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コラム

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最後のコラム

 コントラ

『言語を紡ぐことは存在論的差異を生きるのと同義だ』
―ダーザイン

子供のころから、部屋に居るのが嫌いだった。おそらく僕の前で交わされる父と母の会話や、新興団地の昼下がりの、密閉された無音の空間に、おぼろげな気持ちの悪さを感じ続けた記憶が関係しているのだと思う。ともあれ、僕にとっては文章を読んだり物を考えたりすることは、常に空間的な経験だった気がする。すべては実家の狭い空間を出て、団地の舗道を歩き、アーケードを通り抜けて駅の階段を上り、電車に乗る。または、喫茶店に入り、窓ガラスの外の道路を走っていく車の尾灯をぼんやり眺める。それら目の前の景色、背景、言い換えれば、テキストにとっては「行間」的なものこそが、いつもクリティカルな意味を持っていた。だから、これまで他人の書いた文学作品や、映画、テレビその他のメディア体験に、自分の思考が強く揺すぶられたことはなかったように思う。たとえば、昨年の暮れ、僕はメキシコのカリブ海岸をふらついていた。そのとき偶然三島由紀夫の文庫本を何冊か持っていて、雨の日などやることがないときはずっと読んでいた。よく知られているように、三島は1950年代前半を境に作風が大きく変わっているが、その前期の知的で偏屈な作品をいくつか読んだ。いろいろ考えはした。しかし実は小説の内容は3か月たったいま、よく覚えていない。僕にとっては、雨の日の海岸の、米国チェーンの喫茶店で、水滴がガラス窓を打っていた場面や、誰も居ない深夜の安宿のキッチンで、蛍光灯の下でふと本から顔をあげたときに見えた風景のほうが、ずっとはっきりとした印象を残している。

旅とは何かという問いに対して、ナイーブになるのを恐れないのならば、それは「生」をもっとも強烈に感じる瞬間だ、と答えたい。近年日本でも有名な合衆国の文化批評家ジェームズ・クリフォードは、その著作「ルーツ」のなかで、人間の生や文化的なダイナミズムを、特定の場所に根をおろすこと(roots)ではなく、経路(routes)として捉えなおすことを提唱している。生をrootsではなくroutesとして再想像することの意味はおそらく、いま・ここを、次の目的地との関係性における可能態「未来になりつつある現在」として感受することにあるのだろう。そこでは、移民たちにとってホームランドへの郷愁は、新しい土地を求める渇望に対する障害とは必ずしもならない。しかし、クリフォードが焦点化する人々の地球規模での移動や、加速する文化的異種混淆状況は、何も先進国から来た旅行者のロマンティシズムを満たすためにあるわけではない。昨日の夜ダウンタウンの喫茶店で、ある中国出身の留学生と話していたのだが、彼女が言うには、中国から米国へ、いまでも積荷にちかいコンディションで密航してくる中国人がいまでもあとを立たないという。いうまでもなく国際移動を楽観視できるのはごく少数派の特権である。

そういえば、どこかの論文が、エドワードサイードはオリエンタリズム批判のなかで、文化人類学を批判の槍玉にはあげていないという話を論じていた。理由は、いかに民族誌的調査が植民地的力関係の上をトレースしているとしても、文化人類学者はフィールドで現地住民と顔を突き合わして、親密な関係を築いていく。そのことは、単に想像のなかで作られる理想化され、ゆえに隷属化される「オリエント」とは無縁だ、ということなのだろう。僕は、これまで世界30か国に旅したり滞在したりしているが(この数自体はいまや自慢にも何にもならない)、実は、現地に行ったかどうか、というのは、それほど大きな問題ではないと考えている。むろん、文化人類学者は観光客があまり接点を持たないローカルな日常に入りこんでいくわけだから、その調査の精度や、結果としての学問的成果は、たんに旅行者の「そこにいる」ということとは別問題だと思う。しかしながら、目下の状況において「現地に滞在して某かのものを掴んだ」というなかば特権的な感覚や高揚を守り抜くためには、相当の難しい可能性に掛けていかねばならないと思う。中南米を旅行すると、3年、5年の長期で旅行している日本人によく会う。彼らの何人かは白昼安宿のドミトリーに引きこってまったく外に出ず、ある者は毎日、街の市場で調達できる素材で、いかに本物らしい日本料理を作れるかに異様な熱心さで取り組んでいた。そこでは背にしてきたはずの日常の臭気が、逆に日常化した「旅」の中で耐え難い濃度にまで高められているように思えてならなかった。

モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジェは1920年代に、新しい建築の構想を描くなかで、「住宅は住むための機械である」という有名な言葉を残している。彼は、建築を自動車産業と比較しながら、産業革命後の世界で生産過程がつぎつぎとオートメーション化しているなかで、住宅だけが伝統的な方法で建てられ、まったく進化する兆しがない、と指摘する。彼のラディカルなアイデアは、大規模な都市改造論へ発展し、その後、弟子の前川國男によって、第二次大戦後の日本における、焼け跡に建てられたプレハブ住宅の試みとして実現する。コルビュジェや前川の構想したハードウェアとしての、住む「場所」に関するモダニズムが、どの地点で「定住」というコンセプトさえを覆しつつある現下の文化的な異種混淆状況と接点を見出すのかは、興味深い問題である。どちらにしても、特定の「場所」や「場所性」に対する親和性はおそらく絶対になくならないし、そうした場所の点描たる集合をたがいに結ぶ線としてこそ、人々の織りなす「経路」が意味をもってくるのだ。

僕は中学校時代に世間で言うところの「いじめ」を受けた記憶がある。もちろん過度に激しいものでもなかったし、家にも居場所のなさを感じていた僕は、登校拒否をするわけにもいかなかった。1980年代の鉄筋コンクリートの校舎で、白い廊下の奥には赤い非常ベルが見えていた、あの当時、あの空間で首を絞められるような気持ちで居たこと。そのような強烈なかたちで、ある場所に存在していたこと。そのことは、現在の自分には思考していかねばならない必然性があることを示していた。「いじめ」がコルビュジェの構想した機械としての建築のように、場所を選ばない抽象概念であることはありえない。僕にとって関心があるのは、1980年代の東京郊外の一角で、自分が存在していた鉄筋コンクリート建築の場所性であり、その当時低く垂れ込めた雲や電線、寂れた商店街に埋め込まれた街並が特定の人々によって生きられてきた風景の、まさにその先端に、僕自身の記憶が位置しているということであり、それが僕にとって集合的な意味での歴史を考える出発点である。

詩なり「作品」と呼ばれうるものは、世界に強烈に根ざそうとすること、根ざしていたことを呼び起こすこと。その地点からしか生まれてこない。これが、多くの書き手にとっては多くの選択肢のひとつであるはずの、僕自身にとっては、唯一の立場である。丸山雅史さんの「どうしたら詩作が上手になるのか」という問いを手がかりに考えたこと。


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文学極道

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