何処にも向かっていないように見える僕たち。何処かに向かっているようにも見える僕たち。僕は球形をした船の表面に張り付いて旅行中。太陽の周りを一年かけて周る旅を生きている間ずっと繰り返す。夜空は丸い船を取り囲む黒い海。想像できないくらい広い宇宙の中で同じ船に乗っているんだよ。僕たちは船上で出会いました。僕たちは共有している。同じ空気を吸うことがやめられない酸素中毒患者。ゼイゼイしながら生きている。死んでいった患者は歴史をつくって歴史の先端を少し伸ばしていて僕たちも同じことをする。僕が船の先端と思った場所とあなたが先端と思っていた場所がタイミングよく交差しましたね。僕たちは同じ勘違いをしていたおかげで出会えました。それはちっぽけだけども歴史的できごと。あっちでもこっこでも素敵な出会いが起きている。もちろん別れもある。別れ道で友達に「またね」って手を振って夕飯の匂いがする家に帰っていく小学生がいる。その子は将来歴史に名を残す人間になるんだけど僕はその人のことを全然知らない。僕がいま知っていることなんて真っ白な無知です。目が覚める外は銀世界になったときみたいに知らない人たちが歴史を積もらしていく。自意識が存在する以前のことを思い浮かべて「いつの間にか」という言葉。きっと僕の意識はこのことにもっと驚愕しなければならない。意識が生じたら一瞬のうちに一瞬ではないことが過去として在ることになっていた。一瞬のうちに膨大な過去の因果が出現してくる実感と言えばいいのだろうか。在るというだけで無条件で受け入れなければならない様々なことや気持ち。過去があるという公理と未来があるという前提。意識を意識することは進化論的な歴史や不特定多数の人間がつくってきた歴史性を受け入れるということだろうか。僕が受け入れることには積極的に受け入れたいこともあると思う。人を愛する気持は未来が在るということを受け入れる気持ちのことじゃないの。大切だと思える人にたいして。そんなことを考えながら僕たちは言葉が積もった落ち葉のふかふかのところを歩いている。いい話が落ちていないかと下を見て歩く。開けたところで顔を上げたら遠くに霞んだ山が見えた。何処かに死体が埋められているはず。そこに殺人が在ったから殺人をしてみた。そういう人を想像してみた。それが過去だったら僕はそれを受け入れなければならないきっと。それが未来だったら僕はそれを受け入れちゃいけないきっと。何処か正しいところを目指さなければならないきっと。何処が正しい場所なのかを見つけなければいけない。僕たちは同じ船に乗って同じところをぐるぐる回っている。船の表面で生き物たちがくっついたり離れたり食べたり食べられたりギザギザに動いている。みんな何かをしているように見える。多分正しくないことばかり。「何か」だ何か。何かをしよう何か。僕はあの山の頂上で景色をみたいと思った。登って疲れた僕はそれを味合う余裕があるだろうか。いまと同じ気持でそれを見たいと思うだろうか。結局僕が観察するのは辛いことに挑んでいく自分の状態なのではないか。僕がみたいのは景色ではなく自分の心か。何かを精一杯になってやると自分の心に帰っていく。心を映すために他の心を鏡として使わなければならないのならば僕は一生懸命にあなたの心に帰っていく。疲れた僕はベットの上で目を瞑っていた。あなたも何処かで目を瞑っている。眠っているように見える。何もしていないようにも見える。目を瞑って何かを考えているようにも見える。何かを考えているように見えるように見せかけているようにも見える。何かを考えることができるとしたら何にもしていないようにも見えても「何かをしている」かもしれないことになる。心が豊かなほど見た目だけでは「何をしているか」わからないことが増えていく。何か考えているとき心はこの世界の「不思議」を発明している。あなたの心は何を考えているの。何処にも向かっていないように見える僕たち。何処かに向かっているようにも見える僕たち。
選出作品
作品 - 20130715_461_6956p
- [佳] 私とあなたが死んだ日は遠い昔の話 (この題名は自分が書いた「星屑に願いを」から引用) - お化け (2013-07)
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