選出作品

作品 - 20180327_015_10342p

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潮騒の耳鳴りとChimeraの紅い羽根

  竜野欠伸




   ――ちょうど3月11日夜半過ぎ。
   ある女友達より電話が終わり、
   「少しのあいだ、Chimeraの秘密を聞いてから、
   遠い春の潮騒みたいな耳鳴りがするの」
   と妻が云っていました。
   その秘密とは、妊娠する願望の果てを逝く
   雌雄により合成される子等を託した
   鳥獣の化身のことなのでした。
   僕も妻に「昔だけどChimeraを見たことがあるよ」
   と伝えたのです。




凍りつく真夜中に
ちょうど臨月のまえでは
早春を伝える月夜を迎えたはずなのです
生命として悦びをえる姿を届けるとき
放射能に染まる幻のような痛みがあることに
少し似ているかもしれない
嘴が告白するようにしっかり呼吸しながら

産声で目覚める朝みたいな
遠雷の直ぐ後には
言葉の奥深い疼きのように
小さな愛に宛てた沈黙が続きました
冬空を越えて逝く早春の海辺には
ようやく暗夜でも
月影が届いていました
たとえ妻の面影からChimeraの化身が
離れるときがあったとしても

まるで さよならをする挨拶のように
透ける真っ白い肌が冬の終わりへと
切ない雪融けを待つみたいにして
すでに遠い海辺の夢では
Chimeraがとても妖しく絶望をぬぐうのです
誰しもの不幸ですら探しながら
夜空の果てに広がる羽根を
揺らぐ海平線の向こうに伸ばして
そっと翼を羽ばたかせるのです
巨大な地殻の変動により歪んでしまった
人間たちが飲み込まれた過去があっても
いつもChimeraには宙を奏でる翼があるのです
ちょうど岸壁で聴こえる潮騒のように
人間にとって宿命の音楽があるのかもしれない
誰しもにとって
海鳥の鳴き声とも思えない
哀しい記憶とはもはや虚ろな街並みを映す
残骸の追憶でもありません
消えて逝ったChimeraの裸身には
去就があるだけなのです
おぼろげな未来を
海辺の夢として朽ち果てた廃炉する発電所にも
今しがた捧げていた
真実の言葉があるのです

その曲想にとってその音楽とは
Chimeraにより誰しもの不幸を遮るために
告げられる言葉なのです
翼に紅い羽根を残した日々が
もう終わるかもしれない
いつでも両腕で抱きしめさせてほしいと
幼い我が子を慈しむと云う願いも
小さな愛であるのかもしれません
生命の行方は忘れることはできないのです

無数にある別れの理由のまえには
いくつもの悲しい恋ですら
Chimeraが現れる幻には
果てがあるかもしれないと気付きます
七年前に遠い海の波間に連れて逝った
大津波に手向けた花言葉があったとしても
それらは誰しもの祈りにとって
哀しい夢の冷たい輪郭が
深海に沈んでいるだけなのかもしれない

すでに過ぎて逝く早春の跡では
人間たちにとっても再び想いを交えた季節に
忘れていた草花の名前を
見つけてしまうたび
それらを微かな愛として
乏しさですら想い出すのです
遠い潮騒のような産声もあるのですから
颯爽とした幼い声を運びながら
Chimeraの紅い羽根とは
厳冬を往く夢を継ぐ子供たちに宛て
静かで鮮やかな音楽を海辺に残すだけなのです