刎ねられた首の、落武者ヘアーの見慣れた顔がそこに在った。
所々に空いた障子の破れから庭の繁みを覗かせた薄暗い茅屋の畳のうえに
斑に変性菌類の付着した身体のない見慣れた鼠色の顔は飄々とした面持ちでごろりと転がっていた
女、子供らはその顔の間近へ卓袱台やら座布団だのを運んだが、
それは失われた日常を取り戻す儀式のためだけでなく実際に朝食の準備も兼ねていた
顔のない母親はひとりアルミの鍋や茶碗を運び、
小鉢の炭と皿に盛った千切った新聞紙を盆にのせて運び、
さいごに白木の飯櫃を運ぶと姿の消えかけている子供らを卓袱台のまわりに座らせた
父さんはいつまでもあんなだけど、おまんまがこうして食べるだけでもありがたいことなんだよ
おそらく母は身振り手振りでそういってみせたのだが、顔がないので口もない
身振り手振りでは到底伝わる筈もなく子供らはさっそく御飯茶碗を持って一斉に母へと向けた
白木の飯櫃には海の砂や貝殻や水色のビー玉、そして神社で拾ってきた玉砂利が入っていた
子供らは茶碗に盛った砂に雑じったビー玉や貝殻を嬉しそうに見つめながら、
同じように小鉢の炭や千切った新聞紙もときおりチラッと見ては愉快そうに笑った
雨の日は、腐敗した古畳の目から悲しみが滲んで濡れた
そればかりか歪んだ天井のそこかしこからも悲しみが滲みて、ポタリポタリと古畳を濡らした
ずぶ濡れになった母と姿の消えかけている子供らが見慣れた顔の傍らで寝そべっている
部屋中を靄のような悲しみが漂い、それでも見慣れた顔はただごろりと転がっていた
月明りの晩。
まるで大地が沈むかと思うほどの地響きにも似た激しい鼾が茅屋から聴こえる
鼾の音で揺れる古畳のうえを一匹の猫がやって来てしばらく光る眼をじっとさせた
眼の前にあるのは破れた障子からもれた淡い月影に染まる落武者ヘアーの見慣れた顔だ
無精髭の見慣れた顔は、突きだした唇をぶるぶる震わせて鼾の音ともに涎を飛ばした
その一滴が猫の額にとんだ瞬間、猫はニャアーと鳴いてとっさに退いたものの
あいかわらず鼾は怖ろしい地響きをたてて古畳、いや茅屋じゅうを揺らしていた
猫は右の前足で額のあたりを何度も拭きながら、
ふと部屋の隅に寄り添って無心に眠る顔のない女と姿の消えかけている子供らを見た
とたん、鼾が止まり落武者ヘアーの見慣れた顔が何かを話した‥‥なかずんば、すせろう、
意味不明な寝言をつぶやくと大きく見慣れた顔が右に傾いてごろりと転がった
そもそも動く物に猫は敏捷に反応する、猫パンチ! 転がる見慣れた顔へ猫パンチ!
弾みをうけて見慣れた顔はどんどん転がってゆき、追う猫はさらに猫パンチを繰りだす
転がりながらも、すせろう、ともやもなるなればあさかなくべねやのうと寝言をつぶやく
‥‥すせろう、
そう言って、無精髭の見慣れた顔は大粒の涙をながして眼をひらいた
すせろうともまけじみれたまかしきおんなきうごめよなあ、すみまかしものよのう‥‥
眼のまえの猫を睨んで、ついに見慣れた顔は動きを停めた。口はしっかりへの字に結んでいる
よほどその形相が怖ろしかったのか、ふぎゃあ! 猫はたちまち逃げだした
正月、
あいかわらずの茅屋で畳も腐敗し変形菌類の発生が見られるほどであったが、
それでも顔のない女と姿の消えかけている子供らは晴れの日の着物を着ている
卓袱台の上には、ブルターニュ産の海泥で捏ねた見事な餅が置かれていた
さらに普段はとても口に出来ない金や銀の色紙や千代紙までが漆器に盛り付けられていた
見慣れた顔は髭を剃り、立派な兜をかぶって床の間に堂々と飾られている
選出作品
作品 - 20180131_086_10209p
- [佳] 見なれた顔 - atsuchan69 (2018-01)
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見なれた顔
atsuchan69