腕をつかんで水を引いた早晩の冬に進化の生き物が老いてひとしきりヒカル山の尾根を抱くこういった動植物の動きが眉をひそめ静かにまた水の音を聞く実を拾って小川を渡る鳥の群れはきょうの思いを水に描いたキネマが音の群れを生む刻まれない刻限祈祷の際限で人は何人死んだかきょうからの思い出は直に私に間に合ったかひとつとふたつに呼び鈴が数回なれば島の形をした女の脚と大型の動物の声がすると子供が泣く石を集める為に置かない人と人が出会い唇の色を見た早晩には流れのない川が三本ある恵まれない日照の陰で間をくぐり必要な個数を聞かずにまた傷を受けたこれが、林檎の木これが、ナシの木、というように鹿田を翳す雲から糸を追い、程なく人が生まれた場所でこれも人の息をする嗅覚は放たれた女系をそのままで見抜き、ここを歩くものは誰でも石の重さにかえられる足を持つひじの上に載せた三本の槍しかと見届けた横町の砧意地の悪い性別とは歳を限定するものか光るものはなにか生きるものはなにか息遣いを改め採光の窓を取り、日々ずれる谷の、洪水を見るこのまま腕を引いて湾曲の町を渡ろうとすれば、二羽の鳥が影を持ったまま小さな赤い実をくだいているそこでは道もなければ靴もない、肩を外した女のくるぶしには泥があって、気付くともう打ち寄せた鳥の骸が砂をけずる息上げた日差しを受ける土器の中身は、一昨日食べた果物と、忘れてはいけないものが入っているそれと私はあしたからなにをするのか雨はふり、土の臭いはまだしない隣の顔を知ることなく蟻が渡る道に落とした頭に無傷の雄牛を屠った血を塗る
いまだ乾かぬまま沼を一瞥して太鼓の膜を剥がす今日の日付はまだ書かれる前の動乱を示し、人の道楽は首の数を数える反転する構造を胸に鶏の脚で歩く私の体は、芽が生え、痒みを増してなく声を持たないただそこには、林にも増す人の数があった日は動き髪を切る前に結って呼気の前に吸った三百日夜を過ごす動物はひる、消えたかめだかは裸で濁流を下る器官を患った式服の男は肩をいからせた最近、日ののぼりがおかしいお月さまも、危ない五時には帰りたい子供の足が土を急ぐ使われなかった鉛筆が土にささる訂正を恐れた私は一掴みに石を投げる延髄の各節に記憶を残して、いまだ残されない星に紛うものの軌道を追う消しゴムのシミに気付かぬまま貸したその手が掴むまで、帰らない猫の描写は始まった日付のいらない、鳥の鳴く町で、街路を叩く、このまま屈折する光は心臓の下に、触れる、私が朝を呼ぶと、声を出して広がる陸地に輪ができて、喉は日増しに脅かされる
あやしい目の発育と、睾丸の膨大、九日目に書くのを忘れた正月には競りを、七月には七夕を、天気を写してもとまらない東京に春ヲ
彼女の頭を抱えて、電車にのったまま、くしゃみをした幾わもの鳥が飛ぶいじめなら初めから落とされた、踵がない、そこで、正直に歩いた母と娘祈りの傾きに興ったのは、出発
糸はいつもわたしを逃れ、新しい結び目で折れるしきりに降るのは糸、紙でできていてもおかしくない、糸-形を、僕と呼べない配列の降べき、登壇を恐れて逃げ出した、望月の前夜に食べるべき実を落とす樹の影は渓谷にならぶ、顔の知らない動物が、尻をたずさえて動くここにいる知る知った失跡の数、情けない声がすると、東の方からミサイルが投擲される囃し立てる三十三夜、怒りはまだ早いのではないかという焦りと金曜日、球の走りは魚を追ったなべて口を噤む鳥の目には映るものがあった、それを追い、一先ず家に帰る盛岡に梨の木があって、栽培される日日を尋ねようかそれとも人民の解放が先か、沸き立つ安寧の鳴き声はバスの車輪を急がす、乗り上げた船の壁をなぞると赤い、溶けた空に円を描く様に、人様はいないわたしがここに来て、涙し、なぞる、捩るその川が流れる先に駅があり、私の待つ電車の数は、まだ、示されていない、女の人とそれでも賑やかに音の出る方へ、上った、光について考えると、ふと飛行機を見るその飛行機の反射が、海を呼んで、港があらわれると、朝になるまた原稿用紙に戻ると、シミが滲んで筆を置いた、私がいつ食べたかわからない食べる物へ、私がいつ置いたかわからない、都市の名前へ、期日の話をしよう期日とは、その都市の瓦解であり、名前であったまだ懺悔の済まない、裸体を呼んで、読ませる、書き物であった、問われる者が問うことによって、死者が死を生きることによって、集まりは解散を集めることによって、ガニメデ(ひそかに、)頬の骨を外すものがあって、今日の題目は「あす、私の骨が他界したら」と和尚が膝を打つ、音はあったか、音のみの不興、合衆国で起こった発砲事件に、捕鯨の報道が重なった(こうしてきょうもわたしはおやのつくったごはんをたべてわたしはどこかへいくのかしらつめたいうつわをいつもとおりこして)日のよく照る日に、駐輪場は墓場のように見える、指導が入る私の種目と、工事現場の日中、道を歩きながら、鳥に咎めることなどがある、時計をみると五月がはじまり、夏の終わりまで、曲線を描くことがある、末日まで、勉強することもある、(言うことを聞かないマリ、労働党の党首になった伯父さんは、東京のみやげだと言って餡パンをくれた、靴下をはかない私の子供)、並んで鉄を打つ授業で召集の番を待った(赤い数珠をみたことがあるか)、三日目には母が来て、休みをもらったものだ(ひとがいうことを信用してはいけません)私は、疲れてはいません(まだ、はじめてはいけない、それならいつまで続けるの?)もう一度買い物に出かける、私の爪先が涸れるまで、ひそかに願っていた余裕のない足跡も、虫に攫われる(そうやって吐いた嘘の塊は血痕にもならないらしい。痛みも痒みもないような小石をばらまいてお医者さんこまっていたわ。また、ひそかになにかを持ち出そうとしているもの)、文字を幾ら見つめても、子供のように大きくはならない、告別の時まで変わらない大きさで、私だけが大きくなって。
山で遭難した祖父の連絡を待つ。秋には実るブドウの木を削り、勝敗を記す。山は街を囲みながら人を逃す、母は正直に話の種を拾う。
ここから先の景色について、聴く耳を持つ、新しい海豚の子供を習わして汚い水槽を掃除した。斜陽を測量して車を走らすものもいた。決して、赤い空を持たない雲が、死んだ。一人では、舟も漕げないだろうか。明日には、照り返しの、強いことを知る。私が身を立てる話はなにも、人ごとではない。部屋の明かりを落としても、見えない目の光りのように留まる。私が人を呼び、縄を張った。知るもののいないこの部屋で、部屋の外で、裂ける音も聴く。階段の縁には、鼠の糞がひどく、
はじめて足りない人の数を数えた。先生と、親の周りと親と、若干の生徒で事足りた。橋の下では水の足りない鯉が、鯉を追って背びれを痛めた。蕊に触れた蜂の頭が、尻を上げて針を伸ばす、日輪の輪ごとに、日を受けたからだが模写をする、そんな愉快な休日には、私も日を浴びに行き、父が震えた夏には、呼びかけに応じた鳥もいた、海水に湿った羽根が落ち、きいろい尾根もある。定かな口と、不確かな声帯で。透明な礼賛と、きいろい林檎で。日の照る国内の街と、明るい日照時間。
かつての丘に、人を交えて砲声を待つ。落ち着きのない個人の墓場に百合を携えていくと、はな開くまえに散ったおしべの塊が落ちる。
灰色の、鼻息を荒らす吹雪のまえに、繋がっている50の身体と、火を灯した額。いつも求めているわけではないが、雉子の尾羽を飾る赤い雪を、首を絞めない復活があると信じて。
諌める諧謔の戦士達が今朝も歩き回り、日の照る大地に影を落とす。未亡人である彼の妹は、荒野にまだいた。石臼の抱かれた二つの身体が昼には回転し、私は相も変わらず鳥の数を数える。足下から照る日の輪郭を追い、人称が失われた夜、乗り物による移動を求める、排水のない街で、鼻つらを合わせた犬が罵りあうように、人の子としての威厳はどこにいったか。祝詞を述べる口の形と、手にした祈りの重さを量り、年を跨ぐことの不可解な日没が始まった。(答弁を繰り返す私の体) それはいつからか?聞かれても聞き返す、部屋の扉になって、嘘からは嘘という出入りしかできない か?話をきくと、痛みがあった森のなかではすでに、男女が座っていたこれからの予定はいつも、舞踏に関してだ
語の末尾に払われた再びの値段、市ヶ谷で死んだ誹諧の精算、恥じらいもなく自他を指す補助器をつけても直らない手付き、表で呼び合う親族の歴史をふり切って、なお偽りとして残る人称の偽史をまぬがれぬことへの狂気は、形としては残った。私が聞き漏らした音を聞いて、肘をぶつけあうように花が散った。こうしてまた次に起きた時は陽を掻き下ろす、爪の跡は夕方には消える。ここで引き返すか否かの、ふたりの問いが続き、私が三回目の口火を切った。回す手だてのない足の先に、鳥の室内で飛ぶを見る。早く帰ろうとするが、私の家は、バスを何本乗り継ぐのだろう。側にはいくつの、苺がなっているだろう。私が日々記す彼らの成長記に、余白ごとの仕事をし、まるで内科医のようだった。(切り取った折り紙に記した矢印)赤くなった手、虫が羽根を広げて日を遮る内容の夢想。子供から取り上げた写真をはたはたと現像し直す、夏至には二人組の奇形児が泣きながら私を訪れる。(最後まで読めない本、最後まで観れない映画、最後まで立てないからだの保身の動き)朝は遠い、得難い頭の影に女の姿を残したか。鳥は啼くが人知れず私の足は進む。計らいのない町の曲がり角で、最初の選択があった。ここに来てから歳月は年周期のレプリカとなり、下手な言い方にはなるが5月には5月の、6月には6月の、病いがあった。まだ馴染みのない土地が人の足のばらつきによっておさえつけられる、得難い定着。今日私が習う全てのことを記し、比して対等に喋る私の子どもと食事を摂る。遠くでは話しかける小犬の群れに、阻まれた生き物の化石があった。そこで食卓をふりかえったならば、私と子どもはいただろうか。合唱を送る声帯の連なりが、蛙のような姿勢をとって陽に照る。
その日、三人目が生まれた。照射に耐える地の乾きにも哀悼を示し、久しく会わなかった友達の連絡を待つ。梅雨の時節には雨を伴った風が私そのものを揺らし、私そのものに音を立てる。知らずに物を証言することは許されないか?口の利かない利口な私、著しく采配を隔てる手つきに、8時のニュースを流す。
愛したことのある家と、愛したことのある動物と、愛したことのある山辺を愛するものと巡礼したい、これが春の慈しみだと知らずに。
かたちを覚えると手がでる体操の手順を踏んで、からだを起こしては何度も呻くように確かめることは多い。限りなく円錐に近付いた気道のかたちが、外に開いて雨を吸った、それだけ暑さの厳しい、季節に住んでいたとも言える。カバンに入れた紙片の書き加えを、幾度も修正し、旅行に出た。感傷的な木立に破られるわけでもなく、友人に会いにいく。ここでの生活に区切りをつけること、生活を愛すること。「生活者」という言葉は嫌いだが、それは人を指すわけでもなく人称を得る。再び、献花の間に腕を押し込み、はみ出しそうになる身を抑えながら亡き人の横顔を見ようとする、奮い立つ傲慢な手つきと人の数に、空ごと変色しそうに不穏だ。年を越せば大方のことは忘れてしまうような、雑文をカバンに詰めて、そういう生き方をした。歩いても足を傷つけない靴の、先からほつれていく。
たべものを運ぶ子供の手に一筋の毛がかかった。範疇に逃れる蟻の群れと、それを見る目。
私の終わりに伴するものも祈りを絶えて、吐き気のするすべてに唾を落とした、けさは湿気の強く排泄もうまくいかない日、叫びもない。湿気の強い朝にそれ自身濡れたような言葉をつかい、つかわれ、占いごとは一神教の迫害の的なのかとそれらしい考えをいつもの水路に落とし込むだけ。出会った女の横顔毎に同じことを考えるむじな、ひからびた舗装道路と靴の裏に一応のつばを吐いた。(話はかわるが私は昔から餌やりが好きで、きょうもこのようにして一回分の餌を与える)何を記録するかは自由、と思わせてほしい初夏の熱帯夜。朝食に必ず載せたい具材を買って、参拝の経路で人の子を詰る。(すべての私の子らよ)きょうは不屈の日、と思って行きなさい。私がまだ覚えていないことの数々を、手を重ねてからだでおぼえるしかないのだと、無理やり持たせて。引字の手綱に声を押し寄せ浪立つ岩の隙間も見えないほどの指の数、呼ばれたことのない記憶の端に新しい女の子が生まれた。(目を余り使わないようにしてはどうか。視覚がやけに運ばれる昨今、聴覚の追随をも許すか)胃のない酸いからだを揺り起こすと、門限を待つ異国の若年が喉を鳴らす。市ヶ谷の聖戦をあとに、引き延ばす語り手の失地、春におぼえた言葉を何度も繰り返しながら世間では八月を超えた辺りから年の数に鈍感になり、働くことに関して一通りは知った?足を動かすと頭もよく動くと聞いて、見知らぬ川沿いを歩いた、近くの公園には久々に、滑り落ちる坂があったのだ。私がおぼえなければならないのはそれぞれの名詞、その打撲のような名詞を。それからと言うもの、私が語りつぐ理由もなくなり、話す相手によっては泣いたり笑ったりもした。半行を越えて瞬く間に、穴を塞ぐ。木のない町にはじめて、足が土を踏む、叩かれた粘土の音が聞かれる。「戦後」というやわらかいことばのあとに、繋げることばはあまりにも硬質で、あたりには虫が飛ぶ、火が叫ぶ、公園のベンチでまた人が死んだ。追撃の戦士は滞りもなく隊列を組み、一矢報いる溌剌な顔を掲げ、けさの太陽に対してそれはまたひとつの鏡のように座す。鹿の足を括って引いた謎解きの列、生き物の名前を呼んではありつけた礼儀の極地で排泄をする。終わりは近い、実に小石を投げた子供の腕は青ざめて、追悼は必ず示される。
選出作品
作品 - 20130801_669_6981p
- [優] 雑記 - 谷島 有機 (2013-08)
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雑記
谷島 有機