夜空を映す水溜まりを
やさしいバネで飛び越えた
草はらを分けていく風に
振り向く、先の
屋根の上には風見鶏が
カラカラと、鳴いて
泳ぎながら眠る魚を
ほほえみあって食べたい
かなしくないうちに
血液にしてしまえるように
軽トラックが砂埃をあげて
舗装されていない道を
走っていった
荷台の幌は
かすかに持ちあがり
はたはたとなびく
幌の下に隠された骨の行方は
えいえんを含んだ海でさえ
知ることはないんだろう
砂粒が口の端をかすり
舞い上がっていく
路肩に沿ったガードレールの
錆ついた部分を
そっと、爪で弾いて
金属の振動を確かめた
腕に残る痣を隠す
袖口の温度に
触れたことはありますか
誘蛾灯から
またひとひら、翅が燃え尽きる
予感がして、風に
密やかに告げる
電信柱のもとに
白い花を手向ける老人
その掌はやさしいばかりでは
なかっただろう
だけれど
些細な仕草も
誰かが許していくから
月はふるえて
ただ、美しいに違いなかった
灰色の鳥が絡み合って、落下する
途端、翻って、
岬には
子供たちが集まって
手をつないで
まぼろしのように建つ灯台を
囲んでいる
揺るぎない明かりの先にあるのは
お母さん、
きっとあなたも
まだ見たことのない、
あなたです
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20090403_834_3437p
- 一条 :
とても素敵な詩ですね。
>泳ぎながら眠る魚を
>ほほえみあって食べたい
>かなしくないうちに
>血液にしてしまえるように
ここがとてもいいのと、最後もとてもいいです。
いや、とても素敵な詩だと思います。
ちゃんとした批評は、おそらくこの後に続くであろう人たちに任せます。 ('09/04/03 23:28:37)
- ひろかわ文緒 :
一条さん
こんにちは。
素敵と言ってくださってありがとうございます。
焼き魚がすきです。
コメントありがとうございました。 ('09/04/05 14:17:45)
- 凪葉 :
こんにちは。
本当に申し訳ないのですが、後に続いたわたしはちゃんとした批評ができないので、この後に続く方に任せようと思います。
それで、この作品、とても良いですね、好きです。
中盤の広がりに若干戸惑う場面もあったのですが、最後がとにかくいいです。
胸にすとんとおちてくる。
見習いたいものです。 ('09/04/11 17:38:57)
- 如月 :
こんばんは
僕もこの作品、とても好きです。
心地好いイメージに包まれ、スムーズに最後まで読めて
最後に柔らかな余波のように広がってくる詩情が
たまらなく良かったです。
ただ難を言えば一連目、冒頭だけが少し気になっています。
>柔らかい波が
>草はらを分けて
>葉をめくりながら、過ぎていく
ここの描写だけは、何かそこにある物をそのまま書いたと言うような印象が強く感じてしまい、後の
>北極に住む動物の呼吸、
が、少し馴染めていないように思えました。
>その冷たさで
>風見鶏がカラカラと
>鳴いている夜
もやはり、先の連がひかかってしまい、やはりイメージがスムーズに流れてこないような気がしました。
冒頭だけ、もう少し押し上げられるような、そんな気がしています。
ありがとうございました!
失礼します。 ('09/04/11 21:54:04)
- ひろかわ文緒 :
◎凪葉さん
こんばんは。
途中とまどわれてしまいましたか、ううむ、推敲できそうになったら考えてみようと思います。
最後の連、いいと言っていただきありがとうございます。
◎如月さん
こんばんは。
冒頭は結構悩んだのですが、悩みすぎたのでしょうか。
しかし推敲は必至のようですので、もっと悩もうと思います。
ありがとうございました。 ('09/04/13 02:15:35)
- 黒沢 :
如月さんの評、うまく捕らえているなあと、思いました。課題は冒頭連で、ほかはとてもいいですね。
なので、追加でなにかいえることが無いのですが、この言葉のたってくる感じは、辻さんや、疋田さんの作品とも共通の、活字メディアでは目にすることのできない、何ともいえない魅力的なものですね。ネット詩の収穫ですね、こういうの。おそるべき書き手ですね。 ('09/04/19 01:09:35 *1)
- 右肩 :
ひろかわ文緒さん、こんにちは。
僕も冒頭二連が好きです。
そうですね、一連の「北極に住む動物の呼吸、」には確かに少し違和感がありますが。
それよりも
>電信柱のもとに
>白い花を手向ける老人
ここからの展開が少しわかりにくかったです。「手向ける」のだから、この電信柱の下あたりで亡くなった人がいるということでしょうか?それが「お母さん」なのかな。ただ、「お母さん」が灯台を取り巻くほどの数の子どもたちの母として、海のイメージと重なるのなら「母性」だから死ぬはずがないし。交尾する灰色の鳥とも通じて、その都度変容する母性ならば、「おそらく事故死した母」の持つ属性をなぞって、最後にまた「個人的な母」へと収斂していくのか?誤読かも知れませんが、その辺りもっとはっきりさせてもこの詩の魅力は揺るがないと思いました。
この詩の魅力は、この詩の主体が確かな風景の中で透明に生きていること。そう思って読んでいます。 ('09/04/19 03:06:59)
- ひろかわ文緒 :
◎黒沢さん
こんにちは。
冒頭と、展開の移ろい方(これはもう本当に毎回共通の課題です。なかなかなおせません。)ですね。今月は2作品投稿してしまったので、4月の残りの日数で推敲できたらなと思います。
>おそるべき書き手
これはまさに黒沢さんのことだと、確実にそう思います。
ありがとうございました。
◎右肩さん
こんにちは。
やはり「北極に〜」がネックになるとのこと。ですよね。
ここはまだ考えてはないんですが何かしら変えようと思います。
あと老人のところの連の右肩さんの評を読んだあと、再度この詩を読み返してみたんですが、童謡「かごめ かごめ」のおそろしいほうの解釈を思い出しました。
一気にホラーです。
ありがとうございました。 ('09/04/19 14:51:50 *1)
- 浅井康浩 :
交わり、というものをというものに注目してみました。
>北極に住む動物の呼吸、
>その冷たさで
>風見鶏がカラカラと
>鳴いている夜
では、動物の呼吸と、風見鶏の交わりがうまくとらえられなかった。
たとえば、誰の作かはわすれましたが、「にしからのあめが小鳥をぬらすときあどりあ海ではさかながはねて」
というような短歌では相互間の交流をもった糸口が小鳥と魚にはたしかにあるのに、ここでは
動物の冷たい呼吸が風見鶏をまわすことの結びつき、交わりの説得力が弱いように感じた。
逆に2連は上手。
>泳ぎながら眠る魚を
>ほほえみあって食べたい
>かなしくないうちに
>血液にしてしまえるように
「タマちゃんを食べようと思う」という言葉で、動物をたべることについて語ったのは
森達也だけれど、ここでは、動物を保護することと殺して食べることの矛盾に私がわだけが自覚的であることよりも、「私」と「魚」との交わりが主題となっている
たべられる魚そのものよりも、さかなそのもののもつ痛みに目が向けられている
そこでは魚は、みられるものとしてあるのではなく
>泳ぎながら眠る
というように、育ってきた」過程に目が向けられている
魚はそこでは「食べられる客体」としてあるのではなく
食べる私の身体に直接的にはたらきかけて「かなしい」という感情をともなわせてくる。
そして、その感情が一方通行でないのは、
「かなしくないうちに」という言葉が、魚そのものの存在が、それを食べる私自身の暴力性にどこまでも抵抗して押し戻してゆく過程の一端でもあるのだろう。
殺されてくるしむ魚にたべることでしか近づけない、しかし食べずにすてることもできない、というつながりと交わり。
ここから以降は、二者間のまじわりではなく、わたしの内をめぐる交わりとなる。
たとえば4連
>ガードレールの錆を
>爪で弾いて、そっと
>金属の振動を確かめた
>腕に残る痣を隠す袖口の温度に
>触れたことはありますか
ここでは「触れたことがありますか」と言いつつその言葉は自分のなかをめぐり
触れているという確信が安心の感情をよびおこして自らの中をめぐっている
爪ではじいて感じるのは金属の振動だけではなく、その振動が指先から痣をとおり全身へと伝わってゆく身体感覚だろう。そこにはわたくし自身があることが、金属質の振動にさからう有機体としての肉体をもつわたくし、という位相としてわたしのなかにあらわれるだろうし、振動でかすかにふるえる腕に触れる袖口は、金属とは異質の肌触りであり
それは繊維のあたたかさなのだろう。
全身にひややかな金属質をひびかせつつ、コンプレックスの源をかくす袖口の繊維とのまじわりは、それが局所的なものであればあるほど、あたたかでささやかなものとならざるをえない。そしてそれは、その肌触りに包まれている、という感触と安心感をもたらす。
そして、私の口を衝く「触れたことはりますか」という言葉は、決して他の誰かにむけられたものではなく、痣がもたらした過去のコンプレックスをかかえた「痣ととものある私」になげかけられたささやかな言葉なのだろう。
このように、3連以降は、交わりをもつのは「私」と「私自身」という関係となってゆく。
そして最終連
>岬には
>子供たちが集まって
>手をつないで
>まぼろしのように建つ灯台を
>囲んでいる
私と魚が物理的にいちばんちかくである場所、岬で起きていること。
ガードレールの冷たさに結びつきを感じるのではなく、あたたかな手がむすびつきあって
灯台をかこむくらいのつながりになる光景。
もちろんそこは、いままでのむすびつきのかすかさからいえば「まぼろしのような」光景としてあらわれている。
そして、先にあるものは、わたしと「おかあさん」もしくは「おかあさん」と「おかあさん自身」という交わり。
よいと思います。 ('09/04/23 13:56:55 *2)
- ひろかわ文緒 :
発起人の皆様、推敲しました。
お手数おかけしますが、何卒宜しくお願いいたします。
◎浅井康浩さん
こんばんは。
丁寧な評をいただいて大変喜んでおります。深々とお辞儀。
推敲した際に参考にさせていただきました。
(参考にできてないじゃないか、と思われたら、もう本当に申し訳ないのですが)
なるほど、と感嘆しきりで何とお返事すればいいか分からないのですけども、
好意的に読んでいただけたみたいで、嬉しいです。
>よいと思います。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
('09/04/26 21:46:01 *1)
- 如月 :
再レス失礼します。
推敲なさったんですね
好みの問題は大きくあるとは思いますが
僕は個人的に、ぎこちなさがあったとしても推敲前の方が良かったような気がしています。
>北極に住む動物の呼吸、
のイメージを切って、写実描写の精度を上げようとするよりも、イメージをどう編み上げるのかを考えた方が作品に馴染んだような気がしています。
後、物凄く個人的に気になっているのですが
>響いた気がして、
の運びの「て、」と
>カラカラと、鳴いて
の「て」の結びが気になっています。
>響いた気がして、
は、断定的に持って行った方が、最後の「て」がより活かされるように感じました。
いや、個人的に少し気になる程度ですが
ありがとうございました!
失礼します。 ('09/04/28 21:16:57 *1)
- ひろかわ文緒 :
◎発起人のみなさま
すみません、またもや推敲しました(4/29)。1連目のみです。
◎如月さん
再レスありがとうございます。
あらら、推敲前のほうがよかったですかー。
>北極に住む動物の呼吸、
をなくしたのは、「書きすぎた部分」かな、と思ったからであります。
(なくした、けど、全体を通したときに消えてはいないかな、と。過信だったらお恥ずかしい限りですが。)
「て」の結びは、確かに、とうなづきました。
推敲してなくしてしまったので、次書く際にはそういう点も気をつけていこうと思います。
ありがとうございました! ('09/04/29 06:05:34)
- 深田 葵 :
読んでいて作品の持つ空気に抱擁され
最後まで落ち着いて読み進むことのできる作品でした。
こういった作品を書けるようになるには
きっと静かな心持と
空気の循環してゆくそのような生活が必要なのでろうと思っていて
到底とどかない、ので、素直にだき締めたいと思いました。
一条さんと同じく
眠る魚をのところが非常に良かったです。ただの感想で申し訳ありません。 ('09/04/29 12:21:18)
- ひろかわ文緒 :
◎深田 葵さん
こんにちは。初めまして。
「静かな心持」とは、程遠いような生活を送っておりますが、なんとか書いていけたらいいなと思います。
眠る魚のところ、良かったと言ってくださってありがとうございます。
('09/04/30 09:01:35)