夜が僕を覆い隠す
酒が僕を覆い隠すときのように
海が絶え間ない波音で
世界の言葉を覆い隠している
残りは僕の中にある言葉だけ
僕は歩きながら
海と浜辺の境界線を探していた
波は若くて、
だから海はまだずっと遠かった
白く並ぶ歯のイメージが不意に浮かんだ
「波が砂を噛む」
という表現が
慣用句のように
僕の脳裏をよぎった
*
風呂からあがったとき
「夏だ」と思った
春だ、を通り越し、
体感が冬から夏に飛んだ
ガラスにぶつかる雀のように、
自分の中の二元論にぶつかった
春の心を理解したと思ったことは
この人生でまだいちどもない
秋や冬は僕の季節だが、
春や夏は僕の季節ではないようだ
*
モーツァルトも
ベートーヴェンも
シューベルトも
作曲家は
年を経るごとに良くなっていく
だが映画監督には
駄目になっていく人も多い
このあたりで止めておけばいいのに、
という表現の限界を
年老いた監督のいくらかは、
あえてのように踏み外すようになる
あたかも相対的な良し悪しなんてものには、
もう拘りたくないという
幼い主張を示すかのように
僕が仏像のように
絶対的に存在していたなら、
浮藻のように揺れ動く人々を見て
そんなところにいるな、
こっちへこいと言うはずだと思う
だが僕自身が相対的な存在として、
相対的な人々の中で何も言えないでいる
*
寺山修司は処女作となった
短編映画「猫学」で
猫を屋上から投げ、
悶え死ぬ姿を撮影した
無差別殺人と同じように、
猫を「猫」としか見なさないところで起こる殺害では、
罪人としての彼の姿が浮かび上がるだけだ
そして彼自身がおそらく理解していたように、
その姿は表現に値しないような、
つまらない一個人のものに過ぎないんだ
*
人生とは不可能性のことだ
可能性のことではない
生きるということは
つまらない一個人として生きるということだ
創作の中で暮らすように
どんどん良くなっていくことではない
陽の光も、月の光も、雨も、
この世に存在するものは、
愛する、あるいは愛される、
あるいは、静かに落ちていく
*
取り替えの効くものとの関係だから
男性と女性との関係を代表とする
性愛というものは相対的なものだといえる
反対に、
もし取り替えの効かないものとの関係があるならば
それはすべて愛の関係と呼ぶべきものだ
*
そして
絶対性というもの、
愛というものは、
性愛よりも身近な存在だ
現実における絶対性とは、
避けることが不可能であるとか、
そう収まらねばならないという
必然性のことだから
選出作品
作品 - 20190605_261_11252p
- [佳] そして人生はつづく - 霜田明 (2019-06)
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そして人生はつづく
霜田明