寺の墓地を抜けていくのは街への近道、といって女は急いでいるわけでもない。ひとり歩きの気楽さ、両の手を後ろで軽く繋ぎ、散歩がてらという風情で墓石の間の敷石道をゆっくり踏んでいく。ふいに枯芝色の犬に追い抜かれる。「おや?」と後ろ姿を目で追いながら舌を「チョッチョッ」と鳴らして呼んでみる。犬のほうは地面のあちこちを鼻から先に寄り道していくばかりで一顧だに返さない。いっそ気持ちの良い無関心。女はその犬がちょっと好きになった。
犬が曲がっていく先に付いていくと、大島桜の大樹がおりしも満開を迎えている。女は「これはこれは」と歩を止め「言葉を仕舞え」と誰かに命じられでもしたかのように、しばらくは呆けて花をふり仰いでいる。風が吹く。いっせいに空が乱れる。女は唐突に目を覚まされた気分になって、舞い散る花びらの下、桜の根方をしきりに嗅ぎまわる犬に気付いた。一面敷き詰められた花びらが鼻息でほころび、そこだけ黒い土が露わになる。
犬が尻を落として尾の付け根のあたりを激しく噛みはじめた。その姿勢がきついのか、転びそうになるのを前肢でこらえて、尾の痒みに口先を届かせようとくるくる地を擦り回る。歯を剥き出しグッグッと鼻を鳴らし噛みつく。三度四度擦り回ってようやく気が済んだらしく、犬は前肢をそろえ端正に座り直し、そこではじめて女のほうを見た。犬が演じた愉快な振る舞いに頬笑みを返しながら、女のほうも犬を見詰める。そこにあるのは黒い二つの眼だ。
女が山門に向かおうとすると先導するように犬が前を歩く。曲がり角で来し方を見やると、ひと筋の敷石道の先、林立する墓石の上に、さいぜんの大島桜が扇の形に白くぼうと浮かんでいる。そのあたり風もなく静まり返っている。少し寒い。胸の前で両腕を交差させカーディガンの上から二の腕を擦った。犬が離れていく。敷石の上を軽やかに爪音たてて、つんつん立ち揺れる尾がいきおい先に行きそうに胴が斜めになる。女が頬笑む。山門をくぐればそこから街がはじまる。
選出作品
作品 - 20130520_828_6880p
- [優] 女は街までの道すがら二度頬笑む - 鈴屋 (2013-05)
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女は街までの道すがら二度頬笑む
鈴屋