一
朝は模倣だからいつでも人に親しい
そそぐ光の新しさに幸福の名前を与え
そう考えてきた僕の幼さは
光のように与える能力を自分自身にも期待した
自分の精神過程または身体から遊離して、
あたかも自分が外部の傍観者であるかのように感じている
持続的または反復的な体験
(DSM-300.6「離人症性障害」)
これほど爽やかな朝の窓辺に
生きている実感とはなんだろう
失われてきたものの中で
僕は暮らしているはずなのに
与えることができるのだという
僕の生命線になっている想像には
世界がこれからも持続してくれるだろうという
大きな信頼が必要だった
二
何もかもを受けいれようとする想像が
銀の腕輪をはめた二本の腕になって
この青空を支配している
時間軸上で広がっていた
建築の想像が
空間の想像にかわって
あんなに高いビルが
もう何本も打ち立てられた
誰のことも考えない
おそらくぼく自身のことも
ただ冷たい石の上で目を閉じよう
(「あれは忘れ物」友部正人)
与えてもらう想像のないところに
与えることはありえない
受け入れてもらう想像のないところに
受け入れることはありえない
恋人があなたを見るときよりも
ずっと遠くへ目をやったとき
関係の幸福と不幸が
そこで一致することに
気がつくだろう
朝に光が注いでいるということは
そこには何もないということが
注いでいるんだ
三
どうして人を恐れるほどに
人が恋しくなるんだろう
天使が僕に囁いている
あなたにも与えることができるのだと
今日までさんざん与えられてきたのだから
そうに決まっているじゃないか
怠惰な目が愛おしいものの名前を
数え上げはじめると名前は
想像を欠いたまま広がっていく
呼びかけても
きっともう届かない
愛するものは名前になっているから
それでも僕は呼び続ける
果てしない距離を目の前に
踏みとどまることの愉楽のために
学者や批評家のように
たくさんのことを知っていても
話すことのできる言葉はたったひとつ
名前ばかりが溢れている
どうして遠くへ向ける言葉に
目の前の世界が対応するのか
世界自体でなく
現前する個物のほうが
世界を包含する全体であるから
彼女は僕の目の前に
名前として現れつづけることで
毎晩寂しい思いをしているのだとさえ思われた
四
僕らは僕らにとって黎明期だから
既視感は世界へ束縛するというより
幼子のように引き留める力で訪れる
未来は過去の方角にある
「はい」や「いいえ」のように
同じ意味をもつ言葉だけでしか
語れないことに気が付いている
僕らの知らないところで
語られる言葉だけが
正しいと信じられることをやりとりするのが
僕らにとっての親愛だ
高さを信じるならば
低さだけが僕らの場所だ
しかし高さを信じなければ
低さの意味を説明できない
それは大きな声をあげないかぎり
誰にも見向きしてもらえないのとおなじ
自らを嘲りながら振る舞うことでしか
実存性を信じることが出来ないように
嘆きは未来への自嘲としてしか
正当化されないことがわかっている
僕は本当のことを言わなかった
ごまかすことでしか
君には触れられなかったから
五
君の身体へ代表されて
価値は明日へ送り込まれる
そのとき僕はいつでも今日を
例えば交差点を通り過ぎていく人々を
目で追い数え続けている
僕にとって獲得が問題だ
遠くで窓がぼうっと光るように
君を大切に想うことが
正しいことのようにさえ思われてくる
正しさは精神的な権力によって決められる
精神の国は現実の国よりずっと支配的だ
青空を横切る雲のひとすじのように
もし君が無力なのなら僕が
君を愛さなければならないだろう
もし僕が無力なのなら君が
僕を愛さなければならないだろう
僕にとって到達が問題だ
窓のカーテンを引くように
君が僕を愛することは
間違いだという核心を引く
六
裏切られるのが怖いんだ
君の罪においてさえ
罰せられるのは僕だから
本当のことなんかどこにもない
信か不信があるだけだ
とても触れえないほど
か細い恐れと
目にも見えないほど
小さな振幅が
暮らしていることを織り上げている
本当のことなどないならば
騙されるというのはなんだろう
何が瞳のすきまを縫って
暮らしは過ぎていくんだろう
してはいけないというよりも
できない
僕の行為は空想だから
どこにも行きやしないのにと思いながら
また僕は街を歩いている
もしも明日が過ごせるならば
できないというよりも
してはいけない
僕が見られているかぎり
選出作品
作品 - 20180202_168_10220p
- [佳] 光 - 霜田明 (2018-02)
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光
霜田明