まばらに
するとよくみえる
僕たちは引越をした
線と線の重なりを逃れ
点描で溢れる
モザイクの町に
階段や坂道を
登ってばかりいた
たとえではなく
公団の五階で育ち
学校はいつも丘の上にあった
西向きの部屋に
角度のない陽が射し
よこたわる母は薄目をひらく
鉄錆色に染まる
手のひら
まばらだった記憶も、今は
新しい住宅地のように整備され
密集し
貧しく充足している
たどっていく
古い軒先や踏切
重層のマンションが混在する町
下りた遮断機に
指折って
数えられるものを数え
白い私鉄がひとつか
ふたつ程度ゆきすぎ
そのたびに
また一から数えなおし
数えていたものを忘れる
若い母親が
線路沿いの道に
ひさしのある
ベビーカーを押していく
赤ん坊は寝いっているのだろう
僕は娘と手をつないで
名づける、という行為の
傲慢さについて
答えられないでいる
「肝臓が、ね
もうだめなんだって
でも落ちこんでないから」
それでも
人の名を呼ぶ
まだ、顔を向けるだけの
淡いほねぐみ
人を呼ぶ声、僕たちの午後
僕たちの授受
途切れたものは
思い出せないから
僕の記憶を
浚ってほしい
でなければ
また一から指折って
数えなおして
その程度に貧しく
充足できる
その程度に
貧しく充足するために
くり返したどって
ゆきすぎるをみおくれば
遮断機は上がる
( ゆるくほどける線と
線と、マザー
人を呼ぶ声
薄ぐらい部屋に、目を覚ました )
モザイクの
町からのびる線路が
肝臓、を
つらぬくなら
僕はくだりのそれに
飛び乗って
まばらに
したらよくみえて
ベビーカーは残照の坂道に
さしかかって
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20090323_676_3417p
- 黒沢 :
ああ、なんか、じんとくる詩ですね。みごとな描写だし、文章もきれていますね。
ただ、最終連、
>町からのびる線路が
>肝臓、を
>つらぬくなら
ここの肝臓がつらぬかれるってところ、読み手の実感を直撃しない、迂遠さがあるのが気になったのと、
>白い私鉄がひとつか
>ふたつていどゆきすぎ
ここの「ていど」っていう表記、ここだけ平仮名で、他のところでは「程度」って漢字になってますよね。漢字で統一したほうが、ってのを思いました。細かいつっこみですが。
もどって、最終連の終わらせ方ですが、冒頭連からくるいちれんのテーマが、完全にしかるべき場所に収まりきっていない、というか。ここだけ他の連とは異種の情感がのせこまれているように思いますが、いまいちそれが効果的でなく、鮮やかな印象を残してこない、という感がありました。
>僕はくだりのそれに
>飛び乗って
>まばらに
このあたり、とか、ちょっと納得感が弱かったです。
ただ、全体に見て、もちろん良作ですね。
いいものを、読ませてもらいました。ありがとう、です。 ('09/03/26 01:09:08 *4)
- 一条 :
「マザー」という単語から反射的に「牧場」を連想してしまって
最後まで牧場のイメージを頭から駆逐出来ませんでした。
マザー、母、母親と出てきますが、
自分も母をイメージしながら作品を作ることがままあるんですが、
そういえば、ぼくは10歳くらいから母に向かって「おかん」としか呼びかけていません。
一方、おとんですし。そしておじんであり、おばんでもあり。
そのおかんをめぐる、母、マザー、母親の使い分けは
宮下さんなら、やっぱりちゃんと意識しながら書いてるものなのでしょうか?
もしかして全部おかんで置き換え可能なんでしょうか?
ぼくが詩を読んで好きか嫌いかを判断するとき、
単語レベルで自分が苦手な単語がほとんど出てこない
ってのが、かなり大きくて
内容とかはどうでも良かったりするんですが
宮下さんが詩の中で使う単語は
ぼくにとってはとてもリーズナブルです。
アンジェリーナ・ジョリーがどうとかこうとかって詩があったと思いますが
あれとかかなりいいですよね。
あれに比べると、この詩はそんなによくないと思いました、単語レベルで。
で、冒頭の連想の話ですが、正直に言うと
この詩を読み進めている間にマザーから始まって、頭の中では
マザー −> 牧場 −> OK −> ガッツ −> 落選
くらいのとこまで連想が行きました。昔からそうなんですが
集中して読むのが苦手で、何かを読んでる時
ぜったい違う何かが頭のなかをうろちょろするんです。
そういえば、小さい頃から
おかんに、あんたは落ち着きがないと言われていました。
娘か息子が年頃になると、おとんちょっとくらい落ち着けよ
とか言われるんでしょうか。そういうことだとすると、落ち着くひまがないですね。
宮下さんのこの詩に触発されて
家族のこと、特におかんのことを久しぶりに考えることが出来ました。
ありがとうございます。 ('09/03/26 16:59:28)
- りす :
ストイックなフォルムの裏に、激しい情動の暗渠が流れているようです。この詩の言葉遣いは、都会の団地で、コンクリートの升目に圧縮された人々の生活のように、地味で密やかなものですが、秘められた熱量は相当なものがあるように思います。その熱量は、団地というモザイク状の建造物を見ているだけではぼんやりしていますが、モザイクを構成する一片を意識することによって初めて明瞭になってくる、なってしまう、ものなのだと思います。この詩からは、おそらく時間の経過とともに次第に明瞭になってしまうであろう様々な事柄に対しての、戸惑いや恐れが感じられます。
「マザー」という言葉は、日本語を使う者にとっては一種のモザイクみたいなもので、日本語の「母」や「おかあさん」に相当するというよりも「母なるもの一般」を指す曖昧な言葉に思えます。なので、一条さんが「おかんで置き換え可能なんでしょうか?」と口にする気持ちもよくわかりますし、「おかん」に置き換えることをしないという部分に、この詩が書かれる理由があるように思いました。「マザー」という曖昧な範疇の中に「母」を留めておきたい、そんな願いがこの詩にはあるように感じるからです。
>名づける、という行為の
>傲慢さについて
>答えられないでいる
ここでの「名」は、人の名前ではなく、たぶん、「母」であり「子」であり、おそらく「病名」をも含むもので、事物を限定的なものにする全てのものを指すように僕には思えました。そのような「限定」を避けて通ることはできないのですが、
>数えられるものを数え
>白い私鉄がひとつか
>ふたつていどゆきすぎ
>そのたびに
>また一から数えなおし
>数えていたものを忘れる
という「数えてもいいし数えなくていい」という自由で無為な時間の過ごし方が、もしかしたら得がたい平安なのではないかと、郷愁にも似た気持ちを僕は思い出しました。
一貫して遠くから眺めるような視点で書かれているのですが、最終連でいきなり、
>僕はくだりのそれに
>飛び乗って
と躍動するところが圧巻です。「それ」という代名詞でスピード感を出して、「乗って」ではなくて「飛び」を付けて切迫するところは、さすが、としかいいようがありません。たぶんベビーカーの中の赤ん坊は、そろそろ目を覚ますのでしょうね。 ('09/03/26 19:18:07)
- 宮下倉庫 :
黒沢さん
この作品、テーマは陳腐だし、きっと手法も手垢まみれでしょう。それでも黒沢さんから「完全にしかるべき場所に収まりきっていない」との指摘を引き出してしまうのは、僕自身、いくつかの概念のようなものと、肉親への思いとが、作品中で錯綜しているからなのかもしれません。
都心に向かう方を「のぼり」、郊外に向かう方を「くだり」と呼ぶのがごく一般的かと思うのですが、この呼称って面白いですよね。「上洛」や「上京」に通じるものがあるんでしょうが、この両者とは異なる思想が、のぼりとくだりには込められているだろうし、僕はこの思想の中で生まれ、生き、死ぬんだろうなと、ぼんやりと、しかしいくらかの確信をもって、いろいろ思ってます。コメントありがとうございました。
>白い私鉄がひとつか
>ふたつていどゆきすぎ
ここ、見落としだったので、修正しました。ご指摘ありがとうございます。 ('09/03/27 09:40:14 *1)
- 宮下倉庫 :
一条さん
マザー→牧場の連環に気がつかなかった僕はうかつだったと言わざるを得ません。「OK牧場の決闘」をすっかり駆逐してしまったガッツはすごいと改めて思わされました。
それで、作中のマザー、母、母親について、この作品については「おかん」に置き換えられるものは、ありません。一条さんの「おかん」は僕にすると「かあちゃん」になると思うのですが、母と母親は言うに及ばず、「マザー」ですら、実体の母に直に呼びかけたものではないからです。
僕の場合、母と母親は「かあちゃん」の三人称ですが、マザーは、メールのやりとり内に限れば、二人称です。文面になると、かあちゃんと呼びかけるのがやけに照れくさいので、「マザー元気?身体には気をつけるんだぜ」みたいに使っています。いったいなんでしょう、この感覚は。
>ぼくが詩を読んで好きか嫌いかを判断するとき、
>単語レベルで自分が苦手な単語がほとんど出てこない
>ってのが、かなり大きくて
>内容とかはどうでも良かったりするんですが
ここに大きく肯いています。手を出しやすいって、すてきなことじゃないですか。リーズナブルじゃないものにも手を出したいと考えることもあるんですが、できないことはできないことだと、考えを改めているところです。
>集中して読むのが苦手で、何かを読んでる時
>ぜったい違う何かが頭のなかをうろちょろするんです。
一条さんにも、こんな人間らしいところがあるんだなあと、笑ってしまいました。いえ、決して悪い意味ではなく。自分はふつうのおっさんですとことあるごとに言っておられる一条さんですが、僕などはつい色眼鏡で見てしまうもので…。コメントありがとうございました。 ('09/03/27 18:59:04)
- 右肩 :
宮下倉庫さん、こんにちは。
昔教科書で読んだ、吉野弘の『I was born』を思い出したりしました。
肉親の死、という、どうも別世界の出来事のようなものの総体が、昨日までと変わらない日常の中に食い込んでいく感覚、というものはよくわかります。僕も父が亡くなったとき、非常に強く感じたものです。「世代」とか「継承」なんていう抽象概念が街の雑踏とか、郊外のチープな情景にぎちぎち食い込んで実感されてくるんですよね。
上のコメントを読んでいて気がついたのですけれど、僕の詩を読むときの感覚は、「映像として入ってくるかどうか」っていうところがあります。ちゃんと映像にならない詩はどうも苦手なのですね。馬鹿だからかな。音楽もメロディとかちゃんとした主旋律がないと聞けません。悲しいことにリズム感がないようです。そういう僕が読むと、一読してお母さんが寝ている時間が現代なのか、過去なのか、過去と現代とが重なった「僕」の意識の中なのか、そのへんがわかりにくいのだけが気になりました。 ('09/03/28 00:42:55 *1)
- 宮下倉庫 :
りすさん
どういうわけか、スタイリッシュ(だけど)とか、巧い(けど)とか、極道でそのような評をいただくことが多かった気がするのですが、「激しい情動」の埋蔵量にかけては、僕はりすさんにひけを取らないと勝手に思っています。昨夜もオリジナル・ラヴの「少年とスプーン」で若干涙ぐみました。
>「マザー」という言葉は、日本語を使う者にとっては一種のモザイクみたいなもので、日本語の「母」や「おかあさん」に相当するというよりも「母なるもの一般」を指す曖昧な言葉に思えます。
自分の母に「マザー」と呼びかける日本人はあまりいないかもしれませんので、ご指摘のとおり、母の実体をぼやかしているかもしれません。そのことが、ごく個人的なことについて書かれているこの作品を脱臭しているんでしょうか。
>もしかしたら得がたい平安なのではないかと、郷愁にも似た気持ちを僕は思い出しました。
無為の安寧とでも呼ぶべきでしょうか。安易な郷愁が僕は大嫌いですが、ここにひとつの目算がなかったとは言い切れない僕の卑しい根性を、りすさんには見透かされた思いがします。
しかし、ようやくりすさんに褒められたと、少しうれしく感じてます。コメントありがとうございました。 ('09/03/28 10:27:14 *1)
- うれない :
こんにちは。カタカナが不思議な感じのする作品だなという感じがしました。
あと肝臓という臓器へのこだわりが気になりました。
以前「日本殺人連盟」というのに入っているとかいうおじさんと話をしたときに、殺人のライセンスを持っている人は心臓でなくて肝臓を狙う(→失血死)というルールがあるという話を思い出したりしました。心臓は小さ過ぎて外すと大層苦しんで悲惨な死を遂げるそうなのです。ほんとかどうか・・・。
なんというか町の鉄錆びる感じ、施設の老朽化と「自分の肝臓」という意識の心許なさ等まざまざ思うことあったのですが、これは悪くしたのは腎臓では無かったのだったなとか考えてしまって、というのは実は最初人工透析のことを書いているかと思ってしまっていたのです。なぜか。人間、心臓の一箇所が悪いと他の臓器のあちこちに不調を来しやすくなると私は話に聞いたことがありますがどうなのでしょう。
繋がりで考えていて医療の名の下に赤ん坊でもとって食う現実があったのは嘗てのことだったと思い、思えませんでした。
感光変・・・というより原因不明のリューマチにでも罹っているような感想しました。
のこったのこった沈黙の肩をも叩く不況の中で、戦々恐々としていることを認めたくない今日このごろです。
感想を聞いてくださってありがとう。
肝臓の為にも休肝日は大切ですね。 ('09/03/28 11:35:52)
- 宮下倉庫 :
右肩さん
『I was born』は、以前購入した本で読みました。他にもいくつか印象深い作品が載っていた気もするんですが、そういえば『I was born』は強く印象に残っています。映像として鮮やかだからかもしれません。
先日初めて海外に行きまして、当然行き帰りでイミグレーションを通過したわけなんですが、以前購入した本に載っていた詩も、イミグレーションを通過したんでしょう。してみるとこの作品は、係官に穏当な表情で「サイトシーイング」と返答することに他ならないのかもしれません。とはいえ、行きも帰りも、なんにも聞かれなかったんですが、一回は海外に、と思っていたので、円高の間で良かった、と思ったら、今日は先日よりもさらに円高が進んでいました。コメントありがとうございます。 ('09/03/28 16:42:50)
- 宮下倉庫 :
うれないさん
僕の親父は心臓の一箇所が悪いんですが、臓器のあちこちに不調をきたしてはいないですね。俺は長生きできない、とか言って足しげく病院に通っていた親父にではなく、おおむね健康体で生きてきた母に致命的な疾患が現れるというのは、まったく皮肉な話です。原因不明のリューマチの方が、いくらかましだったかもしれません。
以前、香港在住だったか、アーティストが胎児を模した動物の肉を食べる、というパフォーマンスをやっていたらしいです。僕は猿の脳みそが食されていく一連の過程を映像で見たことがありますが、なかなかえげつない光景でしたよ。コメントありがとうございました。 ('09/03/29 22:14:49)