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作品 - 20130508_699_6857p

  • [優]  口笛 - 夢野メチタ  (2013-05)

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口笛

  夢野メチタ

I

目が覚めたら夢の中で
バスタブに転がる私は口笛を吹いていた
"史上最大の作戦"だか"コンバット"だか
曲名が思い出せない
膝を抱えて腕についた露をぬぐっている
汗をかいたぶんだけ薄くなった 胸/肩
  /指先
     いつもどこかを洗いはじめる
背嚢からボディーソープを取りだし隣で
痩身の戦友は故郷の恋人に手紙を書いた
「俺この戦争が終わったら結婚するんだ」
かすれる口笛
トランペットの音が高くなり遠くで爆撃
が鳴った/吊したタオルから雫が/ポツ
リ/ポツリ/と背中に
          /そして目が覚め
るとやっぱり夢の中で口笛を吹く私は膝
を抱えて曲名が思い出せない/// /
  /お湯から突き出した膝小僧が赤い
//  ///////喉が渇いている

先に行っていてください言葉は後から追
いつくので/そう言って送り出した人ひ
とりも戻らなかった/私は蛇口をひねっ
て行進を見守り続ける/氷づいたあしお
と静けさを帯びている/いつも通り注意
ぶかく洗うんだ歩くんだ/爪先を水弾が
かすめて泡が破裂して/空に浮かんだ半
月が昼間の蛍光灯に照らされ白く/蒸気
のなか目を開けても前が見えない/息が
あがり/既に満杯になった浴槽から温も
りが次々と溢れ出し/誰もが溢れ冷たく
なっても私は吹き続けた/今となっては
私自身を繋ぎとめる拙いメロディライン


II

かける言葉がない夕焼けを背にはしる私
影があとを追う/一瞬の夕立に洗われた
景色は水彩にとけて淡く私の眼には透き
とおっている
      /いつか緑だった遠くの山
山/季節もろとも移ろい行くと思ってい
た/いつまでも緑
        /狭い河川敷に下りて
球けりに興じる子どもの数/ひとつぶの
飴玉を落として幼児もはしる/手の平を
擦りむいて泣く//
         /斜面に咲いたあの
素朴な名前の草花を匂い/音を聴き/風
はなく/風はなくても響いてくる吹奏楽
の音色は川裏から意気とのぼって天高く

せきを切ったように溢れだした
あの日も空は赤く/私の手は大きな手に
握られて/枯れて久しい庭の池のことを
埋め立てたら犬を飼おう/白い大きな犬
がいい/川下から向かってくるランナー
はしる/はしる/並んで少し大きめの運
動靴の底/擦り減った放課後の行進曲が
いつまでも同じところばかり繰り返して
行き場のない足取りを私達は見下ろした
そこに人はなく照り返しを受けた川面の
きらめきが私達の不透明感を際立たせた
かすれた口笛で心もとない旋律をなぞる
吹けない私も素振りだけを真似て大きく

/手を振って速度を上げた/変わらない
景色が続く/長く生きているとこういう
こともある/断たれた季節を追いかけて
振り払うようにして /はしる/はしる


III

斜交いからの一撃を食らって馬は死んだ
「この糞坊主」と普段は温厚な市制官が
敵を八つ裂きにする信じられない豹変ぶ
りに戦争のなんたるかを知った午後九時

対戦相手は席を立ち煙草を咥え膠着する
戦局をながめた/彼はインド人で私は日
本人であるから共通する言葉は"カリー"
しかなく/私が給仕を呼んで「カリー」
と本場の発音でなめらかに注文するとイ
ンド人は変な目で見てくるので「お前の
ためじゃない」と心の中でののしった
僅かな優位も決定的な勝利には足りない
半ば諦めながら無難にルークを動かし私
も席を立つ/店には他に三組の客がいて
それぞれがそれぞれの戦いをしている
一組目/別れ話を切り出した彼氏に彼女
が食い下がる「君とは合わない」「会っ
てるじゃん」「ちがう!もう会わない」
「それじゃあ文通始めちゃう〜??」
二組目/テーブルに並ぶ皿/皿/ジョッ
キ/コースターの束/男はハムエッグを
頬張り立て続けにビールを注ぎこむ/深
刻な顔で店内を見回し/不意に立ち上が
ると勘定を済ませて雨の街に消えた
三組目は正装をまとった団体で/口角泡
を飛ばして政治的議論をしている
私はひとつ伸びをすると席に戻った/イ
ンド人は予想通りルークを当ててきて人
差し指を交差して引分けのジェスチャー
をする/私も懐からスプーンを取り出し
て"カリー"を食べるジェスチャーをする
活動家たちのテーブルから急進的で文学
的なゆび笛が鳴る/晴れやかなカリー/
文通/食欲/スプーン/ゆび笛/頂きま
すとかぶりついた瞬間街に火が放たれた