選出作品

作品 - 20150211_169_7909p

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反重力どんぶり

  増田

反重力どんぶりを食べるのは命がけだ。 左手でふたを押さえながら右手で箸を構える。そしてタイミ ングをを見計らってふたを外すと、卵でふんわりとじた熱々のカツが重力に逆らって、顔面に向かってくる。そこを絶妙の箸さばきで口に入れていくのが反重力どんぶりの醍醐味なのだが、多くの者は箸で捉えきれず顔面を大やけどする。たまらず椅子から転げ落ちると、どんぶりの中身は天井へと向かっていく。そのため「ぐらび亭」の天井はいつもカツと米粒がへばりついていた。

反重力どんぶりは美味であるが、その味を堪能できる者はほとんどいなかった。そこで反重力どんぶり攻略の対策を練る者も現れ始めた。傘を差しながら食べれば、どんぶりの中身はすべて傘の内側に収まり、悠然と食することができるのではないか。マイどんぶりを持参して、反重力どんぶりのふたを開けると同時に、マイどんぶりを覆いかぶせれば、悠然と食すことができるのではないか。

確かにこれらの対策は理に適っていたが、ぐらび亭は傘とマイどんぶりの持ち込みを禁じていた。では敢えて天井にへばりつかせ、それを食べる方法はどうだろう。しかしぐらび亭に抜かりはなく、すでに天井には殺鼠剤が塗りつけられていた。もはや客に残された手段は、箸一膳と己の口のみだった。

反重力どんぶりの理屈はごく単純なものだ。どんぶりに反重力化システムが内蔵されており、どんぶり内の物質を反重力化することで、ふたを外した際に中身が飛び出すという仕組みになっていた。

ぐらび亭に妙齢の女性が現れた。入ってきた途端、誰もが目を奪われた。それは女性客自体が珍しいこともあったが、何よりその女性が美しかったからだ。彼女はカウンター席に座ると澄んだ声で反重力どんぶりをひとつ注文した。ほどなく食欲をそそる匂いともに反重力どんぶりが運ばれてきた。

誰もが彼女に注目していた。一体どんな方法で食べようというのか。しかし彼女はそのまま、本当にそのままふたを取ったのだ。その瞬間、熱々の中身が彼女の顔をめがけ飛び出した。中身は彼女の顔にぶち当たり、そのまま張り付いていた。彼女の顔面はカツと米粒で覆われ、体ががくがくと痙攣してい た。

誰かが声をあげた。「あの女性は知らなかったんだ!」別の誰かが叫んだ。「 救急車を呼べ!」しかし彼女は手を上げて彼らを制した。そしておもむろに箸を持つと、自らの 顔面にこびりついた中身を次々と口に運んでいった。

食べ終わる頃、彼女の顔面は赤く焼けたただれ、入店時の美しい面影は残っていなかった。彼女は箸を置くと、これまた涼やかな声で「ごちそうさま」と言った。しばしの静寂の後、ぽつぽつと店内から拍手が起こり始めた。ぐらび亭の店主も厨房から姿を現すと拍手をしながらこう言った。

「いやあ、お見事です、感動しました」だが次の瞬間、彼女は先ほどとは打って変わった表情でこう叫んだ。「何がお見事ですか!何が感動ですか!」 誰もが呆気にとられていた。

「ここまでしなければ食べられないのですよ」 そう言って彼女は自分の顔を指さした。かつての美しい肌は焼けただれ醜い水泡ができている。誰もが顔を背けた。「愚かなことに私の彼も反重力どんぶりに挑戦し、視力を失いました。医学生だった彼は医者になる夢を絶たれました。そして一週間後、自ら命を絶ったのです」

「それはすまなかった、しかし」「今さら責めるつもりはありません。ただ、ひとつお願いがあります」「なんですか」「宇宙盛り用の反重力どんぶりを貸していただけますか」「あれはイベント用で」「貸していただけますよね「しかし」「無理でしたら、裁判沙汰になりますね」「なっ、脅す気か」「いえいえ、これは一種の司法取引ですよ、さあどうします」「分かった、厨房に来てくれ」

人がすっぽり入れるほどのどんぶりがそこにあった。「では今からここに私が入りますので、ふたを閉めてください」「危険だ。そんなことしたらあんたの体が反重力化されて」「どこまでも舞い上がっていくでしょうね」「空気は限りなく薄くなり、気温はマイナス数十度に達する、そしてその先は 大気 圏。人間が耐えられるはずもない。死ぬ気かあんた」「彼は今、天上の星々となって私を見守っている のです。ですから私も彼のもとに」「 ダメだ。人殺しになっちまう」「彼は反重力どんぶりに殺されたんですよ」「くっ、分かった分かったよ」

根負けした店主はふたを閉めた。中ではすでに反重力化が始まっている。「そろそろか」意を決して店主がふたを開ける。その刹那、ものすごい勢いで彼女が飛び出し、店の天井を突き破ると、大空へと舞い上がっていった。

彼女は白い闇の中にいた。店主の言ったとおり、 空気は限りなく薄く気温は極寒だった。 彼女の魂はもう消え入る寸前だった。肉体もすでに限界に達していた。ふと静寂が訪れる。彼女は宇宙空間に浮かんでいた。青き惑星地球が眼下に見える。私はついに星になったのかしら。「いいや」隣に彼がいた。「よくここまで来たね、怖かったろ」彼の言葉がやさしく染みわたる。「ぜんぜん、あなたが待っててくれるって信じてたから」 彼はこくりとうなずいて彼女の手を取る。「さあ行こう」「どこへ?」「反重力どんぶりの無い世界へ」 彼女はしっかり彼の手を握ると、彼とともに宇宙空間を亜光速で駆け抜けていった。


初出:はてな匿名ダイアリーhttp://anond.hatelabo.jp/20150210172125