選出作品

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詩の日めくり 二〇一七年十月一日─三十一日

  田中宏輔



二〇一七年十月一日 「蝶。」

それは偶然ではない。
偶然ならば
あらゆる偶然が
ぼくのなかにあるのだから。

二〇一七年十月二日 「「わたしの蝶。」と、きみは言う。」

ぼくは言わない。

二〇一七年十月三日 「蝶。」

花に蝶をとめたものが蜜ならば
ぼくをきみにとめたものはなんだったのか。

蝶が花から花へとうつろうのは蜜のため。
ぼくをうつろわせたものはなんだったのだろう。

花は知っていた、蝶が蜜をもとめることを。
きみは知っていたのか、ぼくがなにをもとめていたのか。

蝶は蜜に飽きることを知らない。
きみのいっさいが、ぼくをよろこばせた。

蝶は蜜がなくなっても、花のもとにとどまっただろうか。
ときが去ったのか、ぼくたちが去ったのか。

蜜に香りがなければ、蝶は花を見つけられなかっただろう。
もしも、あのとき、きみが微笑まなかったら。

二〇一七年十月四日 「蝶。」

おぼえているかい。
かつて、きみをよろこばせるために
野に花を咲かせ
蝶をとまらせたことを。

わすれてしまったかい。
かつて、きみをよろこばせるために
海をつくり
渚で波に手を振らせていたことを。

ぼくには、どんなことだってできた。
きみをよろこばせるためだったら。
ぼくにできなかったのは、ただひとつ
きみをぼくのそばにいさせつづけることだけだった。

二〇一七十年月五日 「蝶。」

きみは手をあげて
蝶を空中でとめてみせた。

それとも、蝶が
きみの手をとめたのか。

静止した時間と空間のなかでは
どちらにも見える。

その時間と空間をほどくのは
この言葉を目にした読み手のこころ次第である。

二〇一七年十月六日 「蝶。」

蝶の翅ばたきが、あらゆる時間をつくり、空間をつくり、出来事をつくる。
それが間違っていると証明することは、だれにもできないだろう。

二〇一七年十月七日 「蝶。」

たった二羽の蝶々が
いつもの庭を
べつのものに変えている

二〇一七年十月八日 「蝶。」

ぼくが、ぼくのことを「蝶である。」と書いたとき
ぼくのことを「蝶である。」と思わせるのは
ぼくの「ぼくは蝶である。」という言葉だけではない。
ぼく「ぼくが蝶である。」という言葉を目にした読み手のこころもある。
ぼくが読み手に向かって、「あなたは蝶である。」と書いたとき
読み手が自分のことを「わたしは蝶である。」という気持ちになるのも
やはり、ぼくの言葉と読み手のこころ自体がそう思わせるからである。
ぼくが、作品の登場人物に、「彼女は蝶である。」と述べさせると
読みのこころのなかに、「彼女は蝶である。」という気持ちが起こるとき
ぼくの言葉と読み手のこころが、そう思わせているのだろうけれど
ぼくの作品の登場人物である「彼女は蝶である。」と述べた架空の人物も
「蝶である。」と言わしめた、これまた架空の人物である「彼女」も
「彼女は蝶である。」と思わせる起因をこしらえていないだろうか。
そういった人物だけでなく、ぼくが書いた情景や事物・事象も
「彼女は蝶である。」と思わせることに寄与していないだろうか。
ぼくは、自分の書いた作品で、ということで、いままで語ってきた。
「自分の書いた作品で」という言葉をはずして
人間が人間に語るとき、と言い換えてもよい。
人間が自分ひとりで考えるとき、と言い換えてもいい。
いったい、「あるもの」が「あるもの」である、と思わせるのは
弁別される個別の事物・事象だけであるということがあるであろうか。
考えられるすべてのことが、「あらゆるもの」をあらしめているように思われる。
考つくことのできないものまでもが寄与しているとも考えているのだが
それを証明することは不可能である。
考えつくことのできないものも含めて「すべての」と言いたいし
言うべきだと思っているのだが
「このすべての」という言葉が不可能にさせているのである。
この限界を突破することはできるだろうか。
わからない。
表現を鍛錬してその限界のそばまで行き、その限界の幅を拡げることしかできないだろう。
しかも、それさえも困難な道で、その道に至ることに一生をささげても
よほどの才能の持ち主でも、報われることはほとんどないだろう。
しかし、挑戦することには、大いに魅力を感じる。
それが「文学の根幹に属すること」だと思われるからだ。
怠れない。
こころして生きよ。

二〇一七年十月九日 「トム・ペティが死んだ。」

トム・ペティが死んだ。偉大なアーティストがつぎつぎ死んでいく。それは悲しいことだけれど、それでいいのか。新しいアーティストが出てくる。それで文化がつづいていくのだ。新しい文化が。新しい音楽が。新しい文学が。そうだ。新しい詩は、古い詩人が死んだときに現われるのだ。

二〇一七年十月十日 「剪定。」

庭では
手足の指を栽培している
不出来な指があれば
剪定している

庭では
顔のパーツを栽培している
不出来な目や耳や鼻や唇があれば
剪定している

二〇一七年十月十一日 「ヘンゼルとグレーテル」

チョン・ジョンミョン主演の韓国映画『ヘンゼルとグレーテル』を3回くらい繰り返して見た。傑作だと思う。一生のあいだに、このような傑作がひとつでも書ければ、作家として満足だろう。詩人としても満足だ。

二〇一七年十月十二日 「守ってあげたい」

フトシくんのことは何回か書いているけれど、彼がぼくのためにカラオケで歌ってくれた「守ってあげたい」は、ぼくの好きなユーミンの曲のなかでも特別な曲だ。

二〇一七年十月十三日 「ふるさと遠く」

眠れないので、ウォルター・テヴィスの短篇集『ふるさと遠く』をいま読んでいる。傑作だった記憶があったのだが、まさしく傑作だった。冒頭からフロイト流のセックス物語で、2作目から幽霊の実母とまぐわう近親相姦の話だとか、まあ、まったくSFというより奇譚の部類かな。3作目は2作目のつづき。

きょうも、ウォルター・テヴィスの短篇集『ふるさと遠く』のつづきを読みながら寝ようと思う。この短篇集が、いま絶版らしいいのだが、まあ、なんというか、よい作品が絶版って、よくあることだけど、いかにも現代日本らしい。

むさぼるように本を読んでいたぼくは、どこに行ったのだろう。いまは、むさぼるように夢を見ている。

二〇一七年十月十四日 「夢を見た。」

夢を見た。夢を見た夢を見た。夢を見た夢を見た夢を見た。夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た。夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た。夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た。夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た夢を見た。……

二〇一七年十月十五日 「日知庵」

日知庵から帰ってきた。帰りかけに、愛媛に拠点をおく21才で起業している青年と話をしていた。おとなだと思った。また、そのまえには、大阪の高校で先生をしてらっしゃる方とも話をしていた。趣味で音楽をやってらっしゃるという。まじわるところ、まじわらないところ、いろいろあっておもしろい。

二〇一七年十月十六日 「橋本シオンさん」

橋本シオンさんから、詩集『これがわたしのふつうです』を送っていただいた。とても刺激的な表紙で、近年こんなに驚いた表紙はなかった。冒頭の長篇詩、「母」と「娘」の物語詩、興味深く読まされた。終わりの方に収録されてる詩篇の「死にたいから生きているんです」という詩句を目にできてよかった。また、「わたしについて」という詩篇には、「東京の真ん中に、必要とされていないわたしが落ちていた。」という詩句があって、いまぼくの頭を悩ませていることが、大きくズシンと胸のなかに吊り下がったような気がした。全体にナイーブなすてきな感じだ。出合えてよかったと思う。魅力的な詩集だった。

二〇一七年十月十七日 「睡眠。」

これから数時間、ぼくはこの世のなかから姿を消す。数時間後にまたふたたび、この世のなかに姿を現わす。しかし、数時間まえのぼくは、もういない。少し壊れて、少し錆びれて、少し遅れていることだろう。毎日、数時間この世のなかから姿を消して、壊れて、錆びれて、遅れていくことしか学べないのだ。

二〇一七年十月十八日 「阿部嘉昭さん」

阿部嘉昭さんから、詩集『橋が言う』を、送っていただいた。帯に「「減喩」を/駆使した/挑発的で/静かな/八行詩集」とあって、読んでいくと、「減喩」という言葉の意味が、多種多様な、さまざまな「喩」を効かせまくる、というふうにしか捉えられない印象を受けた。ぼくなら、「多喩」と名付ける。「静かな」といったたたずまいはまったくない。むしろ、騒々しい。その騒々しさが、詩篇の威力を減じているといった作品も多い。そういう意味でなら、たしかに、「減喩」と言えるかもしれない。とても、もったいない感じがする。原因はなんだろう。韻文。短詩型文学。俳句や短歌の影響かな。そんな気が、ふとした。ぼくは、あくまでも、俳句や短歌を現代詩とは切り離して考えるタイプの実作者である。

二〇一七年十月十九日 「谷内修三さん」

谷内修三さんから、『誤読』を送っていただいた。これは、ひとりの詩人の詩に対する覚書の形をとったもので、谷内さんが毎日のようになさっている作業と同じものだ。詩句に対する手つきも同じ。読みどころはなかった。新しい方向から見て書かれたところはなかった。出す意義がどこかにあったのか。

二〇一七年十月二十日 「断章」

人間というものは、いつも同じ方法で考える。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)

二〇一七年十月二十一日 「加藤思何理さん」

加藤思何理さんから詩集『水びたしの夢』を送っていただいた。エピグラフ的な短詩を除くと、短篇小説的な詩が数多く収められている。非現実的な展開をする詩がかもす雰囲気が不思議だ。一篇一篇がていねいにつくってあって、じっくりと読ませられる。長い下準備のもとでつくられた詩篇ばかりのようだ。

二〇一七年十月二十二日 「三井喬子さん」

三井喬子さんから、現代詩文庫『三井喬子 詩集』を送っていただいた。意味がわからない詩句が連続して繰り出された詩篇ばかり。こういったものが現代詩の一部の型なのだろう。ぼくにはまったく楽しめなかったし、後半、読み飛ばしていた。現代詩文庫に入っているのだから需要はあるのだろう。不思議。

二〇一七年十月二十三日 「舟橋空兔さん」

舟橋空兔さんから、詩集『羊水の中のコスモロジー』を送っていただいた。わざと難解にしようという意図もなさそうで、詩句の連続性に不可思議なところはない。すんなり読めた。こういう詩には短篇小説の趣きがあって、楽しめる。ただ古典的な日本語のものは、ぼくに読解力がないので読み飛ばした。

二〇一七年十月二十四日 「たなかあきみつさん」

たなかあきみつさんから、詩集『アンフォルム群』を送っていただいた。旧知の詩人に捧げられた一篇を除いて、意味のわかる詩篇はなかった。一行の意味さえわからず、なにを読んでいるのか、ぼくの頭では理解できなかった。こういった詩はなぜ書かれるのだろう。理由はわからないが需要があるのだろう。

二〇一七年十月二十五日 「日原正彦さん」

日原正彦さんから、2冊の詩集『瞬間の王』と『虹色の感嘆符』を送っていただいた。「人は足で立っているが/ほんとうはカーテンのように吊るされているのではないか」といった、ぼく好みの詩句もあって、全体に読みやすい。というか、難解なものはまったくない。こういう詩集が、ぼくは好きだ。

二〇一七年十月二十六日 「妃」

詩誌『妃』19号を送っていただいた。むかし、ぼくも同人だったころがあるのだが、新しい体制になって、同人のお誘いはなかった。いまの『妃』は大所帯である。冒頭の詩篇をさきに読んだ。なんてことはない。まあ、詩なんて、なんてことはないものかもしれないけれど。記憶に残る詩はなかった。

二〇一七年十月二十七日 「海東セラさん」

海東セラさんから、詩誌『風都市』第32号を送っていただいた。海東セラさんの詩「岬の方位」に、「岬まで行ってしまえば/岬は見えなくなるでしょうから」という詩句があって、いつも海東セラさんの詩句には、はっとさせられることがあるなあと思った。同人の瀬崎 祐さんの「唐橋まで」も佳作だ。また、海東セラさんからは、詩誌『グッフォー』第68号も送っていただいた。海東セラさんの「ステンレス島」の冒頭、「棄てる部位と棄てられない部位はあわせてひとつのものだが、手を離れたとたんに別のものになる。」という詩句に目がとまった。そのあと具体的な例があげられ納得する。現実に支えられた詩句は、ぼくの好みのもので、海東セラさんの詩は、彼女のエッセーとともに、ぼくの読書の楽しみのひとつとなっている。

二〇一七年十月二十八日 「谷合吉重さん」

谷合吉重さんから、詩集『姉の海』を送っていただいた。「チェーン・ソウに剥がされた/乾いた血」だとか、意味のわからない詩句が連なり、詩篇をなしているのだが、これまたぼくには理解できない詩篇ばかり。一連の現代詩の型だ。これだけこの型のものがつくられるのだ。やはり需要があるのだろう。

二〇一七年十月二十九日 「中井ひさ子さん」

中井ひさ子さんから、詩集『渡邊坂』を送っていただいた。事物の形象を、こころの目で見たまま、素直な言葉で書かれている印象がある。わかりにくい詩はない。心構えなどしなくても読めるやさしい詩ばかりだ。中井さんが、こころの整理されている、頭のいい方だからだと思う。

二〇一七年十月三十日 「江田浩司さん」

現代詩手帖11月号「レベッカ・ブラウン/ドイツ現代詩」特集号を送っていただいた。ことしの2月に思潮社オンデマンドから出してもらった拙詩集『図書館の掟。』の書評が掲載されているためである。江田浩司さんに評していただいている。はじめてぼくの詩をごらんになったらしい。

二〇一七年十月三十一日 「大谷良太くんちで」

きょうは、お昼から晩まで、大谷良太くんちで、ずっと、ごちそうになってた。お酒ものんでた。詩の話もしていた。つぎに出す詩集の話もしてた。人生について話もしてた。これがいちばんながくて、つらい話だったかもしれない。カンタータ101番。