選出作品

作品 - 20180806_527_10650p

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The Great Gig In The Sky。 

  田中宏輔



vanitas vanitatum.
空虚の空虚。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

そこにあるものは空虚。
(ロジャー・ゼラズニイ『いまこそ力は来たりて』浅倉久志訳)

詩人はひとつの空虚。
(ギョールゴス・セフェリス『アシネーの王』高松雄一訳)

子供の心に似た空虚な世界。
(コードウェイナー・スミス『酔いどれ船』宇野利泰訳) 

詩は優雅で空虚な欺瞞だった。
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』4、友枝康子訳)

詩だって?
(ロジャー・ゼラズニイ『心はつめたい墓場』浅倉久志訳) 

詩人?
(アルフレッド・ベスター『消失トリック』伊藤典夫訳) 

詩人がいた。
(J・P・ホーガン『マルチプレックス・マン』下・第四三章、小隅 黎訳) 

彼は死んだ。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・15、中田耕治訳) 

彼の心は一つの混沌だった。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・13、安藤哲行訳) 

何かが動いた。
(フィリップ・K・ディック『おもちゃの戦争』仁賀克雄訳) 

またウサギかな?
(ジェイムズ・アラン・ガードナー『プラネットハザード』上・5、関口幸男訳) 

黒ずんだ影が人の形となって現われた。
(フィリップ・K・ディック『死の迷宮』12、飯田隆昭訳) 

誰だ?
(オクタビオ・パス『砕けた壺』桑名一博訳) 

ひとりの人間が森を歩いていた
(ローベルト・ヴァルザー『風景』川村二郎訳) 

お前なのか
(ヨシフ・ブロツキー『ジョン・ダンにささげる悲歌』川村二郎訳) 

なぜここへ来た?
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた』伊藤典夫訳) 

なぜこんなところにいる?
(グレッグ・イーガン『ボーダー・ガード』山岸 真訳) 

誰がお前をつくったか
(ブレイク『仔羊』土居光知訳) 

網膜にはひとつの森全体がゆるやかに写って動いている
(オディッセアス・エリティス『検死解剖』出淵 博訳) 

あれはわたしだ。
(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』13、川副智子訳) 

わたしなのだ
(『ブラッドストリート夫人賛歌』49、澤崎順之助訳) 

そんなはずはない。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』昼夜入れ替えなしの興行、木村榮一訳) 

わたしは頭がおかしい。
(ダン・シモンズ『フラッシュバック』嶋田洋一訳) 

わたしが狂ってるって?
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

死んだのはこのわたしだ
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳) 

この私自身なのだ。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳) 

いったい、なぜわたしはここにいるんだ?
(ロジャー・ゼラズニイ『キャメロット最後の守護者』浅倉久志訳) 

わたしはいったいだれなのだろう。
(リルケ『愛に生きる女』生野幸吉訳) 

詩作なんかはすべきでない
(ホラティウス『書簡詩』第一巻・一八、鈴木一郎訳) 

それは虚無のための虚無だ、
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』14、菅野昭正訳) 

ここがどこなのかわかってくると、いろんなことが思い出される……。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳) 

詩集の中のどこかだ
(R・A・ラファティ『寿限無、寿限無』浅倉久志訳)   

nimirum hic ego sum.
確かに私は此處に在り。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』) 

自分の作り出すものであって初めて見えもする。
(エマソン『霊の法則』酒本雅之訳) 

引用でしょ?
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳) 

あなたは引用がお得意だから。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳) 

nullam rem e nihilo gigni divinitus unquam.
いかなる物も無から奇蹟的に曾て生じたることなし。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』) 

これらはことばである
(オクタビオ・パス『白』鼓 直訳) 

虚無のなかに確固たる存在がある
(アーシュラ・K・ル・グィン『アカシア種子文書の著者をめぐる考察ほか、『動物言語学会誌』からの抜粋』安野 玲訳) 

じっと凝視するならば、
(コルターサル『石蹴り遊び』こちら側から・41、土岐恒二訳) 

すべてが現実になる。
(フレデリック・ポール&C・M・コーンブルース『クエーカー砲』1、井上一夫訳) 

いったん形作られたものは、それ自体で独立して存在しはじめる。
(フィリップ・K・ディック『名曲永久保存法』仁賀克雄訳) 

樹木は本物、動物たちもすべてが本物だった。
(ジョン・ヴァーリイ『汝、コンピューターの夢』冬川 亘訳) 

あらゆるものが現実だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック:スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳) 

この世界では、あらゆる言葉が
(アラン・ライトマン『アインシュタインの夢』一九〇五年五月三日、浅倉久志訳) 

現実だ。
(スティーヴン・バクスター『真空ダイヤグラム』第七部、岡田靖史訳) 

ここにいるのか彼方にいるのか、空中にいるのか
(アンドレ・デュ・ブーシュ『白いモーター』2、小島俊明訳)  

虚空の中の虚無でさえ動くことができるということを、理解できるだろうか?
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳) 

世界という世界が豊饒な虚空の中に形作られるのだ。
(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳) 

unde derivatur.
そこより生ず。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』) 

私は死んでしまった。それでもまだ生きている。
(フィリップ・K・ディック『シミュラクラ』10、汀 一弘訳) 

わたしのいるこここそ現実だった。
(サバト『英雄たちと墓』第III部・35、安藤哲行訳) 

森全体が目覚めている
(フィリップ・ホセ・ファーマー『奇妙な関係』父・7、大瀧啓裕訳) 

だからこそ、わたしはここにいるのだ。
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』6、山田和子訳) 

この土地では、死はもはや支配権を持っていないのだった。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』11、三田村 裕訳) 

無とはなんなのだろうか?
(ジョン・ヴァーリイ『ウィザード』下・27、小野田和子訳) 

nihil ex nihilo.
無からは無。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』) 

sic animus per se non quit sine corpore et ipso esse homine, illius quasi quod vas esse videtur.
かくて靈魂は肉體及び人そのものなしに獨立して存在すること能はず。肉體は靈魂の一種の壺のやうに思はる。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』) 

どこへ出るの、この扉は?
(マルグリット・デュラス『北の愛人』清水 徹訳) 

ドアを見たら、開けるがよい。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』9、三田村 裕訳) 

どこでもいい ここでさえなければ!
(ロバート・ロウエル『日曜の朝はやく目がさめて』金関寿夫訳) 

ハンカチいるか
(ロバート・ブロック『ノーク博士の謎の島』大瀧啓裕訳) 

ハンカチだ。もちろん、ハンカチがいる。
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』11、安田 均訳) 

このハンカチを使えよ、さあ
(ジョン・ベリマン『76 ヘンリーの告白』澤崎順之助訳) 

彼は自分が死んだことを知った。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・15、中田耕治訳) 

わたしは発見されたのだ。
(ブライアン・W・オールディス『爆発星雲の伝説』8、浅倉久志訳) 

記憶はそこで途切れ、
(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・七六、菊盛英夫訳) 

わたしは目覚める
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』49、澤崎順之助訳)