よく嵐山周辺をドライブする。渡月橋を渡って、桂川の両岸を二、三周。「嵐山のどこがいいのかな。」と、ぼく。「風
を挟んで山が二つ、それで嵐山なんだから、山の美しさと、川風の心地よさかな。」と、友だち。「真実なんて、どこ
にあるんだろう。」と、ぼく。「きみが求めている真実がないってことかな。」と、友だち。出かかった言葉が、ぼくを
詰まらせた。笑いながら枝分かれする、ふたこぶらくだ。一つの言葉は、それ自身、一つの深淵である。どれぐらい
の傾斜で川は滝になるのか。垂直の川でも、ゆっくりと流れ落ちれば滝ではない。滝がゆっくりと落ちれば川である。
愛は、不可欠なものであるばかりではなく、美しいものでもある。
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』第八巻・第一章、加藤信朗訳)
美しい?
(J・G・バラード『希望の海、復讐の帆』浅倉久志訳)
恋をすることよりも美しいことがあるなんて言わないでね
(プイグ『赤い唇』第二部・第十三回、野谷文昭訳)
北山に住んでいた頃、近くに、たくさんの畑があった。どの畑にも、名札がぎっしりと並べて突き刺してあった。地
中に埋められた死体のように、丸まって眠っている夢を見た。数多くの死体たちが、ぼくの死体と平行に眠っていた。
ぼくは、頭のどこかで、それらの死体たちと同調しているような気がした。夢ではなかったのかもしれない。友だち
から電話があった。話をしている間、友だちもいっしょに、土のなかにずぶずぶと沈み込んでいった。横になったま
ま電話をしていたからかもしれない。友だちの部屋は五階だったから、ぼくよりたくさん沈まなければならなかった。
上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)
二つ三つ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』プロローグ、大島 豊訳)
このつぎで四度目になる
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』下・第十部・125、酒井昭伸訳)
何十分の一か、それとも、何分の一かくらいの確率で、ぼくになる。そうつぶやきながら、ぼくは道を歩いている。
電信柱を見る。すると、電信柱が、ぼくになる。信号機を見る。すると、信号機が、ぼくになる。横断歩道の白線を
見る。すると、横断歩道の白線が、ぼくになる。本屋に行くと、何十分の一か、それとも、何分の一かくらいの確率
で、本棚に並んでいる本が、ぼくになる。比喩が、苦痛のように生き生きとしている。苦痛は、いつも生き生きとし
ている。それが苦痛の特性の一つだ。この間、発注リストという言葉を読み間違えて、発狂リストと読んでしまった。
恋している人間と狂人は熱っぽい頭をもち、何だかだと逞(たくま)しゅうする妄想をもっている。
(シェイクスピア『夏の夜の夢』第五幕・第一場、平井正穂訳)
愛には限度がない
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)
これがどういうことかわかるかね?
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『黙示録三一七四年』第III部・25、吉田誠一訳)
自分の感情のなかの、どれが本物で、本物でないのか、そんなことは、わかりはしない。記憶も同じだ。ぼくの記憶
はところどころ、ぽこんぽこんとおかしくて、小学生の頃、京都駅の近くに、丸物百貨店というのがあって、よく親
に連れられて行ったのだが、食堂でご飯を食べていると、必ず、ウェイトレスが真ん中の辺りでこけたのだ。顔面に
ガラスの破片が突き刺さって、血まみれになって泣き叫ぶ彼女の声が、食堂中に響き渡ったのだ。ぼくは、その光景
をしっかり記憶していた。誰も動かず、何もしなかった。この話を母にしたら、そんなことは一度もなかったという。
限度を知らないという点では、狂気も想像力もおなじである。
(ジャン・デ・カール『狂王ルートヴィヒ』鳩と鷲、三保 元訳)
愚かな頭のなかで、ありもしない人間の間の絆を実在するかのように考えてしまうらしい
(マルキ・ド・サド『新ジュスティーヌ』澁澤龍彦訳)
愛もある限度内にとどまっていなければならない
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI・II、鈴木道彦訳)
仕事場から帰るとすぐに、母から電話があった。「きょう、母さん、死んだのよ。」「えっ。」「きょう、母さん、車にぶ
つかって死んでしまったのよ。」お茶をゴクリ。「また、何度でも死にますよ。」「そうよね。」「きっとまた、車にぶつ
かって死にますよ。」「そうかしらね。」沈黙が十秒ほどつづいたので、受話器を置いた。郵便受けのなかには、手紙も
あって、文面に、「雨なので……」とあって、からっと晴れた、きょう一日のなかで、雨の日の、遠い記憶をいくつか、
頭のなかで並べていった。善は急げといい、急がば回れという。この二つの言葉を一つにしたら、善は回れになる。
なにがいけないっていうの?
(ジャネット・フォックス『従僕』山岸 真訳)
幸福でさえあれば、ちっとも構わないじゃない?
(ジョン・ウィンダム『地衣騒動』1、峯岸 久訳)
愛ってそういうものなんでしょ?
(フィリップ・K・ディック『凍った旅』浅倉久志訳)
終電に乗りそこなって、葵公園のベンチに坐っていると、二十代半ばぐらいの青年が隣に腰をおろした。彼の手が、
ぼくの股間を愛撫しだした。それを見ていると、彼がただ彼の手を楽しませるためだけに、そうしているように思わ
れた。興奮やときめきや好奇心が一瞬にして消えてしまった。立ち上がって、ベンチから離れた。その愛を拒めば、
他の誰かの愛を得られるというわけではなかったのだが。それまでぼくは、ぼくのことを、愛するのに激しく、憎む
のに激しい性格だと思っていた。しかし、それは間違っていた。ただ愛するのに性急で、憎むのに性急なだけだった。
もうぼくを愛していないの
(E・M・フォースター『モーリス』第二部・25、片岡しのぶ訳)
もちろんそうさ。
(テリー・ビッスン『時間どおりに教会へ』3、中村 融訳)
いやあああ!
(リチャード・レイモン『森のレストラン』夏来健次訳)
京極に八千代館というポルノ映画館があって、その前の小さな公園が発展場になっている。この間、下半身裸の青年
が背中を向けてベンチの上にしゃがんでいた。近寄ると、お尻を突き出して、「これ、抜いて。」と言って振り返った。
まだ幼さの残る野球少年のように可愛らしい好青年だった。二十歳ぐらいだったろうか。もっと近くに寄って見ると、
お尻の割れ目からボールペンの先がちょこっと出ていた。何もせずに黙って突っ立って見ていると、もう一度、振り
返って、「これ、抜いて。」と言ってきた。抜いてやると、「見ないで。」と言って、ブリブリ、うんこをひり出した。
ぼくを愛してると言ったじゃないか。
(ジョージ・R・R・マーティン『ファスト・フレンド』安田 均訳)
だったらいったいなんだ?
(スティーヴン・キング『クージョ』永井 淳訳)
ただ一つ、びっくりした
(サバト『英雄たちと墓』第I部・3、安藤哲行訳)
フリスクという、口に入れるとスーッとする、ペパーミント系のお菓子がある。アキちゃんは、夏になると、賀茂川
の河川敷で、フンドシ一丁で日焼けをする短髪・ヒゲのゲイなんだけど、彼氏は裸族だった。アナルセックスすると
きには、これを使えばいいよって教えてくれた。すぐにムズムズして、どんなに嫌がってるヤツでも、ゼッタイ入れ
て欲しいって言うからって。ぼくはまだ試してないけど、これをぼくは、「フリスク効果」って名づけた。文章を書く
ということは、自分自身を眺めることに等しい。表現とは認識である。あらゆる自己認識は、つねに過剰か、不足だ。
上の人また叩いたわ
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)
四つになる。
(ロジャー・ゼラズニイ『フロストとベータ』浅倉久志訳)
こんどはなにをする?
(A・A・ミルン『プー横丁にたった家』8、石井桃子訳)
空っぽの階段を、ひとの大きさの白い紙が一枚、ゆっくりと降りてくるのが見えた。すれ違いざまに、手でそっとさ
わってみたが、ただの薄い紙だった。通勤電車の乗り換えホームの上で、ひとの大きさの白い紙が、たくさん並んで、
ゆらゆらとゆれていた。ふと、手のひらをあけてみた。きょう一日のぼくが、一枚の白い小さな紙になっていた。手
に口元をよせて、ふっと息を吹きかけた。白い小さな紙は、風に乗って舞い上がっていった。空一面に、たくさんの
白い紙がひらひらと飛んでいた。ホームの上で、ぼくたちはみんな、ゆらゆらとゆれていた。もうじき電車が来る。
叫ぶだろうか。
(ノサック『クロンツ』神品芳夫訳)
そんなところさ
(ジェラルド・カーシュ『不死身の伍長』小川 隆訳)
そのあとは?
(W・B・イェイツ『幻想録』月の諸相、島津彬郎訳)
選出作品
作品 - 20131101_831_7112p
- [優] WHAT’S GOING ON。 - 田中宏輔 (2013-11)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
WHAT’S GOING ON。
田中宏輔