歌をうたつた
真夏の昼さがり
地球の上に立つて
おほきな声で
背筋をのばして
素直な力で
うつむいてゐる誰かに
目をとぢてゐる誰かに
道に投げ捨てられた誰かに
いちにち天井を見つめてゐる誰かに
ひとりで誕生日をすごした誰かに
昨日飲み過ぎたひとに
彼氏と別れた彼女に
絵の具を買へない画家に
お盆灯篭を見送る母親に
脱走した兵士に
また逆上がりに失敗した少年に
まつすぐに届く
祈りではなく
癒しではなく
慰めでもない
強いものでもなく
弱いものでもない
まつすぐな歌を
地球の上で わたしは
美しいものではない
みにくいものでもない
花ではなく
鳥ではなく
空でもない
真実ではなく
嘘でもない
真夏の昼下がり
地球の上に立つ それは
小さくもなく
大きくもない
うたふものとして
そこにゐる
背筋をのばして
素直な力で
いのちのかぎりを越え
ひと筋の光となるまで
うたふ
空に入道雲
野に風
(7月24日・一部を改訂しました。)
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20160723_403_8982p
- るるりら :
詩は、生きる力をふるいただせる。
この詩を拝読し、そう思いました。 ('16/07/23 19:15:40)
- 石村 利勝 :
(山田さん、コメント消されてしまったようですけど、ちゃんと読みましたんで、お返事させていただきます)
るるりらさん、山田さん、ありがとうございます。社交辞令ではなく、お二方の対照的なお言葉それぞれ、有り難く受け取りました。
というのは、山田さんのコメントの中の「何でこの作品をここに上げたのか」という意味のご質問、これね、投稿するときに、誰かこの問いかけをしてくれる人がいてくれたらなと思ってたんですよ。まずそこに目を留めてくださったのが有り難い。
実はですね、しばらく文極には自作投稿するのやめようと思ってたんですよ。
この作品より客観的にみてよくかけてるもの、うまく出来ているもの、何人かには面白く読んでもらえそうな詩はね、そりゃ、あります。喜んで読んでくれた人も結構いる。でもね、そんなもん、ここに出したってしょうがねえやって思ってました。俺にとっても誰にとっても何か意味のあるものが生まれる予感がしない。なので、何も出すつもりなかったんです。
これを出す時も、その前にかなり迷いました。多分、ここに来る人たちにとってはあまり意味がない、得るものがないというのが予想できるから。でも、私の側に確かめたいこと、知りたいことが、この作品に関してはあったんです。それが何なのか今は言いませんけどね。他の場所に出してもその目的はたぶん達成されない。この場でも怪しいなと思ってました。黙殺されるか、どうでもいいような「論評」をいただいて終わりかなと。
そこでお二方のこのコメントをいただいて、どちらも、私が確認したかったことに関して、非常にありがたい、役立つお言葉でした。なので、非常に感謝!なんですよ。
るるりらさんへのお返事は、いただいたお言葉に合わせてシンプルです。あ、通じた、よし、と(笑)
山田さんの「新興宗教の説教節」「深さがない」っていうのは、非常に本質を突いた評言だったんで、おお!と思いましたね。よく読んでやがるなあ、このおっさん(笑)と。
言ってることは当たってます、まさにおっしゃる通りですって意味じゃないですよ、俺はそこまであなたに屈従する理由はない。すみませんね(笑)ですが、表現が適切であるか、価値判断が妥当かどうかとは別に、山田さんがその言葉で表現しようとしたもの、山田さんが感知したものは、間違いなく俺の詩人としての在り方の本質を突いてましたよ。大した人だなと思いました。
俺は、人生や人間の在り方に関する自分の理解や洞察が人より浅いとか足りないとは全く思ってないです。だからと言って、山田さんが俺の作品を読めてないんだとか、思想が理解できてないんだとか言うつもりは毛頭ない。俺は詩人ですから、自分の人生観や洞察は、詩の中で生きたものとして経験してもらえるようにしたい。なので、ここで山田さんと人生論や哲学論争をするつもりはないです。俺にとって重要なのは、この作品(あるいは私の作全般なのかな?)が山田さんという優れた読み手に「深さがない説教節」として経験されたという事実です。それを伝えてもらっただけで、ここに出した甲斐があったってもんです。ほんと。
迷ったけど結果として出してよかったなと思いました。山田さん、あなたみたいな人は、嫌がられても煙たがられても(笑)いてくれないと困る、貴重な人ですよ。こういうことを言ってくれる人がここにいるというだけでも、俺はここに出入りする意味があると思ってます。何も、ここであなたのおっしゃってることややってらっしゃることすべてについて、もろ手を挙げて賞賛はしないけどさ(笑)嫌われることや憎まれることを厭わず、頼まれもせず、一銭の得にもなりゃしないのに、本気でこういうこと言ってきてくれるお節介な親爺さんがいるってのは、有難いことです。ほかの人はどうだか知らないけど、俺はあなたの存在に感謝していますよ。嫌になることも多いでしょうけど、そこにい続けてくださいよ。少しはましな代物をいつかお目に掛けますんでね。以上です。
ま、俺にとってそれぞれの意味で尊敬できる詩人お二方にコメントいただいて、目的は果たしましたんで、あとはサゲ進行でよろしく、皆さん。言わなくてもサガるでしょうけどね。 ('16/07/24 16:20:18)
- 山田太郎 :
石村利勝さん、余計なコメントをしてしまったと悔やんでいましたが、
気持ちよくお受け取り下さりありがとうございました。 ('16/07/24 16:51:38)
- 岩満陽平 :
知らないうちに花を踏んでいて、それを見ている人がいて、何も知らない自分を感じました。人間はこの繰り返しで、悪い印象を受け続けて、それさえ分からないまま生きている、そんなことを思いました。 ('16/07/24 22:19:06)
- 石村 利勝 :
岩満陽平さん、拙作に目を留めてくださりありがとうございます。いただいたご感想について、それが何を言わんとしていたのかを半日ほど考えてみましたが、結局、私にははっきりとはわかりませんでした(笑)
ですが、考えているうちにいくつか頭に浮かんだことがあるので、それを記すことでお返事に代えさせてください。
花を踏んだ誰かを咎める人、口には出さないが不快に思う人は、例外なく自分も「花を踏んだ」ことがあり、踏んだことを悪かったと悔やんだか、過ちを咎められてひどく動揺したことがある。
「花を踏んだ」ことを後悔したり、誰かから咎められた経験がない人は、誰かが「花を踏んだ」のを見た時に、まず踏まれた花が大丈夫かどうかを確かめに駆け寄る。花が踏まれることが「良くない」ことだと思っているなら、最初に取る行為はまずそれでしょう。踏まれても花は大丈夫だと思っているなら、何とも思わないでしょうし、誰にも何もしないし言いもしないでしょう。
人生全般においてそんな清らかな人はこの世にはいないでしょうが(笑) 周囲をよく観察していると、誰かを咎めたり悪く思ったりする前に、そこで起こっていることをまず正そうとすぐに行動を起こす人というのは、常に世の中にいます。割合は少ないかもしれませんけど。そんなことを思いました。それでは。 ('16/07/25 16:24:06)
- 匿名 :
僕は、人の詩を評価するのが苦手なのだが、なんというか。
詩らしい詩だなと感じた。 ('16/07/25 18:03:13)
- 北 :
真実のスケールが小さいと思いました。詩中で使用されている真実は、事実に近い真実。マスコミやお昼のワイドショーで「真実を明かせ!」とかいって扱われている真実。この世が生まれて今までの一切、そのすべてを内包する眩しい真実の光が、僕には感じられなかった。きっと真実という言葉の使い方が、安易なんだと思います。 ('16/07/25 19:54:43)
- lalita :
否定形の乱用は、仏教詩を思わせる。 ('16/07/25 21:14:23)
- 石村 利勝 :
匿名さん、北さん、lalitaさん、目を留めてくださりありがとうございました。
◆匿名さん、いつぞやは大変失礼致しました。「詩らしい詩」ってなんだ?説明しろ!なんて怒鳴り込んでくる方がいるのではないかと思わずハラハラしてしまうお言葉でしたが、私自身には、大変嬉しいご感想でした。ありがとうございます。励みに致します。
◆北さん、きっついなあ、「真実のスケールが小さい」「この世が生まれて今までの一切、そのすべてを内包する眩しい真実の光」て、こんな三文詩人捕まえて、あんた、そら高望みしすぎやろ(笑)そんな、町のお好み焼き屋に来た海原雄山みたいなこといわれても困るわ。そんな大それたもん、読みたいんやったらあんたが自分で書きいや。なんてね。それは3分の2冗談ですが、そうね、いつかそういう真実を人間に通じる言葉でかけたらええなあ、思いますよ。私などにそこまで高望みしてくれたのは嬉しい。ありがとう。出直してきまーす。
◆lalitaさん、ご高覧ありがとうございます。否定形、多いなあと自分でもかいた後に思いました。仏教詩というものをよく知りませんので、似ているのかどうかはわかりませんが。 ('16/07/26 05:16:35)