二〇一七年八月一日 「カサのなか」
いま、きみやから帰った。ラーメン食べて寝る。おやすみ。
文学極道の詩投稿掲示板に、作品「カサのなか」を投稿しました。よろしければ、ごらんください。ぼくの投稿作品中、もっとも短い、6行の詩です。この作品は、14、5歳のときの中学の卒業文集に書いたものの1つ。のちに、27、8歳のときにユリイカに投稿したら、大岡 信さんに選んでいただいて、1990年の5月号「オスカー・ワイルド特集号」の投稿欄に、冒頭から3作同時にぼくの投稿作品が掲載されたのだが、これは、その1つ目の作品。さて、この文学極道の詩投稿欄では、14、5歳のときのぼくが批評されるのだろうか。それとも、その40数年後の56歳のいまのぼくが批評されるのだろうか。興味深い。
二〇一七年八月二日 「死父」
あした、はやくから仕事なので、きょうは飲みに行かずに帰ってきた。これから晩ご飯。しかし、読みたい本が1冊もない。未読のものは、『巨匠とマルガリータ』と『ドクトル・ジバゴ』だけになってしまった。あ、『ゴーレム』と『ロクスソルス』があるか。『死父』も途中でほっぽり出したままだしなあ。
二〇一七年八月三日 「フローベールの『紋切型辞典』」
フローベールの『紋切型辞典』(小倉孝誠訳)を読んでいて、いろいろ思ったことをメモしまくった。そのうち、きょう振り返って、書いてみたいと思ったものを以下に書きつけておく。
印刷された の項に
「自分の名前が印刷物に載るのを目にする喜び!」
とあった。
1989年の8月号から1990年の12月号まで、自分の投稿した詩がユリイカの投稿欄に載ったのだが、自分の名前が載るのを目にする喜びはたしかにあった。いまでも印刷物に載っている自分の名前を見ると、うれしい気持ちだ。しかし、よりうれしいのは、自分の作品が印刷されていることで、それを目にする喜びは、自分の名前を目にする喜びよりも大きい。ユリイカに載った自分の投稿した詩を、その号が出た日にユリイカを買ったときなどは、自分の詩を20回くらい繰り返し読んだものだった。このことを、ユリイカの新人に選ばれた1991年に、東京に行ったときに、ユリイカの編集部に訪れたのだが、より詳細に書けば、編集部のあるビルの1階の喫茶店で、そのときの編集長である歌田明弘さんに話したら、「ええ? 変わってらっしゃいますね。」と言われた。気に入った曲を繰り返し何回も聴くぼくには、ぜんぜん不思議なことではなかったのだが。ネットで、自分の名前をしじゅう検索している。自分のことが書かれているのを見るのは楽しいことが多いけれど、ときどき、ムカっとするようなことが書かれていたりして、不愉快になることがある。しかし、自分と同姓同名のひとも何人かいるようで、そういうひとのことを考えると、そういうひとに迷惑になっていないかなと思うことがある。しかし、自分と同姓同名のひとの情報を見るのは、べつに楽しいことではない。だから、たぶん、自分と同姓同名の別人の名前を見ても、たとえ、自分の名前と同じでも、あまりうれしくないのではないだろうか。自分の名前が印刷物に載っているのを見ることが、つねに喜びを与えてくれるものであるとは限らないのではないだろうか。
*
譲歩[concession] 絶対にしてはならない。譲歩したせいでルイ十六世は破滅した。
と書いてあった。
芸術でも、もちろん、文学でも、そうだと思う。ユリイカに投稿していた
とき、ぼくは、自分が書いたものをすべて送っていた。月に、20〜30作。
選者がどんなものを選ぶのかなんてことは知ったことではなかった。
そもそも、ぼくは、詩などほとんど読んだこともなかったのだった。
新潮文庫から出てるよく名前の知られた詩人のものか
堀口大學の『月下の一群』くらいしか読んでいなかったのだ。
それでも、自分の書くものが、まだだれも書いたことのないものであると
当時は思い込んでいたのだった。
譲歩してはならない。
芸術家は、だれの言葉にも耳を貸してはならない。
自分の内心の声だけにしたがってつくらなければならない。
いまでも、ぼくは、そう思っている。
それで、無視されてもかまわない。
それで破滅してもかまわない。
むしろ、無視され、破滅することが
ぼくにとっては、芸術家そのもののイメージなのである。
*
男色 の項に
「すべての男性がある程度の年齢になるとかかる病気。」
とあった。
老人になると、異性愛者でも、同性に性的な関心を寄せると、心理学の本で読んだことがある。
こだわりがなくなっただけじゃないの、と、ぼくなどは思うのだけれど。でも、もしも、老人になると、というところだけを特徴的にとらえたら、生粋の同性愛者って、子どものときから老人ってことになるね。どだろ。
*
問い[question] 問いを発することは、すなわちそれを解決するに等しい。
とあった。古くから言われてたんだね。
*
都市の役人 の項に
「道の舗装をめぐって、彼らを激しく非難すべし。──役人はいったい何を考えているのだ?」
とあった。
これまた、古くからあったのね。国が違い、時代が違っても、役人のすることは変わらないってわけか。
でも、ほかの分野の人間も、国が違っても、時代が違っても、似たようなことしてるかもね。治世者、警官、農民、物書き、大人、子ども、男、女。
*
比喩[images] 詩にはいつでも多すぎる。
とあった。
さいきん、比喩らしい比喩を使ってないなあと思った。でも、そのあとで、ふと、はたして、そうだったかしらと思った。
ペルシャの詩人、ルーミーの言葉を思い出したからである。ルーミーの講演が終わったあと、聴衆のひとりが、ルーミーに、「あなたの話は比喩だらけだ。」と言ったところ、ルーミーが、こう言い返したのだというのだ。
「おまえそのものが比喩なのだ。」と。
そういえば、イエス・キリストも、こんなことを言ってたと書いてあった。
「わたしはすべてを比喩で語る。」と。
言葉そのものが比喩であると言った詩人もいたかな。どだろ。
*
分[minute] 「一分がどんなに長いものか、ひとは気づいていない。」
とあった。
そんなことはないね。齢をとれば、瞬間瞬間がどれだけ大事かわかるものね。その瞬間が二度とふたたび自分のまえに立ち現われることがないということが、痛いほどわかっているのだもの。それでも、人間は、その瞬間というものを、自分の思ったように、思いどおりに過ごすことが難しいものなのだろうけれど。悔いのないように生きようと思うのだけれど、悔いばかりが残ってしまう。ああ、よくやったなあ、という気持ちを持つことはまれだ。まあ、それが人生なのだろうけれど。
ノブユキとのこと。エイジくんとのこと。タカヒロとのこと。中国人青年とのこと。名前を忘れた子とのこと。名前を聞きもしなかった子とのことが、何度も何度も思い出される。楽しかったこと、こころに残ったさまざまな思い出。
二〇一七年八月四日 「梯子」
朝、ひさしぶりに、マクドナルド行った。えびフィレオがまだやってなかったので、フィレオフィッシュにした。
日知庵→きみや→日知庵→きみやの梯子から帰ってきた。きょうは、これで寝る。おやすみ、グッジョブ!
二〇一七年八月五日 「俳句」
いま日知庵から帰ってきた。きのうから、ちょこっと、『巨匠とマルガリータ』上巻を読んでる。おやすみ、グッジョブ!
いまFBで、日本語で俳句を書かれる外国人の方から友だち承認のリクエストが来て、その方のページを見て、すぐに承認した。女性の方のようだが、わかりやすい日本語で作品を書いてらっしゃった。
二〇一七年八月六日 「ムール貝は貧乏人も食べるよ。」
文学極道の詩投稿掲示板に、『アハッ』を投稿しました。よろしければ、ごらんください。
ひとは、小説や思想書と同じように、また、ひとと同じように、もっとも適切なときに出合っているのだと思います。ぼくは、むかしから知っていた詩人でしたが、一冊で読むことのなかった金子光晴を、ことしの3月でしたか、4月でしたか、岩波文庫で読んで感心しました。
2017年8月3日のメモ 日知庵にゲイの友だちがきてて、このあいだ大阪のゲイバーで、臭いフェチの話が出て「嗅ぎたい」というと、関東人には「嗅ぎたい」という言葉がわからなかったらしい。「臭いたい」と言わなければ、通じなかったという。ふうん。「嗅ぐ」ってふつうの日本語なのにね。
2017年8月3日のメモ きょう、日知庵でピーターと出会って、「このあいだのムール貝の話をツイッターに書いたよ。」と言うと、「ムール貝ちがうよ。ロブスターよ。ムール貝は貧乏人も食べるよ。」と言うので、後日、ツイッターで訂正しておくよと返事した。ああ、ぼくの記憶力も落ちたものだわ。ピーター、カナダから日本にやってきて、もう24年らしいのだけれど、俳句をやっているらしく、Hailstone という Haiku Group に属してらっしゃるらしい。主催者の方のお名前は、Stephen Gill という方らしい。
台風だけど、焼肉は決行らしいので、そろそろ起きよう。
きょうの焼肉、ボスがえいちゃんなのだけれど、くるメンバーが、もう個性、バラバラで、会話が通じるのかどうかもあやぶまれるくらい。まあ、えいちゃんがちゃんと仕切るのだろうけれど。ある意味で、ぼくはお化け屋敷に行くような気分でもある。こう書いてて、いま、ぼくの顔は満面の笑みだ。
さて、これからお風呂に入って、河原町に。焼肉の場所は烏丸御池だけど、そのまえに、えいちゃんと河原町で買い物。
いま、焼肉→居酒屋から帰ってきた。おなか、いっぱい。ありがとうね、えいちゃん。
二〇一七年八月七日 「ヤング夫妻の思い出」
2017年7月7日のメモ 2012年にはじめてお会いした香港人のヤング夫妻と日知庵でいろいろ話をした。ぼくがはじめてお会いしたときはまだ結婚なさっておられず、2014年に結婚されたのだという。praque で結婚したのだと言われた。「プラ」と発音されたので、どこかわからなかったので、しかも、さいしょのイニシャルが小文字だったので、どこだろうと思ったのだけど、i-phon で Praha の写真を見せてくださったので、日本語では、「プラハ」と言うんですよと言ったら、英語で香港では「プラ」と言うのよと教えてくださった。それって、カフカの生まれたところですねと言うと、おふたりは、うなずいてくださった。「棄我去者、昨日之日不可留」を憶えていますかとヤングさんに訊かれたので、「ええ、ヤングさんのお好きな詩でしたね」と言った。中国語と英語交じりの会話だった。そのあと、彼らの携帯で、お二人のプラハでの結婚式の模様や街の様子を撮られた写真をいくつも見せてくださった。日本には、今回、車を買いに来られたのだが、奥様が国際免許を持ってくるのを忘れられて、international car license というのだそうだが、あした琵琶湖をドライヴするはずだったのだけど、バスで行くしかなくなっちゃたよとのことだった。えいちゃんが、いま何台、車をもってるんですかって訊いたら、すでに2台もってるってお話だった。ぼくが奥様に、国際免許を忘れられたことを、「Oh, big mistakeね!」と日本語交じりの英語で言うと、みんな大笑いだった。お金持ちの余裕というか、寛容さを見たような気がした。
二〇一七年八月八日 「まるちゃん」
日知庵と、きみやの梯子から帰ってきた。きみやで、何日かまえに出合ったかわいい男の子と再会した。ちょびっとしゃべれて、うれしかった。さいしょ離れた席だったのだけれど、帰りしなには、隣りに坐らせてもらった。それからまた、たっぷりとしゃべれた。うれしかった。まるちゃん、ありがとうね。
二〇一七年八月九日 「恋愛について」
いま、きみやから帰ってきた。きのう再会した男の子とばったり出くわした。うれしかった。長い時間いっしょにいられなかったけれど。HちゃんとSくんとたくさんディープな話をした。悪について。戦争について。アウシュビッツについて、恋愛について。さいごの話題がいちばん、ぼくにはシビアだった。
二〇一七年八月十日 「韓国人の男の子」
いま日知庵から帰ってきた。ヨッパ〜。夏休みは毎日、飲みに出るから、毎日ヨッパである。いったい、どれだけ時間を無駄にしているのか。しかし、その無駄な時間があるからこそ、脳みそを休めることができるのである。とは、いうものの、きょうは、ほんとにヨッパ。ゲロゲロ寸前である。ああ情けない。
隣の隣に坐っていた韓国人の男の子が日本語でしゃべってきたのだが、半分くらいしかわからず、それでも、いやな印象は与えたくはなかったので、にこにこしていたら、帰りに握手された。韓国式の年下の子が左手で右手を握って、ぼくと握手するというもの。まあ、なんちゅうかよくしゃべる男の子だった。34才、既婚。日本人の妻らしい。携帯で見せてもらった。かわいらしい、ちっちゃい女の子。しかし、よくしゃべる男の子だった。ぼくが韓国人だったら、きっと機関銃のように韓国語でしゃべっていたのだろうと思う。そだ。彼の見方だと、アメリカと北朝鮮、もうじき戦争だよねってことだったけど、もし戦争になったら、3日で終わるね、とのことだった。アメリカの原爆の方が北朝鮮よりずっとすごいらしい。でも、原爆を使うかな? ぼくは、そこが疑問だったけど、黙ってた。ぼくは戦争のこと、なにも知らないし。韓国の徴兵制について、ちょっと知識が増した。35歳までだと思っていたけど、40歳までだって。しかも、博士とかは行かなくていいらしい。そうか、学歴はそんなところにも影響があるんだ。でも、35歳を越えていると強制的に連れて行かれるよと言っていたので、ほんと、日本語の出来がいまいちの韓国人青年だった。ぼくのヒアリング能力が低かったとも思えるが。
二〇一七年八月十一日 「2010年11月18日のメモ」
人生においては
快適に眠ることより重要なことはなにもない。
わたしにとっては、だが。
二〇一七年八月十二日 「2010年11月19日のメモ 」
考えたこともないことが
ふと思い浮かぶことがある。
自分のこころにあるものをすべて知っているわけではないことがわる。
いったい、どれだけたくさんのことを知らずにいるのだろうか。
自分が知らないうちに知っていることを。
二〇一七年八月十三日 「梯子ふたたび」
いま、「日知庵━きみや」の梯子から帰ってきた。きょうは、なにを読んで眠ろうかな。未読の10冊ほどをのぞくと、傑作ばかり、七、八百冊。およそ千冊だ。健忘症が入ってるっぽいから、なに読んでもおもしろそうだけど。古典や古典詩歌もいいけれど、SFやミステリーのアンソロジーもいい。どだろ。
二〇一七年八月十四日 「現代詩集」
いま日知庵から帰ってきた。きょうも、寝て、飲んで、の一日だった。飲んでるときが、いちばん、おもしろい。さて、寝るまえの読書は? ひさしぶりに、『現代詩集』でも読もうかな。
二〇一七年八月十五日 「リアルな夢」
現実かと思えるほどリアルな夢を見てた。子どものころなら、現実と思っていただろう。人間は夢からできていると書いていたのはシェイクスピアだった。たぶん、ちょっぴり違った意味の夢だろうけれど。きのう一日の記憶がない。お酒の飲み過ぎで、脳機能が麻痺でもしたのだろう。齢をとったものだ。
二〇一七年八月十六日 「そうめんと、ししゃも」
いま日知庵から帰った。きょうもヨッパ。きょうは体調が悪くて、肉類が食べられなかった。そうめんと、ししゃもを食べた。広島からきたという男の子がかわいかった。まあ、なんちゅうか、きょうもヨッパで、ゲロゲロ。帰りにセブイレで、豆乳とかケーキとか買ったので、これいただいて寝る。おやすみ、グッジョブ!
二〇一七年八月十七日 「ほんとかな?」
数だけが数に換言できる。数以外のものは数に換言できない。言葉もまた、言葉だけが言葉に換言できる。言葉以外のものは、言葉に換言できない。
二〇一七年八月十八日 「あしたから仕事だ。」
いま日知庵から帰った。セブイレで買ったエクレア2個とミルクをいただいて寝る。おやすみ、グッジョブ! あしたから仕事だ。
二〇一七年八月十九日 「きのうと同じ」
いま日知庵から帰ってきた。帰りにセブイレで麦茶を買って、というところまで、きのうと同じだ。
二〇一七年八月二十日 「トマトジュース」
いま、きみやから帰った。帰りに自販機で、トマトジュースを買った。終電ギリギリ間に合った。きょうも時間SFのアンソロジーのつづきを読んで寝よう。おやすみ、グッジョブ!
二〇一七年八月二十一日 「2010年11月19日のメモ 」
岩波文庫のエリオットの詩を読んでいて
42ページにある最後の一行の解釈が
翻訳者が解説に書いてあるものと
ぼくのものとで、ぜんぜん違っていることに驚かされた。
ぼくの解釈は直解主義的なものだった。
訳者のものは、隠喩としてとったものだった。
まあ、そのほうが高尚なのだろうけれど
おもしろくない。
エリオットの詩は
直解的にとらえたほうが、ずっとおもしろいのに。
ぼくなんか、にたにた笑いながら読んでるのに。
むずかしく考えるのが好きなひともいるのはわかるけど
ぼくの性には合わない。
批評がやたらとりっぱなものを散見するけど
なんだかなあ。
バカみたい。
二〇一七年八月二十二日 「2010年11月20日のメモ 神経科医院に行く途中、五条堀川のブックオフに寄るために、五条大宮の交差点で信号待ちしながら書いたメモ」
きのう、あらちゃんから電話。
そのときに話したことのひとつ。
ぼくたち人間ってさ。
もう、生きてるってだけでも、荷物を背負っちゃってるよね。
知性とか感情っていうものね。
(知性は反省し、感情は自分を傷つけることが多いから)
それ以外にも生きていくうえで耐えなきゃならないものもあるし
だいたい、ひとと合わせて生きるってことが耐えなきゃいけないことをつくるしね。
お互いに荷物を背負ってるんだから
ちょっとでも、ひとの荷物を減らしてあげようとか思わなきゃダメよ。
減らなくても、ちょっとでも楽になる背負い方を教えてあげなきゃね。
自分でも、それは学ぶんだけど。
ひとの荷物、増やすひといるでしょ?
ひとの背負ってる荷物増やして、なに考えてるの?
って感じ。
そだ。
いま『源氏物語』中盤に入って
めっちゃおもしろいの。
「そうなんですか。」
そうなの。
もうね。
矛盾しまくりなの。
人物描写がね、性格描写か。
しかし、『源氏物語』
こんなにおもしろくなるとは思ってもいなかったわ。
物語って、型があるでしょ。
あの長い長い長さが、型を崩してるのね。
で、その型を崩させているところが
作者の制御できてないところでね。
その制御できてないところに、無意識の紡ぎ出すきらめきがあってね。
芸術って、無意識の紡ぎ出すきらめきって
いちばん大事じゃない?
いまのぼくの作風もそうで
もう、計画的につくられた詩や小説なんて
ぜんぜんおもしろくないもの。
よほどの名作はべつだけど。
で
『源氏物語』のあの長さが、登場人物の性格を
一面的に描きつづけることを不可能にさせてるのかもしれない。
で
それが、ぼくには、おもしろいの。
それに、多面的でしょ、じっさいの人間なんて。
ふうは、一貫性がなければ、文学作品に矛盾があるって考えちゃうけど
じっさいの人間なんて、一貫性がないでしょ。
一貫性がもとめられるのは、政治家だけね。
政治の場面では、一貫性が信用をつくるから。
たとえば、政党のスローガンね。
でも、もともと、人間って、政治的でしょ?
職場なんて、もろそうだからね。
それは、どんな職場でも、そうだと思うの。
ほら、むかし、3週間ぐらい、警備員してたでしょ?
「ええ、そのときは、ほんとにげっそり痩せてられましたよね。」
でしょ?
まあ、どんなところでも、人間って政治的なのよ。
あ、話を戻すけど
芸術のお仕事って、ひとの背負ってる荷物をちょっとでも減らすか
減らせなけりゃ、すこしでも楽に思える担い方を教えてあげることだ思うんだけど
だから、ぼくは、お笑い芸人って、すごいと思うの。
ぼくがお笑いを、芸術のトップに置く理由なの。
(だいぶ、メモから逸脱してます、でもまた、ここからメモに)
芸人がしていることをくだらないっていうひとがいるけど
見せてくれてることね
そのくだらない芸で、こころが救われるひとがいるんだからね。
フローベールの『紋切型辞典』に
文学の項に、「閑人(ひまじん)のすること。」って書いてあったけど
その閑人がいなけりゃ
人生は、いまとは、ぜんぜん違ったものになってるだろうしね。
世界もね。
きのう、あらちゃんと
自費出版についてディープに話したけど
この日記の記述、だいぶ長くなったので、あとでね。
つぎには、きのうメモした長篇を。
エリオットに影響されたもの。
(ほんとかな。)
二〇一七年八月二十三日 「ナウシカ2回目」
にぬきを食べて
お風呂からあがってから。
いまナウシカ2回目。
二〇一七年八月二十四日 「あなたがここに見えないでほしい。」
とんでもない。
けさのうんこはパープルカラーの
やわらかいうんこだった。
やわらかいうんこ。
やわらかい
軟らかい
うんこ
便
軟らかい
うんこ
軟便(なんべん)
なすびにそっくりな形の
形が
なすびの
やわらかい
うんこ
軟便
なすびにそっくりのパープルカラーが
ぽちゃん
と
便器に
元気に
落ちたのであった。
わしがケツもふかずに
ひょいと腰を浮かして覗き込むと
水にひろがりつつある軟便も
わしを見上げよったのじゃ。
そいつは水にひろがり
形をくずして
便器がパープルカラーに染まったのじゃった。
ひゃ〜
いかなる病気にわしはあいなりおったのじゃろうかと
不安で不安で
いっぱいになりおったのじゃったが
しっかと
大量の水をもって
パープルカラーの軟便を流し去ってやったのじゃった。
これで不安のもとは立ち去り
「言わせてやれ!」
わしはていねいにケツをふいて
「いてっ、いててててて、いてっ。」
手も洗わず
顔も洗わず
歯も磨かず
目ヤニもとらず
耳アカもとらず
鼻クソもとらず
靴だけを履いて
ステテコのまま
出かける用意をしたのじゃった。
公園に。
「いましかないんじゃない?」
クック、クック
と幸せそうに笑いながら
陽気に地面を突っついておる。
なにがおかしいんじゃろう。
不思議なヤカラじゃ。
不快じゃ。
不愉快じゃ。
ワッ
ワッ
ワッ
あわてて飛び去る鳩ども
じゃが、頭が悪いのじゃろう。
すぐに舞い戻ってきよる。
ワッ
ワッ
ワッ
軟便
違う
なんべんやっても
またすぐに舞い戻ってきよる。
頭が悪いのじゃろう。
わしは疲れた。
ベンチにすわって休んでおったら
マジメそうな女子高校生たちが近寄ってきよったんじゃ。
なんじゃ、なんじゃと思とうったら
女の子たちが
わしを囲んでけりよったんじゃ。
ひゃ〜
「いてっ、いててててて、いてっ。」
「いましかないんじゃない?」
こりゃ、かなわん
と言って逃げようとしても
なかなかゆるしてもらえんかったのじゃが
わしの息子と娘がきて
わしをたすけてくれよったんじゃ。
「お父さん
机のうえで
卵たちがうるさく笑っているので
帰って
卵たちを黙らせてくれませんか。」
たしかに
机のうえでは
卵たちが
クツクツ笑っておった。
そこで、わしは
原稿用紙から飛び出た卵たちに
「文字にかえれ。
文字にかえれ。
文字にかえれ。」
と呪文をかけて
卵たちが笑うのをとめたんじゃ。
わしが書く言葉は
すぐに物質化しよるから
もう、クツクツ笑う卵についての話は書かないことにした。
しかし、クツクツ笑うのは
卵じゃなくって
靴じゃなかったっけ?
とんでもない。
「いましかないんじゃない?」
「問答無用!」
そんなこと言うんだったら
にゃ〜にゃ〜鳴くから
猫のことを
にゃ〜にゃ〜って呼ばなきゃならない。 電話は
リンリンじゃなくって
あ
もうリンリンじゃないか
でんわ、でんわ
って
鳴きゃなきゃならない。
なきゃなきゃならない。
なきゃなきゃ鳴かない。
「くそー!」
原稿用紙に見つめられて
わしの独り言もやみ
「ぎゃあてい、ぎゃあてい、はらぎゃあてい。」
吉野の桜も見ごろじゃろうて。
「なんと酔狂な、お客さん」
あなたがここに見えないでほしい。
「いか。」
「いいかな?」
二〇一七年八月二十五日 「コンディション」
いま日知庵から帰った。マウスの調子が悪くて、使えなくなってしまった。マウスを買い替えるだけでよかったかな。ちょっと思案中。まえも調子が悪くなったんだけど、いつの間にか使えるようになった経緯もあるしなあと。パソコンの調子が悪いと体調も悪い。きょうは王将で豚肉を吐いた。体調が悪い。1週間後には、仕事に復帰。コンディションを整えておかなければならない。
二〇一七年八月二十六日 「 」
いまナウシカ、3回目。
「このバケモノが!」
「うふふふ。」
「不快がうまれたワケか。
きみは不思議なことを考えるんだな。」
「あした、みんなに会えばわかるよ。」
引用もと、「風の谷のナウシカ」
二〇一七年八月二十七日 「カラオケでは、だれが、いちばん誇らしいのか?」
あたしが歌おうと思ってたら
つぎの順番だった同僚がマイクをもって歌い出したの。
なぜかしら?
あたしの手元にマイクはあったし
あたしがリクエストした曲だったし
なんと言っても
順番は、あたしだったのに。
なぜかしら?
機嫌よさげに歌ってる同僚の足もとを見ると
ヒールを脱いでたから
こっそりビールを流し入れてやったわ。
「これで、きょうのカラオケは終わりね。」
なぜかしら?
アララットの頂では
縄で縛りあげられた箱舟が
その長い首を糸杉の枝にぶら下げて
「会計は?」
あたしじゃないわよ。
海景はすばらしく
同僚のヒールも死海に溺れて
不愉快そうな顔を、あたしに向けて
「あたしじゃないわよ。」
みんなの視線が痛かった。
「なぜかしら?」
ゆっくり話し合うべきだったのかしら?
「だれかが、あたしを読んでいる。」
二〇一七年八月二十八日 「ぼくのサイズがない」
ひさしぶりに、西院のブレッズプラスで、チーズハムサンドのランチセットを食べに行こう。きのうは夏バテで、なにも食べていない。きょうも、夏バテ気味で、もしかしたら、食べ残すかもしれないけれど。ついでに、ジョーシンで、マウスを買ってこよう。
マウスを買ってきた。1266円だった。作動もさせたけれど、スムーズ。ブレッズプラスでは、食べ残さなかった。徐々に、体力をつけていきたい。足を伸ばしただけで膝に痛みが走る。どうすればいいかな。Keen のスリッパをネットで買おうとしたら、ぼくのサイズがなかった。生きにくい世のなかだ。
二〇一七年八月二十九日 「しばし天の祝福より遠ざかり……」
きょうは大谷良太くんと、お昼ご飯を食べた。
そろそろクスリのんで寝よう。きょうも寝るまえに時間SFの短篇を読もう。『スターシップと俳句』というすばらしいB級SFを書いた、ソムトウ・スチャリトクルの「しばし天の祝福より遠ざかり……」である。いま読んでるアンソロジーとは異なるアンソロジーで読んだことがあるが内容はまったく憶えていない。
二〇一七年八月三十日 「書き写し作業」
きょうは、これからルーズリーフ作業。P・D・ジェイムズの『黒い塔』と、エリオットの詩集からの引用とメモの書き写しを。
読書も楽しい。
引用を書き写すのも楽しい。
いまナウシカ4回目。
ブレードランナーも、ほしかったなあ。
さあ、言葉に戻ろう。
P・D・ジェイムズ
読みにくいって書かれているけれど
ぼくには読みやすい。
才能のある作家の文章を書き写していると
よごれたこころが現われる感じ、笑。
あ
洗われる、ね。
二〇一七年八月三十一日 「謝罪させるひと」
FBでリクエストしてきたひとのページを見たら、あるひとに謝罪されたことを書いていたので、即行、リクエストから削除した。他人に謝罪を求めたりすることはもちろん、させたりすることで満足するこころが、ぼくには理解できないというか、気持ち悪いので、お断わりしたのだった。ほんと気持ち悪い。
選出作品
作品 - 20200101_624_11656p
- [優] 詩の日めくり 二〇一七年八月一日─三十一日 - 田中宏輔 (2020-01)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
詩の日めくり 二〇一七年八月一日─三十一日
田中宏輔