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コラム

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連想の彼方へ

 榊蔡

 たとえば雪。白、白銀、結晶、揺らめく六花、飛雪――頬を刺し首筋に滑り込む、冠雪――エッジを失い滑らかなる風景、斑雪――見あげると冷たい額、新雪――青白く神聖な無言の夜明けと自らの呼吸の音――そのとき冷ややかになる肺――空へ向け益々と尖ってゆくような両耳の尖端――鼓動の中心を射抜いている細い針――太古より心の裏側から見つめている白狐の眼差し、

 とこのように私たちは、一つの言葉に対して、その時々での経験知識に断片化されたイマージュを焼き付けたものが縦横に結びつく連想のネットワークを、それぞれが持ち得ています。だから作内に、雪、を仕掛けた場合に、読み手が雪という活字を目に、ユキという発音を思考のなかで唱えるのと同時に、漠然としたこのネットワークの印象が、心に干渉するのでしょう。雪、ひとつでもこの有様です。風花、などと状態を限定すれば、雰囲気の範囲こそ狭まるものの、益々と明確で強い印象が、読み手の経験を引き出すでしょう。更に作内では、たとえば、横向きに駆け抜ける風花のむこうへ君を手探り、などと形容や主観の動作までを付加することもでき、それは直接的な叙情なくしてもなんらかの心境といったものを伝えることとなってゆくでしょう。実際にはこの前後にもセンテンスがあります。先の一行が、前文からの列記であったり、反復、切り返し、初文の回帰であったりして、それならばそれぞれにその効果は違ってくるものです。同一のフレーズでも、全く別の雰囲気を滲み出させることとなるのかもしれません。それは音楽の和音進行の効果に似ていなくもない気がします。

 さて、言葉が負うこととなるこのような効果を踏まえ、幾多と存在するであろう方法論や、詩の構造的な部分こそに命題を置き、実際に作品が書かれているのでしょうか。私にはそれはないように思えるし、そのようなアプローチで書き上げられた詩に統一感が期待できるとは考えにくいです。ですが、書き手が現在あるいは過去に置かれることとなった強い心境をおもむくままに吐露しただけの叙情詩では、読み手としての私が求める詩には成り得ないのです。もちろん書き出しからの自然な言葉の連鎖、というものは詩がすんなんりと読み進められ、すんなりと心に近づくことができる流れを産み出すためには大切な要素ですし、飾り気のない独白は、たとえ作品の完成度を伴わなくとも強い共感を得ることがあります。以前に私は、とある女流作家のインタビュウー記事に、作家になるためには街中を裸で歩けるくらいにまで羞恥心を捨て切らなくてはならい、という発言を目にしたことがあります。私はそんなふうに書き上げられた小説が嫌いなので、この女流作家の筆名は直ぐに忘れてしまいました。詩も同じで、赤裸々であることに重点を置いているようなものに私は興味を持てないし、それにはときとして辟易とすることさえあります。街中を裸で歩く行為自体、いちど吹っ切れてしまえば快楽の部類に置かれるものだという予感さえあります。露出狂は人集りをつくるかもしれません。しかし文学にもっと崇高な価値を求めている私は、読まれることで発生する書き手の快楽に付き合うつもりにはまるでなれないのです。

 こうなるとやはり、共感を引き出すために必要な偽りない告白と、言葉の効果や詩そのものの構造に対する方法論といった、いわば技術的な部分での操作、それとの両立がとても大切なものに思えてきます。こう述べてしまうとこれはとても当然なことと思えますが、実際に技法とモチーフを巧く噛み合わせることはとても難しいものであるし、おおむねそれは詩人各々にとって、終わらないテーマのようでさえあるのではないでしょうか。なにせ技巧のすべてはモチーフの流出と同期して組み込まれなくてはならないものであり、交互に両要素を踏まえた推敲を重ね書き上がった詩には、そこにはしる一筋の脊髄はうまれないでしょうから。

 私は詩作を書き進めるにあたり、そのとき表そうとする情景に対し、幾つかの方法を試したりすることがあります。逆に、技法として思いついた骨格としてだけの構造を覚えておき、これに巧く乗ってくれる情景が浮かぶのを待つようなこともあります。いずれも二要素の両立ができ、そこに詩が負うことのできる最も強い力、書き進める段階にだけ発生するあの力を織り込むことができた場合にのみ、漸く一つの詩が書き上がるのだ、という気さえします。加え、たとえ声を発しなくても、人間が言葉を用いなければなにも思考できない自意識である、ということを理解した上での言葉選び、つまり読み手を聞き手に廻らせない装置としての詩、がおこなえたのならば言うことはありません。

 私が文学極道に求めているのは、簡単な言葉で述べてしまえば、読み手が得をする作品、なのです。私自身、自分の書いたものが読み手になんらかの利を与えているかと問われると返答を濁したくなりますが、最も大切なことは、そういった作を書き上げようという意識、願い、足掻き、のようなものだと思います。私はこの場でこれから触れることになるであろう投稿作のなかから、利を得たいと願っています。それは未だ見ぬ情景であり、斬新な焦点であり、ひとつの気づき、美しい言葉の連なりなのかもしれません。書き手が得をする露出趣味的で赤裸々なだけなものとは、ここでは顔もあわせたくないのです。永劫に符号であり実体となることのない言葉を用い、連想の彼方にあるあの純粋な雰囲気だけの結晶、その連鎖に触れたい。その感触をここで得たい。


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文学極道

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