わたしの頭のうしろで 雲はながれ 雲の下 浅黄に刷かれた
丘のふもとに 最後の人々は住む わたしの頭のうしろで 川
はながれ 蜥蜴の尾のように青くかがやき 野の果てまでくね
くねと細り むこう岸の木立のまにまに 最後の人々は住む
かれらは 明るい窓辺のベッドで死ぬ 神の理ではなく窓枠に
切り取られた青空の理によって死ぬ そよぐ枝葉 つっつっと
降りてくる蜘蛛 背伸びして覗きにくる子供と犬 矩形のなか
のそんなものらを 眸にうつして死ぬ
かれらは生きる 人としてありていに生きる 太陽の下で穀物
と家畜をそだて 工場で機械と電磁波をつくり 日々を生きる
しかもかれらは 生きてかなしむ たとえば野にあるとき 頭
上の青空のもっともふかい青 そのようにかなしみ やがてか
なしみは しずかなよろこびに反転する
この秋 わたしは赤松林をぬけ 古池を散策する 木立が水面
までのばす枝先の もみじ葉の翳りのなか 一尾の鯉がじっと
身をひそめている ときとしてそのあたり 失われた祖国の影
が病葉ようにただよい わたしはあまりの懐かしさに 身を震
わす よって わたしはかれらに属する者ではない
かれらは 欲しいものはなんでも手に入れることができる 死
さえも苦もなく手に入るので つまり 欲しいものはなんでも
あらかじめそこにある いえ そうではなく 欲しいものはつ
ねにそこに 新鮮に たちあらわれる
かれらはみな寡黙である かれらは長い年月をかけて 徐々に
に言葉を失いつつある すでに人称代名詞のうち わたし あ
なた が使われることはない 愛 苦 望み など 人の心に
まつわる言葉については 知らないと こともなげに言う
言葉が失われていく しかしかれらは 海や陸や天体にたいし
てと同様 隣人たちとふかく親和している それでいて あく
までも個の点在を尊ぶ わたしには未知の 沈黙の交感をつか
さどる気圏に 包摂されているとしかおもえない 見ることの
叶わぬ風景として
わたしの最後の人々についての知見は このていどでしかなく
わたしがかれらとともに生きることは ついになかった わた
しは旅の途上にあり 国境線の消えた大地をさまよい 海は海
のままに 陸は陸のままにながめ どこまで歩いていっても
わたしの頭のうしろで かれらの群像は遠のく
選出作品
作品 - 20131111_974_7131p
- [優] 最後の人々について - 鈴屋 (2013-11)
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最後の人々について
鈴屋