で入れることの方が圧倒的に多いですよ。過去ログ落ちの速い文極への現場対処として他の方々もされて来た/いることですし、少し前に(リアの時間調整がつかない場合の文極での慣例に従い)かなり沢山の作品を挙げた方がおられましたが何日かしてきちんとレスを入れておられて、その時も(宮永さん含め)どなたもクレームをつけることはされていなかったように記憶しています。それを少ない回数しかしていない私1人をターゲットに汚物所の例を投じるお気持ちになられたのには、それなりの理由が宮永さんにはおありなのだとお察しします。本作の投稿を何カ月も前から激励し続け最終稿を楽しみに待っていた私です。フォーラムに過去ログ作品へのコメント用スレが立てられていますので、最終稿を待っての本作へのレスは当初はそちらに入れさせて頂こうと考えていたのですが、作者のフォーラム利用禁止が解かれていないようなので、こちらに入れさせて頂くことにしました。どうかご理解賜りますよう。 ('16/08/06 09:08:36)
- すずらん :
山田太郎さん
昔日の諸々を乗り越え、文極で山田さんと詩について語り学べることを心から愉しく思います。
温かく解して下さって、とてもありがたいです。でも、見抜かれちゃいましたね(笑)。
やはり潮時ということはいつも考えています。
(現状、外部に溜まりまくっている詩の仕事を抱えそれを関係者の方々にご寛容いただきながら<(_ _)>、文極には自分の詩作時間を割いてぎりぎりレスさせて頂いていますので。汗) ('16/08/06 13:14:30)
- 澤あづさ :
▼宮永さんへ、蛾兆ボルカさんへ。
「ある作品が過去ログに流れる」という事態は、「現行ログ最下の作品が、新規投稿によって過去ログへ流れる」ことでしか起こりません。現行ログ内の順位入れ替わりを、あなたがたの都合で操作したところで、あなたがたの杞憂は根本的に解決しないわけです。あなたがたがそうした愚鈍な屁理屈を、本当に本気で通したいのでしたら、まず「文学極道では、既存作品が過去ログへ流れるのを防ぐため、新規投稿を自粛すべき」ということを、みずから実践すべきなのじゃありませんか。そのようなばかげた活動は、運営にもいい迷惑でしょうし、あなたがたも含め一名も参加しないだろうと、わたしは予想しますがね。
▼山田太郎さんへ。
「レスの少ないスレにレスをする」という努力をしていない人たちが、「レスの多いスレを上げる」という行為にケチをつけたところで、「他のスレがレスの少ないまま流れてしまう」という問題が解決することはありません。そんなモンスタークレーマーたちによって、すずらんさんが面倒な事情説明を強いられるのは、わたしにも不愉快なので、お気持ちはわかるような気がしました。わたしもこのところ、モンスタークレーマーが面倒という理由でレスを自粛していますが、もはやそんな自粛こそ面倒という気分です。
▼すずらんさんへ。
つまり、わたしが投稿日に決定稿を出しておけば、いすちゃんがいじめられることはなかったわけだ。毎度毎度わたしのせいでごめん( ;∀;) フォーラム出禁も深甚たる問題だが、かとりさんのあのスレは、本掲示板のコメ欄とは用途が異なると考えているので、やっぱりコメ欄に書いてほしい。ご覧のとおり決定稿は最終行にて、いすちゃんが従前の版に寄せてくれた「指折り数える」というミラクル読解を解題した。これは作者の脳内において、いすちゃんがいなければ本作が────特にクライマックスのつもりである「よ。」が────成立しなかったという告白でもある。そういうわけで待ってる。 ('16/08/06 13:50:34)
- 宮永 :
澤さん
>現行ログ内の順位入れ替わりを、あなたがたの都合で操作したところで、
操作してませんよ。新規投稿でレスの少ない作品が過去ログに流れなければ、作品で溢れてしまいますから。 ('16/08/06 14:30:29 *1)
- 宮永 :
すずらんさん
>後日レスのために上げる行為、私は前から気になっていました。
という私の言葉は、他の方も含んでのことです。不快、不可解に思った記憶はありますが、誰が何回などは記憶していません。すずらんさんが以前にもされていたという記憶がなければここには書かなかったと思います。
すずらんさん、他に何かあればフォーラムででも話しましょう。入ったことがないので勝手がよくわかりませんが。
(お忙しくて無理でしたら、またいつでも) ('16/08/06 15:06:41 *2)
- 澤あづさ :
たしかに上のレスレスは、主に蛾兆ボルカさん宛てで、宮永さんまで十把一絡げにするのは失礼でした。宮永さんには、関係ない八つ当たりをしてしまったことを、申しわけなく思います。加えてわたしは上記でも、「あなたがたが自分の都合で現行ログを操作している」と述べたわけではありません。それをしたところで当該の問題は解決しない、つまり「あなたがたがなにを問題視したいのか」が疑問だと述べたかったのです。
蛾兆さんは、作品と関係ない話で特定のスレッドを実際に上げているので、「自分の都合で現行ログを操作している」と言っても過言ではないでしょう。物言いは悪かっただろうと思いますが、蛾兆さんの発言も悪意に満ちた曲解の煽りですし、売り言葉に買い言葉ということでご了承ください。
http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8946#20160806_062_8946r
本当に本気でこのようなことを杞憂しているのなら、ひとまず、レスの少ないスレッドをレスで上げることを、ぜひ実践すべきだと思います。 ('16/08/06 17:08:19)
- すずらん :
宮永さん ・・ この件について、私からフォーラムで特にお話しすることはありません。
私が「後でレスを入れるためのup」をしたのはこの2年間で(今回と6月7日の)2回だけで、ターゲットにされた理由は分かりませんでしたが、
宮永さんは(煽らずに)率直なお気持ちを話されているのは分かりましたので、私もきちんと事情をお話ししました。
ちなみに、宮永さんの『あの木』も、下っていたのを私がトップにもっていったような…寸観でしたので、その場でレスを入れられましたが。
その後、お2人の方が好評価を入れておられて、トップにもって行って良かったと思ったのを憶えています。では^^ ('16/08/06 20:46:52 *2)
- すずらん :
『ひふみよ。』との付き合いは(1年半位前かな)いかいかさんにレスを頼まれて始まったのだけれど、作品を読みに行ったらまだ完成されてなくて、でも『ひふみよ。』というタイトルは抜群だと直観しました。その半年ほど前に「ひふみ祝詞」とそのヘブライ起源をとりいれた詩を私自身書いていたから、興味津々でタイトルを読んで、ああ、何て艶やかなのだろう、と思ったのを憶えています。その時の読みは >(2) ひふみよを「指折り数える」と、(指切りの)小指が立つ。(すずらんさん式)< で、最終稿ではどうかというと、(2)の抒情性、に加えて、精神性、を読み取りました。「ひ」火/日/光に読む、「ふ」〜風に読む、「み」水に読む、「よ」土/世に読む。以前は古代の意味のあてはめをしたけれど、今回は作品の内容から。さて、内容については、オストダンケルクの伝統海老漁のような読みをしてみようかと思います。(つづく ('16/08/11 21:57:37 *2)
- すずらん :
優良おめでとう。よかったね。
それでは、そろそろ本文入れるね。 ('16/08/21 20:28:37)
- すずらん :
最終稿は、案外『ふ』が面白くなってた。ウェールズに留学したなら現地でオークを目にしてると思うのに楢ではなく「樫」と訳したってとことか。
オストダンケルクの伝統海老漁の読みを、なぜイメージしたかっていうと…。
食卓のために獲りたい海老は、大海原の彼方にあるわけでもなく浜辺を歩く足元にいるわけでもなく、馬の腹丈ほどの浅瀬の海中に棲んでいて、馬の歩行により掻き出し籠につかまえてゆく。その馬の背に乗り漁をするようにこの作品を読まなければ、味読という食事にはありつけないと感じたからなのだと思うの。
まず『ひ』なんだけど、火/日/光で読むとすこぶる取り合わせがよい節。
『書中の美女』では逃げ出した天上の織女を玉柱が書中の栞で目にするわけで、目ってのは光の受容体だから、『ひ』の読書は「目の読み」なんじゃないかなと思って読むと、「眇。瞑らず、眇眇と。見かぎる横目で見えない片目の、〜」の聯が出てきて、やはり「目の読み」の話だと合点がいったよ。そうなると、ミルキーウェイ・織女・こと座の話は、書中に天の琴線を張り心を奏でるということなんだろうな。うん、読書とはかくも壮大なロマンなんだよね。で、栞の詠み、光のイリュージョンで生まれた華の詠み、と次々作者の連想は走ってゆき、ウェールズに舞台は移る予告をみるんだけど、同時に次節の『ふ』は風を起こす「口の読み」なんじゃないかと予感させる『ひ』のラスト。ほんと艶やか!
次の『ふ』。
やはり舞台はウェールズになり、表音の話がいろいろ出てきて、風を起こす「口の読み」の『ふ』という予感は的中!こういう予測と予感の抱き合わせは楽しいね。で、話は展開して、ラストは「足持ち人」の話になって「マッサージ師」が登場するから、次の『み』の水/液体は整体師の話だよと予告され、アロマの話だったり労働の汗の話だったりするかもと予感され?
そして『み』。
予告通り、整体師の話が展開されて、ここでは作者自ら綴り書を起こすことがされていて、ラストでその自らの書の内容に心情が寄せられているんだよね。このラストの聯の始まりが「蒸留されこぼれる香」なのでアロマの予感的中!そっか、『み』は「鼻の読み」なんだね、と読者読み。で、労働の汗/涙の話も出てきて、これも予感的中!ではあるんだけど、「彩雲の織女」が「場末」に「経」「緯」を織るって話が出てきて、「鼻の読み」をする書ってのは作者の生きる現場に書かれるものなんだろうなと思ったよ。そして、「あのひ。いふうみい。よん秒の字たらず、八拍の字あまりで。」がでてきて『よ』に渡されるから、次が「耳の読み」との予告かな。ラストの「拇指」は、『ひふみよ。』の「指折り」を予感させる?
いよいよ『よ』。
予告どおりの「耳の読み」と、予感どおりの「指折り」。すごいよね、予告と予感の抱き合わせの伏線の橋渡しで、『ひ』→『ふ』→『み』→『よ』まで話の流れを作っちゃった。でね、『よ』を土/代/世と読むのは、(『み』で示された)生の営みの場というとらえ方で、そこに作者の「耳の読み」は生じるってことなんだって思ったよ。
結わえの『。』。
これは作品の結句だと思ったよ。
>、指折り数えて、指切った小指を手に余す。屈指、彼方(あなた)の語りえぬふみから。読者として書き手は、引用を織りなし誕生する。この琴線を、こと座の織姫から宛てられた
>、
ここは『ひふみよ』の読みをまとめると、よくわかるよ。とても美しい織物(テクスト)のお話、『ひふみよ。』でした。
ごちそうさま、あづにゃん^^
(遅くなってゴメン。)
ほんと素晴しい作品を読ませて頂いて深謝です。 ('16/08/28 07:18:51 *7)
- 澤あづさ :
▼いすちゃんへ。
最終行の発案者よ! こだわりの「日と目と水(涙)」が表現できていたならなにより! 現行ログぎりだから、とりあえず感謝の言明を。あとはブログのレスポンシブデザイン版のほうに書くね。
メビでの超絶改訂を踏まえてわたしが言いたいのは、この版はいすちゃんの「ひふみよ。を指折り数えると、約束の小指が立つ。」という屈指の読解の引喩だってことだ。ネタから修辞からすべてわたしの独創だが、核心を創ったのはいすちゃんなのよ。詩は文学とか芸術とかである以前に「言葉」だから交流で窯変する、わたしの文極初投稿&初優良の「49 ‘til Infinity」も、そういう文脈を証明するための作品だったから、同じたぐいの文脈を負う「ひふみよ。」で同じ優良を獲れたのはすこぶるうれしい。
わたしは「ひふみよ。」に「49 ‘til Infinity」と同じ栄誉を頂戴するため文極へ来た。これをここでの最後の言明とする。そうこの七回目の改訂版も、まだ完成などしていない、AVEの一部方針に似た方向でさらに育てるから見ててね。 ('16/08/28 22:42:29)