二〇〇一年九月二六日、日本のプロ野球パシフィック・リーグにおいて、大阪近鉄バファローズが優勝を決めた。バファローズという球団は、日本プロ野球界全十二球団のなかでも決して強いチームではなく、最下位争いをするシーズンももっぱらであり、じじつ前年は最下位であった。この年のシーズン開始時点で、バファローズの躍進を想像していた人間は、ほぼ皆無であったろう。優勝決定試合もまことに劇的な展開で、その華々しい大逆転劇は、プロ野球史の一ページを彩るにふさわしいものであった。当時まだクソガキほどの年齢であったわたしの記憶にも鮮やかに残っている。ところで、この試合の最終スコアは6対5だったのだが、その約十日前、同スコアでバファローズが勝利した試合がある。あれから二〇年近く経ったいま、わたしが活き活きと思い出すのは、むしろそちらの試合のことなのだ。その試合を、わたしはテレビで見ていた。終盤まで劣勢に立たされていたバファローズは、なんとか得点のチャンスを作りだして、打席には礒部公一選手。結果は……逆転ホームラン! 悲鳴のような歓声をあげるバファローズファンに向かって、礒部はガッツポーズをしてみせたのだった。
さて、野球の試合会場には、テレビ放映用のカメラおよびカメラマンが至るところに存在する。あのホームランの瞬間、無数のレンズが礒部に向けられたことだろうが、テレビ中継に映っていたのは、三塁側のそれから捉えられていたものだった。そして、礒部のガッツポーズは、一塁側の観客席に正対して行われていた。したがって、視聴者は、礒部の背中を見ることになったのである。礒部は、跳ねるように一塁ベースへと進みながら、右手で握りこぶしをつくり、まず肘を九〇度ほどに曲げ、つぎのステップで腕をおもいきり伸ばした。時間にしてたった一、二秒にすぎないこの躍動する背中に、わたしはつよく魅了され、いまなおなまなましく覚えたままなのである。
その心的要因について、深く考察したためしはない。むろん、対戦型スポーツにおける、点数の推移をはじめとした昂揚感がそこにあったことは、やはりまちがいないだろう。しかし、と思う。あの礒部の映像が、もしも背中側からではなかったら、はたしてこれほどまでに胸を打っていただろうか? ほとんど確信をもって言うが、そうはならなかったはずである。ではもうひとつ、映像はそのままに、逆転ホームランを打ったのが礒部ではない別の選手だったとしたら? たぶん、いまと同じように、じーんと記憶しているように思われる。すなわち、あの感動の大きな一翼を担っていたのは、人体のひとつの部位、背中だったのではないだろうか?
背中で語るという月並な表現は、本来的に背中は表情をもたないことを裏返した言い回しである。そのとおり、背中は喜怒哀楽を有さず、言葉をしゃべりだすこともない。だが、背中がなにかを物語ることは、たしかにありうる。話が飛ぶようだが、わたしはここで、父方の祖父の葬式を思いだす。親戚一同が集まるなか、父は最前列に座っていた。わたしはその真後ろにいた。わたしの後ろには、親戚たちが、知っている人も知らない人もたくさんいた。坊主が読経を読んでいる。その間、ひそひそとしたしゃべり声や、すすり泣く声などが、いろいろな方向から聞こえてきた。だが、父の身体からは何も聞こえてこなかった。父はじっとしていた。まっすぐに坊主のほうへ顔を向けていた。実際は、目を閉じ、涙をこらえていたのかもしれない。静かに泣いていたのかもしれない。人間が亡くなったあとの雑務で疲れはて寝ていたのかもしれない。本当のところは、背後にいたわたしからではわからない。けれども、父の背中は、そのすべての可能性を包摂し、しかもそれ以上のものをわたしに感受させたのである。わたしは、祖父ともう会えないのだという悲しみを忘れ、父の背中に深く見入った。それは、状況から見て不適切だろうが、疑いなく感動であった。背中は沈黙しながらにして雄弁なのである。しかも、その雄弁さは、あるひとつの感情を表すのではなく、複雑巧妙な人間心理をいちどきに表現してみせているのである。もしくは、あるひとつの感情、たとえばここでは悲哀のそれを、より強調するように表しているのではないか? そう考えたとき、礒部公一の背中は、後者の意味において、わたしを感動させたのではないだろうか。歓喜を背中という一点に集中させることによって。
選出作品
作品 - 20190805_467_11368p
- [優] 背中の躍動について - 右左 (2019-08)
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背中の躍動について
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